3/31 3月も今日で終わり。早いもので、今年も1/4が終わった事になる。言い方を変えれば、今年も、あと9ヶ月となった。でも、嘆く事など無く、淡々と過ごせば良いだけの事である。やりたい事がいっぱいある。それを考えるだけでも楽しい。余計なものは処分しても良いし、その方が良いのであるが、 ”終活” などと、寂しい言葉はいらない。死んだら終わり。どんないい人でも忘れられていく。いなくなっても何とかなるのだから、殊更考える事もなかろう。



3/30 私はメカには弱い。なかなか思うようにならないが、でも分からない事は、それなりに努力する。他人様には、バカバカしい事であっても、分からない事が分かった時は、「やった!」 と、思わず手を叩いたり、奇声を上げたりする。それは、山頂に立った時の喜びと似ている。

 スマホで写真が、あと88枚という表示が出た。これはいけないと思いmicroSDカードを買い換えなくてはと思った。ところがである。microSDカードにも、HCというのと、XCというのがある。何がどう違うのかと探ってみた。HCというのは、大きな容量(High Capacity)  XCは、さらに大容量(Extended capacity) という意味らしい。

 通称、microSDは、2GBまでで、microSD HCというのは、4GB~32GB、そして、microSD XCは、64GB~2TBまでのようであるが、纏めてSDカードと言っても間違いではないようである。したがって、microSD HC 128GBと表示してあるものは偽物との事。(128GBならXCなのである。) それから、速度などの事を改めて知ったが、やはり のほほんとしていたらダメなようである。



3/29 下の孫エリーが、4月から小学1年生になる。保育所への送迎がなくなり、楽になるかと思えば必ずしもそうはいかない。育成クラブ(学童保育)を利用する事になるが、春休みや夏休みや、また学校都合による休日の場合は、預かってもらえるのが午前8時からなので、出発時間がやや遅れる事になる。そして、上の孫ミーは、3年生になるのだが、半年前から、学童保育に行きたがらなくなっている。

 それでも、「じいちゃん・ばあちゃんが、山へ行く時だけ学童に行く。」 と言い、現在も続いている。イヤなのに、私達の為に無理して行っているのかと思うと、何だか苦しくなってくる。下の孫エリーは、「友達も一緒だから!」 とか、「一輪車の乗りたいから・・」 などと、今のところ、行く気満々であるが、上の孫ミーは、何かトラブルを抱えているのか、それとも、同級生が皆止めてしまったから・・、などの理由で行きたがらない。

 もう少し大きくなったら大丈夫なのかもしれないが、こちらもこの先どうなるか分からない。いつも大きい事(ホラじみた事)を述べているが、こうなると萎んでしまう。週休2日を模索しているが、月・火が、いろんな意味で便利・有利なのであるが、自由になる事を考えると、日・月にしなければならないのだろうな! 長期旅行などは夢の夢! まだまだ夜行走行が続くかもしれない。



3/28 一昨日の金剛堂山は、50回目のメモリアルであった。牛岳(154)・千石城山(59)・大辻山(57)・白木峰(50)に次いで5座目である。50回以上登った山を、10座が当面の目標であるが、この先は、相当時間が掛かりそうである。小佐波御前山は、50回まであと3回であるが、余程の事がない限り問題なく到達するだろう。大地山もあと3回である。大好きな山だけに来年には達したい。人形山(38)・大猫山(38)・白山(37)は、あと12~13回が必要である。

 どれも、時間制限下(8:00~17:00)では、ちょっと難しい。人形山は、途中から単独行が許されれば、何とかなるが、大猫山などは、ゲートが手前に出来てから、ちょっとマズい。元々、ブナクラ周辺の山が苦手な「山ノ神」であるから、フリーにしてもらえる事は、年に一度くらいしかない。白山の日帰りも、やっとなのだから、以前のように年に何回も行けなくなっている。

 剱岳(31)は、別にして、医王山(34)・大倉山(32)・中山(30)・高落場山(26)・八乙女山(26)・高峰山(25)くらいなら、コツコツ通えばそれほど無理とは思えない。でもである。大倉山などは、無雪期に行っても面白くない。積雪期や残雪期に登ってこそいい味がある。10回以上100座も厳しい。全休日を使っても、80日位だし、いつでも登れるという山ばかりでもないし、天候によってはかなり厳しいのも多い。それでも、もう1~2年以内に、休日を増やしたいと思っている。50年以上働いているのだし、週休2日にしても罰は当たるまい。

