2/28 幅138cm、高さ226cmのブラインドを取り換えた。この種の作業を行った事がなかったので、少々不安があったが、終わってみれば意外と簡単だった。しかし、最初は、採寸の正確さや、取り外しが上手く出来るのだろうか思っていたが、やれば何でも出来るもんなんですね。

 2~3年前に壁紙を張り替えたが、それこそ悪戦苦闘であった。それなりに作業をこなし私の部屋(3畳)になる筈であったが、いつのまにか「山ノ神」に乗っ取られてしまい、今も例の2階で独り暮らし?である。そうなると、物置状態になっている2階の洋間(8畳)を、私の棲み処にしようか? そうなると、何処かで時間を割かなければならなくなってくる。どうしよう!



2/27 やっと大地に行けた。夢創塾手前の発電所に午前6時集合、久しぶりに朝早く出掛けた。そして、河原氏の提案で夢創塾手前(10分程手前 火の用心No.10から)の尾根に取り付いた。点検道or作業道なのだろうか、結構枝打ちがなされていた。杉林を抜けると急登となり、小枝が邪魔するようになった。それは、赤松の手前で、夢創塾からの登山道に合流するものであった。

 赤松手前の400m位でスノーシューを装着したが、638mピークから雪が締まり、ようやく快適な歩きが出来るようになった。急斜面では、ズルっとなる事もあったが、締まった雪に、新たな雪が10cm位積もった状態で気分の良い歩きが出来た。

 晴れが約束されていたような予報であったのに、鍋平(標高1,000m弱)付近から、みるみるうちにガスに覆われ、展望どころか視界が悪くなってしまった。小さな雪庇が現れた頃から、「山ノ神」が、山頂に行かず その場所で待機すると言い出し困った。体力の限界と思ったのか、展望のない山頂と思ったのか分からないが、私達は、そこに置いて行くわけにはいかず、なだめすかして山頂まで誘導する事になった。

 全く展望がなく、唯、寒いだけの山頂であったが、発電所から4時間半弱で辿り着いたので、休むには充分過ぎるくらいの時間があり、穴を掘る事にした。山頂の樹木が数多く見れるのであるから、今年も雪量が少ないのであるが、でも、深く穴を掘る事が出来た。幸いにも風があまりなかったので、タープを張るのを省いたが、じっとしていると、その寒さ・冷たさが、ジワジワ伝わってきた。

 予定よりも早く下山に掛かったが、予想通り638mピークから夢想塾までは時間が掛かってしまい当初の予定通りの時間(午後3時半)になってしまった。それでも、「山ノ神」の執念なのか、フキノトウを少しばかり採っていたようであった。今回は、予想を裏切るお天気になってしまったが、それでも、新雪の上を歩けたし、きれいな樹氷が見られたし、私にとっては、ステキな山行となった。



2/26 このところ、仕事でずっと帰宅が遅かったその償いなのだろうか、「子供たちを送ってから職場へ行く。」 と言ってくれる娘に甘えて、朝だけだが解放される事になった。そうなると、文句なしに大地行きとなる。そんなところに、「何処へ行くのですか? 私は空いています。」 と、河原氏からのメールが届いた。

 「こちらのペースに合わせてもらえるのなら・・」 との返事を出したのだが、俊足の彼に、こちらは鈍足。何だか申し訳ないのであるが、一緒してもらえるのは嬉しい事である。良くなる予報に、ゆっくり歩いて大地の良さを味わいたいと思っている。50回まで、まだ遠いが42回目となる。



2/25 下記は、最初の大地行きの記録である。(H.11.03.01) はるちゃんと6時間を要して登ったのであった。大地から初雪山に行ったのは、それより4年後(H.15.03.24)で、シュンちゃんと1,223mピーク付近で擦れ違い、山頂で妖怪大猫君待っててくれた想い出もある。

 その初雪山へは、H.09.04.14に出掛けているが、大平川の凄いデブリに阻まれ悔しい思いをして撤退したが、翌年H.10.03.30に、川黒谷から初登頂に至った。(はるちゃんとイマイチ女史と共に) H.14.03.17にも大平川・川黒谷から入っているが、強風のため大斜面の手前で涙をのんでいる。その時は、穴倉さんら高岡HCの面々と出会った事も懐かしい想い出でもある。 

