5/31 数字遊びに他ならないが、先日の金剛堂山行きは、49回目となり、目標の50回まであと1回となった。50回超えは、牛岳・千石城山・大辻山に次いであるが、50回と一口に言っても、一年に1回だと50年掛かるし、毎月登っても、4年の歳月が必要である。

 50回以上の山を10座、10回以上の山を100座の目標を掲げているが、特別の意味合いもない。唯、自分の目標としての奮起を促すだけなのである。でも、目標としても、同じ山ばかり登っているのも味気なく感じる時もある。ところが、時間と共に愛着が増すのだから、本当に可笑しなものだ。

 白木峰・小佐波御前山・大地山も50回の視野に入って来ている。つまらない数字の遊びではあるが、死ぬまで登りたいではなく、登らなくては死ねないとすれば、それなりに意義を感じない事もない。とにかく元気でなければ、どうしようもないが・・・。



5/30 昨日は、山中に11時間もいたからであろうか、それとも、重荷を担いで長い間あるいたからであろうか、午前中は身体が可笑しかった。お腹が空っぽだったから、力が出なかったかもしれないが、だるくてしょうがなかった。でも、夜になって冷たい物を飲んだら、いっぺんに息を吹き返した感じになった。

 長い間、リックに入れていたからだろうか、山菜に元気がなかった。もちろん、暑さもあったのだろうが、「山ノ神」が、その山菜処理のため一日中動いていた。



5/29 山菜採りを兼ねて大長谷から金剛堂山に入った。林道の冬期閉鎖期間である事は承知していたので、往復2時間以上を覚悟して臨んだ。ダムから登山口までは、相当荒れていて、閉鎖が解かれても、大型重機が入らない限り車の乗り入れはできないだろう。

 登山道に入ると、上等と思われる物はあまりなかったが、それでも、ウド・コシアブラに目が移り、なかなか前に進まれなかった。そして、この時期特有の虫には閉口した。暑さにも参った。

 残雪が現れる頃から、ショウジョバカマ・カタクリ・タムシバが、目を楽しませてくれた。虎ロープが張られている急登になると、「山ノ神」の足が止まり加減になったが、それでも、車から離れて6時間程で山頂に着いた。

 山頂も、ご多分に漏れず、虫が多く、少し下がった雪上で食事となった。その斜面の雪は柔らかかったが、グリセードを楽しむ事が出来た。最近は、山中での食事は簡単に済ませる為、時間はあまりかからない。でも、コーヒーに甘い物があると嬉しい。



5/27 この一週間、(特に連休) 山に行かなかった事もあり、あそこにも、ここにも行きたいと山への憧憬が強くなって来る。今年も、劒沢でキャンプをしたい。薬師岳にも白馬岳にも行きたい。もちろん、白山にも行きたいなどと、その欲望には切りがない。

 直近の目標は、10回目としたい唐堀山だが、ススタケ採りと時期が上手くゆくか心配だ。もう一つ、人形山へのアクセスが、小水力発電工事で山開きの日以外不透明であり、私のコシアブラ採りがダメになるかもしれない。

 そして、今年中に行けるかどうか分からないが、東北の森吉山や以東岳辺りを中心に山旅が出来ないかと希望を抱いている。もうちょっと、近くになるが、男体山近くの女峰山と太郎山も候補に挙げたい。行けても行けなくても、このように、地図やガイドブックを開くのも楽しみの一つである。



5/26 5日間当欄を休みました。(完全にHPを休みました。) なんちゅ楽なんだと思いました。山とHPと自分が、切っても切れなくなっているのにと思っているのにです。きっと、思い込みなのでしょうね。だから、少しずつ軌道修正をしていきたいと思います。

 この間、埼玉を2往復しました。まだまだ元気です。今度の月曜日には、時間的にはどうなるか分かりませんが、山に行く事が出来ます。やっぱり、休日に思い切り身体を痛めなくては調子が悪いです。



5/20 昨年の今頃は、肺炎で苦しんでいた。今、振り返ってみると、生死を彷徨っていた事になる。「もう、あんなのはイヤだ!」 と思うからだろうか、注意しながら、より鍛錬をの気持ちでいる。ちょっとした事で、災いが降りかかって来る年齢だけに、注意し過ぎという事はないだろう。  そして、もしかしたら、明日から、ちょっとお休みするかもしれない。



