6/30 私を気遣ったのか、大阪の長男がやって来た。「大丈夫なの?」 と言ってくれたが、折しも、昨夜からやって来ているムコ殿と飲み始めてしまった。私は、少々付き合ったが、体調を崩しては元も子もなくなるので、途中退席をした。後からテーブルを覗くと、缶ビール一箱がなくなっていた。そして、ワイン1本もである。

 見舞いに来たつもりであろうが、親たる者、それこそ、「大丈夫なのだろうか?」 と思ってしまう。「親の意見は・・・・」 なのであろうから、どれだけ言っても聞く耳を持たないのだろう。本当に ”馬の耳に念仏” である。まだ、ちょっと様子伺いのつもりでやって来てくれたのだろうから、その事に感謝していた方がいいのかもしれない。



6/29 先日のセネガル戦を見る事が出来なかったのですが、昨夜は見てやろうと思い、目を擦りながら最後まで見てしまいました。作戦的には、いろいろな評価があるようですが、ともあれ決勝トーナメントに行けるのであるから、バンザイであろう。兎に角眠いです。



6/28 スマホの画像をPCに移す作業が簡単に出来たハズなのに上手くいかない。SDカードを取り出さなく、しかも、アプリをダウンロードしなくても出来たのに、どうして出来なくなってしまったのだろうか? 何かがガードしているのだろうか? それとも、違ったやり方をしているのだろうか? 何度も繰り返すのですが、本当に嫌になってくる。

 こんな事が日常茶飯事とは言えないまでも、ドンドンと増えていく。「い~やだ!」 なのだが、どうしようもないのだろうか? 物覚えが悪くなっている事は認めるが、同じ事を何度も言っているのは、必ずしもそうでないと思っているが、それも怪しいようである。「バカにされる。」 「頼りにされなくなる。」 なのであろうが、対策を立てなくてはならない。でも、また忘れてしまうのかもしれないね。



6/27 我が町内に少し掠めるスーパー・アルビスの説明会に行って来ました。(殆どが隣の町内) 旧タバコ産業の敷地に、用水を跨いだ所を買収してお店が出来る目論見であったようでしたが、20年ほど空き家になっている所の承諾が得られず、諦めての着工となるようです。

 2年も遅れて、しかも、アルビスとしては一番小さいお店になるらしいのですが、スーパーやコンビニも遠くにしかないその付近に住む人達にしてみれば待望の施設となるのです。最近は、若い人たちも、ちょっとは増えたようにも思うのですが、依然高齢者が多く住む街中故、光が通るのではと思うのですが如何に・・・。



6/26 山頂周辺が風衝草原で見晴らしが良く、しかも、1,500~1,600mの標高で、ニッコウキスゲやワタスゲ・ササユリが咲く。そして、程よく池塘がある。このような所は、北陸には、白木峰をおいて他にはないだろう。今年は、ニッコウキスゲの当たり年だと思われるくらいに咲いている。蕾も多いから、まだまだ楽しめると思われる。

 例年に比べて、開花が2週間以上早いように思われる。ましてや、林道崩壊による通行止めもあり、登山者が少ない。こんな時期に、のんびりと過ごして来たのだから、私達は幸運であった。しかも、ブヨに悩まされる事もなく、快適さが加わったのだからいう事はない。

 もう一つ、ワタスゲが良かった。私は、お天気の良くない時に出掛ける事が多かったので、ワタスゲの良さを感じる事が少なかった。それが、お天気続きだったからであろうか、本当にフワフワと、まるで梵天のように可愛かったのである。浮島の池は、そのワタスゲの覆われていて、その雰囲気がとても良かった。

 来るかもしれないと言っていた、福井の宮ちゃん達一行が、時間が経過してもやって来なかった。何でも、登山道だと思って侵入した所が、違っていて1時間半ほどロスをしてしまったのだそうだ。登山道入口には標識があるから間違えるハズがないと思っていただけに、少々アドバイスが足りなかったようである。

 その宮ちゃん達と会ったのは、浮島の池を出発して、5~10分ほどの所であった。すれ違い様の僅かな会話に終わってしまったが、久々に元気にしておられる姿を拝見しただけでも良かったと思った。白木峰山頂で20分程のコーヒータイムを取り、2時間で車に戻る事が出来た。家に帰って、久々の冷たいビールが、とても美味しかった。



