8/31 あの迷走台風のせいだろうか、朝方は、いっぺんに寒く(涼しく)なった。私の暑い寝床も、ノタウチマワル事もなく、平静を保てるようになってきた。でも、まだまだ暑い日が続くようである。今、一番困っているのは、「蚊」である。我家の裏手に、大きな庭のある空き家がある。立派だった庭に雑草が蔓延っていて、蚊の温床になっているのである。

 駐車スペースや、玄関先までの除草は何とかしても、敷地内には入るわけにもいかないし、とても困っている。ちょっと外に出るだけでも刺されるし、家中にも入り込むわけだから、蚊取り線香が手放せない状態である。きれいで大きな家だったのに・・・・

 暑い暑いと言っても、これからは、日照時間が少なくなる分だけ、涼しくなっていくのは間違いない。弾丸ではなく、余裕の時間を見付けて、のんびり山に親しむには最高のシーズンである。月や星を眺めるのもいいかもしれない。そうなると、月見で一杯! テント泊がいい。使いようによっては、黄金の御殿でもあるから・・・



8/30 事前に白馬岳に行くと言ってただけに、この台風下で、「本当に行ったのか?」 また、「山頂まで届いたのか?」 など、興味をもって頂いただろうし、本当に大丈夫なのかなどと、思って頂いたのに違いない。結果的には、2,380m辺りの白馬大池で引き返したのであるが、あの雨や強風を凌いで、6時間近く歩いたのであるから、私的な記録に、「白馬岳に行った。」と、1回をプラスする事にした。

 自己申告の山歩きであるが、富山県に戻り、5回目となった南保富士(727m)に登った。10回目を目指す一座としては、貴重な一回である。初回はH.07.05.29で、2回目は、H.15.08.11、3回目は、H.18.01.16 北ちゃん・ねぎちゃん・田村氏・「山ノ神とで、雁谷峯・二王平峯経由で、4回目は、H.27.11.16 北ちゃん・ねぎちゃん・田村氏とで、南保富士・二王山に登った後、逆に二王平峯・雁谷峯を経由して七重滝に出たのである。

 先の2回は、「山ノ神」と2人で登ったと思われるのであるが、初回は、「記憶がない。」 と、「山ノ神」はいう。そんな事はないのであるが、そのためにも記録があると、何かと話題になるし面白い。日頃、時間制約が多いだけに、県東部の山での一回は貴重であった。



8/29 富山の予報はあまり良くない。しかし、白馬村や糸魚川市の予報はかなり良く、淡い気持ちを抱いて臨んだ16回目の白馬岳であったが、蓮華温泉到着前の白池辺りから雨が降り出した。糸魚川通過時点では、夜中なのに、30℃を超す気温であったが、蓮華温泉では、寒さを感じる程に変わっていた。

 「それでも行くの?」 相変わらずの「山ノ神」の言い草はあまり好感を持たない。雨具を纏い予定より1時間遅れ(午前6時)のスタートとなったが、当たり前であるが登山者はいない。この強風と雨、そして、スタートが遅れた事から、山頂には届かないと思っていた。

 雨は、そんなに酷くなかったが、風が凄かった。「いつ止めてもいい。」 と言う「山ノ神」であったが、白馬乗鞍岳でもいいから、ピークに立ちたいのが私。「天狗の庭」を過ぎたしばらくした所で、上から降りてきた老夫婦に出遭った。「2泊する予定で白馬に登る予定であったが、小屋の人が登れないから帰れと追い出された。」 と、ユーモアとも、怒りとも取れる言い回しで私達に告げた。「とにかくすごい風・・」 を強調していた。

 蓮華温泉・白馬大池間の往復で出会ったのは、この方々だけ。やっぱり台風というのが頭にあって、少ない・来ないのだと改めて思った。大池の平原に出ると、一層その風の凄さを感じた。「帽子が飛ばされる。」 「身体が前に進まない。」 状況で、もうこの時点で、白馬の山頂どころか、白馬乗鞍の山頂へも諦め、大池の淵まで行く事だけにした。大池の周りの視界も悪く、波だけが荒々しく、まるで海の波に感じたのである。

 白馬の山頂から降りてきた男性に、稜線の状況を聞くが、「必死だった!」だけが伝わってきた。あの方は、どちらから帰るのだろうか?   食事をするのもままならず、すぐにUターンする事にしたが、山小屋関係者の方と思える人が出てきて、「どちらに・・・」と、聞かれた。「蓮華ですよ!」 と答えると、「それがいいです。」 の返事と共に、「車ですか?」とも聞き直された。もう、平日のバスはないのである。

