3/31 またまた一ヶ月が過ぎてしまった。そして、一年の1/4が終わってしまった。本当に日が経つのは早い。50歳の一年は1/50、60歳の一年は1/60である。それでいて、20歳の一年は1/20であるからして、その一年の感じ方は、相当の開きがあるようだ。

 さてさて、我家の孫達は春休み。いや、全国的に春休みである。そのような中で、来週の連休(4/3~4/4)は、二日間とも抜け抜けと山に出掛けられない雰囲気である。ならば、その内の一日を、孫達と付き合わなくてはなるまい。(親=娘は仕事であるし) となっても、山以外を知らない。だから、低山ハイキングに連れて行こうかと思っている。

 彼女らは、結構カップ麺(ラーメンや焼きそば) に飢えている。だから、行く気満々であるが、あとは持久力である。ミー(上の孫)は、H.26.09.02中山でデビュー、エリー(下の孫)は、H.27.07.06白木峰でデビューである。その後、H27.08.03白山日帰り(ミーだけ)、H.27.10.18中山、H.28.04.05千石城山、H.28.08.16高落場山に登っている。

 小佐波御前山・尖山・城ヶ平山・ハゲ山・千石城山・八乙女山などが候補にあげているが、さて何処にしようか? お天気を見ながらになる。あとの一日は、孫を外した山行とさせてもらう。



3/30 山行に対して弱音を吐くと、「這ってでも行くと言っていたのにどうしたの?」 となる。でも、「元気ですね!」 と言われる歳になってきた。喜んでいい筈なのに、なかなかそうは思えない。心技一体ではないからかもしれない。

 身体の至るところに、異変を感じるこの頃だが、当たり前と思えば、そうなのかもしれないが、「でも・・」 である。「こんな筈がない。」 とか、「もう少し何とかなる筈。」  と、自分としては、認めたくない思いが漂ってしまう。

 この必死な抵抗は、唯、往生際が悪いだけではなく、「まだまだ・・」 と言う思いを、同年代の方々と共に、「もっと先まで、はつらつと、元気でいよう。」 というアピールでもある。薄らぐ気力には、もう継続しかないような気がする。



3/29 私は、ビーコンやゾンデを持ち合わせていない。それを必要とする所には行かないと言っているが、何処で何が起こるか分からないのであるから、もしかしたら、山行く者として失格なのかもしれない。それでも、大型のシャベルと、ツエルト、または、タープは必須としている。

 ビーコンは、何処にいるか知らせるものであるが、それを探し掘り出すのは、相当難しいものだと思う。時間との競争になるが、それに対応できるシャベルを持たないと全く問題にならない。だから、ビーコンは遺体発見器になってしまう。

 こんな問題(雪崩の遭遇)は、クマに遭遇した時と同じで、どうしたらいいか誰も分からない。でも、俗に言われているような事を、知識として頭に入れておく事は必要かもしれない。

 私は、対岸で凄まじい雪崩を見たことがある。また、自分が踏んだ事から(トラバース中)、亀裂が入り雪崩となった事がある。そして、その雪崩の上部に乗っかったか形になった。幸い滑り始めは緩やかな流れだったから脱出できたが、その流れは、力を増し、凄い勢いで、何もかもをなぎ倒して下へ降りて行った。ゾッとした経験がある。



3/28 栃木県那須町スキー場で8人の生徒・教諭が、雪崩事故で亡くなったというニュースに唖然とするしかない。私も昭和39年の春休み(高1→高2) 国体・インターハイ予選を兼ねた競技に、大品山・鍬崎山に出掛けている。当時の記憶は定かでないが、何が何だか分からないで参加していたのは確かである。

 経験はないが、元気があり、好奇心は旺盛。でも、自然の力は、そのようなものを、いっぺんに飲み込んでしまうほど恐ろしい。また、「何処が、誰が悪い。」 という事になるのだろうが、心が痛む。



3/27 予定通り山行を止めた。宇奈月温泉から戻るムコ殿一行と、長野に向かう次男達と共に、黒部で落ち合う事にした。特別な事をしたわけでなく、「魚の駅」 で食事をしただけになってしまったが、その理由の一つに、あれやこれやと探っている内に、「月曜日休業」 の壁にぶつかった事もある。

