3/31 今年に入って8回目の弔いに行って来た。今日は同級生。同じ年頃の方は、これで3人目となった。そんな年頃となったのであるが、一番人数の多い団塊の世代だけに、目立つのかも知れないが、パーセンテージとすれば、そんなに変わらないような気もする。

 死んだら終わり。どんないい人でも、忘れられてしまう。 でも、いつかは、逝かなくてはならない。それまで、ワイワイ楽しまなくては・・・ と思っていても、なかなかそうはさせてもらえない。しかし、それが人生というものかもしれない。

 欲張らず、焦らず、そして、素直(正直)に生きておれば、妬まれる事もなく、全うに過ごす事が出来るかもしれない。でも、すぐに、メリハリを求めてしまう。それが欲というものなのだろうか?



3/30 急に、鼻がムズムズ、目が痒くなって、とても辛い。当然、思考力も低下し、何をしても面白くない。早めに寝るしかない。



3/29 折角、早出を許された山行だったのに、大倉山・桑首林道で尖った石を踏んだのだろうか、タイヤをバーストさせてしまった。「林道入口に車を置いて歩けば良かった。」 と思っても後の祭りであった。

 タイヤは、修理不可能、そして、タイヤを支えているボルトも、交換しなければならなくなった。(ねじ穴が壊れてしまった。) ギリギリの感じで車を買ったために、後々の費用追加は頭が痛い。この後、自動車税・自動車保険などの支払いが迫ってくるのであるから尚更である。



3/28 3週間前の桑首林道は、倒木が道を塞いでいたため、入口から歩いたが、それが、荒削りとは言え処理されていたので、車を進入させた。しかし、林道交差点に近付いた頃になって、異常音に気付き車を止めたが左前輪がバーストしていてビックリ。その後は、スペアタイヤ装着に手間取ってしまった。(ねじ穴が損傷したから・・)

 そんなところに、本当は大熊山行きだったという「北ちゃん」が、やって来たのだから助かった。それから、ずっと一緒の行動となる。もっとも、我々の行動や体力を理解してくれている彼だから、最後まで合わせてくれる。だから感謝しきりである。

 3パーティー4人の人達と出会ったが、そんな事に構わず、稜線に出て、コーヒータイムとした。この頃は、まだ展望も良く、山頂近くから、ガスに覆われるとは思いも着かなかったのであるが、「山の天気と、○○は、移り気」 が、まともになった感があった。

 大倉山頂に立てば、相変わらずと言えばいいのか、大きな穴を掘ってしまう。深く掘れば、少々風が吹いても、寒くはない。ところが、舞うというより、パラパラという感じの雪が降ってきた。今日は、3人ともカップ麺だったし、コーヒーを頂いて、早々と退散する事になった。



3/27 今日は、先月やって来た東京の客人Yさんが、今度は母様とやって来てくれた。所用を兼ねての旅だったらしいが、わざわざ私達の所へ寄ってくれたので、とても嬉しかった。お天気も良かったし、うっすらとしかだったが、海の上の立山連峰も拝めたらしい。

 友(友人・知人)が、遠い近いに限らずやって来てくれるのは、理屈抜きで嬉しいものである。抜きんでた歓待は出来ないが、そこは心の問題であるから、少しは届いているのではと思っている。在り来たりのコーヒーと、安い酒しか振る舞えないが、そんなのでも良かったらと言い続けている。

 だんだんと減っていく友人・知人、仕方がないにしても、こちらから切りたくはない。そして、元気でいれば、それなりの事が出来るのである。再会には酒がいい。新たに知り合いになっても、やはり酒がいい。飲めない人には甘い物か・・・ 私は、どちらでも構わない。



3/26 同じ山に何回登ろうが、登った事のない山に登ろうが、どういう事もない。それは、自己満足の世界で、どうでもいい事だ! しかし、「頑張ったね!」 「凄いね!」 等と、褒められなくとも、興味を持ってもらわなくては、寂しい事である。

 それは、どんなに意地を通そうが、一人では生きていけないという証のようなものである。と言っても、なかなか思うようにならないのが現実。だから、時には降りたり、妥協したりしなければならないのであろう。それを拒めば、いつか跳ね返って来る事になるから厄介!