 何にも見えない濡れた山道を戻るのであるが、高度が下がる事に、暑くなってくる。「天狗の庭」を過ぎると、時々、薄っすらと、向かいの稜線が見えて来る(雪倉山・赤男山・朝日岳など)が、また、パッと消える。その内虹が出たりした。そして、案の定、いつもの通り、降りる頃、降りてから晴れるというパターンとなった。

 車に戻ってから、バス待合所でコーヒータイムとした。上で飲めなかった「山ノ神」が、腹いせのようにビールを飲み始めたが、しょうがないとあきらめるしかない。平地に降りるとお天気である。しかし、山を見上げると、たくさんの雲に覆われている。それを見て、何だか安堵する可笑しな私。今度は、富山は晴れていたのかとなる。

 富山に戻り、城山のトンネルを抜けると、南保富士が頭に浮かんだ。もう一つ登るかとなった。午後3時を回っていた。「往復2時間もあれば行けるだろう。」と踏んで登り始めた。濡れた雨具も袋に入れて、荷は全部私が担いだ。登り一辺倒の山であるが、その分だけ早く登れるというもの。山頂からの展望が凄く良かった。でも、後ろの方に真っ黒な雲が覆って来たので、コーヒーを頂いて降りることにした。今日は、延べにして8時間歩いたのだから、良しとしなければ・・・



8/28 白馬岳に行く事にした。今の状況では、気象台でも決めかねているのであるから、どうなるか分からない。でも行ってみる。幸運に恵まれるかもしれないし、とんでもない事に見舞われるかもしれない。どちらにしても、早立ちで、早く戻りたいと思っている。

 直近10年、毎年出掛けている。その内9回は蓮華温泉からである。周りには、いろいろといい山があるが、なかなか2人して、日帰りではいけないのである。泊まるにしても、我家の条件と天候が合致しないといけないのであるから、白山と白馬岳は、何となく毎年行きたい山となっている。



8/27 来るなら来ると、はっきりしてくれればいい台風であるが、ゆっくりしているせいなのであろうか、また、少し東寄りになっているせいなのだろうか、我々北陸の予報は上方修正されつつある。でも、このような状態では、いつ、ひっくり返されるか分からないだけに尚更厄介である。

 「ダメならダメと諦められる予報がいい。」 とも言えないわけで、お前たちなら、どないしても行くのだろうと言われそうである。どちらにしても、明日になって決めるしかない。保育所などの送迎が免除されているだけに、白馬岳辺りを考えていたのであるが・・・



8/26 迷走する台風10号。こんな軌跡を辿る台風など過去にあったのだろうか?このままだと、私の休日(8/29)は、まともに影響するようになる。せっかく、保育所・育成クラブの送迎を免除されるというのに困ったものだ。でも、「どうなるか分からない。」 などと、希望は捨てていない。



8/25 唯でさえ、HPの更新が遅れているのに、文字コードの手直しの作業が増えた。そして、同窓会の事務的作業を受ける事になったので、尚更慌ただしくなって来ている。屋根のペンキ塗りも半分残っている。部屋の模様替え(自分でやる)を宣言している事もあって、何だか頭が可笑しくなっている。

 物忘れが激しいから、効率が悪いし、夜は、やっぱり飲んでしまうから、睡魔に負けてダメ。 そんなに時間がない所に、休日は山へ出掛けるのであるから、物事がそんなに上手く運ぶわけがない。それなのに、30℃ある2階の暑い部屋で、また寝始めたのだから、余計に疲れが残るような気がする。

 でもである。山へ行きたくて仕事をしている。そして、チョッピリであるが、トレーニングをしている。元気であるから、お酒が飲める。歳だからと耐暑・耐寒訓練が、マイナスばかりではない。対応力もある程度必要な気がする。「バカな事を・・」 とか、「馬鹿なヤツ」 と言われようが、終わってみなければ分からない。難しいが、惑わされる事無く信念を通したいものだ。



8/24 昨日の今日であるが、メーンページと、ほんの少しページ(ファイル)を、S先生指南通りの作業をやってみた成果が、すぐに出て来た。2週間程前に唐松岳で知り合った「まどかさん」から、「見れるようになりました。」 とのメールが届いたのである。

