5/31 「がつがつ登らなくてもいいや!」 「何がなんでも行かなくちゃ!」 が、なくなるのが、一番心配で危ないところ。その精神で、ずっと来ただけに、ちょっとが、雪崩のように崩れてしまいそうだからである。「もう、そろそろ、山だけというのも考えなくては・・」 や、「お天気の悪い時に行かなくても・・」 などと弱気が充満している。

 それは、今度の病だけでなく、家庭環境が大いに影響しているのも事実であるが、歳と共に弱気になってきているのかもしれない。でも、気力が充実して来ると、先の弱気たるものが、一つずつ打ち消されていくのであるから、「まだまだ・・」 も生きているような気がする。

 「病は気から・・・」 と言われる事があるが、やはり思うように身体が動かなければ、気が滅入ってしまうのも事実。身体が動き、美味しい物を食べ、時には、美酒に有り付けば、相乗効果が増すというものであろう。健康第一というが、医者に行くのもイヤ、薬を飲むのもイヤでは、それだけの事しか出来ず、長く生きられないであろう。



  5/30 96歳の叔母の逝去で、昨夜は通夜、今日は、葬儀・七日法要を努めてきた。昨夜の通夜に行く前は、だるさを感じ、どうしたものかと思ったが、昨日も今日も飲まなかった事にも関係あるのだろうか(このところの3週間は飲んでいない。)、今は治ったような気がしている。

 今度の検査まで、このまま飲まない事にし、そして、この先の数値も、今から気にしていても仕方がないので、”大ざっぱに生活をする事にする。” ”山に行けなかった分、他のやり方で身体を動かす。” ”くよくよしない。” ”やりたい事は、思い切ってやる。” などを心して、自分の気質を変えていきたい思うのである。



5/29 昨日から、我が家のPCは、windows10になった。といっても、S先生に完全にお任せである。PSを使い始めて17~18年になるが、OSのインストールなど一度もした事がないのであるから、PCの使い手としては呆れられるくらいであろう。

 S先生のお世話になり始めたのは、いつ頃だったか忘れてしまったが、アプリのupdateやデーターの引っ越しなど、いろいろと面倒をお掛けしてしている。また、不具合になった時にも、それっと飛んで来てくださるのであるから、嬉しい限りである。

 windows10になっても、windows7と変わらない仕法が施してあるというのであるから、音痴の私には非常に助かる。これからも、今までと同様にお助け頂いたら、この上ない喜びである。

心配頂いている身体の方は、もう咳と痰が殆ど出なくなった。だから、随分楽になったし、食事も普段と同じくらい出来るようになった。そして、何と言っても、夜に起きる事なく眠れる事が一番のようである。もちろん、気になる数値が残っているが、気にして、ストレスを増やしても仕方がないであろう。のんびりやる事にする。



5/28 今日は、上の孫(ミー)の運動会であった。月曜日は、その振替休日になるので、私のリハビリを兼ねて、低山歩きをと思っていた。ところが、晴れマークであったはずなのに、午前中に傘マークが付き始めた。雨量としては、大した事がないようなのであるが、私達だけでないので困ったなと思っていた。

 またまた、ところがである。叔母が亡くなったという連絡が入り、明日は通夜で、月曜日が葬儀となってしまい山歩きはダメになってしまった。こうなれば、家中のトレーニングと早朝の二上山行きに頼らざるを得なくなった。何事もコツコツなのだから、それに従うしかない。



5/27 メールを頂いたり、我が家に顔を出してもらったり、多くの激励を頂いている。「こんな私なのに・・」 気に掛けて下さる方々が、こんなに多くおいでるとは・・・・・ 年々涙もろくなって来ているとはいえ、胸に熱いものが込み上げて来る。「早く、良くならなくては・・・」 そのものである。

 4日振りに病院へ行って来た。白血球やCRPの数値が、ほぼ正常値に近くなったようだ。今日もらった薬を飲みきれば終了のようだ。良かった。でも、他に気になる数値があり、今の病と関係があるかどうか分からないので、3週間程経ってから、エコーなどの検査を行う事になった。どうもなければ良いのだが・・・ もうそろそろ病院通いがイヤになって来た。



5/26 自分では、大分脂ぎってきたし、腕立て伏せや腹筋運動に耐えられるようになってきたから、かなり復活と思っているが、やはり久し振りに顔を合わせた人から見れば、痩せほけたジジイにしか映らないらしい。

 今までは、たくさん食べた、たくさん歩いた結果の計量は、1~2キロどころか、3~4キロの差を思えば、現在の秤の単位は100~200グラムしか動かない。やっぱり、飲んでいた時は、たくさん食べていた事になる。



