9/30 10/2~10/3の連休は、孫達から解放されるというのに予報が良くない。そして、だんだんと悪くなって来る。私としては、劒沢でなくとも、雷鳥沢でも良いから、ゆっくり紅葉を楽しみながら、キャンプが良いと思っていた。その足で、大日連山縦走なら、もっと良いのにとも。

 一方の「山ノ神」は、ちょっとでも遠い所を希望していた。それが、東北の森吉山と他の一座。もっとも、山でなければ、尚更良いのであるから困ったものだ。私は、もう夜中に車を走らせるのはイヤなのである。増してや、雨が伴うとなれば尚更。

 その東北の日本海側は、北陸よりお天気が悪い。「時間が出来たら、ゆっくり行けばよい。」 と逃げる事にした。そういうものの、こちらのお天気もイマイチ。さて、どうしたものか・・・・



9/29 先日の大猫山で、登山道が、かなり荒れかかっている(ササが登山道に蔓延っていた。)のを目の当たりにした。半袖姿では、肌が傷つくし、足元の障害物が分かり難く、躓いたり、スリップしそうになった事も何度となくあった。

 ブナクラ周辺の山々に、奉仕活動として登山道の整備をしてくださっていた方々が、歳を重ねられて、今まで通り活動出来ないでおられると聞いているし、もしかしたら、ブナクラ谷の砂防工事に伴うゲートを、白萩川入口付近に設置が行われ、往復1時間以上の時間を要するが故に、登山者が減って、このような状態になったのかもしれない。

 この分だと、猫又山カールから、ブナクラ峠、また、ブナクラ峠から、赤谷山へも、このような状態になっているのかもしれない。私は、このような状況だとは知らないで出掛けたので、用具を持ち合わせておらず、地団駄を踏んだわけですが、今度からは、ハサミやカマなど(ハサミの方が扱いやすいかもしれない。)を持参して、5mでも5分でもいいから、歩き易くなるように登山道整備の一翼を担いたいと思ったのでした。

 生意気なコメントですが、この方面に出掛けられる事がありましたら、上記の状況を加味され、ちょっとでも、草刈のご奉仕を頂ければと思います。5mでも3人でやれば、15mになります。5分の時間を頂ければ、それなりの事が出来ると思います。どうか宜しくお願いします。

 笹や小枝を切る時に、出来れば斜めに切らないで、土と平行に切って頂ければ、転倒時に刺さる事が回避される可能性が高いと思われます。余計な事ですが、宜しくお願いします。これからは、何処の山でも、このような事が起こるのでしょうね。



9/28 先日の中学時代のクラス会でもそうであったが、膝痛・腰痛を口にする人が多かった。私も含めて、山歩きする人達にも、避けて通れない話である。TVコマーシャルで、幾多のサプリメントが紹介されているが、「そんなもの効くものか?」 と思いながら、「効き目があるのなら・・」 と思うのは私だけではあるまい。

 しかし、元来薬を飲むのが嫌いな私であるから買うわけがない。それでも、三浦雄一郎氏や加山雄三氏が、そのせいで元気なのならと、心が動かない事もない。でも、私は薬を飲まない。(サプリメントも。)

 私は、1年半から2年間ほど血圧降下剤を飲んだ事がある。(どうしても飲めと言われたから・・) でも、勝手に薬を止めて(医院に行かなくなって) 3年半になる。現在の血圧の状況はどうかというと、正常値に近いのである。

 今は、頻繁に測定をしていないが、2年間ほど毎日(一日に2回) 血圧と体重を測定していた。その事で分かったが、体重が減ると血圧が下がる傾向にあった。私は専門家ではないから、詳細は分からないが、何か関係している事は確かである。

 私は、たくさん食べるし、たくさんお酒を飲む。(他人様に比べてどうかは分からない。もしかしたら、そんなに多いとも言えないかも) お酒の飲み過ぎはいけないと思いながら、なかなか控えめにとはならない事がダメだと分かっている。