 今日、近くのクリニックに行って、肺炎球菌の予防接種を受けてきた。元来この類のものは受けない主義であったが、一昨年、肺炎になって本当にエライ目にあった経緯があるだけに、期限ギリギリに受けてきた。ところが、接種を受けた左手が痛くてしょうがない。思うように動かない。茶碗を持つのも辛い。まさかと思うが、もう一日様子を見てみよう。



3/27 昨日の金剛堂山では、最初に富山の松田氏に声を掛けてもらった。同氏は、相当早くからスタートされたのであろうか、我々が、山頂まで小一時間掛かると思われる所で、「本間さんだよね!」 と言ってもらった。初対面であったが、「結構、参考にしているよ!」 と言われたので、舞い上がって写真を一緒に撮らせてもらった。「また、何処かで会うかもしれないが、晴れた時にね・・」 などと・・・ そりゃそうだよ。雨は私だって好きではないよ!

 中金剛(最高点)から戻って、食事をしていると、男性が登って来られて、手際よくベンチ・テーブルを造っておられた。しばらく経って、女性が登って来られたが、そのベンチ・テーブルの所に吸い込まれていかれたから、同じパーティーの方だと思っていたが、少し離れていたせいもあり、左程気に止めず、絶景を肴に、我々3人は盛り上がっていた。

 そこへ、先の女性が、「元さん~」 と声を掛けて下さった。富山県で山をやっておられる方なら、誰でもが知っているT&Mの関本夫妻であった。最近は、いろいろと事情があり、HPも山歩きも自重しておられると聞き及んでいたが、そのような事は微塵も感じられぬほどお元気であった。私は、関本夫妻の活躍は存じていたが、何回もお会いしたこともなかったので、お話する機会もあまりなかった。でも、僅かであれ、今回の金剛堂山々頂で、何だかもっと親しくなったような気がしてならなかった。

 そんなところに、「お~い」 と俵先輩が現れた。体調があまり良くないと言いながら、何処と無く現れるのであるから、大したもんである。未だに一緒に歩いた事はないのであるが、不思議な事に山頂でお会いするのである。今回も、上がって来られたと思ったのに、すぐに降りて行かれた。いろいろな事があるのは、「百の山頂に百の喜びがあり。」 と通じるのかもしれない。

 

3/26 このところ、連続的に一緒しているがり君が、ひょんな事から、またまた金剛堂山へ一緒してくれた。今日の私達は、孫達の送迎はなく、いわゆるフリーであったが、ガリ君には、時間的な希望があった。しかしである。そのガリ君が、「こんなお天気なのに、もったいない。」 などと言うのであるから、山頂退却時間を任せる事にした。

 それほど、素晴らしいお天気であった。北アの展望は、剱岳から御嶽山まで。反対側には白山もあった。今日は、私の金剛堂山50回目である。ゆっくりするのは大歓迎である。往路は、一服金剛(片折岳)で、コーヒタイム。そして、山頂を含め、いろいろな方(初対面の方や懐かしい人など。)との出会いがあり、楽しいものであった。そしてまた、ちょっと、おだてられ気分も良かった。



3/25 3週間前に注文したデコボンが熊本から届いた。ワケありの7・2キロであったが、中味は、必ずしも見栄えは良くないが、大小40個以上あり、味も遜色がない。これは、なかなかいいぞと思ったが、注文したのは私で、その代金は、私払になりそうだ! 娘一家は、ムコ殿を含めて温泉へ出掛けた。だから、明日は、フリーになる。



3/24 細々とであろうが仕事をしている事に意義があると思っている。また、アルバイトであろうが、再雇用であろうが働くという事は良いことである。実際会話があり、気遣いもある。また、使わぬ筋肉は衰えると言われる通りで、いろいろなところに異変を感じるようになる。顔だって、張りがなくなり口角が下がってくる。

 しかし、そうでない人もいる。そんな人は、例外中の例外で、そう多くはない。「羨ましい」 との妬みも少しあるが、仕方がないと諦めるしかない。のんびりやるか、あくせくするかは、その人次第。どちらが良いのかわからない。でも、動いていた方が良いし、使っていた方が良いに決まっている。使わないで、また、動かないで、「劣化?」 するより、動いていて壊れた方が良いように思わない?



