1/31 やっぱり足が痛い。甲と足裏が痛い。ネットで調べてみたが、よくわからない。足底筋膜炎というのがあったが、それかどうかわからない。足裏は、部活で毎日10キロ走っていた高1の時痛めたところである。(結果的には疲労骨折であったが、それが分からず、2か月間走り続けていたのである。)

 甲は、親指からずっと上の一番高いところである。安さに惚れて求めた登山靴(二つ上のサイズ)で、靴下2枚履いても足が躍る程ダブなものを履き続けていた。そのせいかどうか分からないが、左足は、ほんの僅か外反母趾気味のような感じ。4~5日程前、その辺に当たるサポーターを買ってみたが、すぐに痛みが和らぐハズもない。

 どれだけ好きだからと言っても、顔をしかめてまで歩く事もなかろう。また、当然、、遠いところ(長く歩く)へは、不安が付き纏わざるを得ない。「最早、これまでか?」 と思うのであるが、そう簡単に諦める事も出来ない。「大地に行けなくなったら、山を止める。(登り方を変える。)」 と言っていた事もあるし、その時期が来たのかもしれない。近々に、その機会が訪れるが、同じ出掛けるにも条件の良い時にしたい。そうでなければ自殺行為になるから・・・



1/30 今日は、最初から雨。いや、昨晩から雨。そして、一昨日の夜から、娘の体調が良くない。(ムコ殿が来高していたのに・・) そうなると、流石の私(達)も、出掛け難かった。でも、一回一回が最後かもしれない気持ちと、最近の訛った身体を動かさなくてはいけないとの思いから、心を鬼?にして出掛けた。

 上市町・東種で3℃を示したから、上に行けば、雪が混じるかと思ったけれど、最後まで、強弱を繰り返しながら、ずっと雨であった。最初は、二人とも傘を差しながら登った。杉林を過ぎ急登に差し掛かる所から、「山ノ神」は、傘を閉じ、私のストックも使う事になる。

 「山ノ神」が、先頭となれば、私はゆっくりだから、ストックがなくとも ”ごぼる” 事さえ気を付ければいいのだから、左程心配はいらない。コンディションが良くないから、自ずと会話も萎みがち。最も、雨の雪山は、低山と言えども、修行のようなものなのである。

 それでも、千石城山が該当するか否かは別にして、慣れ親しんだ山で、どのような条件下でも経験しておくというのは、山行く者として、意義ある事だと私は考えている。条件の悪い時に出掛ける事などないのであるが、出掛けた後に、考えも付かないような事があるやもしれないので、いつかは、その経験が知恵となる事があるかもしれないからである。

 でも、今日は、山頂に着いても、食事もコーヒーもなしで、タッチして戻ったというものであった。着衣は濡れて通った。10年使用している雨具という事もあるが、傘を差していても、濡れてしまったのである。高所でこのようになれば致命的である。行動着(雨具・防寒具)の使い分けも充分に吟味しなければ・・・



1/29 明日は、巡り合わせが悪く、一日中、雨のようである。夜は、自治会の新年会があるものの、時間的には問題ないから、傘を差しながらでも、ちょっぴり歩いて来なくてはなるまい。候補は、千石城山、皆(家族)を見送ってからのスタートとなる。



1/28 「同窓会の反省会をやろう。」 と連絡があった。いつでも出来るのであるが、私の「休日は山に行く。」 という事で、なかなか、その日にちが決まらないという経緯があった。2/13を提案されたので、「いいよ。」 と答えると、「本当にいいのか?」 と、あちら様が戸惑った感じに受け取れた。

 「夕方や夜が良いのか?」 の問いに、「いつでもいいよ!」 そして、「何処でもいいよ!」 にも、尚更、「本当に良いのか?」 と問われてしまった。私は、今年から、変わろうと思っている。「何が何でもは、最早、昔の話。」 山ばかりの人世からの脱却の一歩である。



1/27 今日は、下の孫エリーの誕生日でファミレスに出掛けた。(連れていかれた。)女衆の家事(炊事)から逃れたい気持ちが分からないではないが、どちらかというと、家での食事がいい。でも、そのためにムコ殿の来高もあったのだから、それだけの意味があったし、ロートルは、若い衆に従った方がいいのであろう。

