1/24 今日はとても寒かった。暴風雪警報や大雪注意報・警報が発令されて事からも分かるように、風が強く吹雪の状態である事が多かった。外はマイナス。家中は、暖房がない所は、冷蔵庫の中のような寒さ。日中いる店中でも、気温は上がらなかった。

 私の寝ている所は、今朝は4℃。上下にダウンを着込んでも寒かった。今夜から明朝に掛けては、一段と冷え込むようであるが、大きなペットボトル(2L)があれば随分違うのだが・・・ まあ~、寒を凌げば、暦の上では立春となる。



1/23 茂ちゃんに、「どうだった?」 と尋ねると、太腿を抑えていた。こちらとしては、「どうだったんだろう?」 と思ってしまうのは当然の事であるが、「快い痛み」 なら、それはそれでいい。「また、行きたい。」 と言ってくれるのか、それとも、「もう行かない。」 と言うのか、ある意味では、今後が楽しみである。

 今年の年賀状の中に、「これで(今年で)終わりにします。」 という内容のものが数通あった。「高齢になったから・・」 「節目の年齢になったから・・」 「退職したから・・」 などである。私としては、ちょっと寂しく、「50~60円の費用と手間が掛けられないのか?」 と言いたくなる。でも、それだけの関係だったのかもしれない。

 もっとも、「賀状は出さない。」 という人にも、私は、ずっと出し続けている。相手様は、迷惑かもしれないが、当方の儀礼としての意味合いや、元気でやっていますとの報告でもある。何もかも、多様化という事に片付けられてしまうが、時々、手紙やハガキをもらった時、その良さを、しみじみと感じるのは私だけなのだろうか?



1/22 珍しく近所の茂ちゃんが、雪上を歩きたいという。「体力はイマイチ。スノーシューの劣化が気になる。」 などと言っていたが、そのような気持ちになるのなら、ご一緒したいと思った。いろいろな山を思い浮かべ雪量や所用時間などを考えたが、帯に短しタスキに流しであった。

 昨夜は、八乙女山を提案していたが、今朝になって、もっと雪量の多い高落場山行きにする事にした。昨日は、多くの方々が登られたとの情報をfacebookから得ていたし、ブナ林の途中で止めてもいいとした。

 しかし、歩いてみると、ガタガタのトレースが固まっており、その上に新雪あった。茂ちゃんは苦労して登っているのが分かったので、急き立てなかった。彼の趣味である写真を撮る事も阻まなかった。でも、ブナ林途中(標高1,020m辺り)で、限界との意思表示があり、ここまでとする事になった。そして、風を凌ぐため穴を掘った。

 簡単な食事をして、私は、一人で山頂へ向かった。「やっぱり行くの?」 「どうしても行くの?」 と言われて、別行動は良くないが、「すぐに戻るから・・」 と言って出掛けてしまった。荷を軽くすれば、3か所のアップダウンも左程辛くはない。しかし、風が吹き始め、雪が伴って来た。

 お昼過ぎから降るは、予報通りであった。山頂からは、薄っすらと見える景色以外は何にもないのに、高い所に立つだけで、それなりの達成感が湧いて来るのだから、やっぱり病気なのかもしれない。雪降る中で、二人が待っているとの思いから、何度か転びながらも走った。



1/21 ハレルヤ山行の集合場所の宇奈月麦酒館に集った仲間は8名。二人は、体調不良との事で早い快復を願って高エ山の取り付き栗虫に向かった。除雪最終地点に車を止めてのスタートであるが、標高が200mにも満たないため、このところの状態から、所々土が見え、急登箇所とか、段差のある所では、ドロドロ・グチャクチャで難儀してしまった。

 高江山までは、前日地元の山岳会が登られたようで、そのトレースを辿らせてもらった事もあり、予定より随分早く着いてしまった。このまま、昼食というわけにもいかず、幹事が腹案として温めていた633m、もしくは、その先の水行山までの案に乗っかる事になった。

 高エ山を過ぎるとブナ林が良かった。地元の方も、この先はあまり入られないと聞いたが、何故か作業道らしきものが延びていた。水行山頂は広くなかったし、雪量も多くはなかった事もあったが、コンパクトな、ベンチ・テーブルが造られ、今年初めての集いに大いに盛り上がった。