3/23 お客様に先日の大地・初雪山の話をした。雪洞の話・居酒屋の建設・雨の中の行軍、そして、このところの雪中キャンプや荷揚げの事も付け加えた。すると、そのお客様から、意外と思われる答えが返って来た。「何と、贅沢な・・」 である。てっきり、「何が面白くて・・」 とか、「寒い雪の中をなんで・・」 とか、「ちょっと、可笑しいのでは・・」 と言われるものと思っていた。愛好者に叱られるかもしれないが、夜飲みに歩く事や、ゴルフの入り込んでいる事を思えば、誰もが出来ない事をやるとの評価かもしれない。

 あの「居酒屋おおち」 でも盛り上がったのであるが、「此処まで歩いて来なければならない。」 「寒ければ、それなりの物を準備しなければならない。」 「美味しいものやお酒を飲みたければ、それも担いで来なければならない。」 誰もが来れないのである。そんな処(雲上)で、意気揚々としている事が凄いのだと自画自賛をしてしまった。でも、70歳くらいでなら、そんじょそこらにおられる事間違いなく、80歳くらいで、今のような事が出来てこそ、自慢が出来るのであろうとなった。

 スパー爺の道程は、まだまだ遠い。唯々、元気だけでなく、もっと鍛えなくてはいけないようである。そりゃ、若いもんには叶わないが、意気込みがあれば、それなりの事は出来るような気がする。荷だって、特に嗜好品などは、前週に担ぎ上げればいいのである。夢はまだまだ。落ちぶれてはダメ! より元気になりたい。



3/22 スマホを使い始めて3ヶ月ちょっと。分からない事があったら、友人や知人に尋ねるのであるが、年齢が近いからであろうか、「分からない」 「設定は、家族の者に・・」 とか、「会社の若い人に・・」 というケースが多い。と言えども、娘や息子などの家人は意外と冷たく、「後から・・」 とか、「自分で調べられ・・」 などと、なかなか思うようにならない。

 私は未だに、此処は触っても良いのだろうかと、疑心暗鬼の事が多い。でも、何かやらないと前へ進まない。前向きの一端でやったのだから、冬場のラッセルを買って出たようにならざるを得ない。そんな私は、スマートブレスレット(スマートリストバンド)なるものに悪戦苦闘している。時計の他に、血圧・心拍・歩数計・睡眠状態を知る事の他に、ストップウオッチや、なんやらかんやら・・・・

 勢い余って「山ノ神」の分まで購入したのは良いものの(違った機種)、その設定が思うようにならなかった。誰かに助けをと思っていたが、埒が明かないと思い、自分で、恐る恐るではあったが、いろいろと触ってみた。Bluetoothなどの文言が出て来たり、違ったらどうしようかと思いながらインストールしたアプリなど、いやはや参ってしまった。

 そしたら、いつの間にか繋がった。SNSが繋がったのである。LINEの送り主や文面が入ってきたのである。電話も名前が出た。これで、ザックやカバンの中に、スマホを入れていても分かるというものである。しかし、スマートブレスレットとスマホが離れていれば、その効力はない。でも、いろいろな事は、スマホにデーターとして残るから便利だ。安価なスマートブレスレットだが、もうちょっと、値が張る物だったら、もっと便利なのかもしれない。



3/21 雨の山行は後始末が厄介だ。家に戻って、お天気になれば、それなりの対応が出来るというものであるが、雨の日が続くとイライラして来る。シュラフにシュラフカバー、マットやサブザックに象足などと、すぐ洗える衣服や靴下・ズボンと違い、年に何回しか使わないものは、カラカラにしておかないと、いざという時に困るのである。

 今回、使用しなかったテントや外張りなども、少しは濡れている。本来なら外で組み立てて、陽や風で乾かすのであるが、雨が続くとそうはいかない。やはり、ファンヒーターを利用せざるを得ない。タープや薄手のウィンドブレーカーのようなものは、すぐ乾くのであるが、多くの水分を吸い込んだもの(靴やザック)は、なかなか乾かないのである。



3/20 やっぱり疲れた。どこがどうとは言えないが、足も左程痛くないのであるから、寝不足なのだろう。周さんは、体調がイマイチだったのに、結構無理して歩いていたようだし、「山ノ神」は、朝食の準備もしてくれない。ガリ君は、高岡の自宅に戻るのに6時間くらい掛かったらしい。出発前夜も殆ど寝ていないと言うのだから、休み休み車を運転したのであろう。

 今回の大地・初雪山であるが、「始めから好天に恵まれた。」 「初雪山方面へ、ちょっとだけど足を延ばせた。」 「危なっかしかったけど雪洞の利用。」 「立派な居酒屋おおちの建設?」 「雨の中の下山。」 「下山ルートを間違えた。」 等など。甘いも辛いもあった。後々、4人の共通の想い出となるであろう。もしかしたら、これも財産なのかもしれない。