 小川温泉の手前の長いトンネルの中間の出口が、朝日小川ダムサイト。駐車スペースの除雪がされていたため、高く雪が積み重ねてあった。始めから雪で、対岸の橋を慎重に渡り、トンネルを抜けたところでカンジキを装着した。林道を発電所から離れて、くろべ平に向かって北上する。林道が続いているらしいが、雪の下で分からない。無雪期にも来た事がなく、地形図とコンパスが頼りだ。くろべ平の周辺は、杉林が続くが、一寸した高台で休息するには格好の場所だ。

 杉林の間をルートを選びながら1時間程で、向こう側に、せせらぎをかすかに感じさせる、阿造谷の源流が覗ける稜線に出た。 杉林もブナ林にかわり、お天気もよく快適な尾根歩きとなる。 標高が800㍍を超える荒戸谷からの尾根と合流する頃は、すでに展望は抜群である。

 東側に、初雪山への心躍る稜線が続き、やや南側に朝日岳、雪倉岳、白馬岳がある。それより右手(西方向)には、何故か蒼く鋭く感じる猪頭山から負釣山の稜線の上に、剱岳や毛勝の山々の頭部分が浮かび上がって来る。

 「凄いぞ!」「絶景だ!」「来て良かった!」など、二人の持ち合わせた絶賛の言葉を数々並べ、緩やかな尾根の「稜線漫歩」となった。 黒菱山から初雪山に長々と続く稜線に、あのピークが大地山だと急いだが、やはりいつものとおり、目指すピークはその奥にあった。この周辺の山稜は、低山ながら、1000㍍超える頃からすっぽり雪の下に木々を完全に隠してしまっている。

大地山頂上は、なだらかで広く、黒菱山の展望と違って、やはり初雪山が一層近くに迫力ある姿を見せてくれた。二人の体力がもう少しあり、カモシカ的山行なら、初雪山に届きそうな気がしてならなかった。 視線をやや右に移せば、剱岳が不思議な事に、私より低く見えるのである。

大地山頂上は、なだらかなのだが、風当たりが強く、ピッケルの先も刺さらないくらいにカチカチだった。天気も良く、展望も良いのに、三脚を立てての記念写真も撮る事が出来なく、食事を取れる状態でもなかった。 でも、一寸下がった風のない所での食事は、親友と飲み交わすビールで、充実感が溢れていた。 初雪山登頂はもとより、焼山、黒菱山、そして大地山など、我愛する初雪山の周辺の山また、眺められる山は、この上なく素敵である。




2/24 インフルエンザに掛かった下の孫(エリー)は2日前から、上の孫(ミー)は今日から、登園・登校する事になって一安心。そして、今日は、確定申告を終え、何もかもが楽になったような気がする。でも、そんな事は、一時の事で、求める探すのではないにしても、また悩み問題が出て来るものである。正しく、谷あり山ありで、山歩きそのものである。

 今年は、まだ大地に出向いていない。この時期になって、まだ行っていないという事は、あと何回も行けないという事に繋がる。時間ばかりでなく、お天気も左右する。3/19~3/20の大地・初雪山キャンプインまで 何とか、あと2回は行きたい。それ程好きになってしまったのである。



2/22 最近になって、身体の” そこたらじゅう” に違和感を覚えている。(痛みがある。) その中で、一番気になっているのが、左足の甲と足裏である。古傷の再発や他の病も考えたが、それに該当しないように思う。また、薬を塗ってみた事もあり、サポーターを付けてみたのであるが、必ずしも芳しくなかった。

 違うかもしれないが、靴自体を考えてみた。長年靴との巡り合わせが悪いのか、それとも、大きさへの確認の甘さなのか、靴を履き始めて50年、常に爪が真っ黒であった。(それは、スキー靴も含めてである。) 今から20年程前だったろうか、(もしかしたら、もっと前) 富山の山用品店を訪ねた時に、靴談義となった事を覚えている。