6/25 予定通り午前4時半に自宅を出発した。ひんやりした気温は、ブヨも、「まだですよ!」 という感じだった。林道から急登の登山道に入るわけですが、今日は、完全に乾いていただけに滑る事もなかった。公約通りゆっくりだったのですが、「山ノ神」曰く、「お互い単独行」 だと言っていました。

 後にいると、先に行けと言うし、先に行くと、行ってしまったと言うのだから、本当に始末が悪い。今日は、私の体調の方を気にかけていたハズなのに、何だか可笑しい模様になってしまった。それでも、1,170mくらいで林道と交差する2つ目の登山口では、コーヒーを沸かして「山ノ神」を待ったのに・・・

 そんな事は、どうでもよく、白木峰山頂周辺から、浮島に至るまで、ニッコウキスゲが凄いです。蕾も多いし、まだまだ楽しむ事が出来ます。そして、雨に濡れていないせいか、ワタスゲもステキでした。この時期、林道の通行止めのため、登山者が少なく、浮島ではステキな雰囲気の中、2時間近く滞在してしまいました。



6/24 ニッコウキスゲの白木峰としては、例年に比べて2週間くらい早いかもしれないが、7月の上旬から中旬には、山歩き自体厳しいかもしれないので、明日出掛ける事にした。と言うものの、ちょっと不都合な身体故、長い林道歩きを強いられるのであるから、もしかしたら、明日も厳しいかもしれない。(管理棟先は、通行止め)

 どのようになるか分からないから、友人達をお誘いするのも気が引ける。だから、「山ノ神」とゆっくり歩く事になる。朝早く歩けば、暑くは無いだろうし、ブヨも少ないのではと勝手に思っている。ソロリソロリの歩きに加え、何処ででも、コーヒータイムになるやもしえない。まさか、山頂まで届かない事はないだろうと思っているのだが・・・



6/23 このところ、夕方5時には孫達の迎えはあるが、朝の縛りは、余程の事がない限り解けたように思う。下の孫エリーが、小学校に通うようになったからである。小学校の開門の方が遅いのであるが、大きくなった分、いろいろな事をカバー出来るなった証拠であろう。でも、孫達を見送ってからでは、電車(あいの風とやま鉄道)に間に合わないらしく、そのタイムラグに、娘は苦労しているようである。

 その分、私達は、随分と余裕が出来、夜明けが早いこの時期は、その気になるさえすれば、今まで行きにくかった所でも行けるようになってきている。そうでなくても、食事時間に、ゆとりが出来たりしているのは間違いない。とは言え、早く歩けるわけでもなく、県外(隣接県)の山は、限られた所しかいけない。

 欲を言えばキリがない。母存命の頃は、ディーサービスに送り出し、帰って来るまでに、家に戻らなくてはいけない時期を過ごした時もあった。その頃に、牛岳によく出掛けたのであるが、それはそれで、結構満足をしていたのである。忙しいとか、時間がないとか言うけれど、その合間を縫って、何かをするというのは、また違った充実感が生まれるような気がする。



6/22 身体が、ちょっと可笑しくなってから、アルコールはイベントの時と、山から帰った時しか飲まなくなった。そうしたら、身体の調子が良くなったかと、問われても全然分からない。(変わらないような気がする。) 娘や孫達が東京から戻って来ない以前は、我が家の夕食には、ご飯(米)がなかった。(お昼で終わりとなっていた。)

 娘と孫達が戻って来てからは、そんなわけにはいかなくなったけれど、依然として私達のスタイルは変わらなかった。そんなのに私が、飲まないとなると、「山ノ神」の段取りが狂ってしまったようだ。私は、ご飯が余ってもいいから炊いてくれと頼んでいるが、なかなか出来ないようである。(余れば、明朝電子レンジでチーンとして、私が食べればいいだけの事なのだが・・)

 それより、「山ノ神」が、あまり面白くないと思っているのは、私が、テーブルの前にいる時間が短いという事のようだ。かと言って、特別の話もないし、話しかければ、テレビが聞こえないというような顔をするから、尚更いいのではないかと思うのであるが、女性の心は分からない。でも、「山ノ神」は、私が飲もうが飲まないが、確実に毎晩飲んでいる。