 独りで歩けば、大勢で行くのも良いと思うし、大勢で出掛ければ、面倒だから単独か少人数が良いと思う事がある。このように、常に「無いもの強請り」の感がある。元気で長生きしている方から、「全然楽しくない。」 と聞いたことがある。

 家族も友人・知人がいなくなり、自分の事を知ってくれている人がいないのは実に寂しいと言っておられた。そうなれば、どんな人でも、唯の老人である。やっぱり日頃から、周りに人達を大事にしておかなければ、後々ツケが回って来るという事だろうか?



3/25 また歯を抜いた! 何事にも一生懸命な時、歯を食いしばる癖があるからだろうが、もうボロボロのようだ。「80歳20本」 長生きするためにも必要な事なんだろうが、それはとても無理。まあ~、80歳まで生きられる自信もないが・・・・。



3/24 そんなに多くテン泊をしているわけではないが、今のところ、居住性を大事にしている。だから、少々の嵩・重量が負担になるが我慢している。それは、広さと結露を重視し、今のテントを使用している。私の購入時より、今は、もっと良い物が出ていると思うが、それは仕方がない。

 アライの3~4人用でゴア。2人の使用だから、少々散らかしていても大丈夫。しかし、冬は少人数だから寒い。でも、ゴアは、結露がない。(少ない。)以前のテントは、外気との温度差からの結露が多く、テントに着くと何もかもが濡れてしまったのである。

 何にでも、一長一短があるから、何とも言えないのであるが、担げる間、このテントを使う事になる。まあ~、特別高い雪山でキャンプをするわけでもないし、まだまだ担がなければと思っている。



3/23 「何でそんなに・・・」 とか、「何が入っているの?」 とか言われる私のザック。日帰りであっても、「何かあったら・・」 また、「予備として・・」 不安症の私は、あれこれとザックの中に入れてしまう。この時期だと、スノーシューのパーツ・乾電池・グローブなどが多いが、パーティーを組むと、万が一に備えた物が加わる。

 自分の物としては、食べないのに予備食やヘッデン・タープ・シャベル等々である。そんな日頃の鍛錬が、この度のような山行に生きてくると自分は思っている。週一とは言え、それなりの重荷を担いでいて、初めてその効果が表れるのである。

 余程の病気やケガをしない限り、まだ1~2年は、重荷を担いでの山行は大丈夫のような気がする。初雪山15回、大地41回を数えた。初雪山の20回超えはダメかもしれないが、大地の50回は視野に入ってきたように思うが如何に?



3/22 大地山頂を後にしたのは午後3時過ぎであった。食材と水類は減ったのであるが、荷の嵩はそんなに変わらなかった。「山ノ神」の歩きに少々不安があったから、周さんと河原氏に、減速を要請しながらの歩きではあったが、意外な程に「山ノ神」は頑張った事になった。何せ、2時間半で夢創塾に辿り着けたのだから・・・

 そんな事から、夢創塾~朝日小川第2発電所間の林道で、フキノトウを採らされる羽目になった。それにしても、今回の大地・初雪山は、想定外の事がたくさんあった。でも、一つ一つを振り返ってみると、頷ける事もあり、反省しなければならない事など、何に置いても勉強だと思うのである。

 雨・降雪・積雪・視界不良・急登・重荷などの諸条件をクリアした先には、素晴らしい光景・楽しかった団欒・他人様とのハッピーな出会があった。そして、ロングコースを歩けた事、重荷に耐えられた事が、何よりも嬉しくこの先の希望に繋がるような気がしてならない。

 長い先の事は分からないにしても、「これで来年も来られるような気がした。」 事が、一番の収穫だったのかもしれない。そして、「まだまだ・・・」 が、もう少し言えるような気がする。一緒してくれた友に感謝し、また気に掛けて下さった方々にも、「嬉しかった。」と申したい。