 勧められた靴に、「もう、ピッタリの靴はいらない。」 と、ワンサイズ大きめの物を求めた。それ以来、大きめの靴を愛用し始めてから、足の爪を痛める事が殆どなくなった。しかし、登山靴は高価である。今も3足の靴を回して使用しているが、その中に、安価に目がくらみ、ツーサイズ上の靴が含まれている。

 冬はその靴が主流で、2枚の靴下を履いている。元来靴紐が緩もうが、解けようが、左程気にせずして歩いていたが、このところ、その事ばかりではないような気がするが、可笑しな状態に及んでいる。先般のハレルヤ山行に際し、思い切って、厚めの靴下を2枚購入しそれをあててみた。

 ずっと、2枚の靴下を履き続けていたが、靴下を手洗いしているから分かるのかもしれないが、かなりの消耗し、(薄くなっていた。) パッとの代わりをなし得ていなかったのである。今回、ちょっとは、改善したものの、本質はどうかは分からない。恐らく、医院・病院を訪ねれば、「加齢ですからね!」 と言われるに違いないと思っているから、もうしばらく、自分の考えで模索してみたい。



2/21 昨日は、雨だけの理由で山へ行かなかったわけでもないのに、何だかこの先も、いろいろな口実の下に、信条としていた事が崩れていくのだろうか? 加齢と共に仕方がない事だと思っているのであるが、何故か悲しくなって来る。

 やっぱり、「無理をしてでも・・」 の時が、何もかもが充実していたのかもしれないし、何だか分からないなりにも、 ”抵抗” が必要なのかもしれない。それは、小さいなりにも夢というのか、目標がなければ、歩んでいけないし、励みにもならないという事なのだろう。「成功は目標設定にあり。」 



2/20 「来ないわけがないだろう。」 とか、「山で治したら・・」 などと、イヤミや励ましを頂きながら、昨日は、ハレルヤ2月定例山行に参加した。そして、不思議な事に登高中は咳が出なかった。登山を終え、車が自宅に近付くに連れ、少しばかり咳き込んだが、概ね吹き飛んでしまったような気がするから可笑しなもんである。

 しかし、今日は、始めから雨の予報と孫2人の面倒を見る事で、年初から続いていた 「休日は山へ・・」 が、途切れる事になった。いずれなるだろうし、今年は、自己改革として、他にも、まだやる事があるような気がしているから、それでいいのだと、自分に納得させた感じである。

 ”タミフル” は、やっぱり目を離せない。上の孫が、一時的にせよ、意識をもうろうとさせていた。家でじっとしておれない「山ノ神」を外出させ、私は、一日家の中にいた。と言っても何をしたわけでもない。でも、昨日使った靴下やシャツなどを手洗いしたし、昼は、子供たちの食事を作った。何かした内に入らないか?



2/19 夜中に咳が出ていて、「ちょっと、まずいかな!」 と思ったが、結局はハレルヤに参加した。あまりお天気が良くないとの予報であったが、良い方に転んで、山行は楽しいものになった。幹事の池田氏の企画は、赤谷ノ頭に繋がる尾根の770mピークまで行って、後に千石城山の頂に戻り、スキー場に降るというものだった。

 12名の参加者の殆どが、初めてのルートだけに、「素晴らしい!」 の連発が飛んでいた。それもその筈、大倉山や毛勝の山々だけでなく、剱岳がずっと望めるからに他ならない。また、杉よりも雑木が多く、雰囲気がとてもいいのであった。

 予定よりも早くそのピークに到達するものだから、2時間程の食事時間となった。今回は、飲むというよりは、美味しい物がたくさん特設テーブルに並び、大いに盛り上がった。その余勢を買ったわけではないが、遠くに見えた千石城山の頂に、1時間程で到達するのであるから、改めて人の力(足)とは凄いものだと感心してしまう。

 しばらく、その山頂で息を継いだが、スキー場目掛けて走り出した。今日は、思ったより早く車に戻る事が出来、大阪に帰る長男の相手を少しは出来たのである。子が帰省しても、山優先の我々であったが、今回は、何とか簡単な食事でも出来ないだろうかと思っていただけに、足の速いハレルヤの仲間達に感謝である。