 その後、次男達と別れて、ムコ殿達と、岩瀬の街並み歩くなどして、夕方からの町内会の行事に臨んだ。一生懸命歩いたわけでもないから、明らかに不完全燃焼の一日になったが、それも、人生の一コマかと思う事にした。この分、早起きして、明日か明後日辺りに、二上山へでも出掛けようと思っている。



3/26 ムコ殿を含めた孫達が宇奈月温泉へ出掛けた。そして、予定より遅く、大阪から次男がやって来た。明日は、ムコ殿一行の予定、また、次男の予定がアヤフヤで、間隙を縫って近間の山にでもと思っていたが、お天気もあまり良くないようなので諦める事にした。

 ちょっとこのところ、飲み過ぎのせいなのだろうか、昨日から胃の調子が可笑しい。今晩も飲まなくてはいけないし、明日から、ちょっとお酒を控えるようにしなければと思っていたら、明晩も町内の新旧役員の事務引継ぎの名目で飲み会がある。では、明後日からにしようか? 守られるか疑わしい。



3/25 さて、今度は何処の山に・・・ 白木峰・小白木峰や大倉山・土倉山、そして、臼越山・前大日岳、まだまだそれから、僧が岳・大明神山・早乙女岳など、次から次へと山名が出て来る。お天気もあるが、私の許される範囲では、あれもこれもというわけにはいかない。

 娘たちがやって来て満4年になる。割と自由だったのが、拘束されながらの毎日、でも、休日以外は、それなりに賑やかでいいところもある。不満を述べれば切りがないが、時間が限られているだけに、もう少し何とかならないかと思うが仕方がないであろう。

 仕事をしながらの山行。だから余計に意義がある。なんて勝手に思っている。お天気の良い時に出掛けられないが、だから人生と同じで、山あり谷あり(悪天・好天)をまともに食らうのがまたいい。娘は、忙しい職場からの移動がなかったようである。もう一年私達も頑張ろう。



3/24 大地・初雪山行が終わった。このところ、大地泊が4年続いている。(その前年は、日帰りで2度も初雪山に出掛けている。) 一年に何度も泊まり掛けの山行が出来ない中、大地・初雪山だけは、どないしても行きたいとの決意から継続しているのであろう。(それでも、記録を振り返れば、一年に3回くらい泊まり掛けで出掛けている。)

 今年登れたのだから、来年も行けるような気がする。二人も良いが、一緒に行きたいと言ってくれる人達がいるから、尚更モチベーションが上がるのかもしれない。大地50回まで、まだ時間があるが、目標があるというのは、ワクワクして楽しいものである。



3/22 次の休み(3/27)は、孫達の送迎から解放されるとの事で、「何処へ行こうか? 前夜からも出られる。」 と思ってみたが、予報は 「曇りに傘マーク」 が付いている。まだ先の事だし、ゆっくり構えようと思っていた。しかし、悪い方から良い方にはなかなかならず、良い方から悪い方には、何の遠慮もなく、そのようになる事が多いように思うが、やっかみだろうか?

 そんなところに、大阪の次男から電話が掛かった。「週末にやって来たい。」 そして、「日曜日の夜は泊まりたい。」 との内容。これで、山行は吹っ飛びそうである。最も、今年は、「何が何でも山へ・・」 を止めよう。(改めよう。) と言っていたのだから、いう事を聞いてやろうか・・・



3/21 好きな事をやっているのに、こんな事を言ってはいけないのだが、やっぱり何だか疲れた。「重荷を背負った。」 「たくさん歩いた。」 など、いろいろとあるが、やっぱり寝れなかったのが一番効いているのかもしれない。もしかしたら、宮ちゃんと「山ノ神」との3人で話し込んだ時に、コーヒーを2杯も飲んだのが災いしたのかも。

 デボした食材の中で未消化のもの、また、そのゴミや容器などがあり、下山時と言えども、荷は軽くなるどころか、まだ重くなったような気がした。そして、「山ノ神」が苦手とする所通過には、2往復せねばならない事あり、ヨタヨタ歩きになっていたようだ。車に戻れば、目が痒く、鼻も可笑しくなった。運転も眠かった。