 やはり、iPhoneを使っておられたようであった。日本では、AndroidでなくiPhoneの方が、シュア大であるようだから、これからも、このような事が起こるべき状態にあったのは間違いない。S先生に感謝である。でも、タグの打ち方が悪いのか、思うようにならぬものもあり、この先不安と期待が入り混じっている。



8/23 昨日から、孫達は、ムコ殿に連れられて、諏訪の実家に行った。(5日間) 娘は、今日から出張で、(3日間)家を空ける。僅かな期間であるが、3年半前の我が家に戻る。これが良いか悪いかはなかなか難しい。自由に時間が使えるような使えないような、そして、当然口数が少なくなり、言葉尻が気に掛かるようになる。

 そんな折、先日、我HPが文字化けするという事を記したが、その事を察知してくださった私のPCに関するS先生が、文字コードの問題であると指摘くださった。恐らく、AndroidではないiPhoneを使用しておられる方々ではないかという事でした。文字コードをANSIからUTE-8に変えれば、私の企画した形は別として見られるとの事。

 でも、それを行うには、膨大なファイルを変えなければならない。コツコツと時間を掛けてやればいいのかもしれないが、何処までやったとか、どれを直したかが、覚えておれるだろうか・・・ でも、少しずつやってみよう。



8/22 この連休は、我々がの山行日と決まっていたが、あまり良くない予報であるからして、娘の出張の間、休暇を取って、孫達を実家(長野県)に連れて行くとするムコ殿を放っておくわけにもいかないと思い、新高岡駅まで送った。それが午前11時。

 そして、「山ノ神」からランチに誘われた。過去に、そんな時間を使った事があったのだろうかと思うほどの出来事だっただけに、逆らう事無く応じる事にした。その食事中に、大雨警報が報じられた。雲行きも怪しい。午前中と打って変わったような空模様である。

 しかし、やっぱり何処かへ行かなければ、休日を過ごした気になれないのだから、正に病気(好山病)なのかもしれない。「山ノ神」も「本当に行くの?」 と言いながら、完全否定はしない。それは、「ずっと、降りっぱなし時など、あまりない。」 という事を知っているからかもしれない。

 昨日の事もあり、「今日は、ちょっとだけ歩けばよい。」 と八乙女山とした。往復2時間もあれば行って来れるからである。案の定、大雨というような雨にはならなかった。そして、大汗を掻いたが、時たま、さわやかな風を受けたら、天然クーラーで、頗る気持ちがよい。こうして、私(達)の連休は終わった。



8/21 予報が必ずしも良くなく、キャンプ山行を止めにしたが、それなら、何処へ行くかとなる。一年に一度は行きたい山に、白馬岳と薬師岳があり、出発時間を考えると、薬師岳に収まった。「雨が降ったり条件が悪かったら、途中引き返す事もある。」 と家人に書置きして車に乗ろうとした時から雨になった。

 「まあ~、行ってみて・・」 と神通川を越えると雨は止んだ。山中も降らなかった。そして、「山ノ神」にもノルマを掛けた。「太郎まで、4時間は頂けない。スタートが遅かったし(午前7時)、山頂にも届かなくなる。」 というもの。途中、荷を私のザックに移動したりした事もあったが、太郎まで3時間半で辿り着く事が出来た。

 一息入れたここからが問題である。キャンプ場を越え、ガラ場を登っていくのであるが、「山ノ神」のペースが上がらない。最も、4時間足などと酷評しているように、4時間を過ぎると、極端にスピードが落ちるのである。薬師平で正午になったので、ここから単独行になる。一応は、「山ノ神」にも、誘ってみるのであるが、飲む時間がなくなると、いつものパターンで断られる。

 「午後2時には戻って来る。」 と言って、私なりにギアを入れ替える。今でも、登りは、以前と比べても、そんなに遜色はないのであるが、降りは、今では、走る事が出来ない。それでも、5分遅れ程で、「山ノ神」の所へ戻る事が出来た。太郎に着いたのは、午後3時10分程であったが、お腹が空いていたので、簡単な食事をする事にしたが、雨が降ってきてしまった。周りの人たちは、小屋の中か、ギアのある所へ逃げ込んだが、我々は、リックカバーでリックを覆い、傘を差して凌いだ。でも、その光景は、異常に見えたのだろうか、その人達の視線が、こちらに向けられていたように思えた。