3/19 ポタポタと水滴が何かに落ちる音がして目が冷めた。1時間も寝ていない感じの時である。ゴミ袋に包まれた靴の上やザックの上などにライトを当ててみたが、濡れてはいなかった。次第に「冷たい!」 という声と共に皆が起き出した。場所にもよったが、マットの上に水が溜まっていたし、その関係上シュラフも濡れていた。私は、シュラフカバーを着用しているから、被害が小さかったが、それでも、頭部分は濡れていた。

 一番奥のガリ君が辛い目に遭ってしまった。シュラフどころか靴下まで、それこそベタベタであった。マットの上に水が溜まるくらいであるから、寝てはいられない。寝具を片付けて、「食事処」に身を寄せた。予報通り午前3時頃から雨が降り出した。初雪山どころではない。ウトウトしながら夜が明けるのを待つしかない。

 タープを叩く雨音は、それなりの音はするが、外に出てみるとそうでもない。しかし、天井に溜まり弛んでしまう。コーヒーを飲んだり、パンをカジっていても、時計の針はあまり進まない。薄明るくなった午前6時頃から、撤収の準備に入ったが、雪洞の中は、天井が低くやりにくいので、食事処でやる方が楽だった。雨が降っていても記念写真を撮るので、カメラのジャバラがくっついてしまう。(また壊れてしまったような気がする。)

 午前7時10分頃、大地山頂を後にした。当然、雪は腐っていて歩きにくいが、それよりも雪解けが進み、ゴボッたり、急斜面ではヤブの中へ入ったりしなければいけなかった。夢創塾との分岐から下がった標高750m附近で右に降りる所では、危うくまっすぐに進みそうになったし、それより先の、いつも「山ノ神」が嫌がる箇所(700m附近)では、ガリ君の助けを借りる事になった。

 それよりもである。621mピークから杉林を降りるのであるが、550m附近から左側(北側=谷側)にズレてしまったのである。全く私にミスであった。170m程降った所で、まずい事に気が付き、GPSを頼る事になってしまった。急斜面のトラバース、そして、雪があまり着いていない斜面を駆け上がらなければならなかったのである。(標高にして90m=時間にして、40~50分くらい) ルートに戻った時は、本当に良かったと思った。

 文句を言わず、頑張ってくれた皆に感謝! 改めて 「ごめんなさい。」 と言わなければいけない。くろべ平に着いた時は、本当に力が抜けたような気がした。全身ビショビショだし、リックの嵩は、前日よりも大きくなっていたような気がする。きっと足が張り、肩も痛かった事だろう。相ノ又トンネルに着いて、「山ノ神」が、うどんをつくってくれた。ちょっと薄味であったが、それでも美味しく感じた。



3/18 午前6時半 朝日小川ダム集合。「お酒が足りないかな?」 などと、余計な事を考えたため、荷が22~23キロになってしまった。それに、しばらくは、スノーシューを担ぐのであるから、肩に異常を感じないわけがない。集まれば皆のザックが大きい。後から集計すると、荷揚げ分を含めて、ビール(350ml)が17本・日本酒2・5L・ワイン1本・ウィスキー小瓶2本・他に焼酎、そして、水は10L以上あったと思われる。そして、食材であるから、言わなくても分かるというもの。

 それでも、大地山頂まで5時間くらいで行ったのであるから、大したものである。予定では山頂にテントを張るつもりであったが、穴を掘り始め頃から風が強くなり、一週間前朝日町遭対協の皆さんが掘られた雪洞に心が動いた。しかし、雪洞の天井が、かなり下がっており、また、水滴がポタポタと落ちていた。強度の事と寝心地を考えるにあたって、別に食事処を造るのであるから、寝る時間はかなり短く、夜になると、少しは冷え込む事も期待した。

 背が立っても天井に届かない程のシェルターを造った。それは、掘って積み重ねたものである。「居酒屋おおち」と名付け、とても居心地がよく、午後5時半頃から、6時間以上食べて飲み続けたのである。キャンドルやランタンまで揃っているし、入り口も簡単ではあるが塞いだのであるから、それはそれは盛り上がった。

 それより先、私とガリ君とで、初雪山への稜線1,222.9mピークから、崩落した雪庇を横目して、その上の1,250m付近まで歩いてきた。それは、せっかく初雪山を目指してきた彼を、雨だから諦めようというのが耐え難かったからでもあった。そのために、テント張りを諦めた感はあったが、ベースキャンプで待っている二人の事を蔑ろにしたわけでもなく急いで戻ったのである。

