2/25 休業

2/24 休業

2/23 下の孫エリーは、解禁より一日早いが、先生の許可を得て、保育所卒園記念遠足に出掛けた。そして、元気になって帰ってきた。 その代わりではないが、「山ノ神」が臥せっている。食事はしないし、医者にも行かないのだから困ったものだ!  医者嫌いは、私もそうであるから、分からないではないが、早めに行った方が良いに決まっている。 時間が経ってから行くパターン多い「山ノ神」 行かないなら最後まで行くな!と思ってしまう。



2/22 「山ノ神」の年金の手続きに行ってきた。「山ノ神」は、この類の事は苦手で、いつも私になってしまう。受給は、2ヶ月先であるから、何ら生活はかわらない。 繰り上げ受給の私は、7年前からもらっているが、まだ1円も使った事がない。預金ならいいのであるが、生活費として消えてしまっている。 今度、「山ノ神」がもらったら、1回分だけでもいいから、自由に使ってみたい。だが、まだ借財があるので、そうはいかないか!



2/21 結局、下の孫エリーは、インフルエンザと診断されたようである。母親(娘)は、陰性であったようである。家中で病人が出ると暗くなってしまう。 雪中で、鍛えているといっても、ウイルスには叶わない。何とか、無事に乗り越えたいのであるが・・・・  あっそうそう、肺炎球菌の予防接種の案内も来ていたが、残りの期間はあと一ヶ月である。



2/20 昨日は、「山ノ神」の誕生日であった。山から帰ったら、外食だという。私は、あまり外食を好まず、 家でゆっくり食事をする事を好む。しかし、世の女性達から、毎日献立を考えるだけでも大変なんだと言われると、 年に何回かは、従わざるを得ないと思っていた。しかし、直前になって、下の孫のエリーが具合が悪くなり、 娘も仕方なく留守番となった。ちょっと盛り上がらない誕生会となったが、その後に続きがある。

 もっと苦手なカラオケである。「山ノ神」は、何時間歌っても大丈夫だというし、一人で出掛けてもいい人。 ビールを1ダース担いで、その上にコンビニでつまみを買ってである。もちろん往復は歩き。お誕生日だから付き合いせざるを得ないが、 日にちを跨いでも、一向に終わらない。ようやく終わったのが、午前2時頃であった。 「遊んだ後は早く起きる。」 を常に言っているのだが、それどころか、山に行く時でさえ、私が起こさなければいけないのだから困ったものだ。 その「山ノ神」も、前期高齢者の仲間入りである。



2/19 昨日、大鷲山に行けなかった池田氏と河原氏とで千石城山へ行ってきました。 前日賑わったであろうメーンルートからでなく、池田氏が好んで選ばれる早月川側からのルートである。 私も、ハレルヤ山行での下山時に、一度案内を受けているが、登るのは今回初めてであった。 常に剣岳を眺めながらであるから随分と気持ちいい。おまけに今回は、予報を大幅に上回る好天であったから尚更である。

 私(達)の時間制限を考慮しても、充分に届くとの案内であったが、 同行してくれた河原氏の猛烈なラッセルが奏功し予定よりも1時間も早く山頂に届く事が出来た。 その分だけ、気持ちの良い山頂で長くおれたのだから、この上ない喜びであった。 特別なご馳走もなかったが、いろいろな話が出来て良かったような気がする。

 そんなところに、小矢部からやって来たという青年が現れた。大きなカメラをぶら下げて剣岳を盛んに撮っておられた。 ちょっと、話しかけたが、ついつい、私達の下山ルートに誘ってしまった。
 彼も、得体の知れない老人部隊に興味津々だったのかもしれないが、それなりに楽しんでいたようであった。 大斜面を駆け降りるなんて、もしかしたら初めてだったのかもしれないが、ずっと、笑顔を絶やさなかったように思う。 その彼を、劔橋詰から剱親公園近くの早乙女湖畔駐車場まで送り届けたのは言うまでもない。



2/18 生きています。元気にやってます。山へも出掛けております。(時折、私を気遣ってくださる方々への報告です。)
 今日は、定例ハレルヤ山行で大鷲山へ行ってきました。4~5日前に、急遽、幹事を任されたので、天候などに加え、HDが壊れた事も伴いちょっぴり難儀であった。 でも、目まぐるしく変わった天候であったけれど、参加された方々は、一応に満足されたに違いない。