5/19 昨夕、所用でちょっと外に出た。信号の調整もあって、30m前後の距離を3回ばかり走った。最近は、歩いてはいるが、走った事がなかっただけに、家に戻ってしばらくすると、足全体が何時もと違った感じがした。でも、それは、快いものであった。

 その夜は、不思議な事にマラソン大会に参加した夢を見た。それなりに走っていたように思えたが、途中でコースがわからなくなり、右往左往していたら、「コースくらい覚えておけ!」 と関係者らしい人に言われて目が覚めた。

 10年程前に出た住民運動会、もっと先のバトミントンをやっていた頃の準備運動以来の走りの感覚を思い出したかのようであったが、今更、競技のような走りは出来まい。それでも、今は何でもやってみたい心境である。



5/18 今年から、「何が何でも山へ・・」 を止め、柔軟な姿勢で臨む事し、山以外の事も、少しはやってみたいと思っていた。しかし、必ずしも、そのようにはいっていないかもしれないが、自分としては、最優先ではないように心しているつもりなのである。

 今度の連休(5/21~5/22) も、山から外れ、今までやり残していた事に、チャレンジするつもりである。それは、何でもない事かもしれないが、「休日は山に・・」 のスタイルから外れるのであるから、何だか変だし、本当にそれでいいのかと思ってしまう。

 唯、少しでも、”心残り” を少なくしたい気持ちからの行動であるから、近間の低山を、1~2回行かないだけの事である故、どうってない事もないのである。でも、何処かで身体を動かす事だけはしなくては、逆に壊れてしまうような気がする。



5/15 今日も、制限を外して、自由を与えれくれたのであるが、その先の事もあるし、こちらから、孫達の送迎を買って出た感じとなった。このところ、私達の為、娘が結構無理をしていた様子を感じるにつけ、更なるわがままを押し付けるわけにはいかなかった。

 そういう事で、時間内で行ける縄ヶ池と高清水山、そして、山菜取りとした。高落場山へも行けると尚更いいのであったが、今日ばかりは、無理する事はないと思った。月曜日だったからであろうか、駐車場以外誰とも出会わなかったが、それも静かな山歩きとなり、それなりの味があった。



5/14 今日は、早起きして、仕事前に牛岳に出掛けた。山菜採りであるが、娘も孫も休みの日は、見送りもなく精神的に楽である。最も今日は、順延となった小学校の運動会であった。その運動会に、ちょっぴりだけ、顔を出してみたが、我孫は、決して走るのが早くはなかったが、一生懸命だった事だけは伝わって来た。



5/13 このところ、いや、ずっとであるが、酒量が増えている。それに伴って、食も増えている。「いい加減にしなければ・・」 とか、「ちょっと、休みを入れなければ・・」 と思いながら、なかなか、その勢いが止まらない。平生都合が悪い事がないだけに、セーブが効かないのかもしれない。

 ダメになる前に、節制をしなければと思っているのであるが、この点は、意思が弱いという事になる。健診も予防接種もしないのだから、尚更のように元気でいなければならないと思っている。



5/12 明日予定されている孫(ミー)の運動会が、雨が予想されるため、早々に順延が決まった。父親(ムコ殿)も、仕事を早く切り上げて来高したのであるが、お天気だけに仕方がないようである。明後日(日曜日)に行われる事になった運動会であるが、当然振替休日がある。それが月曜日になる。ミーは、育成クラブ(学童保育)を選ぶか、我々の山行を選ぶのか、まだわからない。



5/11 後何年山に登れるか分からないが、用具が何もかも綻び始めている。もったいない気もするが、行きたかったら、買わなくてはならないものは、やっぱり買わなければならない。それこそ、後1回になるか100回になるか分からないにしても、出掛けたいなら仕方がない。

 ピッケルやテント・タープなどは買い替える事はないが、靴・スパッツ・靴下などの消耗品は、出掛ける頻度によって、何度も買わなければいけないだろう。リックは、もう買わないでいいだろうが、10年経った雨具は危うい。登山シャツやズボンも、何時かは買わなければならないだろう。

