10/31 ナメコと紅葉、そして、5回目としたい高頭山へと足を運んだ。高頭山は、あまりお天気に恵まれていない感じが強かったが、今日は、初めからお天気であった。しかし、一番の目的であったナメコの方はさっぱりであった。立ち枯れに出来るナメコにも期限があるようで、以前のように何処ででも採れないようになった気がする。

 ちょっぴり寂しい気がしたが、標高1、000mを超えてからのブナ林は私の好きなところである。紅葉はイマイチに違いなかったが、ブナは何となく気持ちを穏やかにしてくれるように思う。決して太いブナとは言えないが、ずっと、続くブナ林は本当に好きなんだな!

 「平日で人気のない山にようこそ!」 と、後から登って来られた高齢者?二人パーティーに言われたが、その方々もナメコ採りのように、お見受けしたが・・・ 単独の若者にも登り掛けにお会いしたが、そういえば、昨年、一昨年は、誰とも出会わなかった。雨具を着ている状態であったから、当たり前かもしれない。



10/30 早く起きたから、溜まっているPC作業をやろうと思ったら、自動的にupdateが始まった。何度も再起動するという表示が出ていたが、その後、なかなか終了しないのでイライラが続いた。8~10時間経過した時点で、強制終了を試みても、一向に直らなかった。

 11時間後再度試みたら、元のwindowsに復元するという表示が出て、それから1時間後に元に戻った。「一体、あれは何だったのかになる。」 PCに不都合が生じると、生活に支障が出ると改めて感じた。やっぱり、その代替えが欲しいと思うのだが・・・



10/29 長い間HPをやっているといい事もある。先日のG-SHOCKの事で悩んでいたら、奥氏から、「調整出来るよ!」 カシオのHPを紹介して頂いた。機械音痴の私であるから、不安なのであるが、何とか食い付いてみようと思っている。

 富山マラソンのボランティアの代役を受けたという娘が、明朝5時に起こしてくれという。遅く帰ってきて、また早く出掛けて、身体が大丈夫なのかと思ってしまうのは、親バカなのだろうか? またまた子供達を預からなくてはいけない。でも、とにかく寝よう。



10/28 一ヶ月前の事だったと思うが、育成クラブ(学童保育)から、上の孫ミーを迎えに行った帰り道、「おじいちゃん達が山に行く日は、我慢するから、他の日は、育成クラブに行きたくない。止めても良いか?」 と言われた事がある。父親は東京勤務で、月に1~2回しか会えない。母親は、土日祝日は休みであるが、部署が部署だけに帰宅時間が遅い。午後11時や12時になる事もしばしばだし、仕事が追い付かない時は、日曜日も出掛ける事がある。

 一時的な事かもしれないが、胸が熱くなり、私達がしている事は、これでいいのだるかと思った。小さな子(小1)が、我慢出来なくて放った言葉に違いないからである。今は、その事を改めて言い出してはいないが、ジジババも、心しておかなくてはならないのかもしれない。



10/27 友人・知人が来る10/30の富山マラソンに参加する。「制限時間7時間なら、時速6キロで歩けば何とかなるのでは・・」 と、軟弱な私でもエントリーを考えた事もある。「途中、ちょっと走って、各ポイントで、美味しい物を頂き、ダメなら、バスに収容してもらえる。」 などと不届きな事をである。

 10時間・12時間を歩いた事はあるが、アップダウンが無いとは言え、42キロは歩いた事はない。以前、「山歩きとマラソンのどちらが辛いか・・」 の問答をした事がある。比べる事自体可笑しいのに、「マラソンは途中で止めれるではないか?」 「荷を担がないではないか?」 に対して、「マラソンは極限を感じる。」 と言われた事があった。

 そんな事はどうでもよいし、面白可笑しの言葉の掛け合いでしかなかったが、どちらも人生の縮図のようなものである。辛い事も楽しい事ある。いわゆる 「山あり谷あり」 である。

10/26 もう一つしくじった。妙高山は、またまた、日没との競争となった。「ヘッデンの準備を、そして、イザという事もあるので、ギリギリまで点灯するな。」 などと言っていた自分の方が、電池切れを起こしてしまったのである。「風呂に入る前に確認しておく事。」 などと言っていたのにである。

