4/30 さて、「何処に行こうか?」 5/2・5/3では、今のところ、5/2の方がお天気良さそう。されば、5/2をフルに使い、5/3は程々にとなりそう。しかし、「山ノ神」と一緒となれば、行くところも自ずと限られてしまう。それでもいいではないか・・・



4/29 「連休は思うようにならない。」と思っていたが、娘と孫達が上京しない代わりにムコ殿がやって来るようである。詳細は聞いていないが、私達が自由に行動出来る配慮もあるのかもしれない。

 どちらにしても、泊まり掛けはない。「遠くの簡単な山」 を催促する「山ノ神」に、「近くの高い山」を望む私との違いからである。もうそろそろ、山一辺倒の考えから、少しは修正を加えようかと思っている私であるが、もうちょっとだけ(一年か二年ほど)、自由にしてくれるか、「私の希望に沿ってくれよ。」 と思うにであるが、なかなか難しいのである。仕方がないから、家庭安泰を選択するしかない。



4/28 娘と孫達が、GWにムコ殿の所へ行くと思い込んでいたが、娘の仕事の都合で、行けなくなったようである。そうなると、困るのがこちらである。2日間自由に飛び回れると思っていただけに、予定段階で困惑をしている。

 完全に計画の練り直しになるが、本当に思い通りにはいかないものである。”それも贅沢な悩み” なのであろうか? 自分達より、時間の無い人や、身体の都合の悪い人もいるのであるから・・・・



4/27 午前5時自宅発。まなび交流館(旧・二上少年の家)から30分で二上山頂上。久し振りに大きな太陽を見、高台から高岡市街地を眺めた。僅か1時間くらいの朝の散歩だったかも知れないが、平地ではなく、それなりの斜度を歩くのであるから、とても気分の良いものであった。

 この朝の行動に、何故か朝寝坊の「山ノ神」も一緒だった。彼女も運動不足を感じたのか、それとも、私の行動に不穏を感じたのか分からないが、どちらにしても、悪い事でないのだから、それはそれで、良しとしなければいけないのだろう。



4/26 昨日の移動距離は、そこそこあったけれど、やっぱり歩きが足りないのだろうか、何だか身体が変だ。お腹にため込んだ物を、1週間に一度は、完全に燃やさなくては、スッキリしないような感じだ。それは、医学的な事ではなく、私の勝手な思い込みである。

 山は、週一のトレーニングジム。そんな生活を続けているだけに、良いにも悪いにも、そのサイクルが狂うと、可笑しくなるのは当たり前かもしれない。明朝は、それを取り返す為に、早駈けで二上山に出掛けよう。



4/25 やっぱり、当然のように山菜採りになってしまった。3カ所も回って、コゴミ・ウド・コシアブラ・タラの芽・ワラビ・ゼンマイ・フキノトウとバラエティーに富んでいたが、質はイマイチの感あり。質を別にすれば、それなりの量ありであるが、配るには、ちょっとと思うのである。

山菜採りとなると、どうしても運動量が少なくなる。そして、暴飲暴食なのであるから、身体の何処かが、「いつもと違う。」 とでも言いたげに可笑しくなってしまう。この日の分は、二上山でも行って来なくては・・・

 そんな今朝6時頃、「上市にいます。剱岳が見えます。」 細蔵山に行くという福井の宮ちゃんから、メールが入った。唯々、「良いね!」 や、 「羨ましいです。」 を繰り返すしかなかった。

4/24 明日は、「お天気が良さそうだ!」 でも、お山のてっぺんには行かせてもらえないようだ!「何処でもいいんだけどな~。」 また、山菜採りになりそう。「もっと、時間が欲しい!」 そして、両方とも楽しみたいのですが・・・



4/23 「う~ん」 5月第3日曜日に叔父の法要(四十九日)が入った。叔母から、「山へ行けないだろうが・・」の注釈があったが、招待があれば行かないわけにはいかない。日帰りなら北ノ俣岳、泊なら黒部五郎岳辺りを考えていたが、いっぺんに吹っ飛んだ感じだ。世の中は、思い通りにいかないのが常である。

 今日は、「山ノ神」の高岡市民美術館で表彰式があった。「奨励賞」でも、賞状と賞金があったようだ。滅多にない事だけに喜ばなくてはいけない。何か美味しい物でも、食べに行かなくてはいけないかもしれない。



