2/29 孫のミーを、何とか保育所に送り出した。でも、いつ 「具合が悪いから・・」との電話があるかもしれないと自重していたが、「その時は、山から駈け降りて迎えに行けば良い。」 との勝手な口実を考えて、電話の繋がるところならと、雨の中、千石城山に向かった。

 東種から雨が雪に変わり、登山口に近付くと、いっぺんに雪量が増え、車はその手前にデボして登り始めた。スノーシューやカンジキは、全く考えなかったので、少々後悔したが、歩き始めて、その必要が無いと思い始めた。ずっと、雪は降り続いていたが、雪量の少なさは、この山も同じであった。

 何でこんなにしてまでも登るのかとの自問自答は、「山ノ神」と共に歩いていても同じである。もしかしたら、その「山ノ神」自信も、いつの間にか、仕方なしから、ライフスタイルから除く事が出来ないようになっているのかもしれない。そのような事を問うた事もないが、だから、難度の高いのを好まないのは、そのせいかもしれない。(だと行けないからである。)

 しんしんと降る雪中を、歩くのも乙なものである。雪山の雨やミゾレは厄介であるが、雪上に重ねるが如くであるからして、抵抗感が少ない。お天気の中を歩くに越したことはないが、それでは、歩く機会が少なくなってしまうのである。千石城山に辿り着いた途端、「城ヶ平山に行くか?」 との問いかけに「山ノ神」が頷き、すぐに決行となる。

 しかし、大岩に着いた時は雨であった。登山道は、ずっと、ぐちゃぐちゃであった。500mに満たない山であるから、それは仕方無い事である。途中から、雪に変わった事もあり、山頂には、10~15cmくらいの積雪があった。千石城山では、何も食しなかった事もあり、一つのカップ麺とコーヒーを頂く事にした。雪降る中である。



2/28 上の孫ミーの様子が可笑しい。インフルエンザは陰性であったが、微熱が続き、ここ3~4日精彩がない。この分だと、保育所を休む可能性がある。そうなると、山行に影響が出て来る。一人では行かせて貰えないようだから、久々に 「山行ナシ」になるかもしれない。

 雨のようだし、諦めがつかない事もない。そして、まだ可能性がゼロでもない。週一とは言え、身体を動かさないわけにはいかないので何かを考えなくてはいけない。食べ過ぎや飲み過ぎで、ダメになった身体を掃除するためにも・・・



2/27 予報がまた変わった。久し振りに金剛堂山へ行こうかと思ってみたが、あまりお天気が良くないようである。どんなに 早くても、午前9時過ぎのスタートの山行だけに、そこまで無理する事もないであろうと思ってしまう。

 2月末であっても、降雪が少なければ、山頂に届くような気がしていただけに、ちょっぴり残念である。少雪の今冬は、低山の雪量が極端に少なく、余程で無い限り選択肢の一座になりにくい。この後の予報を見守りたい。



2/26 不思議なもので壊れる時は、次から次へと連鎖をするように壊れる。しかし、どしても必要なものは、直すか買い換えるかしなければ、生活が出来ないようになっている。大昔なら、それでも良かったかもしれないが、今の最低の暮らしが、何だかレベルアップしてしまっているから、思うようにならない。

 2年前に、シロアリのやられ、修繕を強いられたが、思わず施工業者に、「出来ればこのままで、自分の寿命と一緒に壊れて欲しいと思うくらいであるから、最低限の修繕で終えて欲しい。」 との考えを伝えた。その費用の算出が覚束なかったのもあるが、それで何もかもを使い切っては、私の生き甲斐など無くなってしまうからであった。

 最近は、山用具に問題が生じてきている。スノーシュー、そして、雨具などと、それこそ次から次である。修繕で何とかなる物もあれば、手の施しようのないものもあり、途方に暮れてしまう物までいろいろである。しかし、その事(山歩き)をしたければ、当然求めなければいけないし、それが出来なければ止めた方が良いに決まっている。

 これも選択の一つであって、自分が決めなければ行けない事である。どうしてもやりたい(行きたい)事に、たった一度しか使わないかもしれないが、行きたければ、何を置いても求めなければいけないのである。ちっちゃいけれど、ロマンを求めておらなければ、人生はつまらない。



2/25 この先、何としてでも認知症を避けたいとの思いは誰しもにある。どうしたら回避出来るのかと問うても、なかなか答えはないようである。「頭を使う。」 「身体を使う。」 などと言われても、その内、使う事が出来なくなって、ダメになるのではなかろうか?