3/21 新雪・視界不良、尚且つ、小雪が降り続いていた。「どうしたもんだ!」 「あの予報はどうなったんだ!」 と思ったが、どうしようもない。取りあえず、食事をしながら、お天気の回復を待つ。また、出立の準備をする事にした。

 新雪を除き、その他の雪はカチカチであった。そんな事も影響したのか、「山ノ神」は、「私が行くと時間が掛かるから・・」 を理由に初雪山行きを辞退した。そんな中、視界が悪いが降雪が止んだ。スタートが、予定より1時間程遅れたが、午前7時40分となる。

 20~30分ほど経過しただろうか、後ろから、「おはよう。」 と声を掛けられた。思わず、「えぇ~」 としか声がでなかったが、河原氏である。「予報は良いだろうし、追い掛けて来た。」 と言うから驚いた。午前5時に夢創塾を発ち、大地山頂には8時前だったと言うから、またまたビックリである。

 そんなわけで、3人での登高と変わる。依然視界不良で、凹凸なども分からない。でも、意外と歩き易い。しかし、何処が何処か分からないのだから、不安と言うより修行の域である。白金ノ頭との分岐周辺では、やはりGPSを頼らなければ、全く分からなくなった。いつもと状態が違うし、ガスの中にいるような感じだから仕方がない。

 山頂では、記念写真を撮るしかないのであるが、また来られる保証は無いので、あれやこれやと数多く撮ったり撮ってもらったりした。視界は、時には10mくらい、よく見えても30~40mくらいだったように思う。山頂から20~30分くらい降りた所だったろうか、1,440m付近で、簡単な食事をする事にした。その間、僅かながら、パーッと陽が差したり、青空が覘いたり隠れたりして、好天の前触れのような気がしたが、そう長くいる事もないだろうと、先を急いだ。

 その休憩場所から、100~150mくらい降りた所で、日帰りの男女3人パーティーに遭遇。「初雪山まで、あと、どのくらい掛かるか?」 と問われた。参考にするために、「大地からどれくらい掛かったか?」 と尋ねると、「30分も掛かっていない。」 と言われる。そういう風な感じには、とても伺う事はなかったが、「それなら、30分も掛からないのでは・・」 と返事したが、全くといって、この辺の地理を掌握していないようであった。「大地が、二つあるね!」 と、ちょっぴり冷やかしたのでした。

 我々のトレースを頼って来たらしいし、我々のテン場が、大地だと言うと驚いた様子であった。(それでも、初雪山に行って来られたのであるから、敬意を称したい。) そんな事があった後は、次第に青空が広がってきた。そうなれば、お互いシャッターを切る機会が多くなる。そして、「ちょっとくらい遅れてもいいじゃない。」 となる。

 だんだん良くなるお天気に、今までの事は忘れたかのように、皆の表情が良くなってくる。大地山頂に辿り着き、食事時やテント撤収時が一番良かったような気がする。その先、大地山頂に何人かの人影を発見。そして、「声が掛かった。」 そうなると、何が何でも頑張らなくてはいけなくなる。

 朝日・入善・黒部の方々で、男女4名のパーティーであったが、嬉しい事に、HPを通じて、私が大地へ来る事を知っておられたようであった。感謝の意味を込めて、握手を交わし、一緒に写真を撮らせてもらった。



3/20 いきなり雨だった。夢創塾で40~50分ほど待機し小降りになってから歩き始めた。赤松付近に、ちょっぴり雪が残っていたけれど、638mまでスノーシューを担いだ。自宅測量では、私が26キロ、「山ノ神」が16・5キロであったが、それに、スノーシューを括り付けるのであるから大変であった。仕方なく、「山ノ神」の片方のスノーシューも私が担ぐ事になる。

