7/31 昨日、山から帰って、缶ビールを5本飲んでも何ともなかった。酔もせずトイレにも行かなかった。良いか悪いかは別にして、身体の汗が全部出てしまいカラカラになってしまっていたのではと思うほどであった。そんな事と関係があるかどうかも分からないが、今日は、身体中(特に背中)が痒くて仕方がない。アセモだとは思われないが・・・。では、また違った異常なのだろうか? とにかく、毎日が暑くて弱っている。



7/30 孫達の夏休みとなって、私達のはじめての休日。下の孫は登校日。そして、育成クラブ(学童保育)の始まりも午前8時である。ましてや、ムコ殿の用事があって、午前中滞在となれば、如何に 「休日は山に・・」 と認知されていても流石に出にくい。 それでも、ムコ殿を放ったらかして、高岡を午前8時半くらいには出たのである。

 これも病気。と思ってもらえばいいのか、それとも、そうならなければ、病気になると思ってもらった方がいいのかは分からない。どちらにしても、寝たきりになっているたり、認知症になっているより、いいではないかが、私達の勝手な言い分で、今日まで来ているのであるから、的は外れているようなそうでもないような・・・

 何処の山へ行くかになったが、何となく、城ヶ平山とハゲ山となった。午前10時頃、大岩をスタートしたが、折からの暑さで、ちょっと歩いても、タラタラと汗が滴り落ちてきた。そして、ちょっとのミョウガを期待したが、まだまだ早いようであった。二組二人の登山者が、私達を追い抜いて行ったが、この暑い日に、この山に来るとはと、自分達の事を忘れて驚いてしまった。

 その内の一人、魚津からやって来たという田原氏に声を掛けた。山に関しては、初々しい方であったが、なかなか好感持てる方であった。城ヶ平山とハゲ山の山頂で、暫しのお話をした。体力もありそうだし、意気込みもありそうに感じて早々に見送った。

 我々は、「忍」 という文言で表されるように、只々耐え忍んだ。正しく鍛錬・訓練である。「山ノ神」の足が上がらない。熱中症かと思いきや、ビールが足りないというのであるから魂消てしまう。今や、恐ろしいオンナである。でも、私からすれば、この城ヶ平山・ハゲ山でギブアップ寸前なのに、よくも先週の白馬岳日帰りに挑戦出来たものだと思うのであるが、本当のところは分からない。



7/29 「暑い!暑い!」 という言葉ばかり。挨拶も。寝ていてもである。これでは身体の消耗度も高い。「疲れた!」 「だやい!」 の連発となる。そんな中、今夕、オートキャンプ関連用具を見に行ってきた。いずれは、「その方向に行くのではとの思いがあるから・・・」 でも、やっぱり躊躇してしまう。お金さえ出せば何でもあるんだね!



7/28 北陸地方にも、少しは影響があるかもの予報。そして、雨も100mmくらい降るとか。でも、北陸の定義はいろいろで、我々は、普通富山・石川・福井の3県を指す。でも、気象庁では、気象台のある新潟が入る。普通、新潟は、信越とか甲信越の分類に入る事が多い。しかし、北信越(富山・石川・福井・新潟・長野)の事もある。

 少し、風が出て来たが、雨は降っていない。結構な事だが、台風の進路に当たる方々の事を思うと心が痛む。大した事がなければいいのだが・・・。この調子でいくと、明日は、絶対にフェーン現象が起こる。そうなると、もっと暑くなる。しかし、熱中症対策は、台風による雨風よりも対策は立てやすい。



7/27 今年は、お花も梅雨明けも早かった。そして、暑さも早々にやって来て、それが猛暑になって居座っている。それどころか、この時期としては、台風の数も多いように思える。それも、これまで見たことのないような動きをしている。(東から西へ) これが異常気象なのかもしれない。ずっと、続けば異常でなく通常(平常)となるのでしょうか?