 「好きな事を続ける。」 「出来るだけ仕事を続ける。」 のも良いように思うが、人との繋がり(交流)が、最も大事なようにも思う。喋らなくてはいけないし、認めてもらわなくてはいけないのであるが、話したくないと言われる人になってはいけないのであろう。

 「忘れた。」 「無くなった。」 「何処に・・」 を繰り返す自分がイヤになってしまうが、大なり小なり皆が抱えていると思えば、少々気が休まるが、生きている限り、もうちょっと、前向きにならなければいけないのかもしれない。好きな事は、まだまだ覚えられるのであるから・・・・



2/24 2月も残り僅かである。今年も寒い部屋で、風邪も引かず、何とか過ごせたという事になる。暑さ寒さにも、限界というものがあるのだろうし、年齢的な体力も考えなければいけないのだろうが、この点、一年中、山歩きをしているのが奏功しているのかもしれない。

 それとも温暖化が寄与して、ペットボトルのお世話にもならなかったのかもしれない。(ペットボトルにお湯を入れて湯たんぽ代わり) いやいや、今冬から試みた布団の上の毛布に効果があったようにも思う。しかし、夏になると、今度はその暑さに空調のない部屋で対応出来るかになってくる。先人達の会話で、「夏には陰がある。」 とよく聞かされた。暑さの方が寒さより過ごしやすいという意味だろうが、当世には、なかなか通じないような気がする。



2/23 当たり前の様に、「休日は山に・・」 を繰り返し、時には、保育所の送迎に不満を語ったりしている自分が、どれだけ幸せ者なのかと反省する事がある。世には、親様の介護や連れ合いの世話、また子供や孫の為に、身動きが取れない人達がある。連れ合い(配偶者)が病に倒れている人もいるのであるから・・・

 いやいや、ご本人が、ケガや病で苦しんでいる人もいる。そんな事を思えば、少々時間の制約、そして、金欠病に泣いても、その人達に比べれば、何とも申し訳ないように思ってしまう。思うようになってくれぬ「山ノ神」の事にしても、寝たきりになったり、認知症になった事を思えば、諍いくらいでの悩みなど、無きに等しいもののようである。

 上を見れば切りが無い。世界中を見渡せば、食べる事にさえ苦労している人達が、それこそ山ほどおられる。砲弾から逃げ惑う人達も画像から窺える。「のんきに山など歩いている場合か?」 と自問自答をしないわけでもないが、唯々、自分の無力さを感じている。「出来る事は何?」 大袈裟ではないが、「ちょっとだけ良いことをしよう。」 その積み重ねかな! 「笑顔をあげるも良し。」 「ちょっと背中を押すも良し。」 「ゴミを拾うも良し」 やれる事はいっぱいある。



2/22 「休日は山に・・」 昨日の小白木峰に続いて、今日も高落場山へ出掛けた。少々の疲れがあっても、行かなければ精神的に満たされない。それが、ライフスタイルになっているのであるから、家族も、そんなもんだと思っている。それを知ってか、昨日、小白木峰で一緒だった、河原氏に、「明日は何処へ・・」 と声を掛けられた事もあり、今日は、3人となった。それで、我々の諍い(お互い単独行)回避となった。

 五箇山トンネル入口の取り付きには、「雪が無い。」 には参ったが、それでも五箇山の山だけに、無いと言っても、ちゃんとあるのである。今日もブナ林が良かった。靄が掛かっている様は幻想的で、何度も立ち止まった。それは、幻想的というより、神秘的という言葉の方が、ピッタリだったかもしれない。

 ブナ林を登り切り、山頂への途中で、「もしかして、いらっしゃるのではないかと思っていました。」 と、山頂から降りて来られた金沢HCのN女史と遭遇。久し振りの再会に一枚写真を撮らして頂いた。何だかホットな気分になり、「山ノ神」と共に、「永年の山歩きからのプレゼントのようなもの」 と、勝手に自画自賛となる。