 「居酒屋おおち」に話は戻るのであるが、只々飲むだけではなく、山の経験談から、日頃語られないような話まで、また、早くも来年の大地・初雪山行きの話にまで及んだ。そして、「居酒屋おおち」から、「レストランおおち」 になっていくのであった。殆どのお酒がなくなった頃に、雪洞に入るのであるが、まだ雨は落ちていなかった。

 話は、また先に戻るのであるが、標高950m(通称・なべ平)で、「元さんですか?」 と、3人パーティに声を掛けていただいた。お一人は、H.28.10.10雨飾山でお会いした古川氏であった。(確か野田氏という方と一緒だと思っている。) また、もう一人の方に、「初めて大猫山に登った時お会いしました。」 と言われた。H.22.09.09私が単独行で、大猫山から猫又山へ行く途中(猫又山キャンプ)の時お会いした鹿熊氏であった。(俳優の阿部寛さんに似ていて、その時一緒に登られた方(浜田氏)が巨人軍の阿部眞之助さんに似ていた事から凄く印象的に覚えている。)3人目の方は、お名前こそ伺わなかったが、河原氏の友人であると聞いてまたびっくり。世の中本当に狭いと思うし、誰とでも仲良くしていると良い事があると思った。

 

3/17 一週間前に荷揚げをしても20キロくらいになる。スノーシューを担げば、それに2キロくらい増える事になる。何をそんなに担ぐのと問われてしまいそう。より快適に、より美味しくと欲張りがそういうふうになるのだろうが、寒いより暖かい方がいいし、アルコールがなければ話が弾まないというもの。二日目の予報が良くない(☂)ので、一日目を我らなりに楽しみながら登りたいと思っている。



3/16 18日のハレルヤ2月定例山行は、土倉山に決定したらしい。そのハレルヤを蹴って大地・初雪山へ行く自分は何なんだろうと思うのであるが、この時期この山に行かないわけにはいけないのである。これは、大方に受け入れられていると思っているが、何を不義理なと言われても仕方がない。しかし、大地に行けなくなったら、もう山を止めるかもしれないとまで言っているのであるから、伝わらない事もないだろう。

 今回は、4人パーティーになる。ゆっくり山を楽しみたい。18日(日)は、何とかお天気に恵まれそうであるが、19日(月)の午前中は、雨が予想されている。でも、ころころ変わるお天気の事だけに、その日になってみなければわからない。いつも、「下山する時、車に乗ってから晴れてきた。」 などと、悔しい思いをする事が多いが、その逆だってあり得るのだよ! 「行くとダメだが、行かなかったら晴れた。」 のには、ならないで欲しい。



3/15 インフルか肺炎の疑いがあった(勝手に)が、咳や痰がなくなり完治したと思っている。自力で治したとは言わないまでも、まだ耐える身体が健在だという事なのだろうか? それがそれでも、今度は、目が痒く鼻水が出て困っている。外に出るとテキメンなのだから、おそらく花粉症なのであろう。そのような症状があるとは、ある程度自覚をしていても、なってみると結構辛い。

 家中のインフラ?が次々と故障している。30~50年経過しているから当たり前なのかもしれないが、経費が嵩みヘロヘロである。「次はどれだろう?」 「あれもこれも」 であるが、70年持ち堪えている自分は、それなりに威厳を発してもいいのかもしれない。腰痛を訴えていた周さんの大地・初雪山行きが決定した。不安げな発言があったが、行くという事は、それなりの裏付けがあったのか、どうしても行きたいという気持ちが勝ったからに違いない。後は、お天気である。



3/14 今、スマートブレスレットに嵌っている。スマホをやり始めてまだ3か月の私であるが、大人のおもちゃ感覚で、それなりに楽しんでいる。そのスマートブレスレットなるものスマホと連動するのであるが、まだ充分に使い切っていない。それでも、正確かどうか分からないでも、健康状態が把握出来るというもの。でも、肝心のメールやライン連動がまだ上手くいっていない。

 そのような状態なのに、「私も欲しい。」 という「山ノ神」の要望に答えて、もう一つ買う事にした。QRコードなるもののスキャンなど、私には新鮮な事ばかり。ハラハラドキドキもいいが、イライラが嵩む悩みもある。でも、何でも良いから、触らなくては、その次が見えて来ない。

  ついでに、75Lのザックを買った。怪しい程の値段に飛び付いたのであるが、手にして、本当にその容量があるのかと疑わしいが、使用頻度からして、充分に間に合いそうである。それも、「山ノ神」用なのでるが、一向に興味を示さないのでは、余計なお世話だったのかもしれない。重さよりも嵩に通用する意味合いでの購入であったが、果たして、奏功するのかはわからない。