 雨・雪が降るかもしれない予報だっただけに、展望はイマイチであったが、黒部奥のなかなか行けない山々が、薄っすらと見るに付け神秘さを漂わせていた。宴は盛り上がったが、やはり雪が舞い始めると寒さに耐えきれなくなる。雪壁やタープの威力をまざまざと感じさせられる一時となった。



1/20 明日のハレルヤ山行は9~10名の参加らしい。池田氏に不都合が出来らしく、もしかしたら、私が最高齢となるようである。時々であるが、「お元気ですね!」 と言われる事がある。「まだそんな歳ではありません。」 と言いたいところであるが、あちら様からみれば、充分年寄りなのかもしれない。

 それがイヤなら、負けずに頑張らなくてはいけなくなるが、そうして、墓穴を掘っては何にもならない。「やわやわと・・」 着いて行くか、自分なりのスタイルを貫くしかない。その内、声も掛からなくなるのかもしれないが、まだまだ、しょぼくれないぞ!



1/19 今度の日曜日は、第3日曜日でハレルヤ山行日である。幹事の堀シェフから、宇奈月の高エ山(597.9m)へ行くという連絡をもらっている。最近は、ご無沙汰故に、皆さんのお顔を拝見したいから、万障繰り合わせて参加の予定である。

 あまり耳にしないお山であるが、とやま山紀行(桂書房)の16Pに、チロル山の会(H.01.03.12)の紀行文が載っている。栗虫から登って、山頂を極め中谷に降りているものである。(高エ山には、4等三角点がある。)

 今度の企画では、幹事である堀シェフが、体調はイマイチと言いながら、633mの標高点はおろか、776.6mの水行山までの計画を温めているようである。天候・雪量・参加者の体調などの条件があろうが、幹事の指示に従うつもりでいる。せっかく皆と会えるのであるから、お天気が何とかならないかと願うのである。



1/18 疲れた。身体のどの部分がどうだという事はないのですが、気持ちが疲れたとでも言った方がいいのかもしれない。必ずしも広くない我家の駐車場は、雪が降ると、隣の駐車場との境に、壁の如く積み上げなければいけない。そして、雪が止むと、今度は、その積み上げられた雪を崩さなければならない。二つの駐車場と隣接しているため、除雪機械で積み上げられた雪山をも崩さなければ自由に往来が出来ない。

 仕事の合間に、その作業をしているのですが、暇だとずっとやっている事になるのです。店の前と道路、それに、愛車が留っている裏の駐車場に、その道路。向かいは空き家とお年寄り住まいだけに、こちらがやらなければどうしようもない。そして、雪を捨てる場所に苦労しているのだから、その距離も問題になって来る。疲れた。飲んでも疲れが取れない気がする。そんなのに、山へ行って、また穴を掘る自分が可笑しい。



1/17 今日は雨。かなり雪が溶けた感じです。我家の駐車場も、もう少し溶ければOKなのであるが、接している他の駐車場との兼ね合いもあり、完全にまでは時間が掛かりそう。それでも、次の雪までは大丈夫のような気がする。

 その予報を見ていると、ハレルヤ山行の日は、「曇り」、そして、その翌日の月曜日は、西高東低に入れ替わるために、全国的に雨予想である。そして、火曜日から雪らしい。でも、肉蔵山の時も、そうだったように、予報通りいくとは限らない。早まったり、遅れたりである。思うようにいかないのは人生ばかりではないようである。



1/16 スマホを始めて一ヶ月余であるが、まだよく理解が出来ていない。でも、新しい事が次々と起こるし(発見)、これは面白いと思うようになった。「ダメなら、またガラケーに替えればいい。」 と思っていたが、これでは止めるに至らないだろう。休日以外、家(店)にいる事が多い私でさえ、そう思うのであるから、そうでない人達の使い勝手があるというもの。

 そのスマホを昨日の高落場山に持って行かなかった。我家を出て、しばらくしてから、気が付いたのであるが、時間的に戻る事が出来なかった。一緒に行けなかった山仲間から、「画像を送って・・」 とのリクエストに答えられなかったのは、残念でならなかった。それと、使用料金がどうなるのか、ちょっと心配。私が理解していたのと違うようであるから・・・