4/22 どれだけ自分が良いと思っても、周りの人達が、指示というか理解してくれないと、どうにもならない。だから、根回しという古来からの独特の仕法がある。何もかもに通じるとは思えないが、それで乗り切られる事が多く、「上手くいった!」 と思う時があれば、「してやられた。」 という事がある。

 どんなに正しくても、どんなに良い案であっても、通らなくては日の目を見ないのだから、ある程度の妥協が生まれるのは、その辺からであろう。町内会も有志の会でも、もしかしたら、行政や社会のあちこちでも、そのような事が、まかり通っているのであろう。

 恋愛も夫婦間でも、妥協の産物かもしれない。「あんなにしてあげたのに・・・」 というより、「・・してあげておれば」 ならば、結構上手く行くような感じである。「お陰様で・・」 の気持ちが滲みでれば、衝突も少なくなるだろう。



4/21 山歩く者にとって、これからが山菜シーズン。しかし、そればかりでは、ストレスを感じてしまう。「たくさん歩く。」 「高い所まで行く。」 が伴わないと、如何に美味しい物を食べたとしても、山全体を味わう事が出来ない。

 時間制限があると、両方とも満たすのが難しい。最も、速く歩く事が出来れば、その問題を、少しは解決してくれるかもしれないが、せせこましく大変である。そんな折、まだ確認は取れていないが、GW中に娘と孫達は、ムコ殿の方に行くようである。私達の休日と重なれば、自由に使う事が出来そうだ。でも、そうなれば、そうなるで「山ノ神」との折衝が付いてまわる。

 「久し振りにピッケルやアイゼンを使う山へ・・」 と言うものなら完全に拒否されるし、行かせてもらえないか、「車を置いて行け!」 となる事必死。そして、「遠くで簡単な山を探せ!」 と言われるのに決まっている。せめて、日帰りでも一日中歩ける山に行きたい。山菜採りも良いが、そればかりでは面白くない。でも、どちらにしても、お天気でなければ・・・



4/20 この頃顔色が良い。他人様から見たら変わらないのだろうが、「今日は、ちょっといい顔をしているではないか?」 と思う事が度々ある。身体の中の事は分からないが、この歳にしては、まあまあ、元気で歩いているように思う。

 お酒を、もう少し少なめにすればいいのであろうが、意思が弱く、ついつい余計に飲んでしまう事以外、そんなに悪い事をしているわけでもない。でも、よく食べるかもしれない。あるものを、バキュームカーのように全部食べてしまう。

 そんな私は、相変わらず時間制限下の中での山行が多い。時間が無くなると、「山ノ神」と別れて、山頂への単独行となる。従って、食事をする時間がなくなる。でも、それ程お腹が空くわけでもなく、かえって調子がいい。

 もしかしたら、日頃の暴飲暴食を、一時だけでも押さえられる事が奏功しているのかもしれない。食べないと元気が出ないし、食べ過ぎると調子が悪くなる。身の回りに食べる物がなければ一番良い事になる。



4/19 暖冬・少雪で、どんなんだろうと、臨んだ片貝流域であったが、上物のコゴミが採れた。結構好き嫌いがあるようだが、私は、山菜としては、先物であるからかもしれないが、好んで食する一つである。旬を告げてくれるその山菜は、食感だけでなく、身体も健康にしてくれるような気がしている。

 時には発がん性が何とかと、言われた事があったが、通じが良くなるし、美味しく頂いておれば、その事自体が良いように思う。身体を動かし、美味しく頂くが常道で、「山頂に拘って、山菜を採る。」 は、理にかなっていると思う。

 その山菜(今回はコゴミ)であるが、東京に住む姪が、オーバーなくらいに喜んでくれる。「そんなでもないのに・・」 、と思うのであるが、その喜びが伝わってくると、また次の物を送りたくなる。そして、想像も付かないレシピに、また喜び楽しむのである。

 今回は、例年よりも収穫の時期が早かった事が、幸いしたかのように、面白いように収穫が出来た。そして、日頃お世話になっている方々に配ったのであるが、あの嬉しそうな顔を見ると、独り占めでなく、お裾分けした事の喜びを味わい、勝手に満足感に浸っているのである。