 山頂では、たっぷり時間があった。河原氏と「あれやこれや」 と、山談義となる。近年何度となく、山歩きをご一緒しているが、3人での山行は、もしかしたら、一昨年の大熊山以来かもしれない。「我々のゆっくりペースに合わせてもらえるなら、いつでも一緒させてください。」 と感謝しきり。今日の山行に際し、七夕様のように、一年に一回お誘いする和佳子女史がある。昨夜も、急ではあるが連絡してみたら、「仕事」との事。今回初めて×だった。でも、尚更楽しみが深まったような気がする。



2/21 悩んだ末の小白木峰への決行。結果的には、「行って良かった。」 とは私の感想。まず、マキちゃん夫妻の飛び入り参加で、いっぺんにムードが高まり、中止・変更などの語句が吹っ飛んでしまった。そして、チームワークが良く、猛者も、後続をずっと気にしてくれていた。

 雨が雪に変わっても、大長谷除雪最終には、いつもの積み上がった雪がなく、ゲートまで入れ、そのゲートそのものが、露出しているのにはビックリであった。これでは、尾根に取り付く630m付近の雪量が気になっていたが、その熱気は、それをもクリアーしてしまった。

 流石に、高度を上げると風雪が強くなり、白木峰との合流点手前辺りから、何処が何処か、分からなくなってしまうほどであった。こんな時のGPSなのであろう。苦労して辿り着いた山頂であったが、その場を捨て、シェルター造りの場所を探すに至った。

 背丈程まで掘って、いつもの通りタープを掘れば別天地に変わった。料理も会話も、美味しく楽しかった。ちょっと、アクシデントがあったが、これも経験であり、雪の行軍を楽しんだ(経験した)のであるが、きっと、またいつかは、この話で盛り上がり事があると思う。こうなれば、「私も参加すれば良かった。」 となるのである。



2/20 ハレルヤのメンバーにもいろいろ事情があって、明日の山行の参加予定者は6名になった。予報も宜しくないし致し方ないところかもしれない。しかし、明日は、あまり降らないような気がし、幹事として、「決行」の判断をした。と言っても、少雪の上に、雪質の状態が分からない。

 でも、歩く高気圧と言われる筏井氏の参加があれば、午後から晴れてくるような気がしてならない。少人数でゆっくりと歩き、そして、それなりの満足感を漂わせ、「やっぱり行けば良かった!」 と不参加の人達に思わせるようになればなどと勝手な思いでいる。



2/19 今日は、「山ノ神」の誕生日。外食の嫌がる私を、渋々であるが腰を上げさせられたのは、結果的にはめられた感があった。予約されていた食事処に大阪から長男がやって来ていた。そうなれば、飲まないつもりであったが、飲まなくてはいけなくなる。変な理屈を付けてしまった。

 明後日のハレルヤ山行当日の予報が悪くなった。イヤな時に幹事を引き受けてしまった。それこそ独自の味を出さなければいけないのであるが、雨の日は、「小佐波御前山」 の定番では面白くもないだろう。「悪天でも決行」 で、後々困るのもイヤである。もうちょっと、時間を掛けてみよう。



2/18 昨日は、大阪の長男の誕生日であった。その長男にメールを送ったが、”梨のつぶて” で、今夕になって、ようやく返事が来た。明日は、「山ノ神」の誕生日である。娘から、「何処かへ行って来たら・・」 と、けしかけられているが、その気はないと言ったら、叱られてしまった。

 過日、山用品を誕生日プレゼントとして贈っているから、それで良いのではないかと思っているのであるが、どうも、それだけではいけないようである。私としては、なけなしの金子で賄っているのであるから充分であるし、家中で、ゆっくり飲めばよいのであるが、わけにはいかない様相。



2/17 今日は、久し振りに高岡も積雪を記録した。それにしても、水分をいっぱい吸い込んだ重たい雪だった。これで、3日連続で雪の日が続き、ちょっと一安心なのであるが、明日明後日と晴れなのであるが、ちょっと高めの気温が気に掛かるところとなる。