3/13 来週のキャンプ(3/18~3/19)の予報が目まぐるしく変わる。晴れだったのに傘マークが付き始めたが、今日は、二日間とも曇りになった。どちらにしても、雨量は極々少ないような感じである。周さんもガリ君も一緒してくれると思っているが、誰が行かなくても私は行く。大地の山頂に立てる事が喜びであり、初雪山は、おまけみたいなものであるから・・・

 その山頂で、ゆっくり山談義が出来れば最高である。いや、黙っていても、それなりに何か通じるものがあるというもの。損得なし、唯、山の事だけを考えていてもいい。そんな時間が、長い人生の中にあっても構わないような気がする。バカ・アホ・キチガイと言われるまで50年掛かった。実績も技量もないが、私は勲章のように思っている。



3/12 2週連続46回目の大地山は荷揚げのための色合いが強かったが、ガリ君が付き合ってくれた。一向に良くならない空模様に、またしても裏切られたかと思ったが、標高1,000m超え辺りから、青空が急激に現れた。初めてのガリ君に、大地からの初雪山を眺めてもらいたいと思っていただけに、ドンピシャリとなった。2時間以上大地山頂に滞在した感じになったが、「もっと、此処にいたい。」 「泊まりたい。」 と言う程に、きっと、大地・初雪山が好きになったのだと思った。(嬉しい!)

 10キロの荷をデボしてきた。朝日遭対協の立派な雪洞も見てきた。それよりも何よりも、久しぶりに初雪山を眺めながら、長く山頂に滞在出来たのが一番の喜びだったかもしれない。このお天気に、腰痛となった周さんが、平地でどのような気持ちでいたのかと思うと、申し訳ないと思わざるを得なかった。来週行こうぜ!



3/11 今日は、予想に反して、時雨てしまったが、明日は、予定通り晴れる事を願う。荷揚げに周さんを当てにしていたが、突然の腰痛では仕方がない。もう一人のガリ君を頼って良いものかどうかはわからないが、若いから大丈夫だろう。そして、付き合ってくれるだけでも有り難い。肝心の来週のお天気周りが怪しくなってきたが、余程の事がない限り行くに決まっている。



3/10 このところ、facebookをご無沙汰している。理由は、特別な事もなく、唯、上手く投稿出来ないからである。そんなfacebookの3/6~3/8に、シュンちゃんが大地・初雪山を連載?してくれていた。私の好きな山域だけに食い入るように見ていた。各自いろいろな思いがあるのであろうが、突き詰めれば、その思いはそんなに変わらない。

 山仲間では、絶大な人気を誇るシュンちゃんが語ると、そこに人が集まってくるような気がしてならない。その一方で、「不器用な人に、人間性を感じる。」 とでも言うのであろうか、選り好みをしない彼の人としての深さを感じている。昨夏に、「飲まないか?」 と言ってくれた事があったが、ちょうど北岳・間ノ岳方面に出掛ける時だっただけにその機会を失っている。でも、その気さえあれば、いつだって飲む事が出来る。そんな私であるが、本日15日ぶりにお酒を口にしてみたが、全然美味しくなかった。まだ本調子でないという事であろう。



3/9 このところ、大地・初雪山の事ばかり。少々舞い上がっているのかもしれないが、それだけ好きなのである。来週(3/12)も行く。贅沢な雪山キャンプをするためにも、荷揚げの山行となるが、周さんも同行してくれる。そして、若いあんちゃんが、一緒してくれるという。俄然活気が湧いてくる。ずっと、続く晴れーマークであるが、オセロのように、ひっくり返らない事を願うばかりである。

 贅沢なキャンプと言っても、ちょっと、お酒を余計目にとか、出来るだけ飲料水を担ぎ上げたいなどであるが、特別なメニューはない。でも、午後から星が輝くまで、食事処で、ワイワイやるのであるから、肴が足らなくなってはいけない。と言っても、腹いっぱい食べる事も出来ないこの頃。 「あと何回登れるかとか、あと何年山へ行けれるのか?」 と言う事を口にしていたが、今日から、プラス思考に考え、140歳を考えれば、まだ折返しに立ったところである。何も心配事や悩み事を集めてばかりいる事はない。それだけで老けてしまうではないか?