4/18 今年初めての金剛堂山は、今日も出遅れて、栃谷登山口スタートが午前10時だった。こちらも少雪の影響で、残雪が現れたのは、栃谷から2キロ地点を過ぎたブナの原生林付近からである。そこからは、煩い小枝を払い、雪面の踏み抜きを、気にしながらの歩きとなる。しかし、その先でも、全く雪が無い所があるのだから、暖冬・少雪を今更ながらに感じたのである。

 3キロ地点で、快適に降りて来られる人を発見。近付くと、俵先輩であった。昨年2月に、高落場山でお目に掛かって以来である。あの時も、私の予定に合わせて来て下さったようであるが、「今日も、何となく来るような気がした。」 と言っておられた。有り難い事である。如何せん、私達は、家庭に事情から、特別の日でない限り、どうしても、スタートが遅いだけに、このような出会しかないのである。

 その先、愛知県のご夫婦と擦れ違った。昨日は、人形山に、明日は、白木峰行かれると言っておられた。「何処か、いい山がありませんか?」 と問われ、調子に乗って、あれやこれやと言ってみれば、「どれもこれも登っている。」 と答えられるなかなかの方々であった。いつもの事であるが、自惚れず、もうちょっと、謙虚でなければと改めて思った。

 我々には、育成クラブ(学童保育=4月から1年生)と、保育所に迎えに行かなくてはいけない仕事がある。それが、5時過ぎまでであるから結構辛い。4キロ地点で、「山ノ神」が残る決断をした。私に与えられた時間は30分である。

 「山ノ神」には、ビールを飲む楽しみがあるからして、”それも良し”かと思うのであるが、山頂への往復に、証拠写真を撮ったりするには、果たして、その時間ではと思ったのであるが、やれば何とかなるものである。そのご褒美ではないが、コーヒーを一杯のむ余裕が生まれた。 登山口には、予定より20~30分早く戻る事が出来た事もあり、いつものように、慌ただしい事もなく、靴を洗う事が出来、帰り道で給油まで出来た。



4/17 結果的には、あまり降らなかったが、凄い風であった。台風並みと言ってもいいくらいの暴風は、我が家を大いに揺らす。南風は、向かいのビルにぶつかって、我が家にあたるからであろうか、それはそれは凄い。

 そんな強風もあってか、大阪の連中(息子とその友人達)が、なかなか腰を上げない。彼らが、出掛けてから、自分達もと思っていたから、ついついお昼近くになってしまった。高岡市民美術展に寄ってから、今回行けなかった僧ヶ岳の取り付けの片貝川に足を運んだ。

 時間が無い事だし、林道の状態を確かめたかったのと、山菜でも採れればとの思いからであった。片貝第2発電所辺りで通行止めを覚悟していたのに、第4発電所先まで車を乗り入れる事が出来た。私達は、その300m程手前に駐めて歩いたが、簡易ゲートを突破する車もあった。

 今回は、林道歩きが目的であったので、コゴミを採りながら、片貝山荘手前まで歩いた。なかなか、丸一日使える休日がないから思うようにいかないが、此処まで車が入れば、僧ヶ岳もそんなに苦痛ではない。でも、いつ行けるのだろうか?



4/16 久し振りに市展(高岡市民美術展)に応募してみた。ここ何年か、そんな気持ちも薄らいでいたのですが、知人から、「出してみたら・・」 と背中を押された事もあり、その気になった。それも、プリントから搬入までお任せしたのだから、出品者としてはいい加減も甚だしい。

 3~4日前に、入選の案内があったのですが、今朝の紙上を見て、更に実感が湧いた。その上、「山ノ神」の作品が「奨励賞」 となったのだから尚更です。今晩は、一杯余計に飲めそうです。突然やって来た大阪の息子にその事を告げ、美術館に見に行くよう勧めたが、あまり効き目がないようである。



4/15 4/17(第3日曜日)は、僧ヶ岳へと思っていたが、あまりお天気とは言い切れない。片貝第2発電所辺りから歩かなければいけないにしては、リスクが大きすぎるから止めて、ハレルヤ山行にと思っていたところに、大阪の長男から、友達を連れてやって来るというのであるから困ってしまった。

 日頃から、「私達の休日には来るな!」 と言ってあるが、来るのに放って山に行くのは、この歳になっては、ちょっと考えてしまった。そんな事もあり、ドタサンも有りかと思っていたハレルヤにも、断りの連絡をしなければならなくなった。

