9/30 「この歳になっても・・」 という表現は、如何なものかと思うのであるが、まだまだやりたい事、行きたい所などがたくさんある。もっと、俊敏に動いたり、頭の回転を良くすれば、時間的余裕が生まれるのかもしれないが、それこそ、それは無理な話である。

 山行機会を削減すれば、その時間が生まれるとなるかもしれないが、体力の維持や気力の充実などを考慮すると、自滅の方向になりかねない。でも、いつかは、否応なしに、その経路を辿らなくてならい事は必至。それを少々遅らす程度の方策しかない。「いつ止めるか? いつまでやるか・・」 などと抜かしているが、HPと共に、ある日突然止めてしまうのが一番いい。



9/29 最近、私の知っている山のHPやBlogが、随分と少なくなったような気がする。休止・中止など様々な表現がされているが、「疲れた。」 「その使命は終わった。」 の雰囲気が結構伝わって来る。世に、FBやTwitterなどの瞬時に情報を伝えるものが多く出て来たから余計にそう思えるのかもしれないし、山レコなども大いに影響しているかもしれない。

 どちらにしても、同じ環境下にいる者として、やっぱり寂しくなる。自分も同じ運命を辿る事は間違いないので、「ご苦労様でした。」 と思うしかない。いつまで続くやら・・・



9/28 私以上に医者嫌いの「山ノ神」が近くの医院に行った。余程調子が悪いのかもしれない。多くを言い合うと喧嘩になるので、要の事しか言わないようにしている。自ら出掛けたのであるから、今度の土曜日の結婚式に浜松へ行きたいから必死なのかもしれない。

 土日を使うし(営業日2日間)、今のところ病弱だから、「その後の2日間(休業日)の内1日を、私の行きたい所へ行かせて欲しい。」 と交渉中。まさか、「車を置いていけ。」 と言われては、何処へも行けない。それよりも、またまたお天気周りが良くない。弱った!



9/27 昨日は、私達が心配するような事もなく無事に過ぎていったようである。 「一年生になると、ちゃんと、しっかりするもんだね。姉妹も仲良く自分の役割をやっていたよ。」 と姉の手を煩わす事もなかったようで本当に良かった。私達が戻った頃(午前8時前)には、娘、小学生の孫とも、通勤・通学の途についていた。

 姉も午後から埼玉に帰って行ったが、私達が望んだ仕事をしたようなしなかったような思いもあったろうが、少しは、”心の洗濯” が出来たかもしれない。その反対に、高熱を押して出掛けた「山ノ神」は、ちょっぴり元気がないような気がする。



9/26 一晩泊まりで、管鮑会50周年記念イベントに出掛けるにあたって、留守番してくれるミー(小学一年生)に、次のような手紙を書いた。 (書置きをした。)

  ミーさんへ おじいちゃんからのおねがい。
 でんわは、”さわこけいたい” ”本間元三ほんまげんぞう (こえが出ません。)” いがい出ないようにしてください。  ゆうごはんは、「しばずし」です。それと、おでんがよういしてあります。まさこさんは、おすいもの(おつゆ)が、ほしいとおもいますから、お湯のボタンをおしえてあげてください。ミーさんとエリーさんは、おちゃを、よういしてあります。 まりちゃん(おはぎ)は、1コずつたべてください。 (おやつでもいいです。)

 おかあさんは、きょうは、いつもよりはやく、8じごろに、かえるとおもいますが、おそくなるときは、でんわがなるとおもいます。あとは、なかよくしてください。また、まさこさんのいわれることをよくきいてください。そして、9じまでにねてください。

 この日のために、埼玉の姉に留守番をお願いしたのであるが、体調が悪いので、何となく、出発前に走り書きをしたのである。娘も、今日だけは、上司や同僚の方々に、その趣旨を説明し、理解を得ると言っていたが、どのような事が起こるか分からない職場だけに、念には念を入れての私の行動であった。そして、午後4時前には、家を出たのである。



9/25 プレッシャーに弱いせいか、明日からのイベント(管鮑会50周年)を前に、「山ノ神」が高熱を出した。世話してくれる幹事の事を考えると、「行くの行かないの・・」 なんかを、とても言えない。あと一日半の間に熱を下げて参加させるつもりである。

 まあ~、私自身が5月に肺炎になったりしていて、「山ノ神」の事ばかり言えないのであるが、知らず知らずの内に、体力が落ちているのを実感する。でも、本当の勝負はこれからで、節制や鍛錬が、そのまま身体に現れて来るのであろう。随分と反省しなくては・・