 そして、その後(ハレルヤ山行の前日)が、曇り時々雨の予報である。山行当日の予報は、「曇り時々雪」 であるが、前日の雨予報が、当日にずれ込まないかとか、雨で雪の状態が悪くならないかとか、幹事を引き受ける者にとって、気の重い状態が続く。



2/16 ムコ殿来高、そして、客人の来訪が続き、毎晩盛り上がって飲んでしまった。いやいや、その何日も前から、「ちょっと、飲み過ぎだぞ!」 と思いながら、飲み上がっていってしまった。だから尚更のように、休日は山に行かなければ、飲み過ぎの他に、食べ過ぎがあるため、体内に溜まった余分なエネルギーを、使い切ってしまわなくてはいけないのである。

 「さて、今日は・・」 と思いながらも、ちょっと少なめながら飲んでしまった。飲まなかったら、飲まないで済むのであるが、食事は、すぐに終わってしまう。それが、「ちょっと寂しいから・・」 などと、飲んべぇの苦しい言い訳となる。

 でも、楽しい時、嬉しい時のお酒(アルコール類)は実に良い。あんな苦い物が、美味しく頂ける不思議な物となる。出来れば、苦しい時、悲しい(´・ω・`)時には、あまり飲みたくもない。程々に、楽しく飲める日が続けば幸せである。



2/15 雪の予報であるが路面に雪が無い。でも、八尾辺りから路面が白くなり、笹津近くになると積雪を見るに至った。猿倉のコミュニティーセンター到着時には、スノーシューやカンジキ装着となる。 (最も、しばらくは、壺足でも良かったのであるが、担ぐより履いた方が楽であるから・・・)

 3ヶ月も運動していないという客人を心配していたのであるが、「あれは、三味線だったのか?」 と思う歩きに、「山ノ神」と顔を見合わせてしまった。でも、何もかもを白い雪に覆い被せるというのか、吹雪でモヤモヤを吹き飛ばされる程を望む客人にとっては、一日中降っていた雪は、それに及ばないにしても、結構満足感に浸っていたように思えた。

 日頃、雪と戯れる機会の少ない客人にしてみれば、20~30cmの新雪は、別世界に来たようなもので、何もかもが新鮮に映ったに違いない。時間があったのなら、雪穴を掘る体験をさせてあげたかったのであるが、自然相手の他に、時間制限があるために、そうともいかなかった。

 「ある所にはある。降る所では降る。」 のであるから、「自然は凄いし、日本も、そう狭くはない。」 と思ってしまう。客人の来訪は、決して楽ではないが、それ以上に嬉しく楽しいものである。ものい(富山弁=疲れる。楽でない。)が、喜んで貰えれば、それなりに充実感というものがある。それは、山歩きの達成感に似ているような気もする。

 気を使わないで、相手様が気持ち良くなるわけがないから、これからも、出来る限り拘っていきたいと思っている。しかし、日頃の友人達の来訪に、果たして、そのように対応しているのかと振り返ってみると、必ずしも、合格点を着けられないような気がしてならない。狭くて設備が伴わない我が家であるが、来る人を拒まず、来て貰えるような家でありたいと思っている。そして、やはり元気でなければ(体力がなければ)、それ自体叶わない事になる。



2/14 「友、遠方より来たる。」 時代は変わって、交通が発達し、その距離感がなくなってしまうが、私達を訪ねて来てくれるとは嬉しい事である。「笑った!」 「泣いた!」 そして、「飲んだ!」 あっという間に時間が過ぎた。



2/13 高温、そして、融雪・雪崩注意報が出ている。まだ山中で雪崩に遭遇した事はないが、車の運転中に見舞われた事が3回ある。その内2回は、自力で脱出したが、もう一回は、除雪車を待った。その他に、林道を歩いていて、対岸からの雪崩の飛沫を受けた事があり、度肝を抜かれたのが強く印象に残っている。