 その息子達の行動も先を読めないだけに、どうなるか分からないのであるが、見送るまではいてやりたいと思うのである。なかなか返って来ない息子達を「親戚の人」 と呼んでいたが、最近は、それとなくやって来るようになっている。「1年に1回なら10回、1年に2回なら20回しか会えないね」と言ってからであろうか、帰って来る回数が増えたような気がする。



4/14 娘と孫達がやって来て、丸々3年が過ぎ、4年目に入っている。相変わらず窮屈な山行を強いられているが、他人様からみれば、「何と贅沢な!」 と言われるかもしれない。「2人だけだと味気ないよ。」 「孫達がいると、賑やかでいいのでは・・」 である。

 「歳を取ってしまった。」 と言いながら、「まだまだ・・」 の思いがあるからかもしれない。「少しでも長く、好きな事を・・」 ばかりが前面に出て、”加減” を、私(達)が無視しているのだろうか? 世には、好き三昧をしているように見られる方々もいるが、そうでもないような方々の方が、圧倒的に多いのである。

 毎週どころか、年に80日近く好きな山に出掛けている。大方キャンプの場合が多いと言えども、年に2~4回くらいは泊まり掛けの山行をしているのであるから、何が不足なのかと聞こえて来そうである。

 それでも、「お天気の悪い時は、止めようか?」 とか、遠出した時は、名所旧跡や絶景ポイントの見学・見物、また資料館や美術館に足を運んでもいい。また美味しい物を食べてみたいなどと、心変わりが進んでいる。

 それもこれも、もう一座の欲張りを無くし、夜間の運転を回避すれば、身体に優しく安全な山旅になる。どうしたら、そのような時間が取れるのだろう? また余計に費用が嵩むから、やっぱりもう少し働かなければならない。結局は、元の木阿弥のような感じは歪めない。



4/13 気持ちの変化なのか、あれだけ物を大事にしていたのに、何ででも捨てなくてはと思うようになってきている。でも、一つ一つを見定めれば、また元の木阿弥で、鞘に収まりかねない。だから、目を瞑って捨てるしかない。

 二度と使わない物とか、二度と見ない物の線引きをしての作業でも、とんと進まない。捨てるというのは、否定しているわけでもないが、その想い出がなくなってしまうような感じである。胸にしまっておけばよいのかもしれないが、物証がないと自然消滅となるようで寂しい。

 1週間のノルマは、大きなゴミ袋2枚としているが、親の物さえ捨てきれないでいるのに、自分の物を捨てられるか怪しい。でも、私が多く残していけば、後の者達が迷惑するとの思いから、何が何でもやらなければいけないと思う。

 それでもである。今まで大事にしていた物だから、それぞれに多くの想い出が詰まっている。笑ってしまう事もあるが、どちらかというと、胸が詰まるような込み上げて来る物の方が多い。これからは、そっと、”青春” を思い出す事がなくなるのかもしれない。



4/12 今年は、少雪・雪不足で、スキー場と共に、山を愛する者達が結構嘆いた。しかし、ある程度の高さにまで行くと、それなりに雪が残っているもので、その雪解けが、例年より1週間早いか、10日早いか程度に思う。それは、温暖化のせいであると言われた今年の桜の開花・満開も、その程度の速さであったのではなかろうか?

 確かに、始めから雪が無い平地に近いような所では、山菜の出は早いようであるが、私の出掛ける低山では、チョッピリ早いだけのように思う。その証拠に、昨日の牛岳では、多くの残雪を踏んできた。でも、雪が始めから無いような所のフキノトウは惚けてしまっていた。



4/11 「あの予報はどうなっているの?」 と思わせる程、未だ止まぬ雨。その雨は、次第に弱くなったが、砺波を通過してから、八乙女山が真っ白なのにビックリ。2週間前に大倉山・桑首林道でタイヤをバーストさせてしまい、例年より1ヶ月余早く、夏タイヤに交換しているのでは、利賀・百瀬まで車を乗り入れるのには躊躇してしまい牛岳に変更を余儀なくさせられてしまった。