 誰もいないお風呂(黄金の湯)に入る前、雨蓋から取り出したヘッデンが点かなかったのである。2週間前は点いたのにと言っても後の祭りである。雨蓋には、GPS用の単3の電池があるものの、我ヘッデンは単2である。単2の電池は、いろいろな経緯で、リックの底へいってしまっている。薄暗い時だけに、リックをひっくり返すのもいけないと思い諦める事となったが、「山ノ神」と顔を合わせて、言い訳しきりでバツが悪かった。 予備とか、予備の予備とかで、いつも、いろいろ担いでいても役に立たない。本当に反省しきりであった。



10/25 大きな失敗をしてしまった。昨日の妙高山の帰りに黄金の湯に浸かった時の事、間違ったり落としたらダメだと思って、時計と首に下げていたホイッスルを、ズボンのポケットに入れファスナーを閉めた。そして、しばらく歩き、車に戻って、衣服を着替えたのである。

 家に戻って、財布の持たない私は、ズボンの後ポケットに、万が一に備えて少額であるが、紙幣を忍ばせている。洗濯機に入れる時、それを取り出したのであるが、時計とホイッスルの事を完全に忘れてしまっていた。日頃、そのような形でお風呂に入る事がないからである。

 2時間程してから、時計の事を思い出したのであるが、時既に遅しであり、洗濯が終わってしまっていたのであるから困った。その時計は、娘からのプレゼントで大事な物。 (いつ何のために貰ったのか忘れてしまったのであるが、もしかしたら初めての給与、結婚を記念してだったか、娘に聞く事も出来ないが、長年愛用しているG-SHOCKである。)

 「しまった。」 「困った。」 しか言えないのであるが、そっと、洗濯機から出したのである。「動いている。防水機能があるのか?」 と胸を撫で下ろしたのであるが、時刻が違うのである。(電波時計なのに) 3分遅れているのであるが、その3分は、固定されている。どうしたものだ・・・・



10/24 「ちょっと遅いかな!」 と思っていた妙高山の登山口・燕温泉付近の紅葉は、源泉辺りまで、まだ大丈夫である。「もっと、陽が当たればな~。」 と思っていたのに、ガスが私達と同じように上がってくるから困ってしまう。

 その燕温泉到着時の気温が4℃。(午前7時半)山の上部は白かった。「雪なら良いが、凍っていたらイヤだな!」 であったが、白いのは、ダケカンバがそのように見えたようであった。でも、その低温は、霜となって、尖った石や登山道の木片や根っこに、霜が蔓延り、うっかりすると、ツルッといきそうだったから気が抜けなかった。

 九合目から鎖場や岩がゴロゴロしている。「山ノ神」は、そんなのが苦手。何十年も山に登っていてもダメなようである。その証拠に、自分で担いでいったビールを飲まなかったのであるから分かるというもの。山頂は、冷たい風が吹いていたから、大方の登山者は、早々に退散され、相変わらず私達が最後となる。

 そんなのに、今度は、岩場から降りるのに、また四苦八苦。言わなくてもいい言葉が飛び交う。岩や大きな石がなければ、「山ノ神」も、それなりの歩きをする。日没と競争となったが、「黄金の湯」では、まだライトを点けなくても大丈夫であった。誰もいない露天の湯に浸かり、セルフタイマーで写真を撮ったが、バッテリーからみても最後の一枚であったようだ。

 高岡を午前4時発で高速を利用せず下道で、帰りは、燕温泉を午後6時発で、またまた下道であったが、「山ノ神」にハンドルを渡さなかった。こんな山行を、いつまで続けられる分からないし、もうゆっくりした山旅に変更をしなくては、身体がもたないと思う。



10/23 今日の空模様から、「明日は晴天」が、想像出来ないのだけれど、朝立ちで、妙高山に出掛ける事にした。富山にも、たくさんの行きたい山、何度でも行きたい山があるのだが、チョッピリだけ遠くもいいような気がする。

 4年前、予定外のルートを試み、日没になってしまいビバークを強いられた苦い経験があるからか、「山ノ神」の返事は聞いていないが、もう、自分の意思を通す路線に決心したからには、どうであれ行く事にした。

 高所の紅葉は望めないにしても、頸城の一角の山域を、それなりのものにしたい思いはある。火打山と共には、この時期としては、もう一日欲しいところ。そんな贅沢は言えないしが、明日は、それなりの展望が期待出来るだけに、山座同定が苦手な私でも、それなりに、楽しめるような気がしている。