1/15 大雪の余韻は、まだ、あちこちに残っている。車線が狭くなった所が多く、また、肝心の交差点の除雪が滞っていたりして、車の流れが悪く、高岡を脱出するのに相当の時間を要してしまった。娘や孫を急き立てて、いつもより30分は早く家を出たのですが、そのような状態では致し方なかった。それでも、五箇山トンネル入口の駐車場には、約束時間ギリギリで到着出来たのであった。

 今日は、周さんと河原氏が同行してくれた。前日に多くの入山者の情報があって、元気者の二人には、ちょっと物足りないかもしれなかったが、お天気も良いし、ゆっくり景色を眺めながら、或いは、ブナ林を眺めながら歩こうという事になった。

 ゆっくりと言っても、良く踏んだトレースがあれば、楽ちんである。1/3のあの状態の事を思えば雲泥の差である。時折、ヒューと抜ける風に、首筋に寒さを覚えたが、青空があるから、気分は良い。頑張っているが、やっぱり、ちょっと遅い「山ノ神」に、二人は合わせてくれる優しさがある。もっとも、事前に、その事を重々お願いはしてあったが・・・・

 素晴らしい山頂からの展望に、皆はシャッターを切っていた。北アに白山山系、医王山のイオックススキー場や砺波平野、向かいの平スキー場、白木峰や金剛堂山も格好が良い。大滝山からカラマン峰・人形山の稜線も目に入って来る。

 今日も、大きな穴を掘った。タープこそ張らなかったが、風除けには充分である。後から来られた登山者にも、そのシェルターを使われる事を勧めて下山となった。どれだけ荒れておろうが、雪中でお道化るのは実に楽しい。年齢なんか関係はない。



1/14 やっと、雪が落ち着いた。そして、今日は、久々のお天気で、山好きな人達は、あちこちに出掛けられたようだが、仕事している者としては、指を加えて諦めるしかない。でも、明日は、まだ、お天気が残るようである。そんな中、「明日は何処へ行くの?」 と問うてくれる人達がいる。前日のトレースに不満があるかもしれないが、その友人達と、ゆっくり五箇山の山を楽しんで来ようと思っている。



1/13 今日も何だか、除雪で終わった感じだ。雪の捨て場もないから積み上げるしかない。ずっと、やっていると、身体の節々に異常を感じるようになる。それは仕方がない事。「よく頑張っている。」 と、自分なりに思っているが、このような事が出来なくなれば、山にも行けなくなると思っている。



1/12 起きてみてびっくり。一晩で60cmも積もった。(90cmの積雪。) これでは、仕事どころではなく、学校も休校。あいの風鉄道が動いていないので、新高岡駅まで娘を送ろうとしたが、大渋滞で途中で降ろして駅に向かわせた。そのまま家に戻るのであるが、その往復に要した時間が2時間半。

 今日は、デリカが威力を見せ付けた。新雪であったからか、幹線道路まで、問題なく出れる事が出来た。周りの駐車場には、一台も乗り入れ、また脱出出来ないでいた。以前、登山口の駐車場で右往左往した事があったが、あれは、テクニック不足であったに違いない。まだ降るのだろうか?



1/10 今朝は無かった雪だが、ずっと降りっぱなしで積雪となっている。五箇山の積雪も2m超えのようである。山だけ降って欲しいが、平地はあまりいらない。特に水っ気の含んだ重たい雪には閉口するようになって来ている。明日も降るようである。また除雪に精出さなければならなくなる。



1/9 これでお正月の山行は終わった感じである。内容はどうであれ、8日間中、5回も山へ出掛けたのであるから・・・。 今月は、あと4回休日があるが、大勢で出掛けられるのは、ハレルヤのある第3日曜くらいである。2月は、ハレルヤ山行と、第2月曜 (建国記念の日の振替休日) がある。

 近年は、3月の第3日曜は、キャンプで大地・初雪山へ行く事にしているから、私の行くハレルヤは、2月が最後になる。(4月も怪しいから・・) しかし、最近は、単独行も寂しくなって来た。「山ノ神」と二人で出掛けるのも、お互いわがままが出るし、新鮮味に欠ける。