 その牛岳も、4合目辺りから、新雪の上を歩かされてしまった。と言っても、夏道の上に、5~10cmの雪であったから、6合目からも夏道を選んだ。しかし、残雪の上の新雪は、登山道を覆い、トラバース気味の歩きは良いとしても、時々、小滝のような所をクリアするのでは、「こんなのに行くの?」 と「山ノ神」は言う。

 それではと、8合目手前のイヤな所に行かぬ間に、登山道を外し、ヤブを押して稜線を目指した。ヤブ嫌いの私でも、その方が安全という事は知っている。泣き泣きかもしれないが、「山ノ神」は、着いて来るしかない。標高600~700mくらいでは、雪があっても、下は滑りやすい植物で有り、目の前は、すぐにでも跳ね返る小枝の連続である。

 悪戦苦闘の末、稜線に辿り着けば、雪上を歩けるような快適さを想像していたが、そう甘くはなかった。それでも、ヤブを巻くように雪上を辿るような事は出来たのである。頂上に着いても、あの予報のお天気は望めなかった。それどころか、雪が降って来るではないか?

 帰りは林道を歩き、「フキノトウやコゴミを採ろう。」 と考えていたのであるが、皆雪の下で、目算が外れてしまった。それでも、高度を下げれば、僅かながらであったが、少々の収穫があった。快適な登山とは言えなかったが、消耗度はそれなりにあり、まずまずの運動量を得たのであった。



4/10 予報には、傘マークがあるが、明日の日中は、かなり良いお天気になりそうだ。しかし、あまり当てにしていると、アゴテンを食らう事がある。まあ~、山の天気だし、あまり期待はしないでおこう。

 明日は、今年未だ出掛けていない金剛堂山を考えている。しかし、上の孫ミーが小学生になって初めての休日だけに、迎え時間がチョッピリ気に掛かる。既に始まっている学童保育とかの兼ね合いも有り、分からない事ばかり。



4/9 この頃は、誤字脱字の他に、日付の間違いが多い。読み返している積もりであるが、どうも緩慢なようである。それもその筈、眠いのを我慢してやっているのであるから、当然の事かもしれない。ちょっと、飲み過ぎた時など、間違いに気付いても、なかなか訂正出来ないで同じ事をやっているようで恥ずかしい。

 その睡魔にも勝てないようになってきているのであるから、明らかに衰えである。寂しい事であるが仕方がない。後は、何事にも通じるのであるが、続けたかったら、違った方法を考えるしかない。



4/8 4/5の休日は、山へ出掛けなかった。親戚に不幸があった事や、雨だった事もあり、士気が上がらなかったからである。7年前、従兄弟が亡くなって、納棺まで時間があると思い出掛けた牛岳で熊に遭遇。それより先、友人が亡くなり、葬儀のお手伝いまで戻れれば良いと思って出掛けた牛岳の下山時に、ブナから降りて来た熊と遭遇、一瞬たじろぎ、迂回路を辿れば、時間に間に合わないと、ビビッた事もあった。

 無理をしない事を選択したので、「休日は山へ・・」 の皆勤の道は途絶えた。そんな事はどうでも良いと思いながら、翌日は、孫達と一緒に千石城山へ出掛けたのであるから、週一のペースは変わらない。「無理しなくても良い。」 「他の事に時間を使っても良い。」 と思いながら、怖くて山から離れられない。

 「歩けなくなるかもしれないという恐怖!」 「どうでもいいよ。になる恐ろしさ!」 などが、心の奥で、可笑しいくらいに絡み合う。 まるで、「行け。」 「行くな。」 の綱引きである。でも、まだ、「行かなければ・・」 「歩かなければ・・」 が優位である。



4/7 東京で独り暮らしのムコ殿は、益々痩せて来ている。もう3年になったが、よく我慢をしている。自分で食事を作る事がないらしいし、残業も多いらしいから、身体を壊しているのではないかと心配になってきた。

 若い二人が決める事だから、娘に、「東京へ帰れ!」 とも言えないし、ムコ殿に、「高岡へ来い!」 とも言えない。離れて暮らしていても、目的や考えがあるから、耐える事が出来るのかもしれないし、ここは、舅根性を出さないで見守りたい。

 ミーの入学式の為に来高しれくれたのに、食事時は、あまり盛り上がらなかった。孫達の機嫌加減もあったし、学校に関しての作業(名付け)が、あったからかもしれないが、ちょっと拍子抜けであった。なかなか上手いわけにはいかないものだ。