 雪庇の踏み抜きや滑落で、二人の友人を亡くしているが、雪崩は知人に一人ある。「私は、そんな所へは行かない。」 と思っていても、自分の考え付かぬ所で事は起きるらしい。それこそ、「まさか」 である。一番可能性のあるのは、林道の運転中、そして、林道歩きである。カモシカも気を付けなければいけない。結構、雪を落とすのである。



2/12 良い天気に加え、異常過ぎる程の高温となった。その高温は、明日明後日も続くとの事。最終日(日曜日)は、荒れ模様となって、その後の週明けには、西高東低から雪になるらしい。昨日からやって来ているムコ殿であるが、またまた帰京の際に、交通の乱れが気に掛かるところである。

 その入れ替わりに、遠方から山友達がやって来る。体調を壊しているとの情報を得ているが、どの程度なのか分からない。会ってから、どの程度の山に行くか決める事になるが、例え一緒に登れなくとも、山の話を出来ればそれで良いような気がする。どちらにしても、荒れないお天気を望むところである。



2/11 時代は変わって、子供でもお年寄りでも携帯を持っている。直接本人が出るのだから、取り次いでもらう煩わしさがない。その分だけ便利になったが、節度とか礼儀とかが、何処かへ吹っ飛んで行ってしまっているようにも思える。

 その電話であるが、四六時中掛けられるのであるから、コミュニケーション的には、充分なのかと思えば、直接会って話すより、劣る事もあるようだ。顔色や身振り手振りが窺えないという事なのであろう。

 メールではどうなのであろうか? 最近では、Wi-Fiなどというものが、それ以上の勢いで幅を効かせている現在、文字だけで充分伝わるのだろうかと、余計な心配をしている。イントネーションなどは、絵文字でカバー出来るのかもしれないが、私には難しい。

 実際、言葉足らずで、かなりの友人・知人に迷惑を掛けたように思えるし、別れを迎えた方もあった。最も、会っていてでも、充分に意思が相手方に伝わらず涙した事もあった。でも、今となっては、”自分の思い通りにはならない。” のが、人生だと思うようにしている。でも、常に前向きにいかなければやっていられないのである。



2/10 「寿命じゃなくて、いつまで元気でおられるか?」 同級生や同じ趣味仲間などが集うと、こういう話題が多い。自分の事は自分で出来て、家族を含め他人様の世話にならないという話で無く、今(現在)に近い状態でというのであるから、欲張りな話かもしれない。

 身体は必ず衰えるし、今も衰え続けている。でも、常に前向きでありたい。「何か人のためになりたい。」 「良い事をしたい。」 「認められていたい。」 は、「嫌われたくない。」 「迷惑を掛けたくない。」 の裏返しなのかもしれないが、仲間はずれになりたくないという事なのかもしれない。

 「自分だけ元気でもしょうがない。(面白くもない。)」 と高齢の男性から伺った事がある。「家族を含め、周りの方々(自分を知っている人)が、皆元気でいなければ、自分は、唯の老人で、相手にもしてもらえない。」 という事であった。そうかもしれないね。例え、「頭が良かった。」 「走るのが速かった。」 「高位に着いた。」 などであっても、誰も知らないのであるから・・・



2/9 昨日は、久し振りに 「歩いた。」 という感じの山行であった。雪量が少なくても好天に恵まれ、気のあった仲間達と一緒出来たのであるから、こんな素晴らしい事はなかった。大地へは39回目となったが、6時間を要したのは、キャンプを除けば、もしかしたら、第1回目の時以来かもしれない。

 それ程今回の山行は、意義深いものであった。まだまだと思っていても、だんだん落ちていく体力に、チョッピリ寂しさを覚えるのであるが、「当たり前の事」 と認識しなければ。山頂の休憩時に足が攣った。家に帰り、お風呂の中でも、チョッピリ攣ってしまった。でも、大事に至っていないし、今日は、「快い痛み」に酔っている。



2/8 私はその数に入るか、ちょっと怪しいが、5人の強力メンバーを持ってきてでも、大地山頂は遠かった。(約6時間) 夢創塾手前の朝日小川第2発電所からの歩きがあったものの、夢創塾からの赤松までの急登箇所には雪が着いていたから、ちょっと、スタートが遅れたものの、もしかしたら、初雪山への1223mピークまでなら、行けるのではないかと思ったが、登り始めて、その思いが打ち砕かれてしまった。