 やっぱり気の合った仲間と行くのが一番楽しい。私の環境と休日の違いから、なかなか希望通りにはいかないにしても、そのパターンを順繰りとなるのが一番良いように思う。兎に角、元気でいなければその話はない。



1/8 肉蔵山へ。上市役場午前6時半集合スタートであったが、皆が早めに集まってくれた。そこへ、マキちゃんから、「行けない。」 とのLINEが入った。あんなに行きたがっていたのに、何か不都合が出来たのだろうと思いながら、各自の車を早乙女湖上部の発電所手前の橋詰まで入れた。

 参加者は、岩城君・北ちゃん・周さん・土井夫妻に「山ノ神」と私の7名である。まずは林道歩きである。それも、モナカ雪である。しかし、そう言いながら、何の躊躇いもなく、ドンドン行くのだから、この先が頼もしく思えた。

 私は、この肉蔵山は今回が3回目であった。過去の2回は、2002年(H.14.02.17) 花じい・ターさん・まっちゃん・春ちゃんと私の5名。今となっては、懐かしいメンバーである。そして、もう1回は、2,006年(H.18.01.23) 北ちゃん・長勢君・橋ちゃん・ねぎちゃん・eiko女史・田村さん・「山ノ神」と私の8名で、純粋な好山病メンバーで行われた。どちらも、カンジキを利用しているから、やはり時代を感じる。

 林道歩きに約50分を費やしたが、その先の林道や作業道をショートカットして標高600mに到達が8時50分頃、そして、三角点(千石747.6m)へは、午前9時35分頃であった。地形図を見ると、その先は長いが、半分以上来た事になる。山頂への標高差も、あと約350mである。

 906mの標高点には、午前10時20分頃、標高1,000m辺りには午前11時頃となった。スタート地点の早乙女湖や富山湾そして、富山平野がすっきり見え、濁谷山や大倉山も大きく見える。赤谷ノ頭から延びる大熊山、そして、大辻山から連なる稜線も伺えるようになった。

 「ブナクラ谷だ!」 そしたら、「赤谷山か?」 「大猫山に猫又山か?」 「北方稜線が、ちょっと見えて来た。」 などと、各自いろいろな思いもあって、目先が変わっていく。午前11時半過ぎに山頂に着いた。(1,101m) しかし、山頂は風が強かった。でも、大した事がないだろうと、高を括って、シェルター造りに精出した。

 あまり固まらない雪質の為壁造りに苦労したが、何よりも、雪は伴わないものの強風に参った。後から分かったのであるが、その山頂だけが、風の通り道だったのかもしれない。大辻山から連なる稜線上の七姫山へは、この肉蔵山から標高差にして、234mであるが、誰も行こうとは言わなかった。

 シェルターの中に入れば天国である。深く掘り過ぎたからか、ベンチとテーブルは低くなってしまったが、何処のレストランにも負けないものである。またまた、食材が並んだ。その中でも、土井夫妻が用意してくださった ”ぜんざい”が温かくて美味しかったように思えた。

 下山は、ルンルンである。パラパラと来た事もあったが、懸念された予報より、上方修正されたようで、快適そのものであった。今日も楽しかった。往路は、岩城君がずっと、リードしてくれて助かった。本当に感謝である。「私も先頭に立って、ラッセルしたかった!」 とは誰の口からも出なかったから・・・

 午後4時前に下山出来て、ヘッデンのお世話にならなくて良かった。機会があれば、またご一緒したいですね! ありがとう。



1/7 明日から大荒れの予報であるが、「変更もある。」 としながら、行き先は肉蔵山になった。今日、大倉山に行って来た岩城君や、千石城山に行って来られた土井夫妻も一緒してもらえる事になった。いやいや、片折岳(金剛堂山)に行って来た周さんもである。

 当初、あまり乗り気でなかった「北ちゃん」が参戦となり、後は、マキちゃんである。彼女には、初孫が出来て、いろいろと忙しいようであるが、間隙を縫っての参加に意欲満々。もしかしたら、予想される悪天も大幅に遅れるかもしれない。願うのである。