9/24 起床する時に、ぐっと足を伸ばしたら、攣っちゃって (脹脛) 偉い目にあった。その攣った状態が終日に至った。「これも加齢か?」 と片付けていいのか分からないが、このところ手足の甲が、時々攣る。山行に常備しているツムラ68を、過去に3~4回服用した事があるが、平生にそれはまだない。

 酒類やコーヒーは飲むが、水を飲む事が少ない事が影響しているのかもしれない。これからは、意識的に飲むように心掛けてみよう。こうして、だんだんと弱気になっていく。そして、「まだまだ・・」 という気持ちとの格闘が続く。



9/23 今秋、出来れば猫又山と毛勝山に行きたいと思っている。しかし、スケジュール的にも、また、与えられた時間内には、ちょっと無理なのである。後は、「山ノ神」に、どのように引導を渡すかに掛かっている。10月の「山ノ神」は、静岡への結婚式、中学時代の同窓会で東京へ出掛ける。全部が休日と重なる事もないのであるが、「私に好きな時間をくれてもいいじゃないか?」 と言ってみるしかないか?



9/22 今度の休日(9/26)の予報は、今のところ、曇りであるが、雨の可能性は低い。ようやく、巡り巡って、「降らない軌道に乗ったかに思えるが、残念ながら、その休日は山に行けない。管鮑会 (高校卒業時に、生徒会執行部を中心に有志で結成した会) の50周年記念パーティーが企画されているからである。

 雨晴 (磯はなび) での一泊であるから、午前中に近間の低山にでも行けるのであるが、現在、娘の仕事が忙しく、帰宅が遅いと来ている。夫婦での参加だけに、夕方前から出掛けるとしたら、孫2人をどうするかとなり悩んでいた。そこで、以前から来高を望んでいた埼玉の姉に、数時間であるが、面倒を頼む事にしたのである。

 「そうなれば、姉を放って山になんか行けない。」 事になるから仕方がない。姉は、私より10歳年上で、体調が思わしくないが、来高のきっかけになればとの思いと、頼りにされる快感を与えてあげたいである。幼年時代から、随分と世話になっている姉であるが、ここまで来たら、ずっと、世話になり続けたいと思っている。



9/21 山歩きと同じで、「そんなに急いでどうするんだ!」 と、衰退する体力に慰めが漂う。それは、何もかもに通じる事で、認めたくないが、現実は厳しい。我HPも、直近の情報としての機能は殆どなく、自分の憂さ晴らし的要素の方が大かもしれない。

 そんな私でも、自分のHPを利用する事が意外と多い。「この時期、何処へ行っていたのだろうか?」 「何時に出れば間に合うのか?」 「何時間あれば行けるのだろうか?」 である。歳を取り割り引いて考えなければならないけれど、当時の同行者などを参考に、まだまだ使い勝手があるのである。

 そういう点では、「HPも、バックアップされている。」 という利点がある。しかし、もう少し、もう少しと続けているが、その潮時も考えざるを得ない。「企業(仕事)も、ダメになってから止めるのではなく、良い内に止める。」 という事を聞く。でも、それとは別に、楽しければ、ずっと続けるのも一つの考えである。



9/20 台風の中心から外れているように思うが、雨が降り続いている。県内にも土砂災害の危険を知らせる情報が出ているが、これだけ頻繁に出るのは、やはり異常なのだろうか? いや、それだけ精度が高くなり、詳しい事が分かるようになったのかもしれない。

 いっぺんに、気温が下がったから、高所では紅葉が始まったようである。それでも、お天気に恵まれなければ、その素晴らしい光景を目の当たりにする事が出来ない。「今年は、きれいなのだろうか?」 と危惧する方もあるようだが、これも、行ってみなければ分からない。

 そして、時間を惜しまず通う事に尽きる。いつかは何処かで、良い紅葉が見られるに違いない。それが、高山であろうが、低山であろうが良いではないか。きれいなものはきれいだし、人それぞれ感じ方が違うのであるから・・・  でも、本当にきれいなのは、身も心もゾクゾクとするのだから・・・・・・



9/19 東京からムコ殿が来ているというのに、今日も出掛けてしまった。それも、雨なのに! しかも、どうでもいい山なのにである。「唯、歩きたいだけ。」 を優先するという大バカ者である。それを自覚しているのであるから、治らない病気(好山病)なのだろう。