 前週に荷揚げが出来なかった分、「山ノ神」にしわ寄せが来た感じであったが、それでも全部を収容出来ず、周さんにも1・4キロくらい担いでもらう事にした。しかしである。少雪が幸いしたのか、それとも、「山ノ神」が踏ん張ったからであろうか、大地まで5時間10分で到達したのである。

 7時間超えや、山頂まで行かずの設営も想定していたが、最悪のパターンを回避出来、展望のない曇りがちの空模様であったが、「明日晴れる!」を信じて、ベースキャンプを設置した。テント設営前に、まずは、食事処を造った。後に、「居酒屋おおち」に変わるのであるが、テント設置中に、雨や雪に見舞われてはたまらないので、避難場所を兼ねてである。

 ブロックになりにくい雪質で、風除けの壁造り難儀し、終いには、「風は吹かないだろう。」 と勝手な判断をするに至った。(結果オーライであったが・・・) 何時頃になったのだろうか? 担ぎ上げた2Lの清酒は、瞬く間になくなった。その間、ビールも少々飲んでいるのにである。私は、日帰り山行では飲まない事にしているが、泊まるとなると別である。でも、美しい酒、楽しいお酒に心掛けているから、「もうちょっと・・」 というところが、いいのかもしれない。

 午後9時過ぎであろうか、お互いテントの中に入った。隣の周さんは、気分良く寝ているようである。暫くすると、パラパラとテントを叩き付ける音がした。ずっと、続いたので、テントから顔を出してみると雪であった。音が消えても、優しく降っていた。夜中にトイレに起きると、その積雪(10cm以上)にビックリ。その後、朝まで降り続いた。



3/19 お天気や「山ノ神」の体力など不安がいっぱいだが、明後日の「晴れ」を信じて、大地・初雪山に行く事にした。「荷を担いで登れるだろうか?」 という「山ノ神」に、「今年登れなければ、来年は尚更ダメだろう。」 と返した。 「イヤなら来なければ・・」 と、毛頭言えない立場だけに、「何とかなるもんだよ!」 「行きたいか、行きたくないかだけだよ!」 を付け加えた。

 こんな状態でも、周さんが同行してくれるという。迷惑を掛けるかも知れないが、これも、勉強・修練・鍛錬と思って来てもらうしかない。私事であるが、一年に1~2回ほどしか重荷を背負う事がない。「継続で次ぎに繋げる。」 そんな思いで明日を歩く積もりである。アルコール類を外せば、もっと楽なのに・・・



3/18 夕方前から雨になった。明日も雨のようである。「日曜日は、本当に雨が止むのか?」 「月曜日は、本当に晴れるのか?」 そんな事は誰も分からない。そんな時は、悪いように考えておれば落胆が少なくて済む。



3/17 20日(日)・21日(月)の大地・初雪山行を決めかねている。雨か曇りには間違いないような感じであるが、行かないと、また、下山する頃には、意外とお天気というパターンがある。気象協会も難しいのか、コロコロと予報が変わっている。

 こうなると、準備だけしてギリギリまで待つしかない。出発予定当日は、ハレルヤ山行の日でもある。それを蹴ってまでの予定だけに、そう簡単には引き下がれない。でも、夢創塾からのルートだと、赤松どころか638mの所まで、雪が無いかも知れない。スノーシューを担ぐ距離が増えると結構辛いのである。

 もう一つ、上の孫ミーの卒園式で、ムコ殿がやって来る。当然、連休だから私達の山行日まで、高岡に滞在という事になる。我々の山行に関しては、周知に事実なのであるから遠慮はいらないのであるが、ここまで貫くと、ムコ殿は考えていただろうか? いや、いないから良いとの思いもあるのだが・・・



3/16 今日は、二つの物をネットで買った。近くにないものや、すぐに欲しい物を買うには便利である。しかし、先日、同じ物を二つ買ってしまい、そのキャンセルに、とても難儀した。本来なら、近く(市内)のお店で買えば、街の為にも良いのであろうが、なかなか上手い具合にいかない。