 それでも、僅かな時間であるが、毎日のトレーニング、そして、週一の山歩きが、ある程度奏功していると確信している。でも、近年、山中で、たくさん食べれなくなって来ている。体力の衰えか変化なのかよく分からない。目に見えない何処かで蝕まれているかもしれないが、モチベーションを落とさなければ、今しばらくは大丈夫のような気がする。



9/27 このところ、予報に惑わされている感が強い。この時もあの時もとなる。実際、台風が富山県を、まともに通過して行った事も二度もあったのに、そうだったのかと思うばかり。他にも、雨予報で山に行かなかったら、「山は、まずまずだった。」 と聞かされた事も何度となく・・・・

 「行くとそうでもないが、行かなかったら晴れる。」 これも気持ちの問題なのだろうか? 「お天気だと思って出掛けてみても、全然ダメで、降りて来る頃に、また車に乗ってから晴れて来る。」 というのが多いが、これは巡り合わせなのだろうか?

 これからの高所では、降雪の心配がある。この時期の雪は、普通ならすぐ溶けるのであるが、日の当たらない所では、いつまでも残っている事が多い。急登箇所やトラバースしなければならない所では、足が竦んでしまう事がある。「備えあれば‥」 であるからして、だんだんと荷が嵩張っていく。



9/26 疲れ果てて帰って来た昨夜の事であるが、やっぱり、「山ノ神」の不機嫌さが態度に現れていた。それはそれとして、ニコニコとしないまでもと思うのは、男の勝手なのだろうか? 「山に行かないで、残りのペンキ塗りをしても良い。」 とまで言っていたのに、「行ってもいい。」 と言ったから出掛けたのだが・・・

   「山頂に拘らない。」 と言いながら、「山でビールを飲むのが楽しみ。」 と言い切る「山ノ神」に、「家でゆっくり飲んでいたら・・」 と、常々言っているのだが、歩いて汗を流した後に飲むのがいい。」 と跳ね返す。

 具合が悪く保育所を休んだ下の孫エリーは、快復したようで、昼食を一緒にしたらしい。その時、「おばあちゃんは、ビールを3本飲んでいた。」 と、何の躊躇いもなく言ったので、「山ノ神」に問うと、「そんな事まで言ったけ!」 である。

 「山に行かなくても、家で飲んでいたら・・」 と、繰り返して言うと、「昨日は、プランタンの土の入れ替えなど身体を使ったから・・」 だとの弁明であったが、昨夜は、私が家に戻ってから、「自分も好きな事をしたい。」 と、「山ノ神」は、外へ出て行ったのだが、どちらが、我慢強いとか、正しいとかの問題ではなく、生き方そのものの違いからであろう。別れたら、少額の年金では、お互い生活出来ないわけがあり、その点では一致しているのである。



9/25 突如、「山ノ神」が、「あんただけ行って来られ・・」 と言ってくれたので、ちょっと遅いかなと思ったのであるが、大猫山に行く事にした。中山の登山口で北ちゃんの車を見付けたのが午前9時半。 (後から分かったのですが、クズバ山に行っていたらしい。)

 白萩ゲートを9:30、ブナクラ取水口10:00スタートである。剱岳が見えたのは、1,500m辺りまで。後はガスに見舞われた。ササが登山道に覆い被さっている所が多く、半袖スタイルの私には、結構歩き辛かった。13:30位まで山頂に辿り着けば、現在の年齢や体力からして、まずまずだと思っていたが、なかなかきつかった。

 その間、時々お会いするT氏や、福井の宮ちゃんパーティーの下りと遭遇した。山友達と久し振りに会える事は、歩く事にかなりの発奮材料になるのであるが、最後はバテバテであった。山頂に着いたら、ラーメンかコーヒーかなどと、奮い立たせていたのであるが、肝心のガスを忘れて来たようで、いっぺんに力が抜けてしまった。