10/22 何でもやってみたい私であるが、なかなかスマホに手が出せなかった。ここにきて、ようやく覚悟を決めたが、格安スマホを狙っているからだろうか、なかなか理解出来ないところがあり、思い悩んでいる。

 090の番号から離れるか、フリーメールになるかもと悩むところである。今のガラケーでさえ、使用頻度が、それほどないとくれば、スマホは通信機器というより、大人のおもちゃになるようなものだ。となれば、やはり維持費(費用)を抑えなければならない。もうしばらく、悩んでみよう。この時が一番楽しく、また勉強になるというもの。



10/21 今夏の剱岳で、初めてと言っていいくらいにヘルメットを被った。40年ほど前に、ヘルメットを買っているから、何処かで使用したのだろうが、よく覚えていない。そのヘルメットと、近年町内の防災会から与えられているヘルメットと、どちらが強度的に良いのか分からなかったが、新しい方が良いだろうと、その防災会の物を借りた。

 今までは、ヘルメットなど不必要だとばかり、気にもしなかったが、いろいろな事故のニュースを見るに付け、蔑ろにしていた事に反省しきりとなった。県内では、人出の多く、何が起こるか分からない立山(雄山)に出掛ける時や、岩の山剱岳には必須と心しなければと思うようになった。

 噴火の恐れのある山にも持参しなければと思っているし、それだけでなく、自分自身の滑落を心配せねばならぬ所にも、配慮しなければと思うようになっている。今日も、鳥取県で地震が頻発している。いつ何が起こるか分からない今日、備えあれば憂いなし。



10/20 今度の休日は、孫の送迎を免除されるようだ。「無理しているのだろうに・・」 と思うが甘える事にする。お天気が問題であるが、それよりも、行き先の選定に苦慮する。思考の違いがそうされるのであろうが、時には、我を通す事が、これからの人生には必要な事に思ったりもする。

 遠方の山には、必ずしも満足出来ないが、最近は、眼中から薄らいでいる。「行きたい山」・「好きな山」 に執着しても良いような気でいる。それは、「何のために山に登るのか?」 に通ずるような気がする。「大地に行けなくなったら(登れなくなったら)、山を止める。」 のにも通じる。



10/19 何となく身体が可笑しい。何ともないのであるが、何処か可笑しい。ボーっとしているような気がするから、ボケの始まりなのかもしれない。こんな時は早めに寝るに限る。

10/18 不覚にも階段の下3段から滑った。靴下が誘発したと思えるのであるが、自分の不注意に間違いない。短い距離故、右肘下に擦り傷を負っただけと思っていたが、時間の経過と共に、全身に違和感を覚えるようになってきた。滑落時、しばらく起き上がる事が出来なかったのであるから、少々背中や臀部、そして、上肢・下肢も打ったのであろう。

 こういう記述をすると、「大丈夫なのか?」 などと、心配してくださるのであるが、何処を、どうしたという事はない。酒を飲んだら、ちょっとばかし、忘れるのではと思ったが、目がチョロチョロで、やっとの事で、PCの前にいる。でも、早く寝なければ・・・



10/17 午後から大事な用事があり、簡単な山歩きに留めようと思っていたが、予報通り雨。尖山に車を進めるが、工事車両が多く止める。思い出したかのように極楽坂山に車を向けた。4回目になるが、トレッキングコース故か、きれいに整備されていた。しかし、濡れている急登箇所は、注意しての登り降りになる。

 雨具を着用したが、霧雨程度で大した事はなかった。視界も良く、富山湾や能登半島、そして、大辻山やその近くの施設が、おもちゃの建物のように見えた。そういえば、7年前の2月中旬に来た事がある。その時は、簡単に登って来たように思ったが、今日登ってみれば、短いが結構な登りである。しかも、3~4キロの林道歩きが伴う。「ハレルヤ山行の候補地の一つに・・」 と思ったけれど、これでは、皆の賛同を得る事は難しいかもしれない。



10/16 諸事情があり、ブナオ峠スタートが午前8時を少し回った。写真を撮ったりしながらであったが、大門山まで1時間で行けると高を括っていたが、分岐まで1時間を要してしまった。「焦る事などない。」 などと思いながら、いつしか我を忘れてしまうのかもしれない。