3/8 まだ充分ではない体調であるのに、大地山まで行かれた事に喜びを感じている。早く元通りになって、来週も再来週も、その大地山へ行く皮算用をしている。 その内の一回は初雪山までの計画であるが、天候・体力など諸条件が整わなければ叶わない。3時間で行ける事もあれば、6時間掛かっても届かない事もある大地山。

 でも、私は好きなのである。展望が効かなくても、風雨・風雪に見舞われようが、行ける事に感謝し満足をしている。1,200mに満たない山であるが、その山頂から望む初雪山は、何とも言えないくらい好きなのである。大猫山でも、剱岳を望めない時が多いように、大地山もその限りではない。自分善がりであるが、大地山頂に立つ事に意義を感じている。

 その大地山へは、平成11年の初登頂から45回を数えた。今年中に、後2回登れば、鬼が笑うかもしれないが、来年度中に50回の大台に乗せられるというものだ。その上の数字は、ちょっと読めないが、一回でも余計に登られればと思っている。16回の初雪山であるが、何とか20回に乗せられればと、今のところ、血気盛んである。



3/7 病み上がり、いや、療養中なのに、山に出掛けたからであろうか、夜中に足全体が攣ってしまった。二階で一人で寝ている私だけに叫んでも届く筈もない。のたうち回っていたが、いつの間にか、また寝てしまったようである。下山中、GPSを見ながら、ストックを使わなかったせいもあったのか、斜面で転んで頭から雪中へ突っ込んでしまった。

 足が嵌り、顔面が雪中、そして、荷がその上に乗っかってしまった感じで、立ち上がる事が出来なかった。首(頚椎)が、どうもなかったから良かったものの、ヒヤヒヤもんであった。「時間がない。」 「早く・・」 などと、どちらかというと、「山ノ神」を煽っていただけに、仕損じてしまい面目がなかった。

 今回は、次週の荷を少しでも軽くするために、ちょっとでも、デボをと思ったが、もう一週あることだし、また、どれだけ担げるかもわからなかったから、通常装備それが正解だった。と言っても、大型シャベルやタープ、そして、一式の炊事用具は担いでいます。身体は、まだ少々痛い。まだ完全に治っていない。だから、お酒もお預け!



3/6 娘に時間をもらった。朝の送りの免除である。夕方もと言ってくれたが、来週も再来週も大地詣を続ける予定なので、午後5時までに高岡に戻るとして出掛ける事になった。朝日小川ダムからのルートを選んだ。まだ完全でない身体故、ゆっくり歩くには、こちらの方が良いのではと思ったが、左程違いはない。

 発電所を過ぎてから、くろべ平まで雪が着いていたので直接その斜面を登った。ショートカットになるのだが、「山ノ神」は、下山路としては選ばせてくれなかった。 ゆっくり歩いた。ある程度は「山ノ神」に先導してもらったが、621mピーク横からの稜線に出てからは、失速してしまい例の如く、何処で食事処とするかを模索し始めたのである。

 私としては、今年初めての大地。そして、始めはモナカ雪気味であった雪質が、クラスト状となり、スノーシューの刃がアイゼンのように雪面に食い込んで小気味よく歩きやすかった。またしても騙されたかと思っていたお天気も、だんだんと青空が広がって行く状態で、何で途中で止めなければならないんだと思ってしまっている。

 「山頂で、雪庇との写真を撮って欲しいから・・」 と言えば、「セルフタイマーがあるじゃない・・」 と一向に意欲が上がらない「山ノ神」に、そんなら来なければ良かったじゃない・」 とか、「始めから別行動なら・・」 とかを何度も口にしようかと思ったが、ここで諍いをしても何にもならないという事は重々承知!

 1000m超辺りから、「山ノ神」の姿が、後方に捉えられなくなった。「何処かに穴を掘っておいてくれ・・」 と言ってはいたが、こちらとて時間がないのである。何度も何度も立ち止まっている関係上、5時間は経っているのであるから・・・ とにかく山頂まで行ったのであるが・・・ 全く何も見えない。風こそあまりなかったが、立ち木が煩そうに立っているのが印象的だった。山頂の雪量が少ないのかもしれない。

 何が何だか分からないまま、唯、山頂の証拠写真を3枚撮って下山した。少し高度を下げると、樹氷と白い山肌がとてもきれいであった。山頂だけがガスに覆われているのであるから、凄く残念であった。雪壁も作らないで腰を降ろしている「山ノ神」を発見! 何が何でもビールの人である。何が何でも山頂への自分とあまり変わらないのかもしれない。