5/25 僅か2週間(3休日)であるが、山から遠ざかると、士気の低下というのだろうか、「何が何でも・・」 とか、「どうしても・・」 とかが、薄らいでいくような気がする。そして、「無理しなくても・・」 の他に、「この機会に、山だけでなく、他の事もなど・・」 という考えまで出て来る。

 「貧すれば鈍する。」 格言のような言葉があるが、今の私などは、何もかもを何かに吸い取られてしまったような状態なのかもしれない。思考力も落ちたような気がする。もしかしたら、認知症が現れてきたのかもしれない。いやだな~。



5/24 「他人様とお話ししようとすると咳が出る。」 以外殆ど咳が出なくなった。夜中も咳で起きる事もなくなった。そして、眠れるようになり、変な夢も見なくなった。それだけでも、精神的に随分楽になったような気がする。

 お酒も、これで2週間飲んでいない。この先の事は分からないが、飲んでいる「山ノ神」を見ていても、それほど欲しいとは思わなくなっている。飲んでしまえば、そのようになってしまうのだろうが、出来れば、一日でも長く飲まないでおこうと思っている。

 コーヒーは、少し飲めるようになってきたが、まだ美味しいとは思えない状態である。しかし、特別嫌いなもの以外は、何でも食べれるようになってきているから、「復活は、そう遠くはない。」と自己暗示を掛けている。



5/23 まさか、自分が、肺炎球菌の餌食になるとは思ってもみなかった。でも、金・土・日・月の点滴が奏功したのか入院は免れた。そして、急展開の如く、好転の方向に傾いていると思います。1週間で6キロ痩せた体重こそ、なかなか戻らないと思いますが、それでも、後の1週間で1・2キロは快復しました。過激な運動は御法度ですが、徐々に身体を慣らしていきたいと思っています。(メーンページから・・)



5/22 この病に伏せった頃は、「もう山にいけないのでは・・・」とか、「重荷を担げなくなる。」 などの悄げた考えしか出来なかったが、この頃は、「この調子なら、もう少し我慢すれば歩けるようになるのでは・・」 と少し前向きな考えになってきた。実際食事が出来るわけだし、それなりの力が付いて来たからに他ならない。でも、まだ咳が出る。



5/21 「病院に行ってきた。私としては、あまり良い結果ではなかったが、一光があったようにも思う。その検査結果は、もう3~4日胸の中に留めておきたい。」 当欄を暫くお休みにしている事もあって、メーンページの写真の下に、そっと、その文章を載せた。やっぱり、弱いところを知られたくないという気持ちがそうさせたのであろう。



5/20 恐る恐る病院を訪れた。それも、間一髪の時間であったし、絶妙の手助けがあったから診察を受ける事が出来た。本当は行きたくなかったが、「肺炎」と告げられたのだから、この機会を失っていたら、どうなっていたか分からない。

 この日は、上の孫ミー7歳の誕生日。そして、娘夫婦の結婚10年記念日という事で、ムコ殿がやって来る日であった。その事を医師に告げ、入院を回避してもらった。その代わりなのかどうか分からないが、今日・そして、明日からの土・日・月を緊急処置として、点滴を受ける事となった。

 というものの、我が家のイベントでは、飲めるわけでもないし、咳をしているわけにもいかないので、早々の退散となるのだから、入院していた方が良かったのかもしれない。でも、寝ていても、家の方が居心地良いに決まっている。



5/19 3度の食事が出来るようになったといっても、まだ味がよく分からない。そして、咳・痰が止まらない。傾向としては、かなり快復しているように思っていたが、事は、そう上手く運ばない。「だるい。」 「意欲が湧かない。」 このような日が何日も続けば、思考力も鈍り、行く行くは、あのルートに乗せられてしまいそうである。自己治癒力に限界を感じた時は、私も終わりかも知れない。



5/18 昨日から店に立ちました。数少ないとはいえ、この2日間来て下さったお客様全員から、「すぐ、店を閉めなさい。」 「医者へ行きなさい。」 でした。声の弱々しさからなのでしょうか、それとも、変わってしまった容貌からだったかもしれません。でも、3食食事が出来るようになったので、期待して体重計に乗ったのですが、500g増えただけでした。まだ、19歳・20歳頃の体重と同じです。



5/16 「連休なのに、2日間とも何処も行かないなんて考えられない。」 と言うのが「山ノ神」の思い。私は、調子が悪いので、「独りで好きな所へ行って来られ!」 と言うのであるが、独りが不案内なのだろうか、それとも自信が無いのだろうか、病身の私を引っ張り出すのに懸命であった。

 仕方がないので、「七尾辺りまでドライブ。そして、私は運転しない。」 そして、「出来れば、3時間ほどで戻りたい」 という条件を付けた。「山ノ神」は、海沿いの160号線に車を走らせた。海は穏やかで、立山連峰もきれいに見えていた。でも、私にしてみれば、どうでも良いのであった。