 今まで、台風予想であっても、それが、休日で日帰りなら何処かの山に出掛けていた。「まだ来ないであろう・・} とか、「それほどでもない。」 とかの自らの判断であったが、何も無かったから良かったものの、あまり芳しくはなかったと、今となって少々反省。

 台風でなくても、「帽子を飛ばされた。」 「急な増水で沢を渡れなくなった。」 などの痛い目の合った事はある。また、一体型でなかった頃のテントを強風で持っていかれた事もあったし、雪渓が割れて川の中に落ちた事もあった。何もかもが想定内であるはずがない。大自然をアナドル事なかれ!



7/26 「裕福なシニア層をターゲットに、各企業は虎視耽々戦略を練っている。」 と、マスコミはよく取り上げる。一方、老人破産や老人貧乏という文言も、よく見かけるようになった。上を見るとキリがないが、他人様の世話を受けるのも辛い。私の仲良くしている友人が、「お前はケチではない。貧乏なだけなんだ!」 と冷やかすが、それほど極端な貧乏ではないと思っている。

 若い時に、もう少し、しっかりしておれば、少しは貯められたのかもしれないが、なかなか思うようにやれなかった。その時間は、たっぷりあったのだから、不甲斐ないとしか言えないのかもしれない。しかし、夢見たいな事を望まなければ、自分では、マアマアの生活を送っていけるような気がする。まだ働けるし、お酒は飲める。そして、山にも行ける。

 山も生活も程度と言うものがあろうが、山に関しては、難度な事を望まなければ、まだまだ歩ける。生活に関しても、海外へ出掛けたいとか、美味しい物ばかり食べたいなどの多くを望まなければ、それ相当にやっていける。他人様と比べて少ないかもしれないが、年金も有り難い。(差し引かれて5万円程の国民年金だけど)

 行けない所は別として、車以外の乗り物はなるべく乗らないのが我が家の鉄則。まだ歩けるからであるが、これからどなるかは分からない。でも、行きたい時は、自分の立場からして、相応の覚悟で臨んでいる事は確か。でも、最近は、短い距離だからかもしれないが、高速を使う事も有りになって来ている。

 何かを我慢しなければ、なかなか目的に向かって進めない。それは、山に行きたいから仕事をしている。山に行きたいから、少々の鍛錬も苦にならない。病に襲われても負けていられない。この歳でギブアップは早すぎる。いつも述べているように、80歳代になっても、テントを担いで行ければ自慢出来るのではと思っている。

 私が心する山への取り組みを、まるで修行僧のように感じると言ってくださる方があった。ちょっと可笑しいのではと思っての評なのかもしれないが、私は褒め言葉と受け取った。いつもいつも、一人で山は登れない。励ましも ”よいしょ” も必要。 一人では生きていけないのと同じのように思う。



7/25 今日から始まった孫達のラジオ体操に付き合った。家の孫達は、3年と1年だから仕方がないにしても、前に立つ5~6年生の身体のこなしに愕然とした。いい加減なのか、それとも、知らないのかと思ったからである。そのラジオ体操も、土日が休みでお盆までだそうだ。毎日やってもいいのにと思うのは、昔人間だからだろうか?

 私事であるが、中2から中3にかけての体育の授業で、橋先生という方に、徹底的にラジオ体操を仕込まれた。その甲斐あってというのであろうか、そのようなイベントの時は、常に壇上に立たされた。高校時代も、ずっとそのような立場にいた。でも、今日の体操を振り返れば、気持ちがあっても、あちこちの部位が曲がらないのでは、何もかも取り消さなくてはいけないのかもしれない。



7/24 私と「山ノ神」とで行く山で、もしかしたら、白馬岳の行程が一番長いかもしれない。薬師岳や南アの北岳・鳳凰三山・塩見岳などもあるが、恒例行事になっていた事や、移動距離なども考えれば、やっぱり白馬岳かもしれない。大地・初雪山キャンプに関してうるさい程に、「今年行かなければ、来年は行けないよ!」と同様、白馬岳もその類である。