 他人様から言われて、内心嬉しく思うのだから本当にどうかしている。でも、こんな事が出来るのは、もうちょっとなのだから、周りの人達に我慢してもらうしかあるまい。他の事で、私(達)も我慢しているのだから、お互い様だし、認め合い協力し合って何とかなっていると思っているが、これまた自己満足かもしれない。

 今日も雨。でも、歩き始めたら、そんなに降らなかった。大体ずっと降る事など、あまりないと思っているし、それも強弱があるというもの。城ヶ平山のミョウガ畑は、もう終焉なのかもしれないが、随分と踏み荒らされていた。でも、丹念に探すと、それなりにあるものである。しかし、今まで無いと思っていた所にも、人の入った形跡があった。山菜もそうであるように、今まで関心のなかった人達も興味を持たれ、多くの人達での争奪戦になっているのかもしれない。

 今日は、山頂で、食事もしなかったし、コーヒーも飲まなかった。下山してから、富山県立近代美術館へ足を運んだ。私は、知らなかったが、「藤城清治 光よろこびメルヘン展」 なるものを鑑賞しに行ったのである。私には場違いのような気がしたが、本物というのであろうか、いいものを見ていると、何だか吸い込まれるというのであろうか、ちょっぴりその良さが分かるような・・・



9/18 「どうなるか分からない。」 と言いながら、ちょっと小降りになった午前11時過ぎ、小佐波御前山に向かった。御前山から林道終点で、颯爽と下山される岩城君の仲間の坂東氏と出会った。他に、4人パーティーともすれ違った。「やっぱり、こんな日にも好きな人は来るんだ。」 と思ったが、相手様にも思われているに違いない。

 あの立派な小佐波御前小屋が雨漏りしていた。2月に来た時は、そんな事を感じていなかったので、最近になってかもしれないが、カーペットがカビていた。恐らく屋根部分から漏れているものと思われるが、あのような高い所へ私は登れないし、どうしたものかと思い悩んでしまう。

 私もそうであるように、多くの登山者は、あの小屋を利用している。「雨の日には小佐波御前山が定番」 なだけに、「何とか早めに修理出来ないものだろうか?」 と思うのは私だけではあるまい。あのままでは、利用者にも乱雑に扱われるのは必至である。

 その小佐波御前小屋で休憩している時から、雨足が強くなった。登山道も川のようになった。でも、休日は歩きたかっただけに、歩き終わった時には、可笑しな満足感に浸っていたように思うから、やっぱり変なのかもしれない。



9/17 雨・雨・の予報。半ばあきらめ、子供たちのために、やってきたムコ殿と飲んでしまった。その子供達(孫達)も、熱を出してしまって、我家は沈んでいる。明日・明後日、どうなるか分からない。



9/16 予報は、もっと悪くなった。2泊を1拍にして、行き慣れた山へと思っていたが、その日曜日が悪い。「始めから雨。」 と決まっているテント泊も辛いから、回避の方向に傾きそうである。「日曜日は大雨。」 にならないと思うが、逆らう事もなかろう。



9/15 今度の連休(シルバーウィーク)は、お天気さえ良ければ、臨時休業も視野に入れ、なかなか行けないような所への計画を考えていたのであるが、あまり良くない予報に諦めムードが漂っている。海の日の連休もそうであったが、現在の私達には、勝手に休むという選択肢はあまりなく、否応なしに娘の休日に合わせるしかない。

 前回は、「今行かなければ、その機会がない。」 と、悪天も飲み込んでの決行であったが、今回は、「そこまでしなくても・・」 との思いが強い。やっぱり、「どうしても・・」 のも思いが薄らいできたのか、それとも、「そこまでしなくても、こちらには、それ以上の山があるではないか?」 なのかは、自分でもよくわからない。

 遠出をするとなると、欲の欲が出て、もう一座が目の前にチラつき、あまり得意としない夜間の運転が付いて回る。この前まで、何ともなかったかもしれないが、そのリスクは増すばかりであるからして、弱気になるのは当たり前かもしれない。乗らない時は、止めるのが常套。



9/14 ボランティアが囁かれる昨今、「それでは何か?」 と思われる方も多いと思いますが、「仕事も有償のボランティア」 だと私は思っています。世の一輪となって活力となっているからです。「でも、それでも・・」 と思うのが人で、義理でも人情でも何でもいいから、世のためと思うのが本当のような気がします。