 大門山からだけではなかったが、北アの山並みが、遠く小さくであるが、はっきり眺める事が出来、最近の雨中登山の事を思うと、それだけでもハッピーであった。大門山経由で赤摩木古山まで2時間。見越山を越え奈良岳まで4時間を見込んでいたから、各々のピークでコーヒーを沸かしたり、果物を食べたりする事が出来た。

 登山道は、今までの中で、一番整備されていたかのように思えた。登山ブームだからとも考えたが、やっぱり、白山国立公園の中にあるからが、大きいのではなかろうかとなった。だから、実に歩きやすかった。もちろん、お天気続きで、ぬかるみなどがない事や、切り落とした小枝などが邪魔にならなかった事がそう思えたのかもしれない。

 紅葉はイマイチであった。最も、今年は例年に比べて遅いのかもしれないが、見越山周辺以外、これはと思えるところはなかった。でも、「紅葉は、陽が当たらなければ・・・」、と言っていた自分が可笑しいくらいに猛省したのは、陽が陰った頃からの紅葉が、意外とステキだったのは何故と思ってしまったのである。



10/15 明日、本当は、毛勝山に行きたかった。誰かから誘いがあったら、車を捨てて出掛けたかもしれない。でも、誘いもしなかったし、誘われもしなかったので、仕方なく、明朝は、「山ノ神」の東京行きの同窓会集合場所(小矢部市津沢)へ送る事にした。

 私の山行は、それからであるから、この時期の毛勝山には、ちょっと躊躇せざるを得ない。ならば、大門山・赤摩木古山・見越山・奈良岳辺りにするのが賢明と考えている。時間が時間だけに、何処まで行けるかになるが、一人旅だけに、その時のムードで決めたいと思っている。

 ガツガツ登るだけが山歩きでないし、かといって、歩ける時に歩かなければ、その後の事は分からないとの思いもある。ゆっくり歩き、コーヒータイムを取りながら、ギアを切り替えるのを伺うのも面白い。とにかく、メリハリのある一日を過ごしたいと思っている。



10/14 これよりないというお天気の日に、家にいる(仕事)というのは、精神衛生上本当に良くない。でも、何回も何十回も、いや何百回も、それを乗り越えて来たのであるし、それで折れてはダメなのである。一年をトータルすれば、大体帳尻が合うものであるが、この時期になっても、その通りにならないのは、気のせいであるだけだろうか?

 このように、ちっちゃな事で、心が憂鬱になる事自体、まだまだ修行が足りないようだ。希望はあってしかるべきであるが、「欲を小さくしよう。」 こうなれば、いろんな諍いも、なくなるというもの。



10/13 テレビで白馬岳に雪が着いた画像を見た。昨日の雄山のライブカメラより真っ白であった。温暖化とか、紅葉が遅いとか、いろいろ言われているけれど、何だか今度の冬は雪が降りそうな気がする。大雪は困るが、適当に降って欲しいものだ! (特に、山には・・・)



10/12 今朝も寒かった。このところ日中の気温も低い。半袖の私も仕事をしていない時は震えている。今日も、ちょっぴり降ったが(雨量は観測されない程)、予報は、しばらくお天気マークが並んでいる。今度の連休(10/16~17)は、比較的自由の身なのだけれど、「山ノ神」が同窓会旅行(東京)なので、集合場所まで送らなければならない。(新幹線ではなく、貸し切りバスらしい。)

 行きたい山があるのだけれど、その時は、車を放棄し、誰かに頼らなければならなくなる。他に山があるのだから、そこまでしなくてもの思いもあり、心が揺れ動く。東か西か、まだ時間がある。



10/11 昨日のキノコ採りであるが、登山道の何ヶ所かの倒木に、ナメコらしいキノコが確認出来た。しかし、そのキノコ(ナメコ)は、昨年まで採っていたナメコと何となく、色・形が違ったように見え破損もしていた。何よりも、大勢の登山者が行き交うのに、採られていないのにも、果たして本当にナメコなんだろうと思ってしまった。

 一年採っていないから、初物には慎重になるのも仕方がない。そして、軸が長く感じ、カサの裏の色も良くなかったのである。キノコに関しては、私より「山ノ神」の方が熟知しているハズなのに、頭を縦に振らないし、疑わしくは採らないをモットーにしているから、合格にならないのかもしれない。