 OSの不具合で、丸一日PCが使えなかった。毎日特別の事をしているわけでもないのであるが、使えないと、やっぱり何だか調子が狂ってしまった。今回も、S先生のご尽力で何事もなかったように直してもらった。感謝!唯々感謝である。でも、カシミールが動かない・・



1/24 「雪が欲しい。」 と言っても山にである。「休日は、山へ・・」であるから、除雪をサボった分だけ、翌日にシワ寄せが来る。「店舗前に横の駐車場、そして、裏の駐車場に、その通路。」 手作業であるし、雪捨て場がないから、積み上げなければならない。その作業が一年一年辛くなっていくのであるが、ここで参れば、山へ行く資格がなくなるというもの。

 自宅兼店舗前の道路の消雪装置が、3年前から再稼働するようになって、少しは楽になったようにも思えるが、一日中降っていると、そんな事も打ち消されてしまう。昔を思えば、降った積もったも大した事がないのであるが、これも、パワーがなくなって来たからかもしれない。



1/23 北ちゃんは、午後2時頃まで帰宅したい。私達は、保育所と育成クラブ(学童保育)の送迎があるとの条件下で、「擦れ違いでもいい。」 「下山中の途中で会ったら、一緒に戻ってもいい。」 などと、忘年会を除けば、昨秋の猫又山・大猫山以来、同行機会がなくなっていたからその思いは強かった。

 「忘れられたら困る?」 とまではいかないまでも、休日が似ている山友を、大事にしなければとの思いが強い。昨晩から、高岡は大雪であったが、上市方面の山(千石城山or城ヶ平山・ハゲ山)に向かって、所用を済ませ、午前8時前には高岡を発つ事が出来た。

 しかし、先週程酷くはなかったが、高岡市内を出るまでに時間を要してしまった。おまけに、8号線・中島大橋での事故で、片側の交通規制が行われており、富山市内・上市市街地の雪が左程でもないのに、思わぬ時間を食ってしまった。それより先、北ちゃんからの電話で、千石城山へは除雪が行われておらず、その最終除雪地点で、除雪車が倒れていたので、行き先を城ヶ平山・ハゲ山に変更するとの連絡が入っていた。

 大岩辺りで、ようやく高岡と積雪量が同じくらいだったような気がする。スノーシューを履いたのが、午前10時だから、大幅に遅れてのスタートとなった。しかし、行くしかないのであった。もしかしたら、城ヶ平山頂で、北ちゃんが待っている? 出なければ、ベンチ・テーブルくらい造っていっているのではとの淡い希望的観測が、ハゲ山に向かってのトレースだけで打ち消されてしまった。

 トレースがあったから、1時間20分程でやって来れたのであるが、「山ノ神」は、頭から先へ行く事を拒み待つという。北ちゃんの希望する時間の事を思えば、私が山頂に着く前に下山してくるに決まっている。何処で出会えるかになってしまった。炊事用具に、シャベルやタープ類を「山ノ神」に託し、先を急ぐ事になった。

 峠山に着いた頃に、北ちゃんが、ハゲ山から戻って来るのに出会った。私が、ハゲ山へ行ったとしたら、もう今日は会えないかもしれないと、三脚を立てて、二人で写真を撮った。握手をして、急いで峠山を降りて、ハゲ山に向かったのであるが、「今日は、北ちゃんに会いに来たのだ。」という事を思い出し、猛烈に戻りだし北ちゃんに追い付いた。

 山頂を気にするあまり、目的を見失うところだったと深く反省の心で、城ヶ平山まで、北ちゃんと、話しながら歩いた。山頂で、「山ノ神」が準備してくれた雑炊を食して、先を急ぐ北ちゃんと別れた。私達は、コーヒーを頂き、後片付けをして山を降りたのである。



1/22 「明日も降る。」 という予報である。お正月以来、ちょっと、なりを潜めていた北ちゃんに連絡を取ると、そっと山行きをやっていたようである。そして、明日も、時間制限があるものの何処かへ出掛けるとの事。こちらも、違った時間制限があり、初めから一緒出来ないながら、どういう形になるか分からないが、何処かで落ち合う事が出来そうである。

 それもこれも、今晩から明朝の雪の状態を見たからになる。こんな事を述べるのだから、昨日のコメントの信憑性が問われるのかもしれない。身体が動かないとはいえ、欲張りなんだから・・・