 鎖がある山や岩場のある山には行かない「山ノ神」であるが、持久力だけは人並みにある。だから、他の人達が嫌がる林道歩きは、さほど苦痛にならないらしい。私や「山ノ神」程度の山を愛しておられる方々は、それこそ山ほどおられる。しかし、夫婦での年間山行回数や、低山ながら雪山を歩いておられる方は、そう多くはないと聞く。ましてや、今や、それ相当の歳を重ねているから尚更かもしれない。

 特別な取り柄のない私達であるからに、山においても自慢など出来るものはない。でもである。これから、ずっと、元気でこのような事を続けれるのであれば、いつかは、ちょっとと言われるかもしれない。それこそ、80歳になっても、大地山頂でテントを張り、一杯飲みながら、初雪山を眺められるのなら、ちょっぴり自慢が出来るのではと思っているが如何であろう。



7/23 仕事を終えて蓮華温泉に向かった。夜遅くの駐車場は静かであまり物音を立てるのもと思ってしまい、バスの待合所の中でヘッデンを点けて飲み始めたが、やはり盛り上がらず、早々に切り上げた。テントも準備したが、そのような雰囲気ではなく車中泊とした。車の中は、あまり得意ではないが仕方がない。

 午前4時半を少し回った頃の出発となったが、あまりお天気が良くなかった。反面風が有り、汗を掻くほどではなかった。いつもは、天狗の庭辺りから、雪倉岳が、で~んと構えているはずなのに、今日は雲に覆われ、その山容の大きさを垣間見る事はなかった。

 今日は、いつもより30分ほど早く出発したのだから、山頂での滞在時間が増えると読んでいたが、白馬大池までの時間が大幅に掛かってしまい先行きに不安を抱いてしまった。今回の白馬岳は、例年と違いあまりお花が良くなかった。良かったのは、イワギキョウくらいではなかろうか?

 しかし、朝日岳を経由して来られた方々の口からは、一様に ”お花が素晴らしかった。” と聞き及んだ。一方、我々の足は、依然ピッチが上がらず、こんなはずではないと言いながら、船越の頭・小蓮華岳へのアプローチに必要以上の時間を費やしてしまった。

 三国境に着いた時刻は、午前11時半。「山ノ神」は、もうダメだと思ったのか、「あんただけ、行って来られ」 と、私に言い放った。それも、「1時間半もあれば行って来れるだろう。」 と言うものだった。写真も撮りたいしなどと、食い下がったが、結果的にそのような具合になってしまった。(荷を背負って、40分と30分だから、まずまずだったのかもしれない。)

 帰りがもっと大変であった。「山ノ神」は、何度も止まった。でも、山の景色を楽しんでいるとも取れる仕草は、自分を紛らわせていたのかもしれない。またまた白馬大池発が午後4時15分となってしまったが、明るい内に車に戻るのであるからそう心配はなかった。でも、最後は唇を噛んでの歩きには、もうこんな事は止めようと思った。



7/22 今日も暑い。最終的に何℃になったか知らないが36℃は超えているのは確か。山の上は、陰ると涼しいが、直接陽が当たるとそうもいかない。そして、局地的な雨もあるやもしれない。兎に角安全第一に歩いて来る。もう、しんどいのはこれくらいにしたい。



7/21 今度の休日(7/23)は、蓮華温泉からの白馬岳になりそう。その白馬岳へは、18回目になるが、まだ泊まったのは3回しかなく、それも蓮華温泉からの日帰りが多い。言われなくても、泊まり掛けが良いに決まっているし、朝日岳や雪倉岳、そして、清水岳などのお花がきれいな山も良い。