 クラス会の前日に準備したし、車の中にもカートリッジがあったのであるが、再確認を怠ったのが、致命傷となったかのようである。幸い、コンビニで、少々の食材を購入していたから、飢えは凌げたのであるが大失敗であった。

 「お腹が空いた。」 「剱岳を拝めない。」 などと、38回目の大猫山は、満足のいくものではなかった。しかし、「よくぞ来た。」 という満足感や達成感がある。元々、日帰りでは、上昇気流の関係から、10時や11時頃から、そのような事になるという事は織り込みなのである。

 疲れ果ててしまった身体は足にも及び、根っ子に引っ掛かったり、ズルッという事がしばしばで、イヤになってしまった。それは、ソールの擦り減りにも影響したかもしれない。終いには、もうこのような山には来ないとまで思ってしまい日没との競争となったのである。

 

9/24 明日の山行が怪しくなってきた。今晩からのクラス会があるものの、明日は、午後5時まで戻れば良いとの条件下で、どの山に登ろうかと考えていたのに、下の孫エリーが熱を出したのである。

 保育所に行け無くなれば、当然NGであるが、我々が出掛けてからとか、途中で具合が悪くなれば、娘の勤務に支障が出る事になる。「そうしてまで山に行かない。」 と言っているからにして、ダメになる公算が強い。「山ノ神」が、「あんただけ、行って来られ・・」 と、いつになったら言ってくれるだろうか?



9/22 私は、仕事柄鏡を見る機会が多い。よくぞ、こんなに、シワシワになったもんだと思うし、髪の毛も、風前の灯火である。それよりも、「酒が弱くなった。食も細くなった。」 ような気がするが、でも、友人・知人に聞くと、まだ私の方が増しのようである。

 「足が遅くなった。物忘れが多くなった。」 のは当たり前だと思えば、それもそうなのであるが、なかなか割り切れないのは、まだ若さに未練があるからかもしれない。しかし、必死にしがみ付いていても、崩れていくのは仕方がないのであろう。

 男も4人に一人は90歳になるという。(女は2人に一人) その4人に入れるかどうかは分からないが、元気でいなければ元も子もない。水戸黄門のようにはいかないまでも、いつも何処かへ出掛けれるようでありたい。



9/21 今度の月曜日(休日)は、朝の拘束が免除される。午後5時過ぎには戻らなければならない条件付きではあるが、夜半・未明・早朝のいつ出掛けても良いのだから、選択肢が広がる。林道などの時間制限があると、その利点を生かすことが出来ない場合があるが、それを除けば暗い内から歩く事が出来る。

 しかし、真夏と違い夜中はかなり気温が下がる。でも、降らないなら、そして、月明かりが期待出来ればなどと、気持ちが高ぶって来る。ところが、忘れていたわけではないが、前日に中学時代のクラス会がある。(一クラス63人の大所帯。何人の参加かわからないが、卒業してから初めての催しである。)

 それも、午後6時開始なのである。(私は泊まらないが・・) 必ず飲むから、運転は出来ない。もしかしたら、未明でも歩けないだろう。「山ノ神」に運転を任せて、どんな早く歩き始めても、夜明け頃からになる。「あまり飲まなければ・・」 という方法もあるのだが、それよりも、皆が家に帰してくれるかが心配だ。



9/20 風雲急を告げた午後の一時、真っ暗になったと思ったら、風が出て、雨が強く降った。僅かな時間であったが、慌てて窓を閉めに回った。その先、我家の小さな庭でイモリを見付け捕まえた。

 長いしっぽを入れても、3~4cmくらいで実に可愛かったので捕まえたのであるが、「山ノ神」は、ヘビやトカゲなどの爬虫類どころか、カエルやイモリなどの両生類もダメで、触るどころか、見るのもイヤという程である。

 我が家の孫達は、意外とそのようなものに興味を示すので、格好の教材だと思ったのであるが、ばあ様が嫌いなので、早々に逃がしていた。そんな孫達であるが、皆が嫌がるものでも触る事が出来るが、クモだけはダメなのである。これは、完全に親の影響である。