1/21 「もう充分登った。」 わけでもないが、「もう、そろそろ・・」 という気持ちが、だんだんと増してきている。それは、「休日は山に・・」 また、「山が全て・・」 というライフスタイルやモチベーションを否定しているわけでもないが、もしかしたら、自分への改革なのかもしれない。

 根気・気力が遠のいていくわけではないが、体力の衰えが、もしかしたら、そう思うようにさせるのかもしれない。でも、それとは別に、他の所へも目を向けたいというのも本音である。このままで終えるのも人生、しかし、他の世界を知るのも、また人生と思うようになっている。

 それは、何も山から離れるというものでなく、時折、違ったものに向かうと取ってもらえればよい。2/6で、当HPが満17年を迎える。我が人生の1/4になる。何度も挫折を繰り返したが、よくぞ、ここまで続けられたものだと、自分ながら感心している。

 「その記念日が潮時かな?」 もしくは、年代の節目になる8月の誕生日をもって、ちょっぴり休もうかと思っている。(休んでもいいのでは・・) かといって、新しい事を出来るわけでもないのに・・、でも、それなりに、最後のモガキをやってみたい。



1/20 時折、不平不満が募る。平静になれば大した事がないのに、声が大きくなったり、黙り込んでしまったりする。身内の甘えが、そうさせるのかもしれないが、聞き流したり、笑いをもってすれば、衝突する事も少ない。それは、忘れるという事と、笑うという事が、何もかもを吹っ飛ばすのかもしれない。

 連れ合いが、寝たきりや認知症になった事を思えば、今の悩みなどは小さい物である。(お互いに・・)そして、体力がなくなったと言えども、まだ歩けるのであるから、こんな幸せな事はない。家族の皆が元気であるという事も、そんなに長く続く筈もない。今の内である。当たり前と思わず、感謝しながら、その機会を大事にしなければと思うのである。

 

1/19 例年並みとは言え、今年も、7回の山行機会を得ている。(予定通りいけば、1月は9回になる。) 中味はどうであれ、山に親しむ事が出来ているという事に、唯々、満足感を漂わせている。それは、欲を言えば切りがないからと言い聞かせている事に通じる。

 大地山の他に、大倉山や小白木峰、そして、大鷲山や黒菱山などに行かれれば、それで満点と思っている。例え時間的制限があろうが、それなりに機会を得れさえすれば、何も拘る事もあるまい。とは言え、残雪期まで、述べた山々に登る事が出来れば、この上ない喜びとなる。

 しかし、全ての休日が、好条件となるわけでもないし、予想もしない難題が降りかかるかもしれない事を思えば、希望とのギャップも致し方ないところでもある。自分の心に正直に、そして、奢らず、仲間達との協調をも大事にして過ごせればと思っている。



1/18 相変わらず空調のない部屋で寝ている。戸が全部ないから、開けっ放しとそんなに変わらない。もう鍛錬の域ではないから、室内の気温が3℃とか4℃に下がると、なかなか眠れない。半袖シャツにパンツ、そして、パジャマ。毛布に上布団一枚である。

 一昨日は眠れなかった。タイツを履いた。靴下も履いた。それでも寒かった。そうなると、ペットボトルである。2Lが良いのであるが、1・5Lのペットボトルしかなかったが、それでも充分である。熱湯を入れて、つま先に置こうが、抱きかかえようが、それこそお好みである。

 このような事を述べると、「元ちゃん(元さん)、電気アンカか湯たんぽを、プレゼントしようか?」 とまた言われそうだが、その湯を翌朝使うのであるから、もはや、テントの中と同じ気分である。下の階のずっと離れた所で、「山ノ神」は、シュラフで寝ているのだから、我家は、山も家も変わらないのかもしれない。



1/17 足が上がらない。足の甲が痛いというのは理由にならないが、心が燃えても身体が付いていけないのである。若い衆と比べるわけでもないが、やはり、それなりの歩きをしたいのである。それ以上の鍛錬をするにも、限界というものがある。身体機能が活発になる事もないからである。