 時間がないから仕方がないが、自分達の目一杯の行程であるし、その元気さを計るバロメーターでもある。行程と体力との乖離をどのように埋めるかであるが、今回は、高岡を未明に発つのではなく、仕事を終えてからのスタートにしたいと思っている。どちらが寝られるかであるが、どっちみち私は眠れないような気がする。

 前夜に飲めるからもあるが、そんなに上手く事が運ぶわけがない。それよりも、ちょっとでも、早く蓮華温泉をスタートしたい気持ちの方が大である。いつも、往復12~13時間を要している白馬岳日帰り。「山ノ神」と一緒なら、そう遅れる事はないと思うが・・・・



7/20 「まだ、そんな部屋で寝ているのか?」 と詰られそうであるが、今年の暑さは特別のような気がする。我が家の周りが全部といっていいくらい駐車場である。しかも外壁がトタン張り。二階へ上がるだけで汗が吹き出して来る。だから、夜になっても。気温が下がらない。窓はない事もないが、風通しはよくない。(網戸のない窓を開かないから・・)

 夜の気温が25℃を上回るのを熱帯夜というが、そんな日は、今まで、一夏に何回かであったから、我慢だけで耐えれたのであるが、このところの連日の熱帯夜では、鍛錬・訓練とはいい難い。我が部屋は、常時30℃超えと一口で言ってしまえばそれまでであるが、就寝に着く時は、33~35℃で、朝方に30~31℃くらいが多い。先日、一度だけ29℃になったが、その時だけは、ぐっすり眠れたような気がする。

 「下の部屋は、2~3℃気温が低いし、少しは風通しが良い。」 と二階から降りる事を勧められるのであるが、二階は私の指定席で、寒かろうが暑かろうが、離れる事は出来ない。空調のない部屋であるが、今年は我慢が出来なくて、扇風機を持ち込んだ。快適とは言えないが、背に腹は変えられない。

 「暑いのには、影がある。」 と先人達から聞き及んでいたが、皮を剥いても暑いのは、寒い冬より厳しくなりつつあるのか? 私は、このようなケチ(貧乏)な生活をしているが、好きなのではなく身分相応と思っている。しかし、だんだんと負けていく身体に寂しさを感じている。私の寝具は、一年中同じもの。上布団や厚い毛布を着るか着ないかだけである。

 冬は締め切る戸がないため尚更寒い。でも、慣れなのか現在も耐えている。いよいよ寒くなると、ペットボトルにお湯を入れて、湯たんぽ代わりにする。昨冬は、大きめのペットボトルがなかったため(買って来ればいいだけの事)、足を擦り合わせて耐えた。このような事を話題にするからであろうか、「元ちゃん、アンカを買ってあげようか?」 などと言ってくれる人が現れたくらい。実際は買ってもらっていないが、「エアコンを付けてあげようか?」 などという人は現れるハズがない。でも、もしかしたら、「私の家に来ない?」 などと言われない事を考えるアホがいる。



7/19 暑い暑い! 熱帯夜の影響も大。したがって消耗度も激しい。でも、また休日がやって来る。現段階で、白馬岳・唐松岳・白山が候補に上がっている。「歩けるのだろうか?」 と思いながら、確実に丸一日使えるのは、盆休までの間では、この日しかない。後は、孫達と一緒に出掛けるか、学童保育の預けて、その合間を行く山しかない。

 唐松岳や白山なら、孫達と一緒に行けない事もない。しかし、もっと簡単なキャンプの方がいいかもしれない。孫達の成長と共に、自我出て来ている。今の内に、自然の良さを覚え込ませて置きたいと思うのであるが、事はなかなか運ばない。条件の良い時になどと考えてしまえば、そのような日は少ない。



7/18 奥大日岳、そして、剱岳の途中まで一緒した群馬の斉木氏からメールが届いた。剱岳登頂後、剱沢から直接別山に登り、その後三山を縦走して、雷鳥沢に戻られたそうだ。夜は、また近くの人達を巻き込んで大宴会。そして、翌日は、八郎坂を下り称名滝を堪能し、立山駅から室堂・扇沢へと戻られたそうだ。好天に恵まれ、当初の行程以上歩かれ素晴らしかったとの文言が書き込まれていた。