 その間、上の孫(ミー)が、急患センターに行って来たらしく、インフルの陽性と判定されたようだ。(二人の孫がインフルとなった。) これで、明日の山行は、完全に中止である。(私だけの山行も中止である。) 何度見ても予報は雨であるし、納得のいくところでもある。



2/18 上の孫(ミー)も何だか可笑しくなってきた。あれだけくっ付いているのだから、エリーのインフルが、うつらないわけがなかろう。まだ医院に行っていないから分からないが、これで、かなり我々の行動が制約される事は間違いない。

 明日は、親(娘)が休日だから、その負担がないが、月・火曜日は、我々が、面倒みる事が確実になって来た。そんな時に、「山ノ神」が、私に 「大地に行って来たら・・」 と言った。常々、「大地に行く機会がない。」 と言っているからであろうが、どうしても行かなければならないなら、仕方なく行くだろうが、孫達の状態と雨予想の悪条件下で行きたくはない。

 それにしても、大地に行く機会がない。高岡8時発 17時着の条件では、なかなか厳しい。9時間あるではないかと思われるかもしれないが、登山口までの往復に3時間半~4時間を要する。しかも、取り付きまでの時間も計算しなければならないし、その日の気象条件も加味しなければならないのだから、山頂にタッチだけして戻るにしても大変である。

 そして、時間を必ず守らなければならないという事も大きな障害になっている。だから、「山ノ神」が、制約なしの明後日を演出してくれようとしてくれるのだろうが、明日のハレルヤ山行にも、参加できるかどうかも分からないのに、今回はダメである。

 そうして、だんだんと山は遠ざかっていくのだろう。逃げて行くというのが本当かもしれない。大地(大地山)に100回と思っていたハードルを、50回に下げたのであるが、それも、おいそれと達成出来ない状態になって来た。今年も来年も、その数字には届かない。でも、年に1~2回になっても大地詣は止めない。その時は、山から引退のようなものである。



2/17 私よりも下の孫(エリー)が、インフルエンザになった。熱が高くなると、ぐったりするから、見ているのも可愛そうで辛い。日曜日のハレルヤに行けるにしても、翌日の月曜日は、仕事の娘を休ませるわけにもいくまい。幸か不幸か、その日の予報は悪い。二人ともか、どうか未だわからないが、「何が何でも・・」 が、ようやく途切れる可能性が出て来た。それもそうだが、自分自身はどうなるのだろう。



2/16 2/19はハレルヤ山行であるに、ちょっと咳が出ている。インフルエンザや肺炎なんかになってたまるか! そんな時に、大阪から長男がやって来た。「今日は飲まないでおこう。」 と思っていたのに、また飲んでしまった。特別具合が悪い事はないのであるが、用心に越した事はない。



2/15 我らのねぎちゃんが、第7回とやま森の四季彩フォト大賞で凄い賞をもらった。準大賞で賞金も凄い。審査委員長の総評では、「神秘的で、スピリチュアルな空気を感じさせる格調高い写真で、大賞になっていてもおかしくないほでの出来栄えであった。」 べた褒めである。そのねぎちゃんの作品 「精霊の樹」は、作品展として、県内外9ヶ所で行われるようである。機会があれば是非ご覧あれ!



2/14 昨日は、鍋冠山から戻り、孫達の迎えを済ませ、約束の反省会(同窓会)に参加した。調子に乗り大酒を頂いた。実に楽しかった。5時間飲み続けた。今朝は、喉が痛かったが喋り続けたからに違いない。二日酔いなどはない。他の二人は、ちょっと具合が悪かったらしい。こうして、休日は、朝から晩までの一日を充分に使い切って遊んだ感じである。でも、ちょっと飲み過ぎである。気を付けなくてはいけない。



2/13 雪の状態如何では、林道歩きで終わるかもしれないし、山頂に達しても、食事の時間がないかもしれないが、鍋冠山行きとした。明け方の降雪はあったが、8号線・中島~新屋辺りで、渋滞に出合ったものの、午前9時前に上市町入りが出来て、登山口の西種に向かった。