 私は、その世の中のために何も良い事をしていませんから、せめて、悪い事、他人様に迷惑を掛けるような事だけは、慎まなければと思っています。大好きな山に関しては、落ちているゴミを拾うのもイヤなので、私は、「捨てない。」 以上に、「落とさない。」 を心がけています。

 先日の人形山・三ヶ辻山では、ちょっとでもの思いから、ハサミ持参山行を実行。以前から、1mでも10mでもいいからと思っていたからでした。でも、歩きながらはやっぱり辛い。腰を落ち着けてやらなくては、すっきりしないようでした。

 以前、大猫山で整備をしておられた宮村氏に、切り方を教わった事があります。「まっすぐ=地面に平行)」である事。斜めであれば、転倒した時に刺さる事があるから・・・・ でも、根気のいる作業ですから、その事を目的にして出掛けなければいけないようです。

 今度は、近間の時間の掛からない山で、練習?してみようと思っています。これも、あくまで自己満足。でも、誰かが、またちょっとでも思って頂ければ、少しでも、快適な山歩きが出来る環境になるような気がするのです。



9/13 純子女史(杉原女史)から贈られて来たマスカットを、子供達と美味しく頂いた。先月初旬にお会いしてから、何でか便りがなかったのだが、新婚旅行でスイスに出掛けておられたようであった。そういう私も、返事をまだ出していない。

 子供達も、遊んで頂いた事を、よく覚えてくれる年齢になったようで、名を言っても通じるようになった。私自身も山友が来てくれるのを好むタイプであるから、何だか楽しくなって来る。「あの山に登った事がある。」 などと、子供達(孫達)が、話出来る日も遠くはないだろう。



9/12 いずれにせよ、午後から崩れると予報であったが、この機会に、人形山と三ヶ辻山の回数を重ねておきたいという思惑があった。”夕刻の迎え” という制限があるから、「山ノ神」に、「午後3時前に登山口へ戻る事が出来たら、五箇山荘で入浴が出来るかも・・」 との甘い言葉を掛けたが、第一休憩所到達時に、その事は、もう打ち消されてしまっていた。

 三ヶ辻山と人形山の分岐に着いた所で、「山ノ神」は、”待機” を宣言したのである。したがって、人形山も三ヶ辻山も、私だけの単独行となり、またまた時間を区切られる羽目になってしまった。あちらは、悠々一人宴会、こちらは、唯々、山頂を目指しお腹を鳴らしたが、それでも、私としては、行き先を限られた中で、それなりの満足を味わっているのである。

 今回は、ハサミ一丁であるが持参し、少しでも、登山道の除草をとの思いがあったが、予想以上の状態で、その思いは達成出来なかった。しかし、1mでも10mでもの思いは、前々から持ち続けていただけに、「少しは・・・」 と勝手に満足感を漂わせている。下山時は、予報通り雨に遭い、本当に巡り合わせが悪いとこぼしながら、忍の一字であった。



9/11 真新しい材料もなく、また、同じ山に登る事になる。「何も新しい山(登っていない山)ばかりが、山じゃない。」 と自分に言い聞かせる。時々であるが、娘の配慮があって、送迎の片方を免除(解放)してもらえる。しかし、「山ノ神」は、自分の行けない所(イヤな所)へは、行かせてくれないし、スピードを上げてくれない。どうしても、簡単な同じ山になる。(困った!)



9/10 もう一日休みを作って、遠出を模索するが、またまたお天気周りが良くないようである。ならば、正規の連休(2日間)の格下げになるが、それもダメなら日帰りとなる。でも、まだ日にちがあり、どのように転ぶか分からない。

 その前に、同窓会の準備に忙しい。簡単な事にすればよい事を、案内状に手を入れ過ぎた。サイズに合わない封筒を使うために、なかなか思うようにならない。「手書きにすればよかった。」 などと後悔しきり。



9/9 H.15.09.02に日光白根山でお目に掛かった千葉の川久保夫妻。H.19.04.30に僧ヶ岳を一緒してもらった。2~3年前、北アから下山後、我が家に寄ってくださった事があったが、今日も、突然であったが、白山行きの前に立ち寄ってくださった。川久保氏は、私の三つ年上の方だが、元気いっぱいであり、見習わなくてはいけない。

 「友、遠方より来る。」 そのものであるが、相通じるものがあれば、本当にハッピーである。そして、山の話となれば、止まらなくなり、もっと時間が欲しかった。「後しばらくは・・・」 と、同年代らしい言葉が出たが、「元気なら、また会える。」 と言い返した。



9/8 我が家の愛飲するビールは、第3のビール「のどごし」である。第3のビールは、「ビールでない。」 と言うお方もあるが、我々は、安価な理由だけでなく、その味に結構満足しているのである。でも、少々薄いのか、宴で出る本物のビールを頂くと、何だか酔いが早く感じるのは気のせいなのだろうか?