6/21 7月上旬の連休(7/2~7/3)に以東岳(新潟・山形)を、登山口から日帰りにするか、それとも、避難小屋泊、もしくは、テント泊かと模索していたが、今回の事情で完全に流れた。また。7/8の約束も怪しい。それよりも、7/15~7/16の連休に、重荷を担ぐ事が出来るか心配になっている。(通常ならダメに決まっている。)

 「山は逃げない。」 のであるが、士気・体力・年齢などが、複雑に絡んで離れていくような気がする。まだ行った事のない噂の山に行くにしても、また、何度でも出掛けている自分の好きな山であっても、タイミングというものがある。そして、特別の場合を覗き、単独での楽しさを感じなくなってしまった。

 それもこれも、歳を重ねたからだけで、片付けようとは思わないが、やはり共有者(同行者)があってこそ、後々共通の想い出として、いつでも語り合う事が出来るからかもしれない。その宝(財産)を、幾つも作りたいからであるが、”忘れてしまう。” ようになっては、何にもならない。山道を歩いていると、次は、何処に足を置けばよいのかを考えるだけでも、何にもしない人よりは、ちょっとは良いのではないかと思うがどうだろう。



6/20 後10日で、今年も半分終わりである。何をしていたかと問われても、自慢する事など何もなく、唯、山歩きをしていただけかもしれない。それが、何となくであっても、やれる事があるだけ私は幸せなのかもしれない。山菜採りやキノコ採りなどのお土産がなくてもである。

 今は、何回登っただとか、まだ登っていない山への憧れなどがあるが、やがて、そんな事は、どうでもよいようになるのだろう。ゆっくりとか、焦らずとかも、歩けての話である。今月は、もう一回登るチャンスが有る。

 後半の初っ端(7月上旬)は、簡単な手術とは言え、全身麻酔になるらしい。でも、希望は大いに有り、1・2回休む事になるが、もっともっと、歩きたいと思っている。だって、まだ人生の折返し地点に立ったばかりだもん。



6/19 先日(6/17)の雨飾山は、私達が到着した頃の小谷側駐車場は満杯状態だった。それだけ先人達が多かったという事であろうが、荒菅沢を渡った頃には、足早の人達はもう降りて来られたのである。最も、夜明け頃から登り始められたものと推察していた。

 次から次でもなかったが、順次降りて来られた人達に、私の気になってた 「シラネアオイは咲いていましたか?」 「シラネアオイの状態は如何でしたか?」 「いっぱい咲いていましたか?」 などを、尋ねてみた。

 しかし、私が尋ねた殆どの方達は、「それ、どんな花?」 とか、「分からない。」 などの返事だった。まだ山に登り始めて、花の事などに気が回らない。あるいは、唯、速く登ればいい。また、 百名山だけの名が欲しくて・・、 なのかもしれない。

 もしかしたら、雨飾山へは初めての方々だったのかもしれないし、ツアーで何となくという方もあったのかもしれない。もっとも、私も、花の名を覚えるには、結構な時間を費やした。それでも、まだ多くを知るとは言えない。忘れる事が多くなったから、これからは、もっと危ないかもしれない。

 そんな中、今回の山行で、キバナアツモリソウを覚えた。雨飾山に少しあるとは聞いていたが、どのような花なのか全く分からないでいたが、今回お目に掛かる事が出来た。学の無い私にしてみれば、そんなキレイな花でもなかったような気がするが、それでも、珍しい花に会えたからハッピーと言うしかない。

 登山道にロープが張ってあり、私のカメラでは上手くは撮れなかったのであるが、ひょんな事からお会いできた黒部の熟女様から、アツモリソウの上に、 キバナが付いていると教わった。私には賑やかで可愛いと思えるハクサンイチゲは、かなり元気を失っていて、しかも、ちょっぴりとしかなかったが、あるとは思っていなかったハクサンコザクラが、山頂直下の岩場に、こびり付くように咲いていたのが愛らしかった。

 昨日の八乙女山・大寺山では、ササユリが、たくさん咲いていて、気を紛らわせてくれた。当初、八乙女山までの予定であったが、そのササユリのお蔭で、「山ノ神」を大寺山まで誘導できたのであった。このササユリ、濃いピンクの物もあり、越後でいうヒメサユリと、どう違うのだろうとなった。ススダケを会津ではヒメタケというそうな! ところによって、呼び名が違うのかもしれない。