 荷を軽くする手段が残されているが、「山ノ神」と同行する機会が多いだけに、リスク回避も兼ねての装備を、なかなか外せない事もあるし、より楽しくする持ち物もあるから、その兼ね合いが難しい。しかし、そのような事を再検討する年齢に差し掛かっているのは事実である。



1/16 昨日のハレルヤ山行の終わりに、「明日は向かいの洞山に行かないか?」 と周さんに声を掛けたら、「行きます。」 との二つ返事。小佐波御前山よりもっと多い雪量を頭に入れていたが、保育所の送迎があり、「ちょっときついかな!」 と思いつつも、もう一人の参加希望があり、行ける所まで。

 しかし、高岡から小杉IC付近まで50分も費やしてしまった。凍結のノロノロでは致し方なかった。遅れて集合場所へ行ったが、またどれだけ連絡しても通じないもう一人の援軍に、痺れを切らして庵谷の登山口に行ったのであるが、集落の雪量は凄く、雪下ろしが始まっていたし、いつも駐車する所の除雪もなかった。

 この時点で、午前10時であった。行動時間を3時間から3時間半とし、食事の時間を如何様にするか、その時点で決める事としてのスタートとなった。取り付きの簡易水道施設までも、もう既に膝上ラッセルである。杉林なら、ちょっとは楽かと思っても、膝があがらない。

 やっとの事で、夏道に沿った尾根に出たが、鉄塔までは遠い。これでは、林道までも覚束ないと思ったが仕方がない。目標を林道上の尾根までと、下方修正せねばならぬほどの雪量は、昨日のあの強靭達をもってきても、思うようには歩けまい。周さんが、昨日の体力温存?が奏功してか、フル回転してくれた。

 しかし、どんなに頑張ってくれても、限度があるというもの。尾根に上がる前の林道歩きで、もう足が悲鳴を上げる寸前となった。私のストックがすっぽり沈んでも、まだまだ先がある雪量に、その先を放棄せねばならぬ羽目になるとは、誠に残念!

 周さんと二人で、雪が降りしきる中、シェルターづくりに精出した。その間、「山ノ神」偵察と称して尾根に取り付いていた。平常では、そのような意欲があるとは思えないだけに、自分の目を疑ってしまった。食事後、そのルートを辿ってみたが、もう少しのところで絶えていた。

 固まらぬ雪質で苦労したが、久しぶりにタープを張ったら、何となく雪山へ来た気分になった。特別の食材がなくとも、温かい物を食し、コーヒーを頂ければそれでいい。この2日間、たっぷりと山に浸かったが、バカ・アホ・キチガイと言われようが、素晴らしい時間を使ったと思っている。



1/15 大雪になった。ハレルヤ山行集合場所の神通川第2ダム駐車場は除雪も覚束ないほどで、これではと幹事さんは、当初の目的地であった福地山から小佐波御前山への変更を指示。集合したのは、新たな若い人達を含め15名であった。

 船倉用水経由の小佐波御前山を甘くみていたわけではないが、深雪でも精鋭15名なら、そんなに難しくないと思っていた筈。しかし、結果的には6時間かかっても、山頂には達しなかったのである。その後の時間は、食事時間のしわ寄せとなり、ちょっぴり腰を下ろして、自分の事だけしか出来ないという事になってしまった。

 皆を喜ばせようと重荷を担いできた面々には、本当に申し訳なかった気がした。でも、それだけの時間を掛けてでも、目的を成し遂げたという達成感は、同様であったろうし、新たな絆が構築されたような気がしないでもない。そして、今日は、また新しい知り合いが出来た。「人生、もっと楽しめ!」 という事らしい。



1/14 朝起きても、「こんなもんか?」 と思うほど、大雪と騒ぎ立てる割には降らなかった。でも、日中は降り続いたし、今も降っている。ようやく雪国になったような気がする。降ったら降ったで困るのにである。昭和38年の豪雪の時も、成人の日くらいから降り出したような気がするが、記憶は定かでない。

 明日のハレルヤ山行も、どうなるかわからない。降り方次第では、行き先の変更もあるかもしれないとの連絡が入っている。ところによっては、集合場所に行くのも覚束ない事も出てくるかもしれない。どちらにしても、幹事さんは大変である。



1/13 まだ積もらない。(午後9時現在) 子供達が待っているのに積もらない。このままだったら、”雪国返上” になりかねない。「明日は、きっと積もるよ!」 と言ってはいるが、子供達も胡散臭いと思っている事だろう。