 今冬は、どの山も少雪で、ヤブが蔓延っている。その事を思えば、前日までの降雪なのであろうか、かなりの新雪を踏む機会を与えてもらった感じであった。その雪は、陽に照らされ、キラキラ光り、正しく美しくて気持ちの良いものに思えたが、中味は違っていた。

 最初は、半分モナカ雪状態で、高度を上げて行く毎に、膝まで沈み、持ち上げる足が重くて持続が効かないものになっていった。超人に、かなりを頼ったが、次から次へとラッセルを交代せねば、前へ進まないのであるから・・・「何時止めてもよい。」 との冗談を口にする者もないではなかったが、それを皆は、叱咤激励のようなものに受け取っていたに違いない。

 如何に雪量が少なくても、展望の効く稜線に出てしまえば、自ずと心が躍り、「もうちょっと、もうちょっと・・」 と励ましの言葉が飛び交ったのである。途中、左程の休憩もしていないし、皆お腹を減らしていたに違いなかった。風除けに深く穴を掘って食事となったが、何を食べても美味しかった。帰りの事を考えれば、ゆっくりする時間も余りなかったのであるが、ついつい延長になってしまった。しかし、猛者達の脚力は凄く、2時間で降りてしまうのであるから、陽が暮れる心配もなく無事辿り付いたのである。



2/7 いつ騙されるか分からないが、明日はピーカン。そして、「山ノ神」が所用を作ったので、フリーの私は、当然のように大地へ行く。折角のお天気ようなので、一人ではもったいない。無理矢理誘った人、行きたいと言って来てくれた人などと、5人のパーティーになりそう。

 2月の初雪山へは、まだ行った事がない。そそられるが、集合時間からして、ちょっと無理。また雪質によっては、全然違う行程時間など、無理する事はないが、場合によっては、30分程で行ける1223mのピーク付近まで行ってみたいような気がする。

 でも、チームワークが一番だし、久々に一緒する事が出来る仲間との会話も楽しみの一つ。大地山頂から、大好きなコーヒーを飲みながら初雪山を眺め、仲間とお喋りが出来れば、この上ない喜びである。「お天気よ!裏切らないで下さい。」



2/6 時々、「もう止めようか!」 と思いながら、当HPが、今日で満16年を迎える事が出来ました。17年目に入るわけですが、あまり欲張らず、「もうちょっと・・」 の先延ばしで、やっていきたいと思っています。左程面白い事を述べるわけでもないし、特別な情報の意味合いもないのですが、「まだ、山に登っているのか!」 と思わせているくらいに感じてもらえれば良いような気持ちでおります。

 「元ちゃんの山歩き」 から、「元さんの山歩き」 に変わって久しいのですが、「元じいの山歩きには、まだならないのか?」 とのジジイ待望論を耳にする事があります。以前に、いつかはと思っていたのですが、もうちょっと待って欲しいと思っています。古希まで、まだ1年半ほどありますし、その頃まで続けていたら、「そうしても良いかな!」 です。



2/5 若い頃、義理人情という事に結構感じていた。”情熱” という語句も、前進やチャレンジ(挑戦)ともに好きなものであった。しかし、歳を重ねる事に薄らいでいき、この頃は、それらを蔑ろにさえしているように思う事も、しばしばである。

 でも、自分は何の為に生きているのだろうかとか、これで良いのだろうかと思う事が、日に日に多くなってきている。何の貢献もしないで、自分の欲のためだけに生きているのでは、如何なものかと思うようになってきている。

 そのように、いくら思っていても、自分の女房にさえ大事に出来ないのでは、その事自体お釈迦である。しかし、この歳になっても、そのように考えられるのは、まだマシの方かもしれない。それは、自分もそうなのであろうが、歳と共に、年々我が強くなっていくのを目の当たりにしているからでもある。

 そんなこの頃でも、他人様の事で、粋に感じる事がある。記事を読んで涙する事がある。高齢者が、だんだんと多くなるこの時代であるから、我々が、一つでも、何か良い事をしなければ、この世はくすんでいくような気がする。いやいや、何も良い事をするばかりでもない。悪い事をしなければ良い。それに、もうちょっと良い事とは、他人様への思いやりなのであろうか?