3/20 なかなか眠れず(全然眠れず)夜中に外へ出てみたら、雪はカチカチ、そして、月や星がキラキラと輝いていた。昨夕のあのガスは何処に行ってしまったのかと思う程で、今日の初雪山への稜線歩きを応援してくれているようにさえ思えた。

 「凍っていては・・」 の不安の声もなかったわけでもないが、「一緒しましょう。危険と思えるようなところが生じれば、その時考えましょう。」 と、予定より少々遅れたが、大地山頂から駆け降りた。降り掛けに、我々の城壁(テントや雪壁など)を振り返りながら、いいアングルで撮れないかと、各自工夫を凝らしているみたいだったが・・・

 雪庇の発達は、例年より小さめだった他、昨日の歩行では、高温のためにかなりゴボっていたようですが、雪が締まっていた今朝は、難なく通過出来たのでした。初雪山上部は、雪量も多く、真っ白で、その名が恥じないような雰囲気を醸し出し、周囲の名峰を眺められる事からも、1,600m程度の標高の山としては、かなりアルペン的な要素を感じる山である。私は、この穏やかな稜線歩きが大好きで、このところ通っているところである。

 福井から来られた方々も、「絶賛」 や 「感激」という言葉以外出て来ないとばかりに、しきりにシャッターを切っておられた。朝日岳や剱岳が、そして、毛勝の山々までが、いつもより大きくハッキリ眺められ、もったいなくて早歩き出来ない程であった。

 そしてまた、いつもは風の強い初雪山頂であるが、この日は、本当に穏やかで、寝入谷から上がる大斜面上(雪庇上)で、腰を下ろして、僅かな時間であったが、なかなか味わえない展望を楽しんだ。この日は最後までお天気が崩れず「良かった。良かった。」 で終わる事が出来たのでした。



3/19 待望の大地・初雪山行きの日がやって来た。も少し良いお天気を期待していたが、時々日が差したりしたが、全般的には曇りがちであった。福井から宮ちゃんパーティーがやって来る事を承知していたが、我々は、ちょっと早めに朝日小川ダムからスタートした。

 単独で初雪山を目指す滝本氏とお会い出来たし、大地から下山してきた犬田君にも遭遇した。900m付近で福井パーティーが追い付いてきたが、最終的には、大地山頂で挨拶する形となった。すぐに食事処を造った。私のタープは小さいので、コンパクトで6人が入れるように、ちょっとばかり苦心してみたが、結構いい線にいったみたい。(後の感想)

 それから、テント場の整備であるから、結構時間を要した。でも、好きな事だから、そんなに疲れはない。後、先週荷揚げをした食材探しに着てしたのですが、GPSを使わなくても覚えていると思っていたのが仇となり、ちょっとばかり時間を浪費してしまった。

 心配していた荷揚げの食材であったが、やっぱり、この時期の事であり、降雪があったようで、深い雪中に埋まっていた。酒・ビール、そして、水・酒のつまみ・冷凍食品など、ちゃんと無事で、賑やかな食事の一翼を担う事となった。その賑やかな「居酒屋・おおち」 の外は、ガスに覆われ真っ白で、本当に明日は大丈夫なのかと不安にもなった。

 居酒屋終了後、時間をおいて、喫茶店になったところで、宮ちゃんを交えた3人で、1年半ぶりの再会を喜び合い、山談義に熱中してしまった。食いしん坊の私は、お酒が無くなったので、コーヒーを2杯も飲んでしまった。これが、いけなかったのか、眠れぬ夜を迎えてしまったのである。



3/18 明日明後日の当初の予報は、晴れ晴れであったが、ちょっぴり雲が蔓延るようである。しかし、一年に何度もない機会だし、それこそ満を持しての言葉通り、大地・初雪山に行って来ます。出来れば、朝夕の眺望を期待したいのですが、それも行ってみなければわかりません。 雪中キャンプも、あと何回出来るか分かりません。無理せず、「歩ける!」 喜びを味わってきます。



3/17 あれもこれものせいなのだろうが、荷がリックに入り切れない。「1日2日寝なくとも死にはしない。」 と言いながら、ついついになってしまう。荷揚げした分だけ軽くなるはずであるが、どうも嚙み合わない。二重三重にリスク回避を考える事もあるのだろう。