 ネットやコンビニが蔓延る今の世は、古き者には、なかなか着いて行けないところがあるが、「ダメだ!」 「イヤだ!」 とばかり、言っておれない。良いか悪いかは別にして、大袈裟かもしれないが、順応していかなければ、生きていかれない。

 最近、富山の山用具屋さんの店じまいがあったが、私にとっては、随分不都合になる。山の帰りに、ちょっと寄る事が出来なくなるのであるから、心して出向かなくてはいけなくなる。ゆっくり、時間を掛けて、お店の中にいるのも良いと分かっているのだが、今は、そのような時間がないのである。だから、少しはネットに比重が傾くかも知れないが、知識の無い私には、当然リスクが付いてまわる。



3/15 昨日の牛岳山行は、節目の150回目であった。その牛岳に最近はご無沙汰で、昨年は1回、一昨年は、3回しか登っていない。直近の山行は、昨年の1月5日だから驚きである。その時は、池田氏・周さん・河原氏・中澤女史、そして、山ノ神と私の6人であった。

 100回目が、H.18.06.12であるから、その後の50回に、やがて10年を費やした事になる。今、思い返してみると、時間が無く、母の介護の合間を見付けて、牛岳通いが多かったのではないかと思うのであるが、当時は、時間の無い時、お天気の悪い時、トレーニングの為にと、位置づけていたような気がする。

 「牛岳が好きなのか?」 の問いに、「牛岳に行く時は、必ずしも良い時ではない。」 と答えていたような気がする。時間が無いか、お天気が悪いからという意味であったと思う。でも、当時は、今よりも、山に関して燃えていた事はたしかであった。記録を見ると、日帰りで行けるかなりの数の百名山をリストアップしていたのであるから・・・

 北岳・鳳凰山・平ヶ岳・越後駒ヶ岳・常念岳・鹿島槍ヶ岳・五竜岳等々があるが、現地からの日帰りではなく、夜行も含めての高岡からの日帰りであるから、かなり元気だったのかと思い出る。今は、そのような事を考えもしないが、それでも、白馬岳の日帰りだけは未だに続いている。



3/14 大地行きを止めて、牛岳にした。「何処からも雪が無い。」 の話ばかりで、牛岳も期待薄であった。雨降る中、車を走らせ、周さんとの待ち合わせ場所庄川道の駅で、雨具を装着し、登山靴にスパッツも着けた。雨の中での準備より、屋根のある所(休憩所)での方が、どんなに楽か・・・・

 やっぱり雪がなかった。スノーシューにするか、カンジキにするかの選択が、後々響くのであるが、担ぐ事を思えば、やっぱり考えてしまうのである。4合目辺りから雪が現れた。しかし、ちょっぴり我慢し、今は、使用禁止になっている五合目ヒュッテ上の杉林が切れた所で、スノーシュー、カンジキを着けた。

 やっぱり、いつもより雪量が少なく、ブッシュが出ている。それでも、壺足より、スノーシューやカンジキを装着した方が断然歩き易い。担ぐのに楽をした「山ノ神」は、スノーシューを着けている私達に遅れを取る事になり、六合目から、私のスノーシュートと、「山ノ神」のカンジキを取り替えなければならぬ事になる。

 スノーシューは、直登が容易であるが、カンジキは、ハの字にしなければ、滑ってなかなか思うようにならない。しかし、一緒するからには、いろいろな形でケアしなければ覚束ない。登り始めて、雨が小雪に変わっていたが、風が伴うと真冬並みの寒さになる。

 六合目からは、少雪と言えども、まだまだそれなりの雪量があり、充分に雪山を味わえる。下が締まっている事もあり、真冬のようなラッセルがなく、快適な歩きが出来、雪が着けばブナ林がステキな雰囲気を醸し出す。牛岳にもそれが有り、私の好きなところである。

 牛岳権現のある山頂を伺ってから、最高点である三角点に戻った。例年なら雪庇が発達しているのであるが、ここにも少雪の影響があるようだ。いつもなら、テーブル・ベンチを造ってタープを張るのだが、今日は、斜面を利用して、簡単な横穴を造る事にした。