6/18 昨日の、そして、今日の山行。いつものパターンであるが、午後から医者に行こうという意向もあり、近間の低山行きとなった。八乙女山だけでは寂しいので大寺山までとしたが、道宗道には、ササユリがたくさん咲いていた。林道と平行しているところも多い道宗道であるが、それでも、拘って歩いた。

 赤祖父山(扇山)までとの思いもないでもなかったが、それでは、せっかく医者へ行こうと思っているのに、またパーになってしまったら、後悔してしまうかもしれないとの危機感がそれを拒んだ。

 曇りがちのお天気であったが、午後から青空が広がった。ササユリが見られ、ウドが2本、一掴みのワラビがお土産となった。昨日の雨飾山、そして、今日の八乙女山・大寺山と充分に歩いた。ちょっとの不安も、「山の空気」で和らげるのであるから、何もかもハッピー。そして、診察を受けた。



6/17 今回の雨飾山は小谷側から。高岡を午前4時半に出たのですが、駐車場は満杯だった。身体の事を考えながら歩いたのですが、それなりに歩く事が出来ました。心配していたシラネアオイには、それなりに満足し写真をいっぱい撮りました。笹平では、キバナアツモリソウにも会えました。それよりも、黒部の北山さん・長谷さん・宝田さんにお目に掛かれた事が、とてもハッピーでした。彼女らのパワーに圧倒されましたが、お話が本当に上手で、その場を離れる事が出来ないほどでした。

 好天に恵まれた事もあったのですが、とても気分がよく、自分が病持ちだと感じられないほどでした。今回の雨飾山は23回目となったのですが、50回はダメでしょう。でも、年に1~2回は訪れたい山です。平日に登る事が多いのですが、日曜日に登ると、いろいろな方とお会い出来る楽しみがあるのですね。



6/16 依然と血圧が高いし、下腹に違和感があり、左足脹脛も可笑しい。だから全然面白くはない。明日は、ちょっと長い雨飾山に行く事にした。そして、歩いてみてから、後々の事を考えようと思っている。予報も、まずまずだし、ゆっくり歩いて、シラネアオイを楽しんで来たい。でも、今年は何でも早めだから、思いが叶うかどうかは分からないが・・・



6/15 今冬、高岡へやって来た東京の若き奥様(まどかさん)から、「来月は、どのようなスケジュールですか?」 と、富山の山に登りたい趣旨の連絡があった。「海の日の連休に、剱沢キャンプをする予定です。来ますか?」 と返事をしたところ、「劔岳なんて無理無理!」 と言って来た。

 「雷鳥沢キャンプで、奥大日岳や立山もあるよ!」 と再び返事をすると、”高所でのキャンプにとても興味がある。” とのLINE有り。などと、やり取りしてみたものの、私には、少々難題が潜んでいる。診察をしてもらっていないから、なんとも言えないが、簡単とはいえ、手術をしなければならないかもしれない。そうなると、しばらく、山には行けなくなるし、重荷を担ぐ事も慎まなければならなくなる。

 この時期に、病院のドアを叩かなければならないのはちょっと悔しい。かと言って、盛夏・初秋・中秋・晩秋なども、山へ出掛けたい時期である。先延ばしにしていい歳でもないし、依然迷っている。ドアを叩いたとしても、すぐに手術になるとも言えないし、診てもらうだけは、診てもらった方がいいかもしれない。まあ~、今度の日曜日に歩いてみて、どのような状態になるかどうかで判断したいと思ったりもしている。



6/14 大猫山は遠くなりかけている。50回は楽に行けると思っていたが、この頃は、一年に1~2回も怪しくなってきている。「我が家の事情の拘束が緩くなって来てはいるが時間制限がある。」 「山ノ神」が苦手としている。」 「ゲートが手前に出来、余計に時間が掛かるようになった。」 「鉄板の橋の開通が以前と比べて遅くなった。」 など取り巻く環境が厳しい。最も、私自身の体力の無さも、そうさせているのであろう。 (現在38回)