1/6 娘は、4日から仕事の為、3日に帰高しているが、ムコ殿と二人の孫は、今夕やって来た。そうなると、俄然賑やかになるが、私達のやっている事は、若いもんのためになっているのか、また、無理やりに合わせてもらっているのか分からない。でも、遠慮しながら、お互いを認め合っているのが良いと思っている私であるから、あまり遠慮もない。

 我が家には、車は1台しかない。「山優先」 は、ずっと前から、伝えてあるから、何の遠慮もなく使っている。どうかしたら、ムコ殿が、帰京する時でさえ、見送らない時も出て来る。それは、暗黙の了承があるし、冷たい舅・姑で通そうと思っている。



1/5 お正月4日間の休みは、行き先や中身がどうであれ、やっぱり山に出掛けてしまった。「何が何でもは止めよう。」 と言いながらであるが、結局は、誰にも迷惑を掛けないで出掛けたのであるから、それは良しという事になるのではと思っている。

 でも、どんなに頑張っても歳である。それをわきまえながらでないといけないのであろう。 と言いながら、8日(成人の日)の山行を考えている。でも、予報は良くない。しかし、折角の祝日の月曜日である。どうであれ、計画だけは考えておかなくてはいけないだろう。



1/4 娘を高岡駅に送ってから牛岳に向かった。前日に高岡の奥さんが歩いたというトレースを辿った。しかし、そのトレースには、かなりの新雪が覆い被さっていた。それでも、かなり楽をさせてもらったような気がした。彼の語っている一本の木とは、どれなのか分からなかったが、稜線に出てお別れとなった。

 稜線に出て、新たな雪がそうさせたのであろうか、樹氷がとても美しく、何度も立ち止まってシャッターを切った。時折、青空が顔を出したが、喜ぶ前に、また雲に覆われてしまった。牛岳のブナも好きなところである。(新雪とブナ林、牛岳の良い所である。)

 三角点(最高点)で、食事をした。タープはいらないと言った「山ノ神」に従ったが、やっぱり降り出してしまった。「長い間には必ず降る。」 のが常識である事を思い知らされた感じである。お正月だから、山頂の牛岳権現様まで行こうと、渋りがちの「山ノ神」も従わせた。

 三角点から牛岳山頂までの間は、樹氷と新雪、そして、ブナが良かった。「寒い」 「神秘的」 が相まって、何とも言えない静寂閑が良かった。その山頂でも降雪が続き、長居する事無く折り返した。山頂を後にして、サングラスが無い事に気付き戻ってみたが、雪中に埋没したのか見当たらなかった。(その事は、家に帰って画像を見て分かった。山頂の写真にはサングラスが映っていた。)

 それを知らなかったため、帰路は、忠実に往路と同じ所を辿った。当然、山頂付近にあるのだから、探していても無駄となってしまった。愛着があって残念であるが、誰かに拾ってもらえればいいのであるが、分からないまま踏み潰されれば、ゴミになってしまう事を危惧してしまう。



1/3 一緒に出掛けると思っていた「山ノ神」が、箱根駅伝が見たいので行かないと言った。「それなら、もう少し早く言ってくれよ!」 と、「山ノ神」が、私のセリフを言うのであるから、腹の立てようがない。そのような事があって、高落場山へのスタートは、午前9時を回ってしまった。

 さすがに五箇山である。五箇山トンネル入口は雪がいっぱい。スキートレースを辿った。そのせいなのだろうか、唐木峠まで1時間を要してしまった。それでも気合が入っていたからか、それ以降は結構順調に歩く事が出来た。杉林を抜けてからの標高850m辺りから、風が強くなり、雪が伴って来た。

 登り始めは、曇りがちであったが、時々青空が覗き、もしかしたら、良い方向に向いているのかと思ったが、そうはいかなかった。横殴りの風雪となったブナ林でスキーヤーが一人降りて来られた。お互い「こんにちは。」 と交わしたが後が続かなかった。靄ったブナ林から神秘さが伝わって来るようで、何回もシャッターを切った。

 手が悴むし、カメラを濡らしたくないし、結構時間が掛かる。それでも、山頂への意欲は衰えなかった。雪が無かったら、南・高落場山・朴峠へ、北・つくばね森林公園へ、西・唐木峠への標柱が立っている分岐辺りで、シール作業をしている二人組のスキーヤーに出会った。降りしきる雪中で苦労しているように見受けた。