4/6 昨日から、ティッシューを箱毎持ち歩いている程最悪の日々。通夜も葬儀もそうであったから、流石に、「どうしたのか?」 と尋ねられた。明日のミーの入学式に、やって来るムコ殿の来訪を待たずに、床へ入る羽目にもなってしまったが仕方がない。

 唯々、「アレルギーなのか?」 それとも、免疫を含めた体力の衰退なのか分からないが、それを乗り越える精神面を未だ兼ね揃えていない。「医者に掛かれば、何でも治る。」 事はないし、「人間は必ず死ぬ。」 を心して、中味の濃い人生を送らなければと思っているが、しかし、何事にも限りがあるから悔しい。だから、面白くドラマも生まれるのかもしれない。



4/5 ちょっとの間を利用して千石城山に出掛けた。ミーとエリーが同行である。孫達との山行は、白木峰・中山・白山に次いで4回目となった。4歳のエミーは、ちょっと危なっかしく、すぐに疲れたを連発するが、6歳(4月から1年生)のミーは、もっと歩けたと言っていた。そして、そのミーであるが、階段をスイスイ登っていくから、たまげてしまう。

 その孫達を、私がくたばらない内に、キャンプに連れて行ってやりたいと思っているが、そうは簡単にいかない。あまり歩かなくても良い所、また、水場のある所ならいいが、そうでないところとなると、その上に、アルコール類を担がなといけないから、ちょっと厳しい。

 そう言いながら、出来もしない事を夢見るのも楽しいものである。今年辺りは、平地もしくは、雷鳥沢でのキャンプなどを練ってはみたい。どうであれ、自分が元気でなければ、出来るはずもない。



4/4 今日は、その気になれず、ずっと雨を眺めていた。それでも、孫達が喜びもしないのに、「山ノ神」の要望で立山町のモンベルまで行って来た。孫達の為でなく、「山ノ神」の憂さ晴らしの感が強いお出掛けであったが、帰路に呉羽山により、スーパーに寄って家に戻った。

 花粉症なのか、風邪なのか分からないが、鼻水が止まらなく、身体も寒く感じる。そして、何をしても面白くなく、それこそ、死んだ一日であった。明日・明後日は、通夜・葬儀が待っている。早く体調を取り戻し臨みたい。



4/3 暑いくらいの一日であった。そして、夜になって雨が落ちてきた。明日は雨。孫のミーが卒園した事もあり、入学式までの我々の休日を、彼女ら(ミーとエリー) のために使いたいと「山ノ神」が言う。カクンと来ていたところに、叔父の訃報が飛び込んできた。あっさり、山行を諦める事にした。



4/2 今日もいいお天気だった。気温も高く、いっぺんに桜が咲いた感じであった。所用で、古城公園の旧8号線沿いを車で通ったが、「満開近し。」 のようで、花見客の車が多く、渋滞の要因になっていた。我が家は、その古城公園に近く、近年は、夜桜を眺めながら、一献傾けるようになっている。

 その風習を、今年もと思っているが、果たして、そのように上手く行くかは分からない。家族・友人・仲間など、どのような形でもよいのであるが、桜を楽しもうと思っている。パ~ッと咲き、パ~ッと散る桜は、日本人の気質にあっているのか、それを逃すのは、ちょっと寂しいではないか・・・



4/1 先日の大倉山行の折、「北ちゃん」と一緒になったが、その時に、彼からの年賀状の記述に触れた。「キャンプをしよう。」 だったか、「キャンプをしたい。」 だったか、正確な記述を覚えていないが、その事に私は、「本当なのか?」 と尋ねた。

 その答えは、「遠い所でなければ・・」 だった。だから、すぐに結論を見出す事が出来たのである。休日が共通する第1月曜・火曜日という事で、8月に決まった。その行き先は、剱岳を意識して剱沢となった。まだまだ時間があるので、好山病の諸氏にも声掛けをしなくてはと思っている。

 平日だけに、簡単に仲間が集まるとは思えないが、我々にも、それなりのハードルがある。家族が健康である事の他に、急に降って湧いたような物事が起きない事、私(達)に至っては、孫の問題もある。でも、そんな中で、計画しているだけでも楽しくなる。