 お湯が沸く間に、「山ノ神」が600円のビールを買ってきた。私は、時間的にも飲む事が出来ないので、「山ノ神」に任せたが、待機中に、こっそり家から持ち込んだ物を2本も飲んでいたようである。たまげたが、山頂よりも、その事に喜びを感じているいるのだから仕方がない。我が家の平和のためにも、黙っているに限る。

 傘を差したり、仕舞ったりしての歩きになったが、暗くなる前に折立に着く事が出来た。今回は、いつもと比べてたくさんの水を飲んだ。飲んだと言っても、他人様と比べれば大した事のない程、平生はあまり飲まないのかもしれない。これも、自分の健康を考えるようになった証かもしれない。



8/20 また誕生日がやってきてしまった。嬉しいような悲しいような複雑な気持ちである。そして、もう一年で、新たな大台に突入する事になるが、それは、果たしてどうか、私が決められない。まあ、こうして今のところ、元気でいられる事に感謝をしなければなるまい。

 今年は、どうしたわけか、たくさんのメールを頂いた。中には、前日からのものまであった。そして、怠慢故に、まだ、お返事を差し上げていないものまである。この年寄りが、何処まで元気でおれるのか確かめようとか、冷やかしもあるかもしれないが、どれもかも叱咤激励だと認識している。有り難い事である。



8/19 22年前に増築した屋根の一部がトタンである。最近はその屋根の傷みが酷い。高額費用の拠出が出来ないためペンキの塗り替えで凌いでいる。今年は、孫守の盆休辺りに予定していたが、天候の具合などがあり、その機会を逸していた。まだ、夜露が降りない今頃なら、仕事前にでも出来るのではと、今朝決行したのである。

 休日を使いたくない思惑から今朝にその作業を実施したのであるが、このような作業は、時間を気にしていては、上手い事いかないのは当たり前である。事前に必要な物を準備していても、やっぱり抜けていたりし、行ったり来たりの連続であった。

 でも、何とかしなければならない所までやり通し、今は、後の山行に支障が出ないと確信をしている。唯、小屋根といっても、今では、俊敏に動く事が出来ず効率が悪く、自分ながら情けなくなる。でも、それは仕方がない事であるが、地団駄を踏んでしまう。出来るだけでもいいではないかと思いたいが・・・・



8/18 この先の連休(8/21~8/22)の予報は必ずしも良くない。そしてである。その前日が私の誕生日である。どのような企画か知らないけれど、私を祝ってやると娘が言ってくれている。ムコ殿もやってくるらしい。そうなると、前日(前夜)からの予定を否定せねばなるまい。

 そして、飲み方にもよるが、未明・早朝の出発も考えなくてはいけなくなる。はて、さて、この日に予定していたテン泊も怪しくなってくる。予報にかこつけて、止めようかとも思ってしまう。(日帰りの2日間もあるではないかとなる。) でも、まだ時間がある。安全なのはいいのであるが、楽な方を選択してしまうと、次からその方向に進んでしまわないかと心配になる。

 だらけるかどうかは、自分の心の持ち方であるから、そうならなければいいだけの事。でもね。毎日のトレーニングと一緒で、流されかかるのですよ。かといって、「無理する事はない。」 のですから、やっぱり、起きてみてからになるのでしょうね。

 話は変わりますが、私のHPは、Internet Explorerのウェブプラザを使っている。そのためなのか、最近、多様化の進みという事もあるのでしょうか、スマホで「元さんの山歩き」が見れない。文字化けする。(している。)と何人かの方々から指摘を受けている。過去にNetscapeと二刀流をした事もあるが、今は、IEだけである。

 分からない知識ながら、ちょっと調べてみると、IEでは、WinXP~Win10までしか対応しないようである。多くの物に対応するには、Firefox、GoogleChrome、Operaなどのプラウザにした方がいいのかもしれない。でも、もうそろそろとか、いつ止めるかわからない私のHPであるから、見れる方だけでいいのかもしれないと思ったりもしている。でも、新しい事にチャレンジも面白いかも・・・・



8/17 今日も決して予報は良くなかった。来週の連休を確保するため、しっかり留守番の約束を交わしていた事もあり、盆休(3日間)は、遠出や泊まりを控えていた。お天気も所によっては、凄い雨に見舞われていた事を思えば、まずは正解としなければなるまい。

 時間制限があるものの、今日から孫達は、保育所や育成クラブに出掛けているわけで、何も家にいる事もない。ミョウガに少々興味があった事と、お天気具合と手軽な事を考慮し、城ヶ平山としたのであるが、大岩に着く前から雲行きが怪しく、雨具を纏っての歩きとなった。