 西種集落手前の十字路(バス停)の片隅に駐車し、消雪のための流水に靴が濡れないように集落内を歩いた。集落を過ぎると、想像以上の雪量に驚きながら、スノーシューを装着する。前日のものか定かでないが、トレースがあり、深く沈まなくてすんだ。

 終始元気者の河原氏に先頭をお願いする形となった。それが奏功してか、2時間半余りで山頂に達する事が出来た。当初は、タッチだけして、ターンしなければならないのではと思っていたが、1時間以上の余裕が出来、タープを張る事にした。900mの山頂からは、本来なら剱岳が望めるのであるが、今回は、酷く降らなかっただけでも良しとした。

 山頂近くまで、殆ど杉林に覆われているが、雑木からスッキリした斜面を駆け降りるのが楽しい。喜び過ぎて、ちょっとルートから外してしまったが、愛嬌の内である。長い林道とはいえ、復路は楽ちんである。午後3時までに車に戻れたのであるから、後に余裕が出来て良かったのである。



2/12 あまり時間がない明日の山行を綴ったからであろうか、河原氏から 「私も時間があまりない。出来れば一緒したい。」 との連絡があった。行事があるから、帰宅したい時間を明確に示し、集合時間も、降雪・凍結による交通事情で、必ずしも約束した時間に行けないかもしれないなどと、了解を得ての約束とした。

 それも、立山町の尖山・来拝山、そして、上市町の鍋冠山・ハゲ山~城ヶ平山などを提示しながら、明日起きてから決めて連絡するというものであった。それでも、同氏の快諾を得たのである。



2/11 今日は建国記念の日。特別な思いはないが、自分の国は自分達で守りたいと思うし、精霊には、安らかに眠って欲しいと思うのは自然だと思っている。紙上は、その事より、中国地方の大雪と、安倍首相とトランプ米大統領との会談について大きく報道している。

 平和ボケの指摘が当たっているような気がするが、世には、いろいろな意見がある。かといって、私は何も出来ない。その 悔しさを、どうすればいいのか分からない。手段は、選挙しかないのだろうか?



2/10 ずっと雪だるまが並んでいる予報であるが、昨夜からの降雪もなく、また今日の日中も降らなかった。降る降ると言われているから、田舎の事を知らない都会人などは、さぞかし雪に埋もれているように思っておられるに違いない。北陸の気象台は、新潟にある関係上、北陸と言っても、福井から新潟だけに、その予報は難しいのではないかと思われる。

 山に降って、下界(平野)は降らない。そして、積もらないのなら最高であるが、そうはいかないのが常。また、ドカッと来るかもしれない。でも、これくらいの雪量なのだから、何度となくやって来る寒波があっても、やはり、暖冬なのかもしれない。



2/9 今度の月曜日(2/13)に、昨年11月に行われた同窓会の反省会をやろうとなっていた。時間も場所もお任せで臨もうと思っていたのだが、それが、かえって良くなかったのか、集合・開始時間が午後5時半になった。「どうしても、休日は山に・・」 を、今年から止める方向にしようと思っている旨を伝えてあったのであるが、私が可哀想と思ったのか、それとも、口だけだと思ったのかは分からない。

 逆に、その相棒達に辛い目を合わせてしまったのかと、後悔の念が脳裏に浮かぶ。また、私が、自らその企画を買って出れば良かったのかと、反省が伴ってしまう。そうなってしまうと、その日は、やっぱり 「山に行かなくてはならぬ。」 不思議な感じ。今のところ、曇り時々雪の予報であるし、時間が有り余っているわけでもないから、それこそ簡単な山行となる予定。



2/8 当欄を覗いてもらっているからか、「足は、大丈夫!」 「手は、どうなの?」 などと、気にしてもらっている。有り難い事である。この歳になったからか、それだけでなく、ここもあそこも、次々に弱って来ている。「もうダメかもしれない。」 と弱気になる事もしばしば。でも、「それでも・・」 とか、「まだまだ・・」 とかになるのだから、まだ意欲があるという事であろう。