2/4 今日は、本家筋にあたる当主の葬儀に行って来た。父の実家であるが、亡くなった当主は、時代が変わり従兄弟の子(娘)のムコ殿に当たり67歳であった。今回の喪主は、従兄弟の孫であるから、本家とか母屋とかではなく、最早、昔の親戚になってしまったのかもしれない。

 8年前の2/4~2/5に、吉尾氏と「山ノ神」とで金剛堂山でキャンプをした事があった。除雪最終地点に車をデボしたら、スキー場の駐車場に駐めるよう促されたので、そのようにしたのであるが、それがケチの付け始めとなる。その日は風雪が強く、片折山付近までしか進めず、その付近でテントを張ったのである。

 雪の中とは言え、当時は、吉尾氏とは結構馬が合い楽しい雪中キャンプであったように思う。翌日、視界が良くなかったが、山頂を踏んで、ルンルン気分で、夕方近くに家に着いたのであるが、何となく雰囲気が可笑しいのであった。電話の着信履歴が非常に多かったからである。

 検索してみると、本家からと違った従兄弟、そして、南砺の警察からであった。恐らくスキー場側から、車が長く止まっているという事を警察に伝えたのであろう。警察から、我が家に電話をしても出る筈がないし、困った警察は、高岡署に我が家の連絡先を尋ねたものと思える。その連絡先が、本家(亡き父の実家)に行ったのである。

 「携帯の番号を知らないか?」 との連絡であったらしいが、それくらいの続柄だけに、携帯番号など知らないわけで、親戚中に尋ね回ったようでもある。「遭難」という言葉が脳裏に浮かんだからかもしれない。たまたま、従兄弟の子(娘)が、私の高校時代からの友人を知っていた事もあり連絡をしたようだ。

 そこで、「あいつは一年中、山に登っている。HPもある事だし、それを見てみたら・・」 と警察の方に言ったら、「何じゃこりゃ、毎週山に行っているじゃないか?」 と言って開いた口が、塞がらなかったようだったと、友人が後から伝えてくれた。

 当時、3人の子供達は、全員都会(東京と大阪)へ行っていたし、私の姉は埼玉であるし、ずっと、連絡先は本家となっていたからだと、何年も後になって分かった。それを知らない私は、警察は何でも調べるもんだと、感心していた事を覚えている。そのムコ殿が亡くなったのであるが、その騒動と葬儀が同じ日とは、何かの因縁を感じるのである。



2/3 昨日も、今日のようなお天気なら良かったのにと思っても仕方がない。こうなれば、来週も大地山に行こうとの思いが強くなる。「大地から眺める初雪山が好き!」 だったハズであったが、最近は、大地や初雪山に行かれれば(登れれば)ハッピーという感じになってしまった。

 何故そうなったのか分からないが、低山なのに、いろいろな物が凝縮されているからかもしれない。最後の細尾根に出ての展望は、そんじょそこらにはないのであるから・・・ 初雪山への広い稜線歩きは、ロングコースであっても、飽きさせず、その満足感たら言い様のないものである。

 あと何回、あと何年行けるか分からないが、当面の目標は、大地50回、初雪山20回である。「毎週、大地に行きたい。」 と言えば、流石の「山ノ神」も、「行かない。」 と言うのではの期待も少々・・・



2/2 2日前の予報で、「降らない。」と思い大地行きを決断した。最も、大地・初雪山への雪の状態も気になっていた。朝日小川第2発電所に来て、夢創塾への林道の雪量から車の乗り入れを諦めた。準備していると、同塾長の長崎氏の車が戻って来たが、あれだけ車高が高ければ行っても良いのかも知れないが、途中でトラブルが起これば、尚更時間が掛かるし、車と歩きとの時間差も、そんなにないと思い切りをつけた。その林道も、半分はモナカ雪であった。

 夢創塾からのあの急登にも雪が着いていた。しかし、歩けばカッパ(高岡弁だと、履き物に雪が着き高下駄のようになる状態)が着き難儀。また、小ヤブを掻き分けなくてはいけない。そして、お馴染みの急登である。