 ちょっとした坂道を歩くだけで、汗が噴き出した。まるでサウナに入っているような感じであった。ミョウガは、先人に採られた感があり、そのおこぼれを頂く感じであったが、それで充分である。山頂着が正午であったが、左程お腹が空いているわけでもなかったので、カップ麺を二人で分けて食べた。

 高い山は見える筈もなかったが、時折吹く風は、とても気持ちが良かった。コーヒーを飲みながら、上市の街並みや富山湾を眺めながら、この先の山歩きの事を考えてしまった。「何で毎週、山に登っているのだ! それも、同じような山に・・」 の自問自答が続くが、それは、時間制限の他に、相方の思考と一致しないという事が大きく影響しているのは間違いない。

 「あの山に登ったから、どうだっていうのだ!」 「あの山に何回登ったから、どうだって言うのだ!」 など、それはそうなのであるが、何かを求めて行動するのは結構尊い。自己満足の世界であるが故に、誰かに言ったり、聞いてもらいたい事もあり、正解がない中、活力になっているのは事実である。



8/16 娘が勤務、そして、二人の孫は休園・休校(育成クラブ)で、「しっかり孫守をします。安心して、仕事に励んでください。」 と言っていたのですが、曇りのち雨の予報でも、何とかなるとして、二人の孫を連れだして高落場山に行って来ました。

 日溜り峠ちょっと手前から取り付くのですが、大人の足なら、1時間も掛からないし、ブナ林がとてもいいところなのです。特に新緑の春、紅葉の秋は、ちょっとだけ歩くには最適ではなかろうか・・・ 出来れば、雨上がりでなく、晴れが続いた後が、フワフワの絨毯を歩くようでいいのです。

 盛夏と言われるような今頃は、取り付きなどが草ボーボーで分かり難い。しかし、ブナ林に入ってしまえば、季節を問わず快適な登山道である。しかも、小さなアップダウンはあっても、登山口から山頂までの標高差があまりないのですから・・・

 と言っても、小さな子を連れて行くのですから、滑りやすい所や、急な所では、やっぱり自分の子でないだけに、余計な手出しをしてしまいがちです。それでも、自分(達)が山に行きたいから、また、孫を山に引き込みたいから、無用な努力となってしまいます。

 そして、楽しい思いをさせたいからと、余計な物まで担ぐ羽目となり、また道中は、これまた余計な物まで買い与えるというジジババぶりを発揮してしまいます。「楽しかった!」 「また、行きたい!」 の声を聞きたいばかりに・・・・

 何事も、思い通りにいかないとはこの事で、出発時は晴れて暑かったのですが、食事を終え、下山に掛かった直後から、急に雨が降り出してしまったのです。自分達が予想していたよりも、2時間ばかり早く見舞われてしまったのでした。今後の山行に、どのように響くのか、またまた興味深いところです。



8/15 雨と長男が疲れて寝ているのでは、何処行く案も浮かばない。ずっとテレビ観戦である。休日に何処(山)へも行かず家にいるのは、肺炎に侵された5月以来である。それでも、午後から簡単な外食、そして、網戸の張替を行った。流石に息子も手伝ってくれ仕事が捗った。

 一日帰阪を早くした息子を駅に送りに行った時、その息子から、ビックプレゼントを贈られ、ちょと戸惑ったが、素直に頂く事にした。久しぶりに長居して、親の不甲斐なさ(衰え)を感じ取ったのかもしれないが、まだまだである。でも、写真を見るにつけ、また、鏡に映った姿をみれば、悲しいかなその衰えは歴然としている。「老いたら子に従え・・」 なのだろう。



8/14 会社の車でやってきた二男は、午前中、二人の孫(ミーとエリー)を連れて、海の方へドライブに連れて行ってくれた。その後は、早々に帰って行ってしまった。男の子とは、本当に愛想の少ないものだ!