9/19 昨日は、二上山・大師ヶ岳から戻った後、小屋根のペンキ塗りをした。「山ばかりではなく・・」 の考えからでは、正解なのであるが、何となく、折角の連休が不完全燃焼だった事は確かであった。

 そんな折、2週間前の薬師岳・北ノ俣岳山行で、ちょっとばかし足を捻じった 「ねぎちゃん」 の状態は如何なのだろうかと問うてみると、やっぱり若いからであろうか、心配する事もないように、剱岳方面へ出掛けていたようであった。



9/18 先月上旬の台風と同じで、我富山に接近(通過)したようであるが、特別の事もなかったように思われる。何もなかった事に不満などなく、胸を撫で下ろしているところである。気になるほどではないが、それなりに、夜半か未明に降ったのだろう。

 夜が明けて、降るでもなく、青空が見えたかと思ったら、また雲に覆われるという可笑しな天気であったが、台風一過ばかり望めまい。そんなわけで、今日は、地元の二上山と大師ヶ岳に甘んじた。3時間ばかりであったが、それなりに汗を掻く事が出来た。



9/17 三連休なので、東京からムコ殿がやって来ている。月に2回くらいしか来れないし、親子で楽しめばいいと思っているが、我家には車が1台しかないので、(車は、山優先と決まっている。) それだけが、ちょっと可哀想かもしれない。

 しかし、それは、娘たちが高岡へやって来る時からの条件なので、重々承知しているのである。車の購入・レンタカーなど、幾つもの手段があるが、日頃(山行時以外)は、それなりに使用しているし、何せ、維持費がいらないのであるから、別の意味で高待遇でななかろうか?

 この連休も、当然のように、私達は出掛けるつもりであったし、彼らもそう思っていたと思う。もしかしたら、2日ではなく、3日間だったかもしれなかったのである。それが、生憎台風の襲来で、「中止」 としたのであるが、そうなれば、お互い何処へ行く当てもなくなっている。

 手っ取り早いのは、「早朝に出掛けて車を空ける。」 のが一番と思い、風雨が強まらない内に、また、襲って来た時は、待機出来るとの思いから、近間の八乙女山にトレーニングとして出掛けたのである。でも、雨は、ほんの少し降っただけで、殆ど影響がなかった。もうちょっと、時間を掛けてもいい山に行っていても良かったかもしれないが、後の祭りである。




9/16 下の孫エリーが通う保育所の運動会に出掛けてみた。(高岡市体育館) 開会のあいさつの後に鼓隊が登場したが、何とエリーが指揮棒を持っていた。甘えん坊で、かいしょのない子だと思っていたが、五歳の子(1月末で6歳)としては、よく覚えたものだと目が熱くなった。


 時間の無い中、先生方の上手な指導があったと思うが、東京から駆け付けた父親も目を細めていたようだ。今日の我家の話題は、その運動会一色であったが、私は、明日・明後日の休日をどうしようかと思い悩んでいる。果たして、山ナシの休日は、あるのだろうかと・・・




9/15 明日の臨時休業は諦めた。「何が何でも・・」 を止めようという、今年からの方針を遵守したわけでもないが、仕事を休んでまで出掛けるに値しないと踏んだからである。明日は、下の孫エリーの運動会である。今まで、孫の運動会や学習発表会を蔑ろにしていただけに、チョッピリ見に行ってみようかとも思ったりもしないでもない。

 実際、孫どころか、3人の子達のそのような催しに出向いた記憶も余りない。振り返ってみれば、親として、祖父として、自慢出来るものではない。その罪滅ぼしを仕事の合間にやってみようか・・・ そしたら、台風も何処かへ行っちゃうかもしれないね!