 病み上がりとは言え、50代後半と70代突入の年齢差を、モロに感じた山行であった。「歳や体力を考え、程々にしたら・・」 の声が燻っていし、引導を渡そうとする気配はないでもない。しかるに、諦めるのは簡単である。この暑さにネヲアゲルのも同じ。私は、まだまだ生きたいし、元気で過ごしたい。直近の夢は、「80歳代でも雪山キャンプ」 であるから、完全に病を克服し、もう一度鍛え直さなくてはいけないと思っている。膝が痛いとか腰が痛いとかで、山から遠ざかっていく人がいる。諦めたらダメ。それなりの歩き方は必ずあるハズと思う。



7/17 山から戻って、水モノだけが喉を通った。そして、熱帯夜では、またまた眠られなかった。(例の空調のない部屋は35℃。明け方になって31℃)今朝の食事も喉を通らなかった。その代わりでもないが、冷たい水を何倍も飲んでしまった。お昼になって、ようやく素麺を一束平らげた次第。

 「ところで、身体はどうもないの?」 と心配を頂いている。どうもない事もない。最近は、医学が進歩しており、内視鏡による手術が多いと聞く。でも、私は、日帰り手術や料金の安さなどから、個人のクリニックを選び、4cmくらい切っている。現在、傷口が固くなっており、全然痛くないと言えば嘘になる。でも、今のところ順調なんだろう?

 今回、途中から予定を変更して、32回目の剱岳に挑んだ。雷鳥沢からとか、スタート時間がなどの事もあるが、結局は体力がなかったというしかない。前剱と平蔵のコルの中間点までしか行けなかったが、術後2週間、そして、その意気込みからして、32回目とする事にした。

 31回目までは、全て山頂に届いているのであるが、今回はどうしようと悩んだが、それに値すると自分で認めたのである。過去に30~40年ほど前の事だが、氷見の春ちゃんと、テントを担いで剱岳を目指した事があった。しかし、剱沢に着いた頃には、物凄い雨となり、テントを張らずじまいに引き返した事があった。これは、剱岳に登った事になっていない。

 これからは、どんどん体力が落ちていく。認めたくないが仕方がない。剱岳は2泊が良いようで・・・。いや、もう50回を目指す看板を下ろして、穏やかな山を目指した方がいいのかもしれない。



7/16 全然寝られなかったので、午前2時過ぎに起きて、満天の星を眺めた。この星を2~3ケ、孫達にお土産として持ち帰りたかったが、「月とサスペンス」 を思い出した。コーヒーを飲みながら、飲食用として水を沸騰させた。まあ~、考えてみたら、カップ麺やコーヒーを飲む時、お湯を沸かすのだから、何だか無駄のような気もしたが、安全としての心がそうさせたのかもしれない。

 午前3時過ぎになって、今日も私と行動を共にすると言っていた斉木氏を起こした。ご来光が届かぬ午前3時50分くらいのスタートとなったが、ヘッデンを点けながら、段々と明るくなっていく光景は、非日常のものだけに、涼しさも手伝って心地の良いものであった。別山、もしくは立山三山縦走が目的であったのに、別山乗越(剱御前小屋)に来たら心が揺れ動いた。

 もしかしたら、「剱岳に行けるかもしれない。」 と思った。午前5時半前である。でも、私は、この身体である。斉木氏は、全く分からないらしいが、やっぱり剱岳は魅力的である。そこで、私は、提案した。「お互い単独行で行こう。 私が何処かでダメだったら、あなたは、私の事を考えないで剱岳に登ればいい。」 最も、私は、テントを撤収して室堂に戻らなければならない。彼は、雷鳥沢で、もう一泊出来るのであるから・・・・。