 私が初めて大猫山に登ったのは、H.13.07.23。 その頃は、大猫平の踏跡もあまりなく、ガスが掛かれば迷うくらいであった。また、稜線に出てからは、可愛い小さなお花を踏まなければ歩けない状態であった。(そして、猫又山への夏道もなかった。) 初めて、大猫山で剱岳を眺めた時は、その素晴らしさに驚いた。その驚きを山友に伝えるのに、「剣岳がカメラに収まらない。」と言っていた事を思い出す。

 それまでは、剣岳の大展望台は、勝手に細蔵山だと思っていた。残雪期に長いアプローチを、こなした者しか眺められない景色であったが、大猫山に夏道が出来てから、その地位が変わってしまったのかもしれない。でも、3月4月は、大猫山に入れないし、細蔵山の存在感は充分にある。そして、その好みは、人によって違うものである。



6/13 今日のメーンページに、9年前の薬師岳で転んで負傷した画像を載せたのですが、振り返ってみると、入院は伴わないにしても、数多くケガをしている。スキーを入れれば6回くらいあるような気がする。入院しなくても、手や腕を固定されれば、仕事が出来ないというもの。その固定が解けても、しばらくは、動かないから、一度のケガで、どんなに早くても3週間、長い時は一ヶ月近く仕事が出来なかった。

 昨日述べた手術でも、3日~7日程であったが、立ち仕事だけに、すぐには復帰出来なかった。そんな事を思えば、「山ノ神」に多くの負担を掛けた事になるが、都合の悪い事は、よく覚えていないものだ! 病気やケガは、痛いだけでなく、費用も掛かかるし、仕事も出来なくなる。イザとなれば家族の結束もあるが、大概の場合は雰囲気もよくない。

 この先、どんな災が襲ってくるか分からないが、充分に注意して行動をしなければいけないし、抵抗力を付けるような鍛錬や食べ物にも気を付けなくてはいけないようだ。また、常習化する暴飲暴食も慎むようにしなければなるまい。



6/12 15年前に鼠径ヘルニア、13年前に下肢静脈瘤の手術をしている。”どれも手術の内に入らない。” などと、当時の担当医は言っていたが、イザとなると、ベタベタ印鑑をたくさん押した記憶がある。全身麻酔だから当たり前かもしれない。

 「またなるかもしれない。」 と言われていたが、年取った分だけ快復が遅かろうし、医者嫌いの私にはイヤな事である。そして、まだ、なりがけであるし、何時医者に行こうか迷うところである。当時の当欄を見ると、術後10日ほどで、ソロリソロリと山に出掛けている。でも、今回は、2つ同時であるから厄介である。



6/11 昨夜の言葉のバトルが引き摺って、喋る気もおきない。早起きしたけれど、その気にもなれず、準備もしていない。「山ノ神」は何処かへ出掛けるらしいが、そんな事はどうでも良い。ギリギリまで言わない事に腹が立ってしまったのは、私も愚か。でも、こちらとて、準備というものが有り、二人で行けない所へ行けるというものである。

 やっぱり降らなかった。でも、いつ降るか分からない。今年は、いたるところで林道が通行止めになっているような気がするし、無理する事はないと思った。また、体調がイマイチだし、ゆっくりと短い時間でいいからと、小佐波御前山とした。荷を軽くしようか? でも、写真の一枚も撮りたいから三脚がいるかな? コーヒーぐらいは、やっぱり飲みたいから、コンロやガスがいるな? お腹が減ったら何か食べたいからカップ麺も持参しようとなった。

 ゆっくり歩いているつもりであったが、御前山周辺で汗びっしょりになった。汗を拭こうとしたら、またまたタオルを車の中に忘れてきた。そして、何だか荷が少ないような気がして、調べて見ると、前回の人形山と違い今回はコッヘルを忘れて来てしまったのである。しかも、家にである。やっぱり、この歳になると、出掛けではなく、事前に準備しておかなければいけないようである。ましてや、ややこしい状態になっている時は尚更である。

 記念碑のある山頂でベンチに腰掛けたが、水以外食べるものも飲むものもない事だし、早々に引き上げる事にした。結局、雨は落ちなかった。それどころか、一時的であったが、雲間から陽が差し込む場面もあったくらい。



6/10 明日はあまり降らないようだ。単独が許されたのに、何だかあまり乗り気がない。でも、やっぱり何処かを、歩いて来なければならないようだ。完全ではない体調に、また新たな異変が加わり、あまり面白くはないけど、ライフスタイルを変える事は難しい。「雨でも行くのでしょう・・」 と言われないようにするには、行かないのを続けなければならないから尚更難しい。