 結構な時間を要したが、雪中は、風も当たらず、しかも暖かい。暖かければ話が弾み、食べ物も美味しい。来週行けるかどうか分からない大地・初雪山への訓練の一部になったかもしれない。



3/13 まだ先の話で何とも言えないが、私の大地・初雪山行き予定日(3/30~3/21)が、一転して雨マークになった。あれだけ、晴れマークが並んでいたのに、予定日の前日から雨マークに変わったから、士気が下がるというもの。

 そして、明日は、少々お天気が悪くても、大地まで荷揚げをしておきたいと思っていたのに、その気もなくなってしまった。左程お天気が良くないの他に、時間も限られているし、そして、夜に町内会の総会があるなど、それをはね飛ばしてまでの元気がなくなってしまった。もちろん、少雪で雰囲気が良くないもある。明日は、近間の低山に変更しようかとも思い始めている。それもこれも、明朝起きてからになる。



3/12 今日も、通夜に行って来た。直近の半月に3件目である。当然、関係のある方か、その方の親族であるからして、胸がキューとなる。最近は、涙もろくなったせいもあるが、すぐに胸が熱くなってしまう。人生いつか逝かなくてはならないが、その方々の年齢を考えると、そう遠い話でもないような気がする。

 短い人生であるからして、「好きな事を・・・」 と思う反面、「きれいな人生でありたい。」 と思うようにもなってきた。「死んだら終わり。」 と思っていただけに、どのような変化なんだろうか・・・・



3/11 日本気象協会は、10日先まで予報している。それによると、20日(日)・21日(月)に晴れマークが付き始めた。19日(土)だけに、小さな傘マークがあったが、曇りになり、その他の日には、お日様マークが並んでいる。こうなると、いつどうなるか分からないという不安がないでもないが、今は実に気分が良い。

 14日(月)だけは、朝方まで、雪か雨の予報であるが、私がスタートする頃には、それが上がるという予報であるから、前年のように荷揚げが出来る気がする。気分良くキャンプをする為にも、体力をカバーするためにも、それが良いような感じであるが、荷揚げの対象物は、皆液体である。(水・ビール・酒)



3/10 歳のせいばかりではないと思うが、この頃眠たくてしょうがない。座ればすぐに眠たくなるし、PCの前に座っても、ウトウトする事が多くなってきている。これも、寂しい話であるが、体力が無くなって来ている証拠なのかもしれない。

 その体力の無さを認識せねばならないのであるが、時々、まだまだと思ってしまう。 お酒も、程々にしておればいいのであるが、「もうちょっと。」 になる。だから余計にダメなのかもしれない。HPの更新も覚束なくて困ってしまう。



3/9 「山ノ神」なしで、2日間歩いたからであろうか、快い疲れがある。特別の痛みなどないのであるが、所々に張りを感じ、何とも言えない快感である。まだ修行の域、これで何かを得れば大したものであるが、それは永遠の課題で有り、欲深い私には、そのような超越した心を持ち合わせていない。

 常に何かを求める欲深い私は、目標無くては生きていけないのかもしれない。でもそれは、他人様の迷惑にならないものなら、それも有りかとも思う。いや、どんなに小さいものであろうが、その方が生きやすいと思う。



3/8 前日の大地山に続いて、周さんが大倉山に付き合ってくれた。私としては、30回目の大倉山であったが、周さんとは、4年前の4月中旬一緒した事があった。単独行も良いが、やっぱり一緒してくれる人があると、山行に膨らみを感じる。

 桑首林道に車を入れる事が出来なかったが、林道が交差する所まで、殆ど雪がなかった。そして、通常の登山口から上も、雪が少なく、1/2の標識がある所まで壺足を貫いた。稜線に出ると、1,000m超えであるからか、さすがにそれなりの雪量があった。