9/14 直近の気象情報では、台風が日本列島を縦断するような事を述べている。必ず遅れるとか、早回るとかがあり、まともに休日に掛かっているとは言え、早々に落胆する事もないと思っている。そうなんです。ズレるかもしれないのである。 とは言え、その精度は、著しく改善され、侮る事は出来ない。

 遠出(東北遠征)やテント泊は諦めたが、山行は諦めない気迫でいる。だから何でしょうか? 「雨でも行く。どんな時でも行く。」 と思われているのでしょう。 だって、トレーニングジムのようなものなんですから・・・



9/13 月に一回とは言わないが、年に何回(何日)かは休業して、自分の好きな事に使いたいと思っているが、なかなか思うようにはならない。それは、山行だからかもしれない。盆休も、使いようによっては、4~5日連続で、また、海の日の連休も3日間、そして、今度のシルバーウィークも3日間目論んだのだが、悉く予報に惑わされてしまっている。

 雨予報でも、行ったら行ったで何とかなるものだが、日程が長くなると、どうしても余計な事を考えてしまい結果的に没になってしまう。そして、必ずしも、そうはならないのかもしれないが、予報が外れて地団駄を踏む事になる。

 定年的年齢なのであるが、もう少し仕事をしていたいし、その中での遊び(山行)となると、休日(定休日)を増やすのが一番なのであろう。”ゆとり” などと、私には縁のない事ではあるが、山行時の ”ゆとり” が欲しいと思っている。



9/12 お正月とお盆を除いての山行は、中6日である。連休が絡むと中5日となる。「疲れが取れた頃に、次の山行が来る。」 と言っていた「山ノ神」であるが、この頃の発言が変わって来た。「疲れが取れない内に、次の山行がやって来る。」

 「イヤなら来なければいいのに・・」 対して、意地でも付いて来る。私にしてみれば、邪魔しに来るようであるが、山頂に届かなくても、「山ノ神」のポリシー?があるのかもしれない。山頂でビールを飲む。(届かなくても・・) 「家で飲んでおればいいのに・・」 と言っても、何か違うらしい。

 そのように思っている私も、身体の変調を感じている。まだ息は続くのであるが、バランスが悪くなってきている。そして、家に戻ると、何となく、身体の何処かが痛いのである。今までのように、快い疲れではなくなりつつあるような気がしてならない。

 当たり前なのであるが、認めたくない何かが、頭の何処かにあるのかもしれない。「まだまだ・・」 と言っているのは、山に行けなくなるのは、歩けなくなるのと同じように思っているからかもしれないが、実際、車に乗れなくなったら (運転できなくなったら) どうなるのだろうと思うのと一緒かもしれない。

 まだ行ける山はたくさんある。何もタイムを争う事もないし、危険を(冒険を) 求めて行く事もない。しかし、「ちょっとだけ・・」 が、心の中に、僅かながら潜んでいるから厄介なのだろう。でも、それがあるから、「もうちょっと、もう少し・・」 と、頑張れるような気がするのだが・・・



9/11 「ゆっくり登っても4時間」 なのに、一生懸命登っても、4時間近く掛かってしまった。喘ぎながら登る「山ノ神」であるが、私の提案を覆して選んだ雨飾山だけに、文句を言えないようだった。

 糸魚川地方は、午後から雨の予報であったが、登るに連れ、曇り空に、所々青空が覗いて来た。しかし、山頂付近だけは、薄黒い雲に覆われているのが分かった。時折吹く、穏やかな風は心地よく、私にとっては、汗を掻かないでもよいステキな風であった。

 しかし、笹平に着くと、雨が伴っていないから、嵐というわけにはいかないが、大方の登山者は、雨具や防寒具を身に着けておられた。視界は全くなしではあったが、瞬間的には、遠くの山々を、緞帳が開いて、すぐに閉じるといった風で、カメラを構えては、「ありゃ!」 の繰り返しであった。

 あの事故以来、山頂には行きたがらない「山ノ神」であるが、今回も、さっさと諦めて、笹平で、強風化の中、お花(トリカブトとオヤマリンドウ)を撮っていたらしい。(でも、本来の目的である冷たい物を飲んでいたらしいが、私は、そのような光景は目の当たりにしていない。)