 その「のどごし」は、懸賞に応募するシールが着いている。当たらないと思いながら、童心にかえって何口か応募したのである。数多くはないが、今まで何回となく懸賞やクイズに応募したこ事があるが、私の名で当たった事がなかった。でも、「山ノ神」の名では、末賞であるが、何回か当たった事がある。今回は、大阪に住む長男の名でも出してみた。

 それ名・年齢が、奏功したのか、大きな荷が、キリンビールから届いたのである。それは、私達が望んでいたものでない 「のどごしの形をしたクーラーボックス(オレたちのクーラー缶1台)」 であった。500ml缶12本が入るというものであり、キャリーハンドル・キャスター付きである。

 「こんな大きい物 どうするの?」 と、我が家の女性陣には不人気であり、「学校や保育所のバザーにでも出したら・・・」 であるが、ひとまず、我ちっぽけな部屋に持ち込んで、インテリア?とする事にしたが、果たして、この後は如何にである。



9/7 昨日・一昨日の山行で、金剛堂山47回目・雨飾山20回目を記録した。自己満足・数字の遊びで、それ程意味がないのであるが、自分の目標として励みになる。もちろん、名山歩き(百名山・二百名山・三百名山など。)も、立派な目標・目的であろうし、立派な指針として意義があるというもの。高齢になってくると、尚更かもしれない。

 長年、山歩きをやっていると、以前に登った事のある山でも、どんな山だったか、何処から登ったかなど、よく覚えていない事がある。そんな事を思うと、一回や二回では、その山の事は分からないし、ましてや、天候や諸事情で良さを感じないままの事もあろう。

 遠くにある山へは、何度となく出掛けるのは難しいかもしれないが、それを押して、再チャレンジ出来る人は幸せである。私は、生涯かけても、それらの名山には登り尽す事は出来ないだろうが、一座でもの希望を持っている。元気であれば、もうちょっと登れるかもしれないと思っているのである。

 後は、その山を知り尽くすのも、山を親しむに通じるとの思いから、何度も同じ山に登っているのである。50回以上10座、10回以上100座の目標を掲げているが、到達するかどうかは分からない。でも、目標があると元気になる。そして、拘りがあれば、少々の障害も乗り越えられるような気がする。周りも(家族も)そう思うようになるから・・・



9/6 午前8時発。無理すれば、行き先もいろいろとあるのだろうが、必ずしもお天気でもなさそうだし、久々に利賀の金剛堂山とした。「今日は、迎えが免除されているのだから、ゆっくり歩こう。」 と言っていたが、それでも、汗が噴き出していた。

 登山道に草木が覆い被さっている所に来て、「嗚呼、また、ハサミや鎌を持って来るのを忘れた。」 と、不甲斐ないというのか、自分達の忘れっぽさに呆れてしまう。「家に帰ったら、すぐ、リックの中に入れておこう。」 と思ったが、怪しいものだ!

 登り掛けに陽が差していたが、全般的に曇りがち。そして、時々霧雨程度の雨。他の登山者は、男性一人、女性二人の3人パーティー一組だけ。時折、すっと、抜ける風に、快感を覚えるのであるが、まだまだ暑かった。山頂に「山ノ神」を残して、久々に中金剛まで足を延ばしたが、その間の風衝地帯は、草紅葉が始まったかのように赤くなりかけていた。

 中金剛までの往復時間を含めて1時間以上の山頂滞在となったが、これも久し振りであった。山は、早駆けも、一つの手段であるが、やっぱり、ゆっくりがいい。山並みを眺めるもいいし、物思いに耽るのもいい。そうして、2日間の休日が過ぎていった。



9/5 「行ってみなければ・・」 の思いが強い私にしてみれば、スタートの星空は、何となく強い味方のような気がした。午後から雨なのかしれないが、鈍い台風(台風崩れ)は、必ずしもその通りにはならない事の方が多い。