6/9 大阪に住む長男からパイナップルが送られてきた。何でも、慰安旅行である沖縄に行けなかったので、お土産としてもらったらしいが、食べ切れないので送ったというものだった。ちょうど熟していて美味しかった。その長男であるが、今でこそ、ちょいちょい来高するが、以前は、あんまり来ないので、他人様には、”親戚の人” だと言っていた。

 今では、その長男を含め3人の子供達は、山と全く縁がないが、その中でも、長男は、中1の夏休み頃まで付き合ってくれた。立山や白山、そして、乗鞍岳・妙高山・火打山・巻機山・常念岳・伊吹山などは日帰り、また雨の中、磐梯山や安達太良山へも出掛けた。そんな辛い目に遭わせたからであろうか、それとも、もしかしたら、友達に、「山に行くなんて」 とか言われたのかもしれないが、突然、パッタリ山に行かなくなってしまった。

 辛いだけの山歩き。それを何年も続けている親を目の当たりにしていて、現在はどう感じているんだろうかと思わないでもないが、趣味の事だけは分からないし、強要するものではないだけに、もう一緒する事もないだろう。年に1~2回程、付き合ってくれる長女の子(孫)も、ジイババから離れるのも間近い事だろう。



6/8 現在、私は4足の登山靴を所有している。今まで冬用として使っていたものに、昨秋、新たに求めたもの、そして、一度はソールを張り替えたが、またかなり減って、しかも、型崩れし、防水がままならない2足がある。

 ソールの減りからして、後の2足の内、一足は処分してもいいのであるが、貧乏性の私は、なかなか捨て切れないでいる。そして、直近の4回は、その靴を履いている。低山や簡単に行けそうな山など、比較的分かっている山に利用している。

 本来なら好ましくないのであろうが、完全に減ってしまうまでになりそうである。特に、林道歩きが伴うような山へは、そのようなやり方が、まだ続きそうである。今、ちょっと心配な靴は、昨年まで、冬専用として履いていたものである。今冬一度しか履かなかった事もあり、次に履く時が心配である。全くソールが減っていないといえども、劣化が進み、突然剥がれででもしたら、泣くに泣かれなくなってしまう可能性を秘めているからである。そうなれば、そのうち履いてみるのも、後々のためにいいかもしれない。



6/7 何年も前の若かりし頃(?)の話。7月上旬のある日、単独で早月尾根からの剱岳を目指した。日帰りで速さだけを気に掛けていた頃だと思う。早月小屋を過ぎて岩峰をトラバースするような登山道が残雪に覆われていた。出発前に、残雪が気になってはいたが、ピッケルを外し、アイゼンだけを用意していた。

 私は、どちらかというと、アイゼンワークにはあまり自身がなく、ピッケルに頼ってしまうタイプであった。だから、雪面を横切るに不安が宿った。滑落すれば、200mも300m落ちてしまうからである。私は、ピッケルを持参しなかった事を後悔しながら、高巻きを選んでしまった。

 しかし、しばらくして、行く道を遮られ、撤退を余儀なくされた。これも怖いと思った。その瞬間、スリップしたのである。自分の感覚としては、何メートルも滑落したように思えたが、そうであれば墜落してしまっているだろうから、ほんの少しだったのかもしれない。

 その時間も、もしかしたら、1秒の何分の1だったのかもしれないが、おかしなもんで、かなりの時間に感じるのだからわからないものである。仰向けにスリップしているのだが、うつ伏せになって尖った岩にしがみついたのである。これは逆にピッケルを持っていなかったのが奏功したのかもしれない。

 両手で岩にしがみついた感じで、足はぶらり。それからが、アイゼンの出刃が功を奏したのである。今までは、出刃が邪魔で仕方がなかったが、この時ばかりは、ステップを切るように少しずつ登れた(上がれた)のである。登山道の安全と思える所で腰を下ろしたが、長い間足が震えて止まらなかった事を思い出してしまう。

「備えあれば憂いなし。」 「慎重には、殊更慎重・・」 などの教訓じみた語句があるが、歳を重ねた者にとっては、何度も心しなければならないのだろう。極最近、友人から、”九死に一生” なる話を聞いた。ボーサマ谷での滑落である。かなりの傷を見せてもらったが、命に関わる事がなくてよかったと胸を撫で下ろしている。 