 私(達)の盆休は、8/15~8/17であるが、娘が仕事で、保育所や育成クラブが休みなので、孫守と決めていた。でも、孫を連れて、ちょっとしたハイキングやキャンプを目論んでいたが、息子達の来高や盆休になってお天気が悪くなる予報に、何もかもがダメになりそうである。



8/13 二男がやって来た。やってき来たと言っても、友達などと先に会って夕方にやって来た。こちらが仕事だと思って、そうしたのかもしれないが、ちょっぴりイジイジする。それでも、土産を持ってくるようになったから、少しは進歩(大人になった。)したのかもしれない。



8/12 昨日、長男がやって来たが、友人との飲み会があると言い、夜遅く帰ってきたらしい。今夜が久し振りの晩餐となったが、男という者は、そんなに話がないらしい。しかし、飲んだ缶ビール17本。明日は、二男がやって来る予定だが、長男は、また別の約束があるという。ほんまに弱ったものだ!でも、明朝の墓参りには付き合うようである。(ちょっと、飲み過ぎてしまった。)



8/11 今日は、「山の日」 何処も賑わったようだ。「楽しんだ人。」 「下から眺めた人。」 「以前の元気さを懐かしんだ人。」 など様々であったと思う。そんな事を思うと、この日一日であっても、「山を・・」 「人生を・・」 考えるには良い日のような気がする。

 経済効果などと、弾き出される数字もさることながら、私には、関係ないが、休日が一日増えた喜びの方が、現実的にに受け止められているかもしれない。それはさておいて、今日は、何処もかもが晴天に恵まれたようで、一回目の「山の日」は、上々のスタートだったようだ。



8/10 私の父は男7人兄弟で6男であった。そんな関係で従兄弟は30人を超えていた。その中で、現在私は下から3番目である。従兄弟30人と言えども、配偶者が着いて回るので数は倍である。今宵も従兄弟の配偶者(78歳)が亡くなったので、通夜式に参列した。残りの従兄弟達と、「悲しい時にしか会えないね。」 とか、一番下の従兄弟は、「私の時は、誰が来てくれるのだろうか?」 などと、他愛のない事を呟いていた。

 その交際は、数が多ければ辛くのしかかる事もあるが、今までの恩義を顧みたり、これで最後と思えば、それなりの事は仕方がないと思うしかない。でも、これから、自分を含めた家族の有事に、今までのやり方で良いのだろうかと、少々考えるようになっている。

 何が良いよか、こうでなければならないという事はなく、各自思い思いでやれば良いのであって、親戚・近所、また、業者に流されない事が大事なように思ってならない。そのためにも、家族でいろいろと話し合っておく事が大事なのだろう。そんな歳になったという事か・・・・



8/9 唐松岳から帰って体重計に乗ったら、5月の肺炎を患った最悪の頃の数字(66キロ)と同じであった。あまり食べなかったから、そのようになったのであろうが、今は、元気そのものである。逆に70キロを超えないようにしているのかもしれない。

 しかし、飲食をすれば、1・5キロの回復であるからして、そうそう数字を気にする事もあるまい。久し振りにお会いする人からすれば、痩せたと思われるかもしれないが、高校卒業時から20歳頃までまでは、65~66キロであったのだから、何も気にする事はないようである。

 このまま(70キロ以下)に推移すればいいのであろうが、見た目も大事である。今更鍛える事が必ずしも良いとは思わないが、引き締まる身体であれば、ベーターである事は間違いない。毎日の鍛錬、そして、週一の山歩きが、私にとっては、異様なくらい必要に思われる。出来る間は、ずっと、続けなければならなくなった。



8/8 予定通り黒菱平から歩いた。2本のリフト分を歩く所要時間は45~50分程度である。歩く理由は、なるべく費用を掛けない事と、唐松岳なら、この程度歩かなければ物足りないからである。遅い「山ノ神」の荷は、雨具と傘、そして、自分の飲む水くらいにして、後は私が担ぐ事にし、4時間以内のノルマを課した。

 八方池辺りまでは、何とかそれなりに歩いていた「山ノ神」であったが、斜度がきつくなっていくと、すぐに止まってしまうのであるから、こちらも呆れてしまう。丸山到着10時としていた事もあり、扇雪渓手前の所から、お互い単独行となる。

 丸山ケルン横から下を眺めると、「山ノ神」は、ずっと下にいた。山歩きでは、あまり腰を下ろさない私であるが、あんまりだったので、とうとう腰を下ろした。それには、もう一つのわけがあった。いつも日帰り登山では飲まない私であったが、今日は、充分時間があるし、八方池か丸山ケルンの上りであれば、ビールを1本位飲んでもいいのではと申し合わせていたのである。

 飲んでしまうと、「どうしても飲まなければならない。」 ものではないという事に気づくのであるが、まごまごしていると、ようやく現れた「山ノ神」に、「アラアラ・・」 と、残りのビールを取り上げられてしまった。その時、一緒にやってきた女性にハッとした。