 シャベル・ガス・コンロなどは、全部私が担いでいるのだから、仕方がなかったのかもしれないが、陽が差しているといっても、風が通るところである。私は、もっと、下がった所で簡易的な穴を掘った。簡単な食事とコーヒーといっても、穴掘りの時間を加えれば、あっと言う間に時が過ぎていった。でも、何とか、午後3時半過ぎに、車に戻れたから事無きを得る事が出来た。



3/5 「雨でも行っているの?」 というメールが2通届いた。さすがの私でも、今の状態では、行く気にはなれない。幸い夜明け前から雨となった。 今日は、「山ノ神」に車を渡した事もあり、ずっと、家中にいた。通常より暖かいはずなのに、何だか寒かった。やっぱり可笑しいのであろう。

 こんなに雨が降っているのに、明日は晴れるという。曇だったのに、朝方から晴れマークである。騙されるかもしれないが、こうなったら、私の好きな山に行くしかない。ゆっくり歩いて来よう。例え、山頂に届かなくても、それはそれでいい。でも、「そんなにまでして行かなくてはならないのか?」と問われている。実際、「休みだからと言って、まさか山に行くのじゃないだろうね・・」 と、女房より怖いメールも届いている。



3/4 HDが壊れて一ヶ月になる。画像や住所録、そして、メールアドレスがなくなってしまったのが、痛恨の痛みであった。 画像は、2,002年から2,009年のものは、バックアップされていたから事無きを得たが、それ以降のものが残念ながら見当たら無かった。

 しかし、ここに来て、2,010年から2,013年のものが、完全ではないにしても、生きていたようなのである。まだ確認をしていないが、 少なからずハッピーである。住所録は、その気になれば、ある程度のものを作り出す事が出来るし、探し得る事が出来ないとなれば、 余程の人以外、それなりの付き合いであり、外れても仕方がないということになる。

 メールアドレスも、同じかもしれない。どうしてもの方には、やっぱり何らかの方法で探すのだから・・・  でも、そんな事で、付き合いが小さくなるのは間違いない。そして、自分も小さくなっていくのだろう。

 写真は、なかなか割り切れない。それなりの想い出が詰まっているし、証拠なのであるから、その損傷は大きい。 「あの日に帰れない。」 のであるから、私よりも、「山ノ神」の方が、悔しい思いをしているのは間違いないところ。

 まあ~、元気であれば、想い出は、まだまだ作れる。失った若さは、取り戻せないにしても、明日よりも今日の方が若いのであるし、 そう嘆かないでもよいのかもしれない。そう言いながら、私の身体は、まだ完全に治っていない。



3/3 ムコ殿がやって来ているのに、今日もお酒は飲まなかった。飲まないと、そんなもんかとなり、どうしても飲みたいという気もなくなる。 当然食事時間が短くなり、食卓から早めに離れる事になるが、うるさい舅がいなくなるのは、果たして吉と出るのだろうか?

 「おい、どうしたのか?」 「な~んしとんがい!」 「早く医者に行かんかい!」 などと、数多くの方々から、お叱りを受けている。 こちらとて、「このような事に負けているようでは、生きているに与えしない。」 などと、屁理屈まがいで応戦となる。

 病み上がりなのに、いや療養中なのに、「今度の連休に、ちょっとばかり歩いてみようか?」 という気持ちになっている。 しかし、予報は必ずしも芳しくない。その合間を利用すれば、行けない事もない。咳と淡を除けば、元通りに近くなってきている。お酒も飲まないから・・・



3/2 体調不良になって一週間になる。その間仕事を休んだ事もあったし、早めに終了させた事もあった。 しかし、機会を逸したというのか医者にはまだ行っていない。インフルエンザや肺炎が脳裏をよぎらなかった事はなく、不安との同居でもあった。 身体中痛かった事もあったし、力が入らなかった事もあった。微熱があったし、何と言っても、イヤだったのは、咳と淡であった。 唯、食欲だけは、何となくあった。でも、口は美味しくなく、口中は苦かった。

 昨日までは、仕事をしてもだるかったが、今日は、それ程でもない。背中もそれ程痛くない。 4~5日前までは、灯油缶を持ち上げるのも辛かった事を思えば、随分良くなったような気がしている。 そうなると、「山へは、もう行けないのでは・・・」 と思っていたのに、「機会をみて、ちょっと、試しに歩いてみようとなる。」

 俄然、大地・初雪山方面が脳裏に浮かんでくる、50回大地への目標はあるが、 「大地に行けなくなったら、山行を考えなくては・・」が、先送りになる事になる。 私としては、良い事なのであるが、まだ完璧ではない。「もう少し精進しなくては・・・」 お酒も、一週間断っている。