 「山ノ神」のピッチが上がらない。前日(高落場山)の後遺症(疲れ)なのか分からないが、すぐに止まって歩かない。その内足が攣ると言い出した。「来なければ良かったのに・・」 を口に出さず、ずっと我慢をしたが、知らず知らずに、「山ノ神」への当てこすりを放っていたかもしれない。

 赤松のポイントに達した頃は、既に時計は午前11時40分を指していた。朝日小川第2発電所をスタートしたのが、午前10時を回っていたので、ある程度は仕方がないとしても、山頂へは、この時点で諦めざるを得なかった。でも、私は、「行ける所まで行く。」 としか言わなかった。目安となる638mのポイントまでも、モナカ雪も手伝ってピッチが上がらなかった。

 雪がずっと降り続いているし、「もうイヤ・・」 と言うのを我慢している「山ノ神」の表情から窺えるのであるが、何が何でも前へ行きたがる私の性格を知っているからか、口には出さなかった。一旦降りて、またまた急斜面を登り、ブナ林を抜け、再び斜面を登れば、鍋倉山と対峙するところまで来たのであるが、そのまま進めば、食事時間もなくなってしまうので、穴を掘ってタープを張った。

 食事処を完成させたのが、午後1時35分であった。普通なら一緒に食事なのであるが、2時過ぎに、この場所から退却しなくては、孫達の保育所の迎えには間に合わないとの計算があった。もっと、速く歩けるのなら、もう少し、ゆっくりしてもいいのかもしれないが、「山ノ神」の力量を分かっている私だから仕方がない。

 「私は、食事しなくてもいいから、もうちょっと先まで行ってくる。2時まで帰って来るから、その時に、コーヒーが飲めたらそれで良い。」 と言い残して、鍋倉山に向かった。荷が軽くなったのと、意外と沈まなかった事もあり、あっという間に鍋倉山三角点に着いた。ならば、鍋倉山へ、もうちょっと先のダムからの合流点までと足を伸ばした。

 走って帰ったら、約束の時間に1分遅れだけであった。コーヒーを飲み片付けたりしていたら、予定時間より20分遅れてしまった。「もう2時間早く家を出ていれば山頂に届いたね。」 と言った「山ノ神」が可笑しかった。「こんな事もあるさ!」 の思いに下山に掛かったが、「山ノ神」は、前半の歩きよりは良くなっていた。しかし、斜面を降りる時は、相変わらず、おっかなびっくりなので、それこそ、何しているのかと、ずっと待機の時間となる。

 細いところ、急なところ、雪の着いていないところなど、「何年、スノーシューを履いているのか?」 と言いたくなる程である。ドンドン時間が過ぎていってしまう。夢創塾に着いた時は、午後4時であった。もう我慢が出来なく、私は先を急いだ。先に行っても、同じにしか行けないのであるが、その準備が少しでも早くならないかとの思いからである。行きも帰りも、出来れば高速を使わない故である。そして、何とか孫達の迎えに間に合った。



2/1 雪が少ないと言っても五箇山には雪がある。大鋸屋から五箇山トンネルに向かう304号線の路面には雪がある。いつもの通り孫達を保育所に送ってからのスタートであるから、今日も午前9時半のスタートとなる。

 昨日は、沢山の方々が登られたのか至る所に足跡があった。今日の冷え込みで、それが凍っていて、決して歩き易いものではない。その上に新雪が、始めは5cmくらい、上部に行くと10~15cmくらい覆い被さっているのである。視界は決して良くないが、樹木に付いた雪が凍っていて、それは白銀の世界の招待のようなものである。

 静かな山・神秘的な山とは、このような時をいうのかもしれない。ちょっと、ヤブが煩いが、そんなものと思えば、そうでもないから不思議である。凍っていて沈まないから、予定より早く山頂に着いた。(高落場山) 飲まない私だから、する事がないので、シェルター造りに精出さなくてはならない。背丈程掘っても、地に届かないのであるから、少雪とはいえ、流石五箇山の山と思った。