 山頂に向けて歩き始めたが、スキーのトレースはあったものの、あの降り方や風の勢いに恐れをなして、すぐに退散したと思えた。私もどうしようかと思ったが、タッチして、すぐに戻る気になれなかった。スノーシューを外すと、すぐに膝まで潜った。構わず掘って掘って掘りまくった。

 小さな縦穴と思って掘っていたのですが、自分の背丈を越えると、排雪に支障が出るようになり、幅を広くしなければならなくなった。そして、タープを張ったのですが、シェルターの周りは腰辺りまで沈み、まるで泳いでいるようだった。それも、暴風で飛ばされないようにしなければならず、泣きたくなるくらいであった。

 シェルターの中は、温かく、カップ麺とコーヒーを頂いた。でも、外の音は純情では無く、どうしたものかと思う程であった。山頂では、その作業と穴の中でどれくらいいたのだろうか? でも、ずっといるわけにもいかず、思い切り外に飛び出して片付けをして降りる事にした。

 フードを被り、そそくさと駆けだしたが、やっぱりブナ林の中では、立ち止まってしまう。自分も撮りたくて、三脚を出したりした。でも、安定が悪いし、カメラも濡れちゃう。でも、3回ばかりそのような事をしたのである。ブナ林から杉林になった頃、ようやく穏やかになった。



1/2 昨日は、夕方から、新年会に臨んだ。午後8時半頃には帰宅したのであるが、息子と、またまた飲んだ。結果的には、床に入ったのは、午前2時半頃だったと思う。その息子は、お昼過ぎの電車で帰阪すると言っていたので、2日の山行は諦めていた。

 しかし、悪い虫が騒いだというのか、「その間に行けるのでは?」 となり、午前6時、我家をこっそり抜け出した。山中3時間はある。山頂まで行けないかもしれないが、アルコールを抜くためにも、「一生懸命歩きたい。」 と身体が要求しているようであった。

 閑乗寺公園に着いたら、積雪(新雪)が15cmくらいあった。上に行くと、当然雪量が増えるのであるから、そのラッセル如何では、途中敗退も有り得るのではとの不安が付いて回ったが、当面の目標は、八乙女峠の東屋までとした。

 でも、6合目通過時点での時計で(林道が交差しているところ)、東屋まで行けるのではと思った。荷を小さくしてきた事が幸いした事は間違いないが、まだまだという気持ちが、まだ負けていないという事も大いに関係しているのかもしれない。

 急登箇所も、帰りは走って、飛んで降りれるとプラスとして考えた。お天気は、良くなかったが、それでも、強く降ったわけでもなかったし、風が強かった訳でもなかったので、悠々と時間内の山行を楽しむ事が出来た。

 家に戻って、息子と土産の買い物が出来たし、食事も一緒に出来た。「何が何でも・・」 の虫は動いたが、山以外でも、見付ければ、楽しい事がたくさんあるようだ。



1/1 ずっと雨。かといって、恒例の元日山行を外すわけにはいかない。夕方からは、これまた恒例の管鮑会新年会に行かないわけにはいかない。ちょっとでも、高い所という事で、千石城山としたが、時間がないのも、理由の一つである。

 種集落、そして、上市第2ダムを渡れば、雪量がいっぺんに変わった。そして、雨・ミゾレが雪となった。それ相当の雪量であったが、膝を越えるラッセルではなかったので、山頂到達は意外と早かった。

 食事するには早かったし、すぐターンして帰るのも、もったいなかったので、シェルター造りに精出してみた。私は、日頃から、私のやっている山歩きなどは、ままごとと、ちょっとした冒険なんですと言っている。冬は、それに、雪遊びが加わるのである。

 無邪気に、それに没頭するのは、面白く楽しいものである。その出来栄えを写真に撮ったり、貝塚(遺構?)のように残したりするのであるから、使い終わった後も、神経を使う。でも、あとに使った人が汚したら・・などと思ったりするが、いずれ跡形もなくなるのだから、その心配もない。そうして、今年も山歩きが始まった。