 そんな事で、山頂滞在は、ほんの僅かであったが、居合わせた男性にカメラを預け、証拠写真を撮ってもらった。それこそ僅かな時間で、少ししかお話しなかったが、昨秋、高頭山でナメコ採りの時に、お会いしていたらしいと分かった。

 山頂から笹平に降りてから、彼は、何かを拾っておられた。後で分かったが、ゴミを拾っておられたのである。そんな優しい彼を、笹平の分岐(峠)で、お茶に誘った。物静かで、出しゃばりもせず、優しそうな方だったので、FBのお友達になってもらった。(浅山さん)

 雨飾新湯(雨飾山荘)午後2時半発で、高岡へ5時過ぎまで戻らなければいけない。欲の塊(実は貧乏)は、往路も復路も下道である。市振道の駅・宮崎駅頃までは、何とか順調に行けたのであるが、城山トンネル?での工事で、交互通行でイライラとなってしまった。朝日町通過時には、ヤバイと思っていたのに、入善では、おばちゃんらしき人が、40キロ未満の運転に、あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ、終いには、ウインカーを上げて曲がらない、挙句の果ては、その先で逆の方に曲がるという、イヤハヤ参ったオマケ付き。

 でも、富山のラッシュを潜り抜け、時間内に高岡に戻れたのであるから不思議である。横で「山ノ神」は、ずっと眠っていた。起きている時は、あれを飲んでいる時だけ・・・



9/10 今日は良かったようである。しかし、明日は下り坂。でも、北陸・富山の降水は遅くなってからだと思うが、あまりあてにはならない。そんな事もあり、あまり期待をしていなかったのであるが、朝の送りが免除となると、俄然、行き先を探さなければならない。

 近間の低山と決めていたようなものだから、今度は、お互いの思いが膨らみ衝突となる。こんな時、「別々ならいいな。」 「趣味が違っておればいいな。」 と思ってしまう。それでも、5時過ぎまで高岡に戻らなければいけないのである。



9/9 「次行く山は何処?」 「そんなに自由はないのだよ!」 「何だか疲れて来たよ。」 が、混在して来ているこの頃であるが、止めてしまうとライフスタイルが崩れ、緊張感で保っていた身体から、突然病魔が現れてくるような気がしてならないから、その恐ろしさもあって、山は止める事が出来ない。

 歳だといってしまえば、それまでであるが、何処までやれるか試してみたい。スーパー爺には、とてもなれないが、目指してみたい私であるからに、まだまだと言い続けたい。新しい事、怖い事は、とても出来ないが、今出来ている事は、継続さえしておれば、何とかなるような気がしている。

 瞬発力やバランスの衰えは甚だしい。でも、持久力は、まだ保たれているような気がするし、ある程度の重荷には耐えられる。どうしても登りたい山や、見続けたい景色があれば、踏ん張れると確信している。他人様に、なるべく迷惑を掛けないよう精進に精進を重ねたいと思っている。



9/8  薬師岳・北ノ俣岳山行後、雨が続き、山用具の整理が覚束なかった。久し振りのお天気に、満を持して、テントやシュラフを干したのは良かったが、突然の雨にアタフタしてしまった。その雨も局地的で、雨量も全然違ったようである。

 そのテントであるが、我家の裏手であっても、街中である。テントを組み立てて、干そうとしていると、通り掛けの男性が、「凧か?」 と、興味深々に覗かれたので、ちょっと、”持ってよ。” というと、快く手伝ってくれた。

 人とは、面白いものである。全く関係のない事に手助けをしたり、思いもよらぬ事に優しい言葉を掛けてもらったりすると、不思議に身体が動いたり、声が出たりする。それが、満足感となったり、感謝となり、また何処かで繋がっていくような気がする。



9/7 同業のグループ(木曜会)の定例会であったが、会場を変更してK氏宅となった。私が山へ行っている間に(好山病山行)、たくさんのアユを釣り上げたようで、そのアユを食べさせてくれるというのでお邪魔した。