 今一つ、下界と同じ食事を考えるからかもしれない。それでは、非日常とは程遠い。そして、「山ノ神」の本来の個人装備も、私のリックに入っているからかもしれない。衰え続けている体力に、まだまだ欲張りなのだから、そうなるのだろう。明日は再点検をしなければ・・・



3/16 去年は、天候が悪く、そして、時間がなく荷揚げをしなかったのであるが、一昨年は、1mくらい掘って雪の中に埋めた。しかし、その一週間に、かなりの降雪があり2mくらい掘り返さなくてはいけなかった。もちろん目印を欠かさなかったが、50cmズレても、その荷に届かないわけだから、発掘に苦労した。

 今回は、目印と荷を直接紐で結んできたが果たしてである。降らなかったら、露出の心配があり、降ったら降ったで問題もある。「獣にやられてはいないだろうか?」 「二つ足のいたずらも困る。」 などなど。でも、遠くの山を見れば、真っ白であり、降雪があったものだと確信している。

 今回は、初めての試みとして、冷凍食品の一部を荷揚げの中に入れた。ところが、荷揚げの日は、好天に恵まれた事もあって、気温が高かった。家を出てから(冷凍庫から)、雪中に埋められるまで、8時間もあった。解凍されているような気がする。雪中で再び冷凍になるわけだが、大丈夫だろうかという心配である。もっとも、雪中も冷凍になり切っているとも言い難いような気もするが・・・

 当日、解凍の不安から、食べてしまおうかとなったが、その調理をする機材の持ち合わせがなかったから、諦めて雪中に埋めたのであるが、今度は新たな同じ食材を持って上がって食べ比べてみたいと思っているが、腹痛?などがないように慎重にしなければ・・・



3/15 今度の日曜日は、ハレルヤ3月定例山行日であるが、今年も、仲間の温情を得て別行動となる。「もうあいつは、大地や初雪山の虜になっている。」 と思われているに違いない。だから許してもらっているのかもしれない。我家の事情から、このような日にしか出掛けられない事もあり、どうしてもと勝手させてもらっている。

 そんな折、福井の宮ちゃんパーティーから、4人でやって来るというメールをもらった。(大地キャンプで初雪山までの情報を得たが・・) こちらはヘラヘラ(ヘナヘナ)だから、一緒に歩く事は出来ないだろうが、山頂では必ず会えると思っている。



3/14 昨日は、大地から家に戻る前に、孫達を迎えるため保育所と小学校(学童保育)へ寄ったが、車から降りる毎に足が攣った。太腿の裏側である。そして、家に戻っても都合が悪かった。あれくらいの距離・時間であったし、荷が重たいとなれば、当日はどうなるのかと不安である。

 荷の入れ方に問題があったのだろうか? 大半が水物で、目的地まで使う事がないだけに、全部下に入れたのが災いしたんだろうか? 左肩も、今までになった事がないほどの痛みもある。それも首が回らない程であるから面白くない。歳のせいだと片付けたくないのだが、本番はもっと重くなるし気合を入れ直さなくてはいけないようである。



3/13 「無創塾からの急登がイヤ。」 という「山ノ神」の希望を考慮して、今回は朝日小川ダムから。私の荷は、普段の装備を含め18・5キロ、それにスノーシューを付けると20キロを超す。でも、好きな所で好きな事をするための準備だから、苦にはならない。

 雪質は、半モナカ、そして、陽が高くなってから腐ってしまったが、時たま ”ゴボル” 事を除けば、そんなに歩きにくい事もなかった。「山ノ神」にしてみれば、ズルッとなる怖さもなく、あっかり歩けたようであった。

 いつもより雪量が少ない山頂故に、木立がムードを壊すが、それは自然現象だからしょうがない。それでも、初雪山の全容を伺える所に穴を掘って食事とした。深く掘れば、少々の風も気にならず、タープを張る事もない。

 予定より40分も長居してしまったが、その分だけ早く降りれば問題がない。しかし、「早く早く・・」 と急かすと、「山ノ神」 が怒り出すとも限らないので、適当な間隔あけての行動をとった。くろべ平から、ショートカットして、発電所前に出たが、次回はそういうわけにはいかないだろう。(雪がなくなっているだろう。)