 「七尾城に行きたいという。」 私は歩けるのだろうかと思ったが、駐車場から僅かの距離だったので何とか乗り越えられた。帰りは、私が能越道を運転して帰ったが、すぐに横になってしまった。



5/15 この1週間体調不良で、食事も殆ど取れなかったし、仕事もせず臥せっていた日が3日ほどあった。今日は、叔父の四十九日の法要があり、何としてでも体調を整えて出席しなければと思っていたが、身体は、フラフラの上、体重計に乗れば6キロも減っていた。

 代理を嫌がっていた「山ノ神」であったが、行かないわけにはいかないので無理矢理出席を乞うた。家で休んでいるのも辛いもので、起きてはみるが、何処かに寄りかかってしまわなければいけないような体調。若い頃、高熱を出し、全く動く事が出来なかった事があったが、それ以来かもしれない。



5/11 今日は体調が悪い。酒もなし。今から床に着く。(午後9時半過ぎ)



5/10 大量?に採ったワラビを、喜ばれるか迷惑だと言われるか分からないが、3軒の親戚と一人の友人に送った。午後7時前に郵便局に滑り込んだが、事務が7時を回ると言われ、夜間受付で順番を待つ事になり、「まだ、役所的なところが残っているな。」 と同じ断られた前のお客と顔を見合わせてしまった。

 その夜間窓口で、「明日は届かない。」 と言われたが、東京23区はダメで、埼玉の姉宅には、夜遅く着いたようである。普通は、午後7時前の手続きなら、23区は明朝に届くのに、どうしたのだろう。他のところは、今日中には届いていると思われる。

 一日予定より遅れての到着だけに、チルド(クール)にしておけば良かったと、ちょっと後悔。まあ~、こうして送れるのも、あと何回かであるからして、どんな状態で届こうが、どのように料理されようがお好きなように・・である。来週は、ウドが採れるだろうか、採れなかったら、後はコシアブラだけである。



5/9 臥せっている娘を、ほったらかしにして出掛けるのは、如何なものかと思ったが、家にいても、何もしてやれないもどかしいところもあり、結局は、「休日は山へ・・」 になる。行き先は、「山ノ神」の希望する高峰山。

 私達の出発が遅い事もあり、山菜採りの車とのすれ違いに、チョッピリ難儀したが、登山口まで車を乗り入れる事が出来た。時間があれば、大辻山までの希望があったが、最初から、山菜採りを兼ねた山行だっただけに、それは無理というもの。

 時期が早かったのであるが、ここでも、少雪の影響なのか、いつもより状況が異なり、かなりのワラビの収穫があった。大辻山に行かなかったから、高峰山頂では、剱岳や大日岳、また、毛勝の山々を眺めながら、ゆっくり過ごす事が出来た。

 と言っても、いつもより、ゆっくりというだけで、カップ麺を食べ、コーヒーを頂けば、そんなにする事がなく、歩き足りなかった分、「千石城山にも行くか?」 となる。しかし、欲の皮が突っ張っている私達は、山を降りながらも、またまた斜面を登ってしまったのである。



5/8 娘も二人の孫も、あまり調子が良くない。熱があったり咳き込んだりしている。あれでは、明日は仕事に行けないだろう。私も、何だか変なのであるが、家にいて調子が良くなった事などないので、やっぱり、何処かへ出掛けなくてはいけないだろう。

 調子が良くないという事は、当然の如く、ギシギシするし、笑いなども無く、雰囲気は悪い。明日は、またまた山菜採りがメーンの山行となる公算が強いが、私には、「山の空気」が妙薬なので、高所でなくても、お山のてっぺんにさえ立てればそれでいい。



5/7 私は、未だ水墨美術館へ行ったことがない。今、「美人画の四季」が企画されており、県民の日とかで、県有施設が無料開放(5/8.5/9)されると知り、これはチャンスではないかと思った。何かのきっかけで、山ばかりの人生からの転換を模索している私であるが、「山ノ神」は、「口先だけだろう。」と、一向に認めない。

 そして、体調は決して良くない。でも、「山の空気」を吸わないと、尚更ダメなような気がしないでもない。「いつかは・・・」 は、確かに来るのであろうが、それまでは飛び回りたい。身体のメンテナンスに、お金と時間を掛けないとダメなのかもしれないね!