 それに比べれば、ピッケルなどは、長持ちしている。50年以上使っているものを含めば、3本共健在である。アイゼンは、嵩にならない簡易なものに買い替えたい思いがある。何回も買い替えたり修理に出したりしたスノーシューは、自分の手で直したい。



5/10 コゴミを採りだしてから、ずっと毎食のようにコゴミを食べているような気がする。あの手この手と調理法は違うにしても、これが身体に良いのか悪いのかは分からない。でも、今は炒めようが煮物にしようが、とにか美味しく感じている。それよりも、昆布締めや醤油漬けが一番のお好みかもしれない。

 昨年から、お裾分けしても余った物を、ゼンマイのように乾燥させているが、未だ口に入っていない。どのような味なのか興味がある。しかし、なんやかんやで食べ過ぎているのが気に掛かる。体重計に乗れば一目瞭然であるが、1~2日で修正できる知恵は持ち合わせているつもり。



5/9 昨日の僧ヶ岳行きは、それなりに満足のいくものでした。先月の第3日曜日に、キャンプを企画していたのですが、何やかんやでダメになり、今回の日帰りになったのですが、出来れば、もっと白い山、そして、一面の雪に憧れているのですが、そうなれば、もっと手前からの歩きになり、体力が問われてしまいます。

 私の好きな大地・初雪山以上に行程が長くなり、そして、食料のデボなど、時間のない今の現状からして不可能です。そう言いながら、そんな機会も、あるかないかになろうとしています。日帰りでも、また5月でも、行けるだけ喜ばなくてはいけないのです。



5/8 片貝第4発電所午前5時、河原氏とも一緒にスタートし、片貝山荘・登山口間のデブリも問題なく通過。そして、急登が始まる。辛いがイワウチワが気持ちを和らいでくれた。心配していた「山ノ神」も、ちょっとは遅いが、予想以上に奮闘の様子が伝わって来る。

 1,270m付近から雪が現れた。少し上に行って、アイゼンを装着。雪は固くはないが、ズルッと (スリップ) を防ぎ歩き易い。担がなくても良いのなら、スノーシューが最適。でも、3時間は担がなくてはならないのだから仕方がない。これが、第2発電所辺りからの歩きとなると、そのスノーシューの担ぐ時間は凄ものになる。でも、過去に何度も担いでいたのだから、やっぱり若かった事になる。

 伊折山に近付くと、主役が、大明神山から毛勝山に代わる。広い気持ちの良い尾根を歩く。(下山時は迷い易い所もあるが・・・) その主役が、駒ヶ岳になり、僧ヶ岳の山頂が覗けば成谷山に至る。気持ちの良い高台である。僧ヶ岳山頂まで、標高差にして、まだ250mある。そして、距離もそれなりにある。

 遠くから眺めると、細い稜線がナイフエッジに見えたのであるが、雪質は思ったより硬くなく、用意したピッケルを使用する事もなかった。しかし、それは、その場所に行って分かる事で、こちらは、「山ノ神」の分まで2本も担いでいる。また、不測の事態も考慮しておかなければならないからね。

 それより先、「山ノ神」は、私達2人に駒ヶ岳までを勧めてくれた。しかし、山頂まで一緒に行ってからの話なら分かるが、この場所を一人で来らせるわけには行かない。結果的には、問題なく行けたのであるが、何かあったら対応が出来ないではないか?

 それでも、山頂には、午前11時過ぎに着いたから、駒ヶ岳やその手前の北駒ヶ岳までへと、気持ちが動かないでもなかったが、雪庇の崩落や、山頂に一人置いておくのもどうかと思い、山頂からの展望を、暫し楽しむ事とした。また、下山は、ゆっくりと楽しみながらという事にもなった。

 心配した「山ノ神」の歩きは、降りになっても快調であった。このところ、彼女にしてみれば、ハードな山行が続いているからかもしれない。その分、コゴミ採りのおまけがあり、大満足のようでもあった。車から車に戻るまでの12時間半近く、何事もなく楽しい一日であった。