 何時まで、どの地点まで戻らなければならない事を、体力の消耗も考えながらの歩きとなったが、意外とスムーズに経過していった。でも、一服剱を越えた頃から、スピードダウンが顕著になっていった。前剱に立った時には、本峰が遠くに見えた。元々、午前九時半まで山頂に立てないようだったら、ダメだと踏んでいただけに、これまでかなと思った。

 それでも、諦め切れず、miniカニのヨコバイ(⑤)を経過した。せめて平蔵のコルまでと思っていたが、その中程の地点(午前9時前)で、撤退をする事にした。斉木氏は、私より14歳も若いだけあって、まだまだ大丈夫であったので、彼の健闘を祈りながら別れる事にした。彼は、私に抱き着いて涙まで流してくれた。

 悔しかったけれど仕方がない。前剱に戻って、30分近く掛けて食事をした。本峰を眺めながら、コーヒーも沸かした。山頂から、「バンザイ」 とも取れる「ヤッホー」が聞こえたので、ゆっくりと下山を始めた。それでも、午後1時半頃には、雷鳥沢のテン場に戻る事が出来た。

 撤収している最中に、二人の単独行の女性が足を止めてくれた。一人は、二又から三ノ窓まで行ってきたという方、もう一人は、剱沢でテントを張っていた方である。この年寄りを哀れと思って声を掛けてくれたのか、それとも、山の事が何となく分かりそうだと思ってくれたか、定かでないが、双方が気分が良かったのだから、それでいいと思った。

 それにしても、室堂までは辛かった。そんな時に、昨日、奥大日岳山頂でお会いした方が、三山を縦走して、テン場に戻るのに私に遭遇したようであった。「やあ~」 と声を掛けられたのだが、誰だかさっぱり分からないのであるから・・・。でも、私の事を覚えてくれていてくれたのだと思えば頗るハッピーであった。



7/15 午前6時頃の立山駅付近は、もう車がいっぱい。そして、ケーブルの始発が午前7時なのに、切符を求めるための凄い行列が続いていた。こんな時の一人というのはちょっと寂しい。そんな時に、「元さん」と声を掛けてくださった方があった。富山では知られているイケさん(池原氏)である。忙しそうにしておられる中の事だけに、恐縮であった。(おまじないをしてもらった。感謝!)

 私のチケットは、午前7時2分に購入し、ケーブルの乗車は、午前8時50分であった。こんな時のスマホなのかもしれないが、充電ミスなのか、残量75%だもんで、じっと我慢し、只管時間の経つのを待った。それでも、室堂には、午前9時50分に着くのなんだから、便利になったものだ。

 室堂の名水を飲んで歩き始めて5分もしない内に、「雷鳥沢はこちらでいいんですか?」 と、尋ねられた群馬の斉木氏と一緒になる。よく喋られる方で、私が喋る事がなかった。雷鳥沢で、お互いテントを張り、受付で届けを出すのも一緒。「何処へ行くんですか?」 とまたまた尋ねられ、奥大日岳も一緒する事になった。

 魚津の神谷夫妻と出会った。日程が合わず、今回は室堂からの奥大日岳の日帰りなってしまったと言っておられた。テント泊をしたかったと言っておられたが、何処へでも出掛けておられるご夫妻だけに、そんな事はないだろう。一方、斉木氏であるが、「いいね!いいね!」の連発である。しまいには、「ヤッホー」の連発である。これまた、よく届く声なのである。

 お花も良い。そして、稜線に出れば、剱岳が見えるのであるから、それはそれは良い。しかし、室堂乗越を過ぎてから、次第にガスに覆われだし、何も見えなくなってしまった。奥大日岳の山頂では、称名川から登って来たという若者達と出会った。とても頼もしく思えたのである。彼らも、雷鳥沢でテントを張ると言っておられた。