 「のんびり行こう。」 と、周さんにコーヒータイムを強請った。その間も、大倉山山頂辺りが、見えたり、ガスに覆われたりしていたが、そんな事より、誰もいない雪の山にいる事が、嬉しくてたまらなかった。そして、元気な人と一緒すると、ペースが速くなる。

 コーヒータムを入れてでも、登山口から3時間余、林道入口から4時間で山頂に達する事が出来た。ちょっと、うっすらであったが、山頂からの展望は、それなりに望む事が出来たのである。

 深く掘ってのベンチ・テーブルは、シャツ一枚でも過ごす事の出来たのであるが、す~っと、ガスに覆われれば、何かを羽織らなければならない。でも、それはまるで、劇場のスクリーンではないかと思われる程に、幕が降りたり、開いたりするのであるからたまらない。

 「土倉山まで行こうか?」 とか、「こんな時に、ビールがあったら・・」 などと、たわいない事を喋りながらであったが、カップ麺と暖かいコーヒーを頂いているだけで、それだけで満足であった。この大自然が、まるで自分の物のように思うのであるから・・・



3/7 40回目の大地山。今日は、周さんと河原氏が一緒してくれた。(山ノ神は、友人と京都旅行) 夢創塾の手前の広場まで車を入れた。赤松付近まで雪が無く、猛者が一緒という事で、30分くらいで到達。それから上は、スノーシューを装着した。相変わらず雪量は少なく、らしくはないが、「そんな年もあるわ。」 と思うようにしている。

 1ヶ月前は、5人の猛者達を要しても、朝日小川第2発電所からの歩きになったとは言え、6時間を費やしてしまったが、今日の雪質が必ずしも良くはなかったが、3時間余で登ってしまった。お目当ての初雪山の眺望は、雪量のせいもあるが、バックの空がイマイチな事もあり、はっきりしたものではなかった。少雪の影響は、雪庇の発達にも影響し、その見せ場を少なくさせているのもあっただろう。

 戻りも高速であり、猛者達に着いて行くのは大変である。今日は「山ノ神」なしで、余計な事を心配しなくても良かったから、何とかなったが、でも、その様な事に慣れてしまっているから、なかなか大変であった。



3/6 クルクル変わる予報ではあるが、明日明後日のお天気は、それ程悪くはならないと思う、その2日間は、大地と大倉山を予定とした。いつもより制限枠が拡大された事もあり、気は楽である。そして、「山ノ神」の事を気に掛けなくても良いのであるから尚更である。

 そんなところに猛者達が応援に来てくれる。いや、そうでなく、" しごき" に来るのかもしれないが、少しは賑やかになる。”哲学に浸る” とか、”修行の域” から離れるかもしれないが、人間笑っているのが一番である。



3/5 明後日か らの連休に、「山ノ神」は、友達と京都に出掛ける。そうなると、その2日間を、どのように過ごすかになり、娘と孫達の事で調整となった。結果は、私としては万々歳になる。一日目は、保育所に送り届けなければならないが、迎えは免除。二日目は、迎えこそあるが、送らなくても良い事になり、スタートは自由になる。

 こんな時こそ、お天気も気になるところであるが、「あそこにも、ここにも行きたい。」 となる。でも、時間と力量もあり、選択肢はそんなに多くはない。急な誘いに相手様も戸惑うのもあるし、こちらとて、いつ都合が悪くなるか分からないので、あまり早く結論を出せない事情がある。

 そして、こんな時こそ、山に行かないで、しなければいけない事や、この時しか出来ない事をするのも手であるが、心の狭い男は、その技量が持ち合わせていない。



3/4 ガタガタで、根だけ残っていた歯を2本抜いた。型通りに、飲酒・長風呂・刺激物の禁止を告げられたが、そのような事は左程気にならないし、痛み止めも使用したこともない。しかし、たまには、言われた通り守ってみよう。そして、お酒もこの機会に休んでみようと思った。