5/7 明日の山行で我が家は揉めた。片貝第4発電所まで車が乗り入れ出来る事から僧ヶ岳行きを決めていた。雪の白さは、4月には適わないにしても、今年の高所の雪量なら、それなりに楽しめるような気がしているからである。

 しかし、「山ノ神」は、難色を示した。孫達の朝夕の送迎の免除が快諾されていない事もあったのかもしれないが、こちらとしては、毛勝山から僧ヶ岳にダウンしているのにの思いがあり、行かないのなら、駒ヶ岳までの思いが広がっていた。

 そんなところに、河原氏から、「何処へ行かれるのか?」 とのメールが届いた。「山ノ神」との兼ね合いがあり、なかなか返事が出せなかった。「山ノ神」が行く行かないでは、準備するものが違って来る。勝手に準備を済ませる頃に、「山ノ神」が行くと言い出した。これで、駒ヶ岳までは無くなった。僧ヶ岳だけでも危ういのであるから・・・



5/6 蝶ヶ岳でお目に掛かったN君が、予定より遅くなったが、我家に寄ってくれた。「ちょっとだけでもとか、お茶を一杯飲むくらいの時間は・・」 と言っていたのですが、謙虚なお二人は、私達年寄りの話を嫌がらずに?聞いて下さった事もあり、結構な時間を付き合って頂いた。

 もしかしたら、また何処かで、お目に掛かる事があるかもとの感触で楽しい思いをさせてもらった。当のN君は、現在、我家にいる娘と同じ歳と知り、自分の歳を考えさせられた。でも、こうやって、声を掛けてもらっただけ喜ばなくてはなるまい。

 昨朝のコゴミ採りの収穫が良かった事もあり、近所の方々にお裾分け出来た。、喜びを深く感じ、この先も、「喜んで貰えたらいい。」 の精神で頑張らなければである。そのためにも元気でいなければである。



5/5 今朝は3時半起床で、魚津の片貝川へ出掛けた。僧ヶ岳への林道状況偵察との大義名分があるが、本当はコゴミ採りが目的であった。GWになったからなのだろうか、片貝第4発電所まで車を乗り入れる事が出来た。この時期は、毛勝山、または、毛勝山から猫又山の縦走に人気があるらしく、その周辺は車がいっぱいであった。

 今年は、3月の低温、そして、降雪で、高所や奥まった所の残雪が多く、林道への車の乗り入れは遅れている。山菜も、その影響からか、低所では早く、高所では出遅れている感じも伺えるが、どうだろう? 限られた時間内であったが、近所や知人達にお裾分けできる程は採ったが、「山ノ神」は、「もっと時間があったら・・」 と悔しさを滲ませていた。

 今夕、5年前の9月中旬、蝶ヶ岳でお目に掛かったN君から、facebookに書き込みがあった。「高岡にやって来ている。」 というのである。それこそ、電話番号も住所も分からないのだから・・・ 早速連絡して、明朝、チョットだけでも自宅に寄ってもらう約束をした。

 N君は、新婚さんで、明日は、氷見に寄って、白馬へ行かれるようなのである。(東京在住) イケメンのN君に「山ノ神」が声を掛けたとの記述が当欄に載っているが、ほんのちょっとの事で、またお目に掛かれるのは、本当に人生とは面白いものである。あっそうそう、その時は、魚津の神谷夫妻にも、大変お世話になった事を思い出した。



5/4 今日は何もなかった。いや、特別の事がなかった。でも、世の中は、いろいろと忙しかったように思う。事件もある。行事もある。そんな中、M氏から筍をもらった。思いがけのない事だけに、とても嬉しかった。個性的なM氏なんだけれど、何となく馬が合うのかもしれない。



5/3 14年前の盆休に鳥海山と月山に登った時、長岡の杉本夫妻とお会いした事があった。そして、はっきり覚えていないが、妙に気が合い、酒田あたりのビジネスホテルに泊まって食事を一緒したと思う。その後、一度来訪を受けた事があるが、後は、年賀状だけのお付き合いであった。

 そのご夫妻の来訪があった。「誰だか分かる?」 と突然の来訪に、正直なところ、分からなかった。でも、嬉しかった。お互い歳を取ってしまったが、すぐにタイムスリップして、気持ちだけでも若返った。あれも、これもとたくさん喋った。 (写真を見れば、私は、まだ口ひげを蓄えていた。)