 それにしても、悪循環というのだろうか、良い事は、遠回しになり、悪い事は、すぐに取り付きその節制は覚束ない。苦しい事は避け、楽な事は取り入れやすいのであるから・・・・  大食い大酒は身体に良いわけがない。こんな事が続けば、いずれ参ってしまう事請け合い。身体に良い事などしているのだろうか? これで山歩きを止める、少なくしたら、どうなるのだろう。

 「動かさなかったら、さび付いてしまう。」 「使わなかったら劣化してしまう。」 まだ元気でいたかったら、鞭打っても身体を動かさなくてはならない。そんな思いでやっていくしかないであろう。



2/7 連休2日目の今日は、何処へ行こうかとなる。最近は、仕事が忙しいのか、娘の方から、”朝の解放” が言い渡されないので、その選択肢は限られている。久し振りに牛岳、そして、もう少し回数が欲しい鍋冠山などが候補に上がったが、同じカツカツの時間を過ごすなら、3週間前のリベンジで、洞山に向かう事とした。

 予報通り登山口の庵谷に近付くに連れて降雪が激しくなった。3週間前より5m位奥に車を入れる事が出来たが、雪量はたっぷりである。その3週間前にも、林道取り付き付近にある簡易水道施設へ点検に来れた職員さんと、「また、お会いしましたね!」 「気を付けて・・」 などと言葉を交わした。

 雪量は、その時と殆ど変わらなかったが、やはり確実に春に向かっているからか、新雪が積もっていても、沈む度合いが違う。膝上ラッセルなら、またまた敗退覚悟であったが、急傾斜以外は、膝下だっただけに、反射板と鉄塔のある尾根に上がるのに、1時間程であったから、これなら、山頂に立てるかもしれないと思った。

 その林道手前までは、新たな雪に覆い被さっているとはいえ、所々にトレース後らしきものがあり、深みに嵌る事が少なくてすんだように思えた。尾根に上がってからは、やっぱり雪量が増え、トレースなどはない。そして、風を伴った降雪に寒さを覚えた。

 切れ落ちた斜面には、それなりの雪庇が張り出していたが、それよりも風紋の大きさが、高低を錯覚をさせ、カラ足を踏むような事が何度となく起こった。また、樹木の脇の穴凹に足を取られる事もしばしば。そして、転べば、起き上がるのに四苦八苦する事になる。

 展望はなかったが、雪の白さが、際立ってきれいに思えた。しかし、寒かったし、冷たかった。そして、時間が気に掛かる。「今何時?」 「あと、どれくらい?」 その聞く聞かれる間隔が、だんだんと短くなっていくのは仕方がなかった。GPSで、標高差や山頂までの距離を出しても、雪深くなっていけば、必然的に足が遅くなるし、士気も下がっていく。

 どうしても、山頂に行かなくてはならない事もないのであるが、戻ってからの達成感には、やはり違いが出て来る。ボヤ~ッと反射板が見えた。「何処に?」 と問われるくらいに近付かないと、靄っていて分からなかったが、山頂には、2機の大きな反射板がある。

 風があるから、食事をしないで戻ろうという事になったが、どちらかというと、いつもと違って、山頂の風は弱かった。ならば、山頂でであるが、さて、何処に穴を掘るかとなったが、雪がサラサラでブロックが出来ない。そのベンチ・テーブルを造るのに、時間を要していては、後々に響いて来る事になるから、思い切って、反射板の真下に穴を掘ることにした。

 鉄骨にタープを巻いての一時凌ぎであったが、上からの落雪はなかったが、待機中の降雪量が多く垂れ下がってしまった。それよりも難儀したのが、寒くて、ガスが燃えない(温度が上がらない)事であった。準備していたお湯をかけても、すぐに消沈し、その繰り返しで、やっとの事で、カップ麺を食べる事が出来た。(メーカー品でないカセットガスボンベから移したものだったからかもしれない・・・)

 それにしても、あの寒い中で、「山ノ神」は、相変わらずビールを飲むのであるから、「そんなにしてまで飲みたいか?」 よりも、執念(意地)なのかもしれない。食事後、タープを外すにも、スノーシューを履くにも、手が悴むというより、手が痛かった。こんな事にならないように、手袋を付けたままで作業する事も技術なのであるから、私達は未だ未熟という事になる。