 田舎(地方)の人達は、都会の事をよく知っている。しかし、都会で生活している人達は、田舎(地方)の事を、よく知らないような気がする。今でも、雪に埋もれて生活していると思っている人達もいるし、毎日何十㌢積もるというアナウンスに、それを単純に足したものが積雪だと思っている人達も多いようである。



1/12 今日も雪が積もらなかったが、山沿いには、大雪の傾向が出て来たようだ。今度の日曜日は、ハレルヤ山行。雪を待っているのであるが、「どか~っ」 と降ったら何としよう。集合場所まで行かれなかったりして・・・ そんなのになれば、しばらくは、雪の心配をしなくて(豊富にあって)、いいかもしれない。

 降る降ると言って降らない(富山では)。まるでオオカミ少年のようであるが、こんなのでも、いつかは降るのである。都合のよいように降ってくれたら一番いいのだが、自然はそういう上手いわけにはいかない。



1/11 一向に雪が積もらない。「強い寒気がやって来る。」 とメデアが盛んに報じていたが、上滑りの感がある。降らない事に越したことはないが、山歩きをする者や、スキーをする者にとっては、「山だけ降って欲しい。」 と願っているが、そう上手くはいかない。このような状態の時、山行計画を立案する幹事は大変な苦労があると思う。そしてまた、降らないと思っているのに、大雪になる事もあるのだから・・・

 周りに、腰痛や膝痛で悩んでいる人が多くなって来ている。と思っていたら、青春期に痛めた足の甲(疲労骨折)の辺りが痛み出した。それに加え、孫達に馬乗りされているからか、ちょっと腰辺りにも違和感を覚えるようになってきている。父親が離れた所にいるし(東京)、母親の帰宅が遅いから、そのような事でもしてやらなくてはと思っているのだが、これを喜びと取ればいいのか、困ったと取ればいいのか分からないが、無い物強請りの事を思えばいいのかもしれない。



1/10 一生懸命歩き老廃物を噴出させるために大汗を掻きたいと思う時があれば、汗を掻かぬようゆっくり歩きたいと思う時もある。それとは関係なしに、最近、首・耳、そして、特に後頭部の寒さを覚えるようになってきている。歳のせいにすれば、それまでのようになるが、それを補うアイテム(小物)の必要性を感じるこの頃である。

 温度調節と言えば、上着の腕まくりに、下げおろしを細かくやっている。「すぐに下がる。(落ちる)」 今度は、「下げたのに捲り上がって袖が寒い。」 などを経験している。「寒いとボタンが留めにくい。」 を解決するのに、小物の名は、よくわからないが、(アーム○○) または、女性が使っているストッキングの上部の輪っか(破れたものの使用)でもよい。結構重宝している。

 雪山も低山歩きで、その都度対応出来ればいいが、ちょっと高度を上げた時の対応は、そのリスクは累乗と言わざるを得ない。そのような時に、ちょっとした事をケチって、大失敗を侵しては何にもならない。



1/9 雪不足と雨予報に何処の山にしようかと悩んだが、傘を差しても歩ける山として、小佐波御前山を選んだ。もう一つの理由に、前回登った時、小佐波御前小屋の雨漏りを発見し、何とかならないかと、地元であるイマイチ女史に、「何かツテがないものか?」 と相談・お願いをしていただけに、ブルーシートが掛けられて処置が行われているとの情報を得、私も自分の目で確かめたかった事もあった。

 舟倉用水経由で小佐波御前山に登るシュンちゃんと玉ちゃん先生に駐車場で遭遇。「山頂でお会いしましょう。」 と我々は、展望レストランまで上がった。標高400~500mくらいで雪が現れ、500m超から雪上を歩けるようになった。でも、その雪は、スノーシューやカンジキがいらないような雪量で、この時期としては、どうしたのかと思うような状態である。

 記念碑のある頂上で食事をしようかとコンロを出して湯を沸かし始めたら、霧雨が降り出したので、やっぱり小屋に潜り込んだ。そこへ、シュンちゃんと玉ちゃん先生がやって来て、新年の挨拶をしながら、久しぶりの再会を喜んだ。