6/6 2日間の山行を終え、10日ぶりにビールを飲んでみたが、特別美味しく感じなかった。でも、飲んでしまったら、またズルズル飲んでしまう気がするから、メリハリの利く飲み方にしようと思っているが、果たしてどうなる事やら・・・・。

 飲食後2時半程経ってから、血圧を計ってみた。当たり前の事なのであろうが、下が30近く下がっていた。缶ビール1・5本程度でも、こんなに違うものなのかと、今更ながら驚いた。しかし、今朝の測定では、元通りになり、いわゆる高止まりである。

 でも、2日間の山歩きは、快い疲れを感じながら、満足感に浸っている。本当に「山の空気」は、妙薬に値するといい切っても過言ではない程(笑) そんな私であるが、「何のために、こんな事をしているのか?」 と自問自答をしている。でも、きっと楽しいからなのであろうが、よくわからない。もしかしたら、長生きしたいからかもしれないね。



6/5 前日は金剛堂山。今日は人形山。連休は2座とも五箇山の山となった。田向からの従来の林道は、入ったすぐの所が崩落していて通行止めである。どうしても行きたければ、下から歩くか、道の駅「たいら」周辺の下出というところから、狭くて長い林道を、ひと山越えて行かなければならない。

 昨年は、小水力発電工事のため、やはり通行止めだったし、50回を目指すには、このへんで行っておかないとの気持ちが働いたのと、上等のコシアブラを採りたかったからでもあった。連日の山行で、「山ノ神」は、疲れ気味であった。第一休憩所に着いた時、あまり食べない「山ノ神」が、「パンをくれ」 と言ったが、「ない。」 のである。それどころか、食材が何もないのである。

 コンロ・ガス・コッヘル・水はあるが、肝心のカップ麺やパンなどが無いのである。あるのは、飴玉2個とコーヒーのみ。しかし、「山ノ神」は、ビール2本とツマミだけは、ちゃんと持参していたのである。それなのに、そして、何でとなった。あまり雰囲気が良くなかったのであるが、水はたっぷりあるし遭難した時の練習。そして、コシアブラ採りになれば、その空腹を忘れるのではないかと、良い方に考えるしかなかった。

 案の定、何とか、三ヶ辻山との分岐までは、その考えが奏功したかに思えたが、「山ノ神」は動かなかった。「あんただけ、行ってこられ!」である。その間、飲んでいるである。私が戻った時に、コーヒーのためのお湯が沸かされているかと思ってみたが、全然甘かった。

 今日は、我々の他に、愛媛から来られた6人の方々だけであった。(松山HCの方々)  車両が入らないため、田向から歩いて来られたのである。恐るべき熟年パワーを感じた方々である。我々が、コシアブラを採っていたせいもあるが、追いつかれてしまったのである。下山時の宮屋敷で休んでおられる松山の方々に、シャリバテの事を述べたところ、気前よく、パンとサラダの提供を受けたのである。

 そうなれば、こちらとて何か恩返しをしなければなりません。我々は、山越えをして帰らなければならないのですが、彼ら(彼女ら)は、上梨泊まりであるから、工事地点までである。その事を伝えると、とても喜んでもらえた。最後は、スッキリした形になり、慎重な山越えの運転に注力したのである。



6/4 昨夕、何処へでも、そして、何時でもOKというシュンちゃんと金剛堂山へ行く事になった。ところが、八尾側のゲートが閉まっていた。5月末で冬季閉鎖が解除されていると思っていたのにである。相当ショックであったが、時刻は、まだ午前6時前だったので歩く準備をしていたところに、関係者だったのかどうか分からないが、解錠して私達を通してくださったのであった。(結果的には、後に解除になったようであった。)

 車を止めた猿越ダムから登山口までは、昨年以上に荒れていた。登山口から先は、草が伸びていた。そんな事もあって、ウドは、もうお化けであった。コシアブラもかなり化けていた。そして、ススダケも細かった。そうなれば、山頂を目指すしかない。残雪は、山頂直下に一部を除いてまったくない。しかし、新緑と青空が眩しかった。この雰囲気が良かったのか、俊ちゃんは大喜びであった。