 下山時に、再び手にしてみたが、やっぱり採らなかった。しかし、登山道から離れた所の倒木に出来ていたナメコを発見。盛んにチャレンジしてみると、ちょっと色は薄かったが、間違いなくナメコであった。また、もう一本の立ち枯れにもナメコがあった。小さなレジ袋に一杯になり、何となく満足感が沸いた。

 しかし、今年の初物であり、「初めの内は、少しだけ・・・」 と言っていたのに、大物?がどっさりテーブルに出ていた。昼食は、仕事柄、別々に食事するのであるが、当然の如く私が先になる。毒味にしては、ちょっと多過ぎると思ったのであるが、私が採ったのであるから仕方がない。味噌汁は、味付けが薄かったので、何となくらしくなかった。でも、お腹は大丈夫であった。と思ったら、夕食に物凄く大きいカサのナメコが炒め物として、私の前に出された。う~ん。これから、毎食ナメコになりそう。



10/10 雨飾山は、ずっとガスに覆われ、時々霧雨。向かいのお山も全然見えず、笹平からでさえ、山頂を伺う事が出来なかった。しかも、ドロドロの登山道であっては、ゲスト(東京の藤井氏)には、何だか申し訳なかった。でも、ちょっと寒かったが、雨具を纏う事がなかっただけ、まだ救いがあったかもしれない。

 それでも、百名山としてのネームバリュー、しかも3連休の最後の休日とあってか、大勢の登山者が押し寄せていた。私達より先に行動しておられた方々の殆どが、「山頂は、人で溢れている。」 と言って下山して来られたのが印象的であった。

 前日から、必ずしも良くな予報の中、ゲストを如何にいい気分にするかを考えていたが、歩く事を代わってあげる事も出来ないし、雨を降らぬよう願っても、どうしようもないのだから、食べ物しかないとなった。でも、降られてしまったらお終いである事も重々承知で。

 結果的に、そんなに多く食べられないし、器に拘った。ラーメンの鉢を陶器の物を持参する。餃子を焼く。コーヒーカップ持参も考えたが、そこは簡単なお菓子にした。後は果物ぐらいとした。そのような事もあって、私の担ぐ水は3Lとなってしまった。

 ゲストの藤井氏は、社交辞令かもしれないが、びっくりしたように喜んでカメラに収めておられた。しかし、最後まで陽が差さず、紅葉もイマイチだし、歩く道以外は、ガスの中で、展望なしが続いた。ツルッと滑ったりもしたが、それでも、またまた歩ける事に感謝である。

 他に、いきなり、「HP見ています。」 の声が届いた。「えぇ~、どうして・・」 となる。「山ノ神」がいないのに、どうしてわかったのかな。「山ノ神」がいて、その横にいるのが元さんとなるケースが殆どであるからである。その「山ノ神」が上がってきて、一緒にカメラに収まってもらった。滑川の古川氏と野田氏だった。最近、内容も貧弱だし、更新も遅れているのに、申し訳ないというのか感謝である。

 ナメコがあった。新潟のナメコと富山のナメコは形が違うのかと思ったりしたが、間違いなくナメコである。2本の樹木にしか見付けれなかったが、初物としてザル一杯分ほど採れた。帰れば私が毒味役となるのが必至。

 

10/9 どうであろうが、明日は、とにかく雨飾山に出掛ける。客人を如何に楽しませるかが課題であるが、それもこれも、お天気次第なのだから、運を天に任せる。それよりも、最近めっきりご無沙汰の好山病eiko女史から、出来れば皆と一緒したいとのメールをもらった。

 出来れば、忘年会もなどと述べてあったから、この上ない喜びである。早速、重鎮達と日にちの調整をしなければならない。お互い歳を重ねているから、何もかも以前のようにはいかないまでも、またワイワイガヤガヤと、楽しむ事が出来れば最高である。何せ、たくさんの共通の想い出があるから話は尽きない。



10/8 今度の休日(10/10)は、雨飾山を計画している。一年に1回は登りたい山の一座であるが、一年に2回は無いのではないかと記録を探ってみると、6年前に2回登っていた。6月と10月であったが、その内の10月とは、「山ノ神」が墜落した時である。身震いした光景を、今も思い返す事が出来る。

 多くの登山者が行き交う何でもない所であるのに、何故、滑落 (私は、あえて墜落と言っている。) したのか、原因は今も分からない。当初は、ストックに頼り過ぎ何かの拍子にバランスを崩したか、ザックが岩に触れ押し出されるようにバランスを崩したのではないかと思っていた。