 そもそも、出発する高岡は大雪?であった。15~20cmは積もっていたからである。しかし、県東部にはいると、積雪どころか降雪そのものが少なくなったのである。 でも、山中は、それなりに降った。しかし、時折覗く青空に、「おおっ」と歓声が上がり、日本海(富山湾)や黒部奥の山々に見惚れるのである。

 そして、太くはないが、ブナ・クヌギなどの樹木に着く樹氷が、まるで桜のような感じで思えたのは私だけではあるまい。 相変わらず、山頂で大きな穴を掘った。美味しい物をたくさん食べた。馴染みの顔に若い新しい客人も迎え実に楽しかった。山は止められない。



2/10 スノーシューのリベットの代用を周さんが届けてくれた。修理を終えたと伝えると、イザという時に使ってくれと言ってくれた。彼が用意してくれた代物は、私が求めた物より品がいい。それもそのはず、周さんは何でも自分で直す人であるから・・・

 明後日は、振替休日の月曜日である。より多くの山仲間と一緒出来ると思っていたが、先日来の大雪と、明日からまた大荒れの予報で、誘うにも誘えないでいる。こんな時、行かないのが普通で、行く方が可笑しい。でも、「休日は山へ・・」 一日でも、一回でもより多く出掛けていた方が、後々元気でおられると、自分勝手に思っている。その日は、婿殿も長男もいるにも関われずである。



2/9 雪も、ようやく一段落し、青空が覗いた。予報では、今日明日には、雪の予報はない。日も長くなったようだし、一気に雪解けが進むかもしれない。そんな折、大阪の長男が、やってくるという。大雪の事が心配になったのかも知れないが、それでもなく、単なる友達に会いに来るのかもしれない。都会に出ると、故郷のニュースが気になるらしいが、「自分が帰る時には、いつも雪がない。」 などと、かなり愚痴っぽく言っているが、大雪になると、サンダーバードが動かない。



2/8 先日の少佐波御前山行で、スノーシューの台座(靴の乗せる所)のリベットが取れてしまった。歩いていて、何だか可笑しいなと思っていたらそのような状態であった。それも、二か所である。取りあえず、結束バンドで急場を凌いだが、しばらく歩いていると、また切れてしまった。結束バンドが細いからかもしれないと思って、二重にしてみたら、奏功したのか、車に戻るまで何ともなかった。結束バンドにも、長い短いの他に、太い細いがあるから注意したい。

 その結束バンドでも、少々の期間は持つのだろうが、見てくれも良くないので、リベットの代わりに、都合の良いものを探さなくてはいけない。DYIに出掛ける前に、もう一度、スノーシューを点検してみると、他に三ケ所リベットがなくなっていた。これには、さすがの私も動揺し、すぐにDYI へ駆け込んだ。次の山行に支障が出ないためにである。

 ねじを求めた。かんじき修理でも経験済みなので、大きさや太さを測っていったので、選ぶ事に迷わなかった。でも、まだ不安である。そうなると、心配性の私の荷がまた増える。

2/7今朝起きて、少しあっかり。たくさん降らなかったからである。しかし、連日の大雪で、それこそ雪と格闘していたのであるから、疲れ果ててしまったという感じである。そして、何もかものようにライフスタイルが可笑しくなってしまった。(まるでやる気がなくなってしまう。)こんなのを断ち切るためにも、平地での雪はもういらない。



2/4 1/25にPCが壊れた。HDの損傷らしかった。タイミングが悪い事に、いつも頼りにしているS先生の体調が思わしくなかった。 それでも、その事が伝わってからは、S先生は、3日3晩掛かって、私のPCを直してくださったのである。 長く貯め込んでいたいた画像や住所録、メールアドレス、編集中だったいろいろなデーターを、 いっぺんに無くしてしまったのであるが、いつ辞めても良いと思っていたHPは、サーバーの所に残っているのであるから、不思議な関係である。 その間、あれもこれも書きたいと思っていたのであるが、イザPCが戻ってくると、そのアプリの仕法がちょっぴり変わったりしていたりした事もあるが、 なかなかキーボードを叩く意欲が湧いてこない。