 山頂で2時間ばかり過ごした。ゆっくりである。栃谷から登って来られた愛知県のご夫婦一組だけとお会いしたが、静かな山であった。心配したブヨも、気になるほどでなかったのも、長居した理由の一つかもしれない。下山時は、コシアブラに標準を合わせ降りる事になったが、ちょっぴり型がよくなかった。

 前出の解錠してくださった方々は、午後2時半に降りて来ると言っておられたので、我々は、それよりも早く車に戻ったのであるが、1時間半待っても、降りて来られる様子がなく、5時まで高岡に戻らなくてはいけない私達は焦った。痺れを切らした私達は、ゲートに進み、そこで妙案を考えるつもりであったが、何の事はなく、ゲートは開いていたのである。



6/3 体調不良でお酒を絶ってから、今日が8日目。夜はご飯を食べない事になっていたが、お酒を飲まなければ、どうしてもご飯を食べなくてはならない。そうなると、あいそんない(愛想もない) ので、どうしても、余計に食べてしまう。あまり太らないタイプと言えども、少しは目方が増えている。

 明日・明後日の休日は、山菜採りがメーンの山行を予定している。採れるか採れないかは分からないが、クタクタに疲れれば、ウエイトが落ち着く事間違いない。空だったら、そうでもないかもしれないね。

 先日のススダケを、「山ノ神」の友人に割烹をやっておられる方があるので、少々お裾分けをした。後で聞いた話であるが、そのススダケを、お客様に焼いたままでお出ししたら、とても喜ばれたそうである。皮の付いたものを、お客様が皮を剥かれたらしいが、こんなのは初めてだと言われて、大変盛り上がったそうである。さて、明日はどうなるやら・・・・



6/2 車を購入して、9月末で3年になる。カーナビの話になると、スマホで充分という話をよく聞く。データー容量はそんなに使わないし、電源は車から取るから問題ないらしい。もっとも、知っている道や従来からの高速道などは、使わないか、車のナビを使用し、わからない所や変更があるような場合だけ使えばよいようである。

 それでは、音楽はどうすれば良いのかは、また別の話である。私は、SDカードとUSBメモリーにある程度の曲を入れているが、結局は、同じものを何回となく聞かねばならぬようになってきている。新しい曲が欲しいところであるが、安価でたくさんの曲を求める手段に行き詰まっている。CDをレンタルして加える法は知っているが、ネットで直接ダウンロードすればよいらしいが、何だか億劫になってしまっている。

 メカに弱い私であるが、今日は、スマホの画像をPCに落とした。思い悩んでいたが、意外と簡単であった。今度は、その反対もやってみよう。新しい事もやらなければ、話に付いていけないし、ボケ防止にも役立たないかとも思ったりしている。PCのやり始めの時と同じように、分かるとバンザイをしたくなるほど嬉しいし、分からなかったら、イライラして、何もかもがイヤになってしまった事を思い出す。

 諦めるのは簡単である。そして、楽である。でも、つまらないと思われている事でも、一生懸命やって、何かが蓄積されていくと俄然楽しくなる。どんな事でもである。体力もいるし、気力・根気もいる。ある意味では、健康を維持している人も、もしかしたら、同じような事かもしれない。



6/1 昨春、下の孫ミーが、保育所から30匹くらいのオタマジャクシをもらって来て育てていた。いつの間にか数が減ったものの、何故か、カエルにはならなかった。その中で生き残った3匹が、お正月、そして、今冬を乗り越えた。手足が出てきたものの、シッポが付いたままだったから、環境が悪いのか、栄養失調なのかはわからない。

 オタマジャクシがカエルになるものだと思っていただけに、私達の他、友人・知人、そして、お客様まで、珍しいのではないかと騒ぎ始めていた。(そんな知識がないなりに・・) そんな中、その内の一匹の色が、何となく緑ががってきて、水掻きのようなものが、はっきりとしてきていた。

 ところがである。そのカエル様が、今朝ご臨終となってしまったのである。あの小さな命だったけれど、一年も一緒?にいたのだから、何だか寂しくなってしまった。昨日まで、「夏休みの教材(宿題)にしたら・・」、などと言っていただけにである。何でも、去る・減るは寂しい。来る・増えるは楽しいのである。残りの2匹どうなるのだろう?