 6年も経つと、「あんたが後ろから押したのでは?」 と言われるようになってきている。あんなに心配したのにである。その後、何度となく登り、また降っているが、「どうして・・」 と思ってしまう。「5mくらい仰向けに落ちて、バウンドして、また下に落ちたと思っていたが、その距離はそんなに長くなかったのではと思うようになっている。

 その時は、こちらも動転していて、「死んのでは!」 と思って駆け寄ったのであるから・・・ 割と大きめにザックを担いでいたから、頭や背を打たなかった (クッションになったと考えられた。) のであるが、手が脱臼していたのである。だから、自力で下山させるのに、結構問題があったが、我慢に我慢を重ねさせた思いがよみがえってくる。

 あれから、何回か機会があったが、トラウマになっている「山ノ神」は、山頂には行かず (それでも一回は登ったかな? はっきりと覚えていない。) 笹平で待機をするようになっている。その雨飾山に、東京のF氏と約束をしているが、同氏は、「この空模様でも行く。」 と言われるだろうか? 私達は、当然準備しているが・・・・



10/7 「お天気を見計らって、いつでも出掛けられるのはいいな~。」 お天気周りが悪いと、そう考えるのは、私だけでもあるまい。仕事が出来る喜びを感じながら、好きな山歩き出来れば、この上ない事である。少々経済的に弱みがあっても、健康なら、それをも吹き飛ばす事も出来る。

 でも、世の中に、悩みのない人がいないように、次から次と、欲望というのか、希望というのか、無い物を強請ってしまう。得ようと思っても得られない物もあるが、常に前向きなら、何か光が見えて来るような気がする。諦める事などない。ちょっとでも、前に進めたらいい。ゆっくりでも、前に足をだしておれば、いつか追いつくように思う。あっと終わる人生の差など、そんなに大きい物でないような気がする。



10/6 「今年は、あんまり期待出来ない。」 が、大方のナメコ評である。私は、キノコの事は、あまり詳しくないので、”ナメコ” だけに限定して楽しんでいる。「カシ枯れが収まった。」 「皮が剥けてしまったらもうお終い。」 などが、その要因らしいから、採れない事もなかろうが、かなり少なくなる予想である。

 ここ数年、面白いくらいに採れたナメコであったが、採れなくなったら、当てにされている所に配れなくなり、チョッピリ寂しくなる。でも、やっぱり気にかかるので出掛けるしかない。先日の高峰山では、そのつもりはなかったのであるが、小粒のナメコを、数粒「山ノ神」が見付けていたようであるが・・・



10/5 「久しぶりに太腿が痛い。」 と言っても快い痛みである。最近は、「山ノ神」との山行ばかりが続いているので、軟弱な歩きが多い。猛者達と歩くとなると、やっぱり年齢を感じる。登りは左程感じないのであるが、やっぱり急な降りは、歯痒いくらいに遅い。でも、それは仕方がない事で、ケガしたらお終いであるから・・・・

 でも、一緒してもらえる仲間がいる限り、若返りにはならないにしても、時々は、その機会を得たい。でなければ、衰退の一途を辿るだけである。少々、「山ノ神」に、我慢をしてもらう事が、今後の我家の山行には、間接的にプラスになると思うのは、自分の独り善がりなのだろうか・・・・



10/4 猫又山・大猫山から戻った昨夜は、午後8時頃になった。予想通り「山ノ神」の機嫌は良くなかった。お互い口数少なく、肝心の申し合わせが出来なく、単独行を見合わせた。その先の事になるが、2日目は「白山」を匂わせておいた事もあり、帰ってすぐに、「明日、白山に行く?」 と問うたのであるが、「ランチの約束をしてしまったから・・」 であった。

 そんなのに、「午前中は何処かへ行きたい。」 と言うのであるから、私を自由にさせないという目論見があったのかもしれない。そして、「私一人で行ける山など決まっている。」 などと言うのであるから、これまた弱ってしまった。保育所に寄ってから、お昼前に戻って来なければならないのであるから、行き先は限定されてしまう。

 結果的に、西種から、高峰山に入る事にした。林道の制限があるかと危惧していたが、少々荒れていた事以外、何ともなく登山口まで行く事が出来た。「往復1時間半、余った時間が山頂での休憩に充てる。」 として歩き始めたが、「山ノ神の歩きは、「何かないか?」 であるから、「何しているのか?」 になってしまうが、そこはじっと我慢である。それでも、40分くらいで山頂に到着出来たのだから、それなりに山頂で時を過ごす事が出来たのである。