 簡単な山歩きを想定していただけに、食材も乏しかったが、近況や山の話で補う事となる。下山路は、4人で降りる事となり、賑やかに喋り通した。心配した雨であったが、猿倉山近くまで落ちる事もなく、楽しく快適な一日を過ごす事が出来た。

 

1/8 明日は雨のようである。もう降り出しているし、その予報は確実であろう。その後、雪になるのだろうが、まだ信じられない。降って初めて、それを認め次の山行に繋がる。行かなくてもいいのであるが、歩かないわけにはいかない。だって、トレーニングジムなんだから・・・ 傘を差してでも歩きたい。



1/7 ちょっとご無沙汰の「北ちゃん」にメールをしてみた。あまりキャンプをしない彼と、ある程度の雪が積もれば、正月の2~3日に低山(千石城山or城ヶ平山)で、キャンプをしてみないかと昨年末に話をしていた。「所用が出来ても、後から来ても良いし、早めに帰ってもいいし・・」 などと、その低山の楽しみ方を語っていた。(お酒も何とでもなるから・・)

 ところが、雪は一向に降らない。9日(成人の日)の事もあるので、痺れを切ってのメールである。雪のある例年なら、「大鷲山」 か 「赤谷ノ頭」 辺りが候補に上がり、その連絡に慌ただしい筈であるが、今年は少し様子が変わった。

 要の「北ちゃん」が、腰を痛めたとの連絡が入り、独自のリハビリで、仲間と一緒する企画には現在乗れないとの事であった。そして、予報もあまり良くない。もう一日待って決めるパターンとなる。



1/6 コンパクトデジカメを使用する事が多く、重たい三脚でなく、安価で軽い物を、昨年11月の同窓会時に購入。しかし、その会場に忘れて来たようなので、同じものを買った。その買った物を、1/2の大辻山・高峰山の際、暗くなった林道歩きを、カメラに収めたいと使用したのであるが、それ以来、何処へ行ったのか見当たらない。

 そこまでの記憶は確かなのだから、真っ暗の中、雨・雪に見舞われ、さあっと、リックの中に入れたつもりであったが、いい加減さが災いし落としてきたのかもしれない。2か月間で3台も買ったのであるから、安価な物とは言えども実に痛い。

 雨雪構わず撮るデジカメも災難に遭っている。セルフタイマーを使うから尚更であろう。3個持っているバッテリー共、調子が可笑しいと思っていたが、本体の方がダメになったのかもしれない。今度は、違ったメーカーの物を買ってみたら、勝手が違い戸惑っている。



1/5 正月4日間は、全て日帰りとは言え、充分に山中で過ごした。雪が少なくとも、また、雨が降ろうが、やっぱり、「休日は山へ・・」 が、今年も続きそうである。家族も、そして、周りの方々も、仕方がないと諦めてくれている現在、こういう状況を自ら手放したくない。

 「もう、そろそろ」 とか、「いい加減にしたら・・」 などの雑音が聞こえて来ない事もないのであるが、「余計なお世話」 と聞き流している。「まだ山に行けるくらい元気!」 と思っていただければいいのだが、心配してもらうだけ幸せなのかもしれない。

 元日に富士山に登られたという上信越に住むM氏から、「富山の山は、あまり知らないから、一緒する機会があれば・・」 などとFBを通じて、メッセージをもらった。 今月末に、また登る予定だという彼に、「当方のレベルと違い過ぎるし冗談でしょう。」 と返したら、「それはそれ、休日も、意外と自由が利く。」 との返事。

 そんな機会が訪れるかどうか分からないが、M氏は20代である。昨年末、犬田君と一緒出来た事もあるが、もっと若いM氏なんだから、相当鍛錬を積まないと耐えられないような気がする。実力以上の事は出来ないし、他人様に迷惑を掛けるような事も考慮しなければならないが、若い人達との交流が、私の人世にプラスしてくれると確信している。 (そのM氏であるが、昨年末、大辻山で周さんのスマホを拾ってくださった方である。)

 

1/4 今日で4日連続の山行となるが、上の孫ミーの送迎時間の変更もあり、我々の行動時間も短縮となった。県西部のお天気は回復傾向とよんで、八乙女山・大寺山としたが、ちょっぴり覗いた青空は、早々に雲に隠れてしまった。