 思わず、「モデルさんですか?」 と問うてしまった。きれいな方だった。そして、174cmの身長である。後で分かったが、この女性の名は、「まどかさん」 そして、既婚者だったから驚いた。そして、お父様は、私と同い年なんだからイヤになっちゃう。

 そんな「まどかさん」と、山頂で一緒に写真に納まった。そして、我々のお節介に、よく付き合ってくれた。帰りの時間があるというので、我々も、早々に切り上げ、八方山荘まで一緒する事になる。あちらは、リフト・ゴンドラを利用、しかし、我々は、歩きであるから、そこまでのお付き合いであった。

 帰りは、足湯に浸かり気分が良かったが、早速、コンビニで500mlのチューハイとつまみをせがまれた。私は、お茶とアイスクリームであったが、そのような費用を使った為だけではないが、往復下道であった。それでも、高岡に午後7時までに到着したのであった。



8/7 明日は、緩い「唐松岳」にした。本当は他の山への思いの方が強かったのあるが、”妥協” という事もあっても良いように思ったからである。最も、まだ唐松岳へは7回という数字が残っていたため、10回へより近付くための心に動かされた感も歪めない。 早く登れば、早く帰られるのであろうが、ゆっくりと楽しんで来ようと思っている。もちろん、黒菱平からの歩きである。



8/6 昨夜、ムコ殿がやって来た。このところ、我々の休日と重なる事が多く、一杯やるどころか、顔も見ない事もあったが、今宵は、久しぶりに、忌憚なく飲む事が出来た。でも、3年半も一人でよく頑張っていると関心である。高岡に来た時ぐらい美味しいものを食べていって欲しい。



8/5 今度の休日(8/8)も、朝だけでなく、一日解放してもらえるようである。さて、何処へ行こうかとなるが、まだちょっと疲れが残っているからか、なかなかいい案が思い浮かばない。最も、夜は暑く、エアコンのない部屋で寝ているからかもしれない。

 今のところ、日帰りで白馬岳・唐松岳・薬師岳・白山が候補であるが、後の連休(8/21~8/22)と重ならないようにしたいと思っている。また、盆休(8/15~8/17)は、保育所・学童保育とも休みである事から、孫守の可能性が大である。



8/4 山から戻って、濡れたものを片付けるのは結構大変である。富山県のような家の事情なら、それほどでもないかもしれないが、干場や空き地がない都会の方々は、どのようにしておられるのであろう。ずっと、以前、越後駒ヶ岳に登った時お会いした皆川氏が、マンションに越してから、「雪山だけになった。」 と言っておられた事を思い出した。濡れるのは一緒だと思うのであるが、多分泥だらけを嫌っての話ではないかと思っている。

 テントの片付けは、竿に干すより、お天気の良い時に組み立てて干した方が良い。乾かす他に、汚れや傷みを確認出来るからである。飛ばされる事があるので、風のない時がベストである。



8/3 昨日の剱岳山行の下山時、予定変更をした杉原女史と、雷鳥沢キャンプ場で、少しながらお会いする事が出来た。7/29に折立から入山し、太郎平・スゴ・五色・内蔵助、そして、最後は、大日を諦め雷鳥沢に泊まったようである。私から見ると、贅沢な山行のように思えるのであるが、また逆に、そのように出来れば最高であるとも思えた。

 その山行は、薬師岳で100名山に達する方の応援のような形で行われたようで、年齢層もバラバラで、ゆっくり登山であったらしい。薬師岳までは12名、五色が原までは10名、最後は2人になったようである。本来は、大日岳を越え称名滝で終える予定らしかったが、悪天の予報から、奥大日岳で止め、雷鳥沢で泊まられたようである。

 その帰りに高岡に寄ってもらったが、生憎営業日で、そのお話を聞いたくらいになってしまった。何年か前の好山病山行の折、蝶ケ岳から常念岳へ向かう途中にすれ違っただけであったが、後薬師岳でお会いし、小屋泊まりの彼女を、我々のテントを提供した事もあった。一昨年は、山の帰りに高岡に寄ってくれたのであるが、最近、嫁いだ事もあり、このようにまた訪ねて来てくれるか分からない。広島だもん、やっぱり遠い。



8/2 雨は、雷鳴をも伴い降り続いていた。しかし、夜半には、一時であったが星が輝いていた、でも、また降ってしまったのである、それでも、その降りは、次第に小さくなり、出発予定の一時間前には上がったのであるからラッキーであった。