3/12 明日も大地へ。大地詣とは言えないまでも、行ける時に行っておきたい。何度行っても私は好き! 「大地に登れなくなったら山を止める。」 程である。荷揚げも兼ねる山行となるが、ずっしり肩に食い込みそうだ。



3/11 歳取ると仕方がない話であるが、「あと何年、元気でおられるのだろうか?」 という話になる。先日の有志による会合でも、「夜中に何回も起きる。」 とか、「トイレが近い。」 とかの話になった。口にこそ出さないが、大方の人達が悩んでいる事なので、「そうだね!」 と合わせるしかなかった。

 そのような中で、雪の山でキャンプをするなんて言おうものなら、狂人としか思われない感じであった。私は、特別な人間ではなく、ちょっぴり山をかじり、その好きになった山に入れ込んでいるだけの事である。他人様には、「街に飲みに行く ”かいしょ” もなく、その他のやるべき事も見当たらず、唯々、山にのめり込んでいるだけの事なんです。」 と言い続けている。

 でも、今年の年賀状(3種類)を見た方で、「あんたは、山好きだとは知っていたが、あんな恐ろしい所を登っているのか?」 と呆れたように問いかけて来る人が何人かおられた。 「いやいや、あれは、険しいように撮っただけで、誰でも登れる山なんです。」 と、言って退けたのであるが、分かってもらえたかどうか?



3/10 次の次の休日は、大地・初雪山キャンプと決めているが、年々荷の重さが気になっている。一年一年荷を軽くしなければいけないのに、その反対傾向にあるのだから堪らない。ここ1~2年の荷は、二人で40キロ、これに雪がない所は、スノーシューを担がなければならない。

 寒くては眠れないのは分かるが、「1~2日くらい寝なくても死なない。」 と言っていても、あれもこれもと、ザックに中に詰め込まれては堪らない。もう一つは、酒類である。飲まない人は、全くそれを担がないでもいいのであるが、長い夜をどうして過ごすかとなると、酒好きな者達には、飲むしかないとなる。(少しにしておけばいいものを・・)

 もう一つは、水である。雪山は、大概雪を溶かすのであるが、私は、担げるならきれいな水と拘っている。しかし、無くなればしかたがないし、担がれなければ、そうするしかない。でも、私は拘りたいのである。これに、酒類(日本酒・ビール)であるから、少なくとも9キロになる。

 一昨年は、一週間前に一部を荷揚げしたが、昨年は、天候と許された時間がなかったので、そのまま担いだ。どんな方法でも良いから出来れば良いのであるが、出来なければ、何かを我慢するか、行く事自体放棄するしかない。少なくなってしまった雪中キャンプ機会だが、その灯を今年も守り続けたい。



3/9 古くなった(使わなくなった)山用品を見ながら、山を登り始めた頃と現在では随分と変わったものだと、懐かしさ浸りながら、今日の装備の進歩と見比べている。一番の進歩は何であろうか? やっぱり着衣ではなかろうか? 速乾性の肌着や、ダウンなど軽量の防寒着、撥水・軽量の雨具などなど・・・

 炊事用具も大きく変わった。何といっても、ガスが主流となった事であろう。もちろんガソリンもあるが、灯油を使っていた頃のラジュースでは、着火・油漏れなどで結構苦労をした。ペットボトルの存在も軽量の一端を担っているような気がする。

 ここ10数年前から、カンジキからスノーシューに変わって来た事も大きい。浮力が奏功し、今まで行けなかった所へ行けるようになった。また、それこそ、何十年前の話になるが、雪山に登る時、あの重い除雪用のスコップを担いで行っていたが、あれも、横長のザックだったから、様になっていたのかもしれない。

 アイゼンもである。私が高2の夏、長次郎雪渓を登った時、X型アイゼンあった。また、その後、アイゼンを買ったが、(8本爪)今と違って、固定式で、靴の大きさが違うと間に合わない欠点があった。もちろん、出刃などなく、また、我々が登れるような山では必要ないとも言われていた。ピッケルにしても、今は短い。担ぐのには良いが、本当に用途としては、少ないような気がするが、本当はどうなんだろう? まだまだあるが・・・・