 八乙女山・6合目には、かけらの雪も残っていなく、7合目を過ぎた頃から、それこそ、ちょっぴり雪が現れる状態であった。9合目の稜線に出て、初めて雪上を歩く事が出来た。峠の東屋には、ステキな女性が一人で食事をしていたが、声掛けただけで通過する。

 反射板経由で、三角点に駆け上がったが、何処の斜面も、雪がなく、ドロドロである。三角点から大寺山を目指すのであるが、「山ノ神」にしてみれば、「八乙女山だけでいいのに・・」 と思ったに違いない。異論を言うと、「来なければいいのに・・」 と返されるに決まっているからである。

 過去に、全て林道を使った事があったが、道宗道を使えば、時間短縮になると言っていた事に、少しは気分を和らげていたのかもしれない。「でも、アップダウンがあるよね!」 には、「そりゃ山だもの、大なり小なりあるに決まっている。」 後は、沈黙ある修行の歩きとなった。

 栃原峠から、その道宗道を辿った。ズルッと滑る所もあったが、それなりの雪量となり、ぐるっと回っている林道より、はるかに近いと感じたのは、大寺山近くの反射板を見たときであろう。雨が雪に変わって、風が伴った時は、「何でこんな所に行かなければいかないのか?」 という顔をした「山ノ神」に、私は掛けてやる言葉がなかった。

 登山口から3時間と切っていただけに、雪が深くなっても、風雪が強くなっても、私は歩き通した。大寺山頂には、大きな看板(標識)が一つあるだけで、身が縮む思いであった。後続の「山ノ神」に、「30~40分程の時間があるから、食事をするか?」 と問うてみたが、「寒いから、すぐ戻ろう。」 との返事に従う事にした。

 「山ノ神」の逃げ足は速かったが、でも、やっぱり急斜面の下りでは、四苦八苦が続いた。でも、復路は、踏んである事もあるが、かなり早く降りる事が出来たように思えたが、時間の経過と共に、「山ノ神」の足が止まりつつあった。それにもお構いなしに、八乙女山・最高点へ向かった。

 午後2時頃であったろうか、何も食べていないのであるから、お腹が空いたのである。その大杉のある最高点近くで、蕎麦を分け、コーヒーを頂いた。そんな時間を費やしても、楽々、孫達の迎えに間に合った。そうして、お正月の休みは終わったのである。

 

1/3 「昨日の疲れが残っていない。」 とは言えないが、疲れを取るには、同じような事をするのが一番。同じ所も嫌だったし、雪のない所も、ちょっと寂しいとなり、林道歩きがあるももの、極楽坂山へ行く事にした。

 林道の雪は、10~30cmくらいであったが、1時間も2時間も歩くとなると結構疲れる。登山道に乗ってからは、30~70cmの雪量で、スノーシューが充分に使える。標高差400mくらいを登るのであるが、距離にしたら2キロくらいであろうか? (林道歩きは別。4キロ以上あるような気がするが・・)

 駐車地点発が、9時50分頃であったが、「山ノ神」は盛んに、箱根駅伝の優勝者(青学)が、テープを切るよりも、早く山頂に立ちたいなどと言いながら、ラジオに聞き入っているからか、足が結構お留守になっていた。

 それでも、青学がテープを切るよりも早く山頂に着いたが、雪が降り出して視界はまるでなかった。しかし、シェルターを造る雪量があって、早速作業に精出した。「タープはないのか?」 との「山ノ神:」のコメントには、「早く帰るつもりだったから・・」 と返したが、結果的に1時間は滞在した事になる。

 標高が1,000mを超えると、雪量はそれなりにある。スキー場の音楽や雑音がチョッピリ気になるところであるが、キャンプにもいい場所である。(叱られたりして・・) 帰りは、ルンルン気分で降りたし、林道歩きも、帰路はやはり早い。



1/2 壁を造れるくらいの雪量があれば、「城ヶ平山や千石城山でキャンプをしようか?」 との話が、仲間としてあったが、年末来、雪が降らない事もあり、盛り上がらなかった。上京していた娘や孫達の帰省、そして、「山ノ神」の箱根駅伝観賞などが相まって、単独行が許された。