 膝まで沈んだトレースが、僅かな間に、風雪に消されて全くなくなってしまっていた。それこそ、一本道だと思っていても、下りは支尾根があるから、用心して降りなければならない。間違った所を、走って降りれば、その分だけ登り返さなければならなくなるから・・・・



2/6 自分で言っていながら、雨の日に山へ出掛けるし、当欄の書き込みをするし、バカの上塗りである。今まで培ってきたライフスタイルを、違った方向に舵を切る事はなかなか難しい。まあ~、徐々に変わっていくと思っていただきたい。

 昨日からの雨に、流石に今日は止めようと思っていた。何の展望もないし、増してや濡れネズミなるだけだし。しかし、一週間の暴飲暴食からの払拭、そして、ストレスを吐き出すためにも、身体を動かさなくてはならぬとばかりに、狼狽える自分が可笑しく、自ずと足が山に向かわせてしまった。

 ずっと雨だったが、歩き出すとミゾレになり、高度が上がるに連れて雪となった。時間の関係から八乙女山を選んでしまったが、雪上を歩ける喜びが、何事よりも上回るのであるから可笑しな話である。でも、山から降りて、一つの所用をこなしたし、家に戻って、久しぶりに娘のひな壇作りを手伝った。(孫達のリクエストであったし、娘は、まだ仕事から帰らない。)



2/5 明日で、当HPも満17年を迎える。何度となく挫折しようとしたが、思い直してここまでやって来られた。それは、有志方々の叱咤激励があったからに他ならない。本当に感謝である。ここまで来たのだから、止める止めないではなく、都合の良い時、元気な時に、書き込むような気楽なものにしたいと思っている。

 焦らず、力まず、そして、自惚れず。時々かもしれないし、沈黙するかもしれない。また、ためたものを一気に公開となるやもしれない。我がまま放題になる事請け合い。そして、次の目標は、私が70歳になる8月である。どちらにしても、元気である事が必須。



2/4 何ともないと思っていた手首であったが、様々な角度で試してみると、何だか可笑しいところがある。右首筋から肩に掛けても、正常とは言い切れない。「転んだらダメだ!」 と、いろんな方々に言っていたのに、自分が、そないな事になるとは思ってもみなかった。

 そうはいうものの、今のところ、仕事や生活に支障をきたす事はない。さて、山歩きはどうであろう。これも、歩いてみなければ分からない。



2/3 うかつにも、凍っている路面で転んだ。その拍子で左手を着いた。「やったか?」 と思ったが、ちょっと痛かっただけで何ともないようである。日頃の鍛錬(朝練?)が功を奏したのかと思った。しかし、反対側の首筋に違和感がある。関係があるのかどうかは分からない。注意していてもこんな事になる。ダメだな!



2/2 今年になって、「何か良い事があったか?」 と言われれば、「昼間のお化けと良い事なんか、なかなかお目に掛かれないもの。」 と先代から言われていた事を、そのまま伝える事しか言えない。それをあえて、”そこたら中” 探してみると、お年玉年賀状で、2等が当たった事かもしれない。

 今まで、「切手シート」 しか当たった事しかない私にしてみれば、”大当り” なのであるが、1等の10万円なのに比べて、2等は、”ふるさと小包” であるから、その差は歴然としている。しかし、この度は、当たらなかったより、ハッピーとしておこう。



2/1 早いもので、もう一ヶ月過ぎてしまった。これから先は、未知の世界であるが、過ぎてしまった事は、本当に早い。今年も、あと11ヶ月になったというのか、1/12が過ぎてしまったのである。この分だと、あっという間に過ぎてしまうのであろうから、モタモタしていては、悔いの連続となる公算が強い。

 歳取ると、短気になると言われるが、だんだんと、その先人達の気持ちが分かるようになってきた。でも、投げやりにならず、ずっと、自分の信じる道を歩みたいと思っている。とは言え、なかなか思うようにならぬのが常である。「何かをしたい。」 「何処かへ行きたい。」 と欲深くあれば、まだまだ幼稚というのか、修行が足りないと、閻魔様に追い返されるようである。