3/8 高落場山から家路に着いた時、ラジオのパーソナリティーが、「予報では、明日は、平野部でも積雪があると言っているが、本当に降るんでしょうか?」 と言っていた。下山時の五箇山トンネルの前でも3~4cmくらいの積雪だったし、下に降りてきたら、殆ど雪がなかったので、私もそう思っていた。

 ところが、今朝起きてみてビックリであった。10cmくらい積もっている。放っておけば、その内溶けるのであろうが、店をやっているだけに、そういうわけにはいかない。水っぽい重い雪だった。平地には、もう雪はいらないのであるが、山には欲しいと思うのは私だけではあるまい。

 大地・初雪山まで、あと10日余りになった。「何を持っていこうか?」 とか、「何を食べようか?」 など、幾つになっても、修学旅行前の気持ちと一緒である。1シーズンに何回も行けないだけに、こんな機会を逃したくない。いっぺんでも外すと、次が危うくなるかもしれないからである。この分だと、その前(来週)も、大地に行けるかもしれない。



3/7 一日中雪予報のハズなのに、薄日が零れる陽気?のようだったが、やっぱり細かく雪が降り出した。高落場山なら規定の時間内でも大丈夫と踏んだからであったが、昨日の利賀と同じで五箇山トンネルに来ると、例年より少ないかもしれないが、それなりの雪量である。

 結構締まった雪に、昨夜来の降雪で、トレースの上に10cmくらいの新雪となっていた。そのトレースの上を歩いたり、それを外したりしながらの歩きは、それなりに楽しいものである。杉林から抜ける所から、それが、時間的にそうなったのか分からないが、次第に風が出て来て、雪をも伴うようになったのである。

 そうなれば、当然の事のように、視界が閉ざされると共に、顔や頭に寒さを覚えるようになる。それが、ずっとでもないから、途中途中に、足を止め、神秘的な原風景と対峙する事になる。カメラを向けるが、なかなか思うようにならず、悔しさを滲ませながら、フードを握りしめなくてはならない。

 取りあえず、山頂を目指すのであるが、今日は、決められた時間内の行動だけに、早く山頂に達すれば、それだけ休む時間があると、「山ノ神」を急かせたのであるが、山頂は、更に猛吹雪であった。どうしようかと思うほどであったが、私は山頂に拘って穴を掘る事にした。その間、「山ノ神」を杉林に身を隠す事を勧めた。

 身の丈程の穴を掘って、タープを張るのであるが、それこそ、油断すると、何もかもを持っていかれそうになるだけに、それはそれは大変な作業になった。ようやく張り終わっても、その補修に身体が完全に冷え切ってしまったのであるが、その中に入れば、それなりに快復するものである。

 雪山でのシャベルは必須である。ツエルトの順位より上であろう。ゴーゴーという風の音に、「山ノ神」は、「すぐに降りる方が良いのでは・・」 とか、「帰れなくなるのでは・・」 とか不安がいっぱいのようであったが、「まあ~、腹ごしらえをしてから・・」 「そんなに慌てることはないよ!」 などと、私は、盛んに大丈夫言い続けた。

 身体が温まれば、気分が落ち着く事もあり、いろいろな条件下での話となった。有事は経験をも蔑ろにするが、それでも幾多の経験は、それなりの秘策を生むものである。そして、肌の露出を出来るだけ少なくして(特に顔・首など)、外に出た。

 雪山でも普段なら何でもないのに、やはり降りは戸惑う事が生じる。GPSの液晶に雪が積もり分かり難い。そして、3度も電源が切れた。もちろん、トレースなど全くない。支尾根が同じように見える時は厄介である。僅かな時間で小さな雪庇も出来ている。でも、行き慣れた山だけに、じっくり構えればどうという事はない。杉林に戻れば、あれは何だったのかと思う程になるのだから自然は怖いし面白い。



3/6 「午前中は降らない。絶対降らない!」 と信じて?金剛堂山とした。土日に、たくさんの人達が登られたのであろうか、たくさんの足跡があった。その恩恵もあり、楽ちんなところもあったが、かえってというところもないでもない。