 雪の状態は分からないが、思い切ってたくさん歩きたい計画をもってスタート。(大辻山と高峰山に登る事。午前7時にスタートすれば、午後6時まで国少の家まで戻れるとの計画。国少の家午前7時・長尾峠8時半・大辻山11時・鳥越峠午後1時・高峰山ピストンで鳥越峠3時・国少の家6時である。その間、食事とか休憩を含ませた。夕方からの雨も考えていた。)

 ところがである。モナカ雪であった。体力を消耗する。それでも、城前峠先、100から200mまで、トレースがありチョッピリ助かった。ライオンズの森で汗を拭いていると、スキーヤーに抜かれた。そのトレースを頼りにしても、付いていけるはずがない。

 長尾峠午前9:05 もう既に30分以上オーバーである。スキーヤーは⑨番に向かっていたが、私は、トレースのない長尾山を選んだ。当然、⑨番からとの合流点まで30分を要していると思われた。ところがである、前者はカンジキに履き替えていた。これなら、追い付けると思った。案の定、奥長尾山の先で追い付いた。

 そのスキーヤーは、スキーを担いで物凄い速さで登っていく。④番辺りから、私が先頭に立ったが、後は、全て彼が、先頭を担ってくれた。「もしかしたら、本間さん、元さん。」 と、⑥番辺りで、彼が問うた。10年ほど前、1/2牛岳で出会っているというのである。私も思い出したが、彼は、山を登り始めた頃である。その彼に問うてみたら、今では、冬はスキー、夏は沢登りとか、そして、50歳というから、私が適うわけがない。

 ヨタヨタであったが、11時45分頃、大辻山頂に辿り着いた。ワンツーフニシュである。(おそらく大辻山今年最初の登頂者)その坂田さんと話し込んでいたら、1時間を費やしてしまった。後から登って来られた野原さん(大沢野の方)とも・・

 1時間45分もオーバーであったが、鳥越峠まで、調整の2時間を見ておいたので、取り戻せないかとも思い、高峰山は、鳥越峠に着いてから考える事にした。走ろうと思った。そこへ、高岡の奥さんと出会う。久し振りである。写真を一枚撮らせてもらってすぐに分かれる。

 分岐からの北尾根には、もちろんトレースなどない。走ったら、深みに嵌って足が攣った。弱った!でも、走った。何度か、ルートから外れようとしたが、そこはGPSが頼りになる。でも、時間が経過する毎に、足が上がらなくなっていった。鳥越峠に着いたのは、2時15分であった。

 高峰山へは、迷ったが、4時には戻れると踏んで決行した。足が重かったが、何とか着き、雨の日に登る事の多い高峰山からの展望をちょっとだけ楽しんだ。予定通り鳥越峠には、4時に戻れた。この先が大変である。長尾峠いや⑨番の取り付き地点まで戻ればトレースがあるを頼り(目標)にして歩いた。でも、足が重く前に進まない。

 白岩ルート手前で真っ暗になった。雨も霧雨状態だったが降って来た。トレースに辿り着いた時は本当に安堵した。これから楽になるである。お腹も減った。足も疲れた。真っ暗の中、ヘッデンを点け、そして、傘を差し、変な男が歩く。国少の家に着いた頃は午後7時を回っていた。12時間である。



1/1 今年も宜しくお願いします。元日は、51年間続いている新年会(管鮑会)が夕方からある事から、その合間に尖山へ出掛ける事が定番化しつつある。(21年・24年・27年・28年、そして、今年も・・) 今年は、周さんが、初めから一緒してくれた。ちょっと、雪が少ないが、お天気はまずまず。短いコースだけに、横江駅前から歩く事にし、夏椿コースを往路とする。

 剱岳は、ちょっと恥ずかしいのか、顔を隠していたが、相対的に、展望はまずまず。風もなく暖かくも思えた。そんなところへ、昨年もお会いした棚田夫妻がやって来られた。「もしかしたら・・」 と思っていただけに、嬉しく感じ、「恒例になればいいのに・・」 と勝手に思い込んだ。

 下山時に、辰口氏御一行ともすれ違った。駐車場では、通りすがりの神谷夫妻(魚津)にも声を掛けて頂いた。今年は、何だか年初めから賑やかで縁起がいい。家へ戻ったら、大量の年賀状が届いていた。新年会までには読み尽せなかった。