 しかし、根知集落付近から望んだ雨飾山付近は、厚い雲に覆われていて、前途多難であった。それでも、食料・ツエルトなど準備万端の上に、さっと逃げ帰ればいいとの思いもあった。しかし、「山ノ神」は、不調。コースタイムで登ったと言えども、「ちょっと行けば休憩」 の何とも言えない、じれったさを感じざるを得なかった。

 今日の行程表は、午前11時半撤収(撤退)、午後2時車に戻るというもの。それは、午後から雨と、孫達の迎えの時間があるからでもあった。そして、毎週、山に出掛けるのであるから、なるべく費用を掛けない(高速を使わない。)理由からでもある。

 中ノ池を過ぎ、小谷からとの合流地点(分岐)まで、もう少しという所で、「山ノ神」の足が止まった。このままでは、山頂に届いても、休む時間(食事時間)がなくなってしまう。「山ノ神」は、私にだけ山頂行きを促す。そして、「笹平(山頂直下)のいつもの所に荷を置いていけ。」 とまで言う。

 疲れ切って限界。そして、飲む時間が無くなる。もあるのだろうが、6年前の転落事故から、山頂に登った事があるのだろうかと思うほどである。(一度あるかな?)もうトラウマになってしまっている。雪が着いている時にも登っているのにである。

 でも、両者の目的が、どんな形でも達成出来たのであるから、それで良しとしなければなるまい。その「山ノ神」、後半は、少しであるが、膝の痛みを訴えていた。そして、「こんなに急だったろうか?」 とも言った。それは、衰えからでもあり、登り続けておらなければ、尚更感じると私は言い放ってしまった。



9/4 とにかく、「休日は大事にしなくては・・・」 だから、「予報を見ながら、準備だけはしておく。」 というのが、私の方針である。そして、起きてからの判断なのであるが、「山ノ神」は、私の意図を掌握していないようである。

 唯でさえ、時間制限下での行動であるに、準備が遅い。「前夜までに準備をしておいてくれ!」と言っても、聞く耳を持っていないのか、私には無視されているようにさえ思える。一度だけ、切れてしまい「山ノ神」を置いて出発してしまった事がある。でも、流石に今日に至っては、そのような事はしない。でも、相当イライラしてしまうのである。

 今は、”それも忍耐” と思っているし、山歩き自体、忍耐・修行・試練・鍛錬・我慢などの言葉が飛ぶ出て来る。「それもいいのかな~。」 まだ人間が出来ていない私にとって、その語句が全て当てはまるような気がしてならない。



9/3 本当にお天気周りが良くない。このところの私(達)の休日は、お天気に恵まれていない。だから、ちょっと、しょげてしまうが、人生と同じで悪い事ばかり続くはずがないし、良い事ばかりがあるわけがない。一年を通せば、必ず(殆ど)帳尻が合うというもの。

 今度の連休はどうしようか? 拘束(制限)の半分(片方)だけ解除されるのであるが、近間の低山歩きになるかもしれない。雨具を着たり、傘を差したりするのは仕方がないにしても、一時でも良いから、展望が開ければいいのだが・・・



9/2 今年のオワラ風の盆は、お天気に恵まれ大勢の観光客で賑わっているようだ。繁盛はいい事だが、宿泊施設が足りないという話も聞く。一時の事だけに、なかなか解決策がないようである。こうして、一年の2/3が過ぎてしまった。「何をしていたのだろうか?」 「これでいいのだろうか?」 と思いながら、日々が過ぎて行く。

 何をしたって、時は止まらないし、確実に身体は衰えていく。それだけならいいが、思考も怪しくなっていく。「模索」 という無駄な抵抗にも限度があるし、ついつい流されてしまう。「イヤだな!イヤだな!」 と言いながら、慰め合いになるが、もうちょっと、何とかならないものか? やはり、お酒は、楽しい時がいい。



9/1 親友の父様が亡くなった。103歳であった。その親友は、3年前に亡くなっている。そのような事が私の周りには意外と多く起きている。今春も友人が亡くなって、106歳の父様が後を追うように亡くなった。そのあと、叔母が97歳で亡くなったが、その一人息子(従兄弟)は6年前に亡くなっている。

 もっと、遡れば、50歳にならない内に、両親を残したまま逝ってしまった親友もいた。病に勝てなかったのであろうが、こんな親不孝はない。でも、当の本人達は、尚更悔しかったであろう。その友人達であるが、どんなに好きで気が合ってたとしても、薄情なもので、だんだんと忘れがちになってしまう。やっぱり死んだらダメだ!