 元々、飲まないなら飲まないでも過ごせるし、飲まないと行動範囲が広がるし、時間も有意義に過ごす事が出来て良いことばかりな事を知っている。嬉しい時、楽しい時だけに飲めばベストなのであろうが、飲んでないと早飯の私は、すぐに食卓を離れてしまう悪い癖があるので、コミュニケーション的にはよくないのである。

 飲まないと、いや、飲み過ぎないと身体良いというのか、壊しにくいというのは本当である。でも、酒のない国など行けるわけがないし、行きたくもない。そう言っているくせに、酔っ払いは嫌いなのである。



3/3 今、私の最大の関心事は、スマホ、また、その他のタブレットである。でも、触った事がないから、どうなっているのか分からない。現在利用いる携帯(ガラケー)の使用頻度が少ないのに、果たして、そのような物が必要かとなる。しかし、「知らない。」 「分からない。」 という事は、とても悲しく寂しいのである。

 殆ど家の中にいる生活であるし、休日は山中であるからして、何処で使うかになるが、とにかく、やってみたいのである。タブレットがあり、Wi-Fiを使えば、通信費(維持費)は掛からないようであるし、(既に、Wi-Fiルターは準備している。) ダメなら止めればいいし、歳を重ねれば尚更機会を失ってしまうからである。

 難点は、現在に携帯使用料は、娘が支払っている。使用開始から、私達の分をずっとである。そして、その娘夫婦も、未だにガラケーなのである。だから、まずは、こっそり安価なものを買って、家中で、WI-Fi利用でタブレットという構図が一番のように思っているが、まだ時間がかかるかもしれない。



3/2 ここに来て、嬉しい話が、二つも飛び込んで来た。岡山の杉原女史と、朝日町のユキちゃんが結婚するというのである。杉原女史からは、「私が結婚するとは思っていなかった。」 との、はにかんだメールが来た。隣の広島に嫁ぐようである。

 朝日のユキちゃんは、どのような馴れ初めかは知らないが、愛らしい人柄からして、どのようにプロポーズされたのか、興味津々で、後日聞いてみようかと思っている。いやはや、そんな事は、どうでも良い事で、仲の良い家庭を築きあげていって欲しいと思っている。私達は、遠くから見守っておればそれでいい。



3/1 昨日の山行で、千石城山スタートが午前11時5分、城ヶ平山スタートが午後1時45分だった。孫の体調が良くなく、いつ保育所から戻されるかとの不安材料と、雪になるとは思っていたが、明け方からの雨で、山行はかなりの確率で諦めていた。

 送り出してから、1時間程経って、「たぶん大丈夫ではないか?」 と思うようになり、雨の中車を走らせた。それでも、非常時の連絡先は私だけに、電話を受ければ、すぐにでも戻れる山を選んだつもりであった。しかも、電波が届くところである。

 千石城山も城ヶ平山も、駈け降りれば30分もあれば大丈夫だろうし、日中は、ラッシュの時と比べれば、車も時間的に割と楽であると思っていた。しかし、電波が届かないところで、非常事態が起これば、最終的に娘の職場に掛けられてしまうシステムになっているから、やっぱりハラハラドキドキ感があった。

 過去に、スタート前の登山口で、保育所から電話をもらった事があった。(インフルエンザの症状が出た時であった。) しかし、企画当事者であったし、仲間達と一緒だったから、思わず「山頂にいるから戻れない。」 と言ってしまった事があった。

 そしたら、当然、娘の職場に連絡がいってしまったのである。 (娘の携帯が切られているから、直接職場にいってしまう。) その時は、遠方からの客人があったので、娘も少々事情を汲み取っていてくれたからまだよかったのである。

 今回の山行に関して、友人・知人から、「凄いね!」 なるメッセージを数通頂いたが、その文面から、「呆れている。」 を感じ取っている。一連の諸事情、もしくは、雨の中までとの、その方々の思いは違うであろうが、私自身も、そんなにしなくてもと思っているのも事実である。でも、山以外の生き甲斐を求めるのは難しいのである。