5/6 近くでの所用を済ませ、広小路交差点を駈けて渡った後、暫くして、右足首に異常を感じ歩けなくなってしまった。 「えぇ~、やばい。」 すぐに、「山に行けなくなる。」 との思いが脳裏を過ぎった。「何故?」 と思いながら、触るのも恐ろしく、足を引き摺って家に戻った。

 家に戻って、「やってしまった。」 と言いかけたが、痛みがなく、「アレアレ」 となった。「一体全体、あれは何だったんだ。」 歳だけでは片付けられない事である。全然関係の無い事であるが、最近、背中が痛い。そして、夕方になると頭が痛い。飲んだら治る。 (忘れるのかも・・)を繰り返している。多分、内臓がわるいんだろう。家系的には膵臓ガンだから、ちょっと怖い。でも、そんな事では負けない。



5/5 高岡市民美術展が閉幕し作品が戻って来たので店内に飾った。気恥ずかしさもあるが、暫くその雰囲気に浸りたい。4/30からやって来ていたムコ殿が、今夕帰京した。照明器具の一部のライトが消えたので、LED照明を買ってきたばかりに、その取り外しや取り付けに難儀してしまったが、プロに頼めば事は簡単に終了。こんな平凡な一日であったが、平和の証拠のような気がする。



5/4 流石に今日は、太腿が少し痛い。そして、眠たい。ずっと、睡眠時間が4~5時間程だからかもしれないが、このところ、一日中瞼が痙攣を起こしている。そう言えば、北ノ俣岳でも足が攣った。食事の時に腰を下ろした時であった。どれだけ歩けても、こんなのではいけない。

 4/30からやって来ているムコ殿。そんなのに構わず山に出掛けている舅・姑。その間、二人の孫が順番に発熱し、全く留守番に来ているようなものである。気の毒、そして、申し訳ない。



5/3 前日の山行で、どんなに疲れていようが、遅く帰ろうが、「休日は山に・・」 が、私の信条である。それは、どんなに簡単な山でも良いから、行かなければ、後悔するに決まっているからである。

 ところが、強風に車が煽られるし、山中い入っても、轟音と共に、身体毎持って行かれるようなところもあった。縄ヶ池の駐車場に車を駐め、林道を歩き高落場山へ。高落場山から降って再び林道に出、高清水山を往復し縄ヶ池に降りるコースである。

 途中に、山菜があれば儲けもので臨んだのであるが、タラの芽以外にあまり収穫がなかった。また、風が強く、食事も出来なかったので、腹ぺこであった。そんなのに、欲張り者は、牛岳にも寄ったのである。



5/2 雪が現れたのは、打保との分岐(1,842米)手前辺りからであった。雪量自体が少ないのであるから、スノーシューを持参しなかったのが正解であった。寺地山着が午前9時15分くらいであったから、稜線には、いつもより早く着けるのではの期待が持たれたのである。

 しかし、北ノ俣岳真っ白であった。少雪と高温を想定していただけに、ピッケルを持参しなかったのを悔いた。でも、時間が時間だけに、「雪は緩む。」との確信はあった。その雪は、前日の降雪によるもので、量自体少なく、すぐ下は、ハイマツが、今にも顔を出しそうな所が多かった。

 それでも、「午後1時前に着いたね。」 と「山ノ神」が言うように、疲れ果てていたものの、最後の力を振り絞っての登高であった。稜線に出ると、景色が一変する。真ん前に水晶岳、左に薬師岳、右には、黒部五郎岳や笠ヶ岳である。その山々の間から、また、ちょっと隠れるようにして、名のある山々が君臨している。

 この展望があるからして、長い時間を掛けてやって来るのである。「今年登れないようなら、来年は尚更登れない。」 最近は、この言葉で「山ノ神」を奮い立たせているようなものだ。山頂は、風が強く、コンロが不適であった。ちょっと谷側に降りて食事をする事になる。

 なかなかお湯が沸かなかったので、予定の滞在時間をオーバーしてしまった。でも、その分だけ、素晴らしい景色を堪能出来た事になった。GW最中であったからか、沢山の登山者にであった。その姿を見るに付け、「山は、やっぱり、時間を掛けて、ゆっくり過ごすものだ。」 と思った。

 下山は、雪斜面を走って降りるから、相当時間の短縮になった。しかし、午前中にあった雪が消えていたり、落とし穴のような所が多くあり、少々手間取った。でも、寺地山までの登りでは、コーヒーが飲みたいとの思いで結構頑張ったのである。

 しかし、明るい内に下山しようと、そのコーヒーをパスして、寺地山から打保との分岐まで我慢する事としたのが、シャリばてと重なって、アダとなったような気がする。また、雪解けが進み、かなりの所が川となっていたし、グチャクチャの所も時間を要してしまったのかもしれない。 今回も山頂に13時間強、往復の移動時間が5時間。やっぱり疲れた。



5/1 今日は高岡の祭礼・御車山祭である。予報は、ずっと晴れであったが、何だか曇りがちで風もあった。いつもは、少しでも出掛けるのであったが、今日は、何故かその気になれなかった。

 明日は日帰りとは言え、かなりの早出のつもりであるから、忘れ物を防ぐ為にも、今晩の内に準備をしておかなければいけないからでもある。予報はピーカンであるが、どうか裏切らないで下さい。