 稜線を境に、剱岳側は何にも見えないのであるが、立山側は、何の問題なく見えるのである。夏は、上昇気流が上がって来て、午後になると、特に剱岳は顔を隠してしまう事が多い。休憩時間を入れても、奥大日岳への往復は4時間くらいであった。

 テン場に戻って、食事を始めるのであるが、テント前のテーブルには、神奈川と大阪の3人の女性が食事を始めていた。結構食材も多かったし、ワインを嗜んでおられた。私は、ギョウザを焼き始めると、いっぺんに視線がフライパンに注がれたのである。相変わらず、斉木氏が、その中に割って入り込んでいく。私は、前のテントの男性を招き入れた。

 7人のパーティーとなったが、名古屋の男性(30代)先の女性(30~40代)皆独身であった。その中に、ジジイが一人なのだが、食材を持っているからなのだろうか、結構相手をしてもらった。言うに及ばず、その夜は満天の星空であった。テントの中は、ちょっと寒かった。大丈夫だろうと、高を括っていたが、シュラフカバーを付けると、いっぺんに暖かくなった。でも、何故か眠れなかった。いろんな事が脳裏を掠め、アレヤコレヤと思っていたからに違いない。



7/14 明日明後日のお天気は良い。傷口近くが何だかチクチク。「でも、行く。」 味気ない食事になるかもしれないけど、荷をなるべく小さくして・・・。



7/13 今度の連休は、自信がもう一つなのと、常識的にもハードな山行は慎まなくてはとの思いから、雷鳥沢にテントを張り、奥大日岳まで出掛けたり、立山三山を縦走、もしくは、別山や剣御前辺りまでの範囲に止めようと思うようになった。

 確かに、山は逃げるかもしれないが、それはそれとしなければいけない。「山の空気を吸えるだけでも喜ばなくてはいけない。」 と言いながら、下方修正に陥る時もある。



7/12 ちょっと雨が降りかけたが、予定通り二上山に出掛けた。まだ歩きに不安があるのと、鍛錬を兼ねてである。やっぱり、一生懸命歩くには懸念が残るし、長時間の歩きに耐えられるのかどうかはまだ分からない。でも、まだ3日ある。

 今日の行程は、標高差約220m、小休憩を入れて、往復小一時間である。息は上がらなかったが、スピードを上げたり、走ったり、跳んだりは、恐ろしくて出来ない。やっぱり、時間の経つのを待つしかないのかもしれないね。



7/11 普通に生活を送っているというものの、小さいと言えども身体にメスを入れたのであるから、やっぱり何となくおかしい。再開した運動(私なりのミニトレーニング)も、真剣にやってもいいのだろうかと、恐る恐るになってしまうし、いい加減にやめてしまう。

 実際、靴下を履いたり、靴紐を結んだりする時は、下腹が押さえ付けられるような感じで、その圧迫感に仕方なく耐えているようなものである。その痛さを堪えても歩きたいのであるが、それが長続き(長時間)となると、今は自信がないと答えなくてはいけない。でも、一日一日改善しているのは間違いないので、山行く意欲は衰えていない。



7/10 昨日は、千石城山を登り終えてから、術後一週間の検診のため富山のクリニックに寄った。「痛みはないですか? その内、色も薄らいでいきますし、出ているところも、徐々に収まっていくでしょう。」 であった。こちらの質問の「運動してもいいですか?」 「大きなリックを担いでもいいですか?」 に、「いいでしょう!」 と答えてもらったものの、些か拍子抜けであった。まだ、かがむ時はちょっと痛い。触ると普通ではないのは想定内であっても、これだけ早く動いてもいいのだろうかと思ったが、まずは、良かったであった。

 そうなると、今度の連休(7/15~7/16)は、何処へ行こうかとなる。 そこへ、「山ノ神」が、申し訳なさそうに、「実は、友達と旅行に行く。」 と言い出した。 それは、それで結構なのであるが、もうちょっと早く言って欲しかったが、言い難かったらしい。では、日頃行けない所へとなるのだが、まだ歩く事に不安が残っている。