 私は、アユが大好きであるが、なかなか食する機会がない。今回は、本格的な焼き方であったし、本当に美味しく頂いた。しかし、アユだけでは収まらず、どうしても冷たいものを飲んでしまう。大きめのコップだっただけに、チョッピリ飲み過ぎた感は歪めない。PCの前に座ったが、目が閉じてしまったようである。





9/6 予定より早く下山した関係上、仕事を早退して、子供達を迎えに行った娘より早く帰宅してしまった。しかし、これは結果論であって、「この時間まで帰るから・・」 なんて言えない。 早く家に戻れるというのは、時間的に余裕があり、何でも出来そうであったが、やっぱり疲れたのだろうか、いつもより、2~3時間も早く床に着いてしまった。

 だんだんと、早く起床するようになって来ているが、必ずしも「朝型」 とは言えない。確かに、以前より、1~2時間程早く就寝するようになって来ているが、午後11時から午前0時頃までは起きているのだから、「朝型」 「夜型」とは、言い切れない。

 だからなのだろうか、熟睡した感じがない。4~5時間の睡眠が適当なのかどうかは分からない。でも、PCの前で、ウトウトしている時間を加味すれば、それなりの時間になるのかもしれない。

 どちらかと言えば、場所が変わると寝られないタイプである。しかし、山行や遠出で、2~3時間寝られれば、車の運転も、まだ大丈夫である。もしかしたら、メチャクチャ疲れているから、熟睡できるのかもしれない。



9/5 「ご来光なんていらない。」 とか、「途中で見られればいい。」 などと、いろいろな意見があったが、それでも、いい加減な時間に起きて、軽い食事をして、北ノ俣岳に向かって、テン場を離れたのが午前5時半であった。

 太郎小屋のビールは匂いだけに収め、太郎山の山頂近くで、薬師岳東南尾根辺りから陽が昇った。(うっかりしていたから、正確ではない。もしかしたら、赤牛岳方面かもしれない。) 太郎山頂からは、360°の大展望が広がり、有峰湖は、すっぽり雲海に包まれていた。

 早朝の木道歩きは、気を付けなければいけない。夜露や霜でうっかりすると、ツルンといってしまう。若いとケガをしても、すぐに快復するのであろうが、我々のような年齢になると、致命傷になりかねない。お医者さんに行って、「加齢からですね。」 と言われるようになったら、慎重に行動しましょう。

 でも、北ノ俣岳への登山道は、実に気持ちが良い。もうちょっと、時期が早ければ、高山植物が咲き乱れているし、雷鳥への遭遇率は非常に高い。私は、北ノ俣岳山頂付近で、11戦11勝の遭遇率は100%である。時折、吹く風は気持ちが良く、足取りも軽い。しかし、まともに食らうと寒くなる。そんな北ノ俣岳山頂も風当りが強く早々に退散した。

 風を凌げる場所でコーヒータイムとしたが、「こんなところで、のんびりしているのもいいね。もしかしたら、最高の贅沢かもしれない。」 他人様より速く、ちょっとでも遠くへ行きたい人達であったが、この時ばかりは、それを忘れてしまっていたのかもしれない。



 北ノ俣岳ピストンが時間短縮となり、キャンプ場(薬師峠)に行く前に、太郎小屋前で、ちょっとだけ、ビールでウガイをする事になった。「運転しなければならないから・・」 「もうちょっと欲しいね!」 など様々であったが、ずっと、笑ってきた事もあって、喉が渇いていた事は事実。

 それから、薬師峠に戻って、テント撤収、軽い食事をして、再び太郎小屋に着いたのが正午前。流石にあれは、我慢・我慢。折立到着予定まで相当時間があったが、途中で休憩しても、足早だから、早く着いてしまう。「これじゃ、下山してから、簡単な山に行かなくちゃ!」 まで口に出て来た。