 最初から、テントキーパーを決め込んでいた「山ノ神」を除く、4人で別山尾根へのスタートである。カラッとしたお天気ではなかったが、鹿島槍ヶ岳方面から朝陽が上り始めた。それこそ、黒い雲の間からであったが、余計に鹿島槍ヶ岳を引き立たせていたかのようであった。

 今回の剱岳合宿の目的の一つに、北ちゃんのGPS軌跡(剱岳~剣御前小屋=別山乗越)を取る事があった。初めから雨だったら止めていたかもしれないし、宴会途中に雨が降らなかったら、フラフラしながら登らなくてはいけなかったかもしれない事を思うと、何もかもが味方してくれたのかもしれない。

 生憎山頂ではガスに覆われて展望がなく、チョッピリ残念であったが、お互い久しぶりの山頂を踏んだ事に、そして、このメンバーで登れた事に、深い意味があったように思えた。10数か所の鎖場を楽しんでいるかのように思える強者達を見るにつけ、「私は、あと何年付き合えるのだろうか?」 と思ってしまった。

 剱沢のテン場に戻って、撤収・食事をしていた頃から、またポツリポツリとなったが、剱御前小屋までもった。しかし、その後から室堂まで、ずっと降り続いていた。室堂は13℃、濡れた身体は寒さを覚えた。バス・ケーブルを乗り継ぐ間、このような機会が何度となく続く事を願っていた。



8/1 先に入山しているねぎちゃんを除いた4名が立山駅に集った。せっかく早く集まったのに、始発が7時で、乗車券の発売も6時20分頃になった。最盛期と思い込み臨時便に期待していたが、平日だから、やっぱりダメだったのかもしれない。しかし、富山県民感謝キャンペーンで2割引きなのだから、少々ぐらい我慢しなければなるまい。そして、荷物代(300円)を払わなくてもよくなったのも喜ばしい。

 室堂では、心配していたお天気も晴れとなり、お互いホットな気分で顔を見合わせた。地獄谷のガスの関係で、雷鳥沢へのルートの変更を覚悟していたが、従来通り(みくりが池・雷鳥荘経由)で行く事が出来、これもラッキーだった。

 「焦らずゆっくり行こう。」 という申し合わせであったが、皆体調が良いのか、重荷であっても、結構な高速歩調となった。それではと、休息毎に冷たいビールが出て来るのであるから、どうしたもんだとなる。それでも、標準タイム(コースタイム) 内で、剱御前小屋(別山乗越)に着いてしまった。

 ここでも、ねぎちゃんからの差し入れで冷たい物を頂いてしまった。そして、ねぎちゃんとの待ち合わせ時間を利用して、サブザックを担いで別山に向かう。しかし、ここでも速く歩こうとすると、心拍数が上がり辛くなる。その辛くなるのと同時に、剱岳がガスに覆われてしまった。南峰の祠に頭を下げ、硯ケ池の残雪にビールを冷やす。

 北峰まで足を延ばすが、何も見えないのでは仕方がない。帰り際に飲む予定のビールには、流石に誰も手を付けなかった。剱御前小屋へ向かう途中に雨となる。小屋に着いた頃には、本格的な雨となり、雨具を纏う事になる。そして、ねぎちゃんと一緒に剱沢に向かう。

 3張で5人。ちょっと贅沢なテント状況であるが、それなりの負担もある。その頃は雨が上がり、時々剱岳が見え隠れしていた。そして、時間がたっぷりあり、担ぎあげて来た大量の食材や、アルコール類となれば、石のベンチで、少々座り心地が悪くても、皆の心はウキウキであった。

 残雪でビールを冷やし、次から次へと出て来る食材に、満面の笑みがこぼれ、下界の暑さから逃れての至福の一時となる。私は、北ア北部のキャンプ地としては、剱沢が一番好きである。水が豊富にあり、お天気さえ良ければ、一日中、剣岳を眺めておれるからである。そのような環境下で、気心の知れた仲間達と一緒出来るのであるから、何よりも幸せである。

 しかし、宴会最中に雨がやって来た。初めの内は、傘を差して凌いでいたが、大粒になればいたたまれなくなり、取りあえず、片付けてテントの中で待機となるが、各テントの移動も難しくなり、そのまま諦めとなる。テントの中で、二次会も予定していなのであるが仕方がなかった。でも、ずっと、飲み続けていたら、明日の剣岳登頂が覚束なかったかもしれない。