 薄ぼんやりのお日様が、山頂に至る寸前まで照らしてくれていた事もあり、展望はまずまずであったが、風が結構強かった。しかし、山頂(前金剛)から、もっと奥の八尾側の斜面をカットし、穴を掘り食事をすればまるで別天地である。山ノ神様がご飲食の間、私は中金剛まで往復するという時間があり(僅かな時間ですが)、今日も満足の歩きが出来た。

 でも、今日は、帽子を飛ばされてしまった他、サングラスを落としてしまった。(でも、サングラスは、探しに戻って見付けました。) 本当にチョロイです。最後の30分くらいは、ちょっぴり雪の混じった雨に遭いましたがお愛嬌のようなものです。しかし、百瀬から156号線に至るまでは、かなりの降雨がありました。さて、明日は?



3/5 このところお天気に恵まれたのに、明日からまた崩れるようである。でも、山には行く事にした。取りあえず明日は、午前中勝負で五箇山方面と決めた。明後日も、そうなるかもしれない。



3/4 今月は、意外と朝の縛りから解放されるような感じである。だんだんと夜明けが早まっていくのであるから、この上ない喜びとなる。後は、お天気であるが、そう上手くはいかないのが常で、その前後が好天になるという事が多い。でも、必ず帳尻が合うというもので我慢をするしかない。

 私の目標・目的・夢など小さいもので、欲張りという類のものではない。それは、自然と親しむ山の部門で、大それた事でもなく、ちょっと元気なら誰でもという感じのものである。「使わぬ筋肉は衰える。」 というルーの法則を、今ヒシヒシと感じているからして、何とか隅々まで動かし続けたいと思っている。



3/3 いつもの事ながら、今月は、大地・初雪山の雪中キャンプを予定している。本当は、毎月でも、その雪中キャンプを狙っているのであるが、事情があって、その機会が訪れない。僧ヶ岳がいい。大倉山もいい。いや、雪が豊富なら何処でもいいのだが、なかなか思うようにはいかないのである。

 もう何年もそのような事は出来ないと思っているが、それでも、機会があればとか、一回でも多くとの思いは強い。一回でも(一年でも)外すと、そんなもんかと、その魅力が薄らぎ、妥協的なものになるのは確かであろう。だから、モチベーションを保ためにも行かなければならない。

 「そんなにしてでも・・」 かもしれないが、「楽はいつでも出来る。」 のである。自分の出来る範囲で、出来れば、一生そのような遊びを続けたいものである。今は、バカと言われても、「へぇ~」 と言われるようになれば、介護される事もないのであるが、そう上手くはいかないのであろう。



3/2 先日の大地山行きの記事で、夢想塾と記し、誤りではないかと指摘を受けた。(正確は夢創塾)その関連の誤りも訂正したのであるが、全部かどうか分からない。以前の物は、夢創塾となっていたから、安堵したが、元来誤字脱字のオンパレードなのだから、ずっと、見ていてくださる方々は、「またか?」 ぐらいで左程気にならないのではないかと勝手な想像をしている。

 最も、「いい加減にこの投稿も止める。止めたい。」 と述べていたのであるから、そう向きになる事もないのであるが、やっぱり、まだ山に行けているのであるから、山とHPの一体感は歪めない。もうちょっとであるから、私の我がまま(憂さ晴らし)にお付き合い願いたい。



3/1 2/26で車を購入してから17ヶ月になった。走行距離22,020キロ、燃料代(軽油 2、007ℓ)168,195円 月平均の燃料代が約10,000円で、前の車と比べて5割くらい少なくなった。時の事情により価格が違うから一概に言えないが、チョッピリ財布が楽になったような気がする。

 購入時からの1年間の走行距離は、16,400キロであったから、やっぱり冬の間は遠くへ行かない事もあり距離は伸びていない事になる。それでも、自営業で通勤距離がないのに、何処へ行っているのか?」 と聞かれそうだが、山しかないと言っても過言ではない。

 唯、山のために買ったのであるが、我家の事情から、そうそう自由に動けないのが誤算となっている。しかし、物は考えようで、元気で長生きすれば、まだまだ、その可能性はあるのである。