9/4 集合時から、皆はニコニコ顔であった。「いつも食べ切れないから、今回はちょっと減らした。」 と言いながらでも、誰もの荷は大きい。そして、歩きは、遅くない。それに引っ張られるかのように、「山ノ神」曰く、「半月前の日帰りの時より早く三角点に着いた。」 のである。

 太郎小屋では、キャンプの手続きで700円×6=4,200円を出したら、一人1,000円だと言われた。最近は、何処も値上げされていると噂には聞いていたが、直前のネットで調べた時は、700円と記してあった。その事を告げたのであるが、それは、去年のものかもしれないと言われるのであるから、その先は言わず、それに従った。でも、予約状況やコメントなどは、直近のものであるから、もうちょっと手入れをして欲しいと思わずにはおれなかった。

 薬師峠でテントを張り(3張)、「山ノ神」を除いての5名で薬師岳山頂を目指した。そのまま、宴会に入れば、「どれだけ酒があっても足りなくなるから・・」 などと言いながら、薬師峠に入った頃、登頂を終え降って来る筏井氏と遭遇。日帰り予定だし、元々健脚の方だから、そういう時間帯に出会うのは最もであるが、我々は、彼をキャンプに誘った。日帰りでやって来ているのだから、装備もなく 「ちょっと考えてみる。」 というのは当たり前であるが、酒・熟女の誘惑に負けたとは言わないが、久し振りの山友との交流を選んでくれたに違いない。( ´艸`)



 誰がよく喋ったとか、誰がたくさん飲んだとかは、分からないが、とにかく楽しかった。下ネタもあまり出かったが、とにかく、よく喋ったように思う。気温5℃にも負けずにである。終いには、まだ先の 「忘年会に来ないか?」 とまで話が弾んでしまったが、さてさて、どうなる事やら・・・ でも、テントの中に入ってから、寒さを我慢されたに違いない。 (ゴメン! もうちょっと、何かをしてあげれば良かったかも・・)



9/3 明日明後日は休日と言えども、家をほったらかして、山に出掛けるのであるから、少しは申し訳ないと思っている。孫達の送迎を、娘自身が行うのであるから、仕事に支障が出る事は間違いない。でも、私達の年齢を考えて、ちょっとは、好きな事をさせてやろうと思ってくれているのなら、こんなに嬉しい事はない。



9/2 今度のキャンプ山行準備が全くされていない。何とかなると思うのであるが、大勢で出掛けるとなると、やっぱり忘れ物がないかと気になる。3月の大地・初雪山以来の事だし・・・  食材でも、たくさん食べれるわけでもないのに、皆が気を遣って必然的に多くなる。かと言って、足りないのも弱る。



9/1 朝方は、めっきり涼しくなり、下着一枚で寝ている私は、夜中に目を覚まし、窓を閉めたり毛布を取りに行ったりするようになった。私の部屋は依然としてヤケヤケであるが、それでも、真夏に比べれば、5~6度は下がったように感じる。

 依然として私は、空調のない部屋で寝起きしているが、今年は、堪らず数日であったが、1~2時間程タイマーを掛けながら、扇風機のお世話になった。「我慢出来なくなるほど体力が落ちた。」 と考えるべきか、それとも、「地球温暖化の影響で、以前より暑くなっているのだ。」 と思えばいいのか分からないが、「もうそのような事をしている事自体可笑しい。」 と言われている。我慢・鍛錬・忍耐とかではないという事らしい。

 今度の好山病キャンプの行き先が正式に決まった。富士山や劒沢(剱岳)が候補に上がっていたのであるが、いろいろと事情があって薬師峠(薬師岳)に決着した。今回は、黒部五郎岳には行かないが、北ノ俣岳辺りで、ご来光を拝んだり、雷鳥と戯れる行程も考えているが、しかし、食事(宴会)が盛り上がって、どうなるか分からない。どちらにしても、安全で楽しい山行としたい。もう一つは、いついつまでも、このような事が続くとは思えないので、大切な仲間達と、じっくり時間を過ごしたい。