 午後からランチに出掛けた「山ノ神」であったが、私は、小屋根のペンキ塗りに精出した。その時間が出来て良かったのであるが、長くやっていると、腰が痛くなるから大変である。でも、山だけでなく、家の事も出来て、違った意味で満足感があった気がした。



10/3 お互い 「何処へ行くの?」 から始まって、北ちゃん・ねぎちゃんとで、「猫又山・大猫山」 に決まった。私がちょっと、出遅れた事もあって、ブナクラ取水口スタートが、午前6時10分を少し過ぎていた。「汗を掻かないように、そして、良い所で写真も撮ろう。」 を申し合わせ事項にして歩き始めた。

 戸倉谷からの流れを渡った頃から、雨になった。長く続かなかったが、その後、降ったり止んだりを繰り返す空模様となる。ブナクラ峠から猫又山に向かうわけだが、意外と下草が刈ってあり、「これはいい。」 と言っていたら、その先がカールまで、笹薮状態であった。

 大きな石・岩がゴロゴロしているカールを登りながら、「紅葉時も良いが、このカールに残雪がある頃、また、ハクサンコザクラが咲いている頃は、とても良い。」 などと、猫又山の魅力を語り合った。この山域でのキャンプも素晴らしいとも言い合った。でも、水を担ぎ上げなければいけない事や、アルコール類が必要な者達には、その魅力より苦難・忍耐・修行の文字が頭から離れない。でも、それ程しても行きたい山の一つであるのは、今もその気持ちは変わらない。

 写真機会を狙うねぎちゃんが、大猫山方面へ先行してもらい、北ちゃんと私は、山頂を踏んでから、その後を追った。小雨模様であったが、剱岳を眺められる箇所で、ねぎちゃんは、食事の準備をしていてくれてとても助かった。強くは降らなかったが、この先も雨が降ったり止んだりが続く。でも、視界(展望)は意外と良く、剱岳は眺めっぱなしだっだし、富山湾や富山平野も、それなりに眺められたのであるからGOODであった。

 大猫山に着いた頃は、剱岳のてっぺんがガスで隠れ始めた。コーヒータイムを大猫平に先延ばしにし、足早に降った。日没が気になったが、休む事も大事であるからと、休憩(コーヒータイム)を取った。てっぺんが、ガスに覆われているような、そうでもないような剱岳がまた良かった。(午後3時50分)

 夕日が、今にも落ちそうになった1,400mのピークでヘッデンを用意した。剱岳が赤くなったが、写真を撮る事が出来なく残念! 後は、慎重に降るしかない。ケガをしては何にもならないから、時間が掛かるのは仕方がない。車に戻ったのは、午後6時半を回っていた。でも、想い出に残る一日になった事は間違いない。



10/2 「私は行けるか?」 と言う「山ノ神」に、今の状態では、とても行けないと言い放った。ずっと、行っているから行けるのであって、いつも毛嫌いしていた所に行ける筈もない。ちょっと、険悪になったが、「山ノ神」は、仕方がないと諦めてくれたようである。

 元々、お天気が良くないと、半ば諦めていただけに、「猫又山に行けなくても、翌日は、白山に行けるではないか・・」 と慰めさせたのであるが、これも、やっぱり、保育所などの迎えがあり、「山ノ神」の足では、ちょっときついのである。明後日も、「好きな所へ行って来たら・・」 などと、言っているが、思いと裏腹なのが分かるだけに、どうしたものだと考え込んでしまう。そして、明日のお天気は、起きてみてからでないと分からない。」



10/1 「山ノ神」が、姪の結婚式で浜松(静岡)に出掛けた。仕事を初め、食事などと面倒な事はあるが、意外とノビノビ出来るものである。それは、必ず戻ってく来るという確信があり、僅かな時間だから、そう思えるのかもしれない。

 月・火の連休の事は、まだはっきりとは分からないが、今日は、かなりの上方修正(お天気)があった。台風の影響なのかもしれないが、この一週間は、雲の横に小さな傘が付くという納得のいかないものであったが、今日の上方修正で、月・火も、少しは上向いたような気がする。さて、後は、「山ノ神」 との交渉である。