 お二人は、ご主人は腰を、奥様は膝を痛めて、山は遠のいていると言われたが、山への憧憬は変わりないものと推察できた。今は、写真に凝っておられる様子で、機材を拝見したら、それはそれはと思うようなものばかり。今回は、輪島を含めた能登と雨晴に行かれたようで、帰宅前に鉢伏山からの散居村にも行くと言われていた。

 「友遠方より来る。」 である。僅かな時間であるが、開放感に浸う事が出来た。何も有形なものだけが財産ではない。一つの手紙、一回の電話、アルバムと共に、懐かしさを語るのも良いし、自分を奮い立たせるきっかけになればと思うのである。



5/2 何処まで車が入るのだろうと思って臨んだ寺地山・北ノ俣岳であったが、集落を抜けた和佐府橋で通行止めとは参ってしまった。自宅を午前3時20分に出て、午前6時前には登山口をスタートの予定が、大幅に狂ってしまったのである。

 残雪の為で車が通れなかったのであるが、しばらく行くと、岩や石が散乱していたが、車が通れない事もないのではと思った。しかし、気温は-2℃という表示の如く、道路はツルツル、雪はカチカチで、歩いていても気を抜けない状態が続いた。

 30分程経過すると、道路(林道)にはびっしりと雪があった。歩きながら、これでは北ノ俣岳まで無理ではないかと思うようになった。私達以外は、全てスキーやであり、夏道ではなく向かいの急斜面から、直接鉄塔のある所へ出るものらしかった。私達は、硬い雪を夏道に沿って、スノーシューの刃を効かせて登った。

 林道の30分を除けば、始めからスノーシューの装着であったが、こんな事は初めてかもしれない。大概30分とか、1時間くらいはスンーシューを担がされるのであったから・・・  雪量が多いという事は、気のせいかもしれないが、アップダウン小さく、歩き易かったように思えたが・・・  そうでもないかもしれないね!

 打保からの合流点(神岡新道分岐)を少し過ぎた所で、簡単な食事をしたが、(10:15~45) 「山ノ神」から、「単独で北ノ俣岳まで行って来ていい。」 との提言を受けたが、これから、まだ寺地山を越えて行くのだから、どんなに早く歩いても、寺地山に戻るのは、午後4時までも怪しいとなるし、その間、一人で放って置くのもどうかと思うし、登山口に着くのも暗くなる。それからまた、2時間の林道歩きを強いられるので今回は諦める事にした。

 寺地山到着は正午近くになった。山頂でゆっくりするはずであったが、2~3時間もやる事はない。「山ノ神」は、飲んでおればよいが、こちらは、カップ麺にコーヒーを飲んだらお終いである。1時間強の時間をもらい午後2時まで戻る条件にして、上へ行く事を許される。

 避難小屋への分岐の標柱がある所までなら、1時間で戻れると思っていたが、意外と早く歩けたのである。標高にして2,100m位まで行って、三脚を立てて写真を撮り寺地山に戻った。一生懸命歩く時間が欲しかったから、辛いというより気分が良かった。

 30分程ゆっくりして、山頂を後にしたが、こんなに晴れていても、降るとなると、ルートから外れる事がある。トレースが消える事もあれば、思い違いもある。これが暗くなってしまうと、取り返しがつかなく事もあるやもしれない。

 少しでも早く登山口に着かなければが奏功し午後5時過ぎに着いたが、車に戻った時には、とっくに陽が落ちていた。もし、北ノ俣岳まで行っていたら、登山口に戻るまでも苦労しただろうし、林道歩きもクタクタになっていた事だろう。



5/1 予報通り雨。そのためか約束の時間に誰も起きて来なかった。結局家を出たのは7時半過ぎで、2時間半も遅れた感じであった。高岡御車山が、ユネスコに登録された機会に学校が休みになったとは言え、山菜採りであっても、山の中であるのだから、私達はやっぱり可笑しいのかもしれない。

 収穫は少なく、そして寒かったのであるから、早く帰ろうとなり、戻ってから御車山見学に出掛けたのである。どちらにしても、結構疲れてしまった。