 「剱沢までテントを担ぎ上げる事が出来るだろうか?」 「白馬岳ならどうだろうか?」 となる。 では、「日帰りで長い距離を歩けるだろうか?」 とやっぱり不安が付き纏う。そうなると、雷鳥沢でテントを張って、その辺のピークを目指すのが一番なのかもしれない。

 いろいろと思案しているところに、俄然、杁差岳が浮かんだ。(いや、かなり前から温めていた山である。) 登山口まで行く距離・時間が問題としても、陽の長いこの時期だから、日帰りも可能のような気がする。そこを避難小屋泊なら、余裕で行けるのではと思ったのである。

 しかし、行かない「山ノ神」が、不満のようである。私の身体が心配なのかどうかは分からないが、その費用は出さないというのである。せっかく浮かんだ妙案も、オペを選んで没になった以東岳と共に、またまた、次回に繰り延べとなる公算が強い。でも、まだ日にちがある。



7/9 「低山なら一緒したい。」 と言ってくださった池田氏。でも、待ち合わせ場所に洋子夫人がおいでたのは、本当にサプライズだった。そして、登山口で、準備していると河原氏と彼女?がおいでたのには、またまたびっくりだった。皆、心配してくださったのと、どんな格好して歩くのかを見たかった?の冷やかしもあったのかもしれないが、本当に何と言っていいのか分からないが、私は幸せ者である。

 好天の追い風を受けての山行。そして、山仲間との語らい。ずっと、ずっと、続けたい。そのためにも元気でいなければならない。今春の大地のキャンプでも、60代70代では、元気な人がたくさんいるから、自慢などまだ出来ない。80歳を越えて、雪山でキャンプするくらいの元気がないと、スーパー爺の仲間に入れないなどと言っていた事を思い出す。

 今日同行してくださった池田氏は、私より6~7歳程年上の方である。そして、お元気である。山への情熱だけでなく経験や知識において尊敬せざるを得ない。その大兄がずっと、元気で山歩き続けてもらうのが、私の希望でもあり、それを越えようという目標が出来るのである。だから、こっちが先にへばられない。



7/8 明日は、まずまずのお天気のようです。午後2時から、術後一週間目の診察を、富山のクリニックで受けなければならないので、その前に、下山して入浴という段取り。劔岳を拝めるかどうかは別にして、千石城山の頂きで、ゆっくり過ごしたいと思っている。

 しかし、この一週間、殆ど歩いていないし、トレーニングも絶っていた。まだちょっぴり痛いし、本当に歩けるのだろうかと、ちょっと心配。もしかしたら、牛歩のような、ソロリソロリとなるやもしれない。でも、歩きたい!



7/7 連日の大雨で、たくさんの被害が出ているようです。本当に気の毒というしかない。そして、毎日のように、全国到るところで地震が起きている。自然災害に勝てる訳がないが、ちょっとの意識・ちょっとの準備が、あるやなしかで、後々の事に響いて来るのだと思う。

 こんな事を垣間見ると、どうしても山に行くとか、何処何処が痛いとかは、ホンマに小さい事で恥ずかしくなってくる。何かお手伝い出来ないかと思うなら、他の事でもいいから、他人様の助けになるような事をしなければなるまい。不器用でもいいから、ほんのちょっとの気配りをすれば、救われる人もあるのではないかと思う。



7/6 昨夜、同業有志の会合に出掛けた。連絡を受けた数日前は、出席出来るかどうか分からなかったが、仕事もしているし、会費も払わなきゃいけなかったので出席する事にした。鼠径ヘルニアの話に及んだが、今年の大雪の頃、除雪に精出したためか、仲間の一人が、都合が悪くなり、鼠径ヘルニアの手術をしたそうだ。

 話を聞くと、内視鏡による手術であったようだ。当然、大病院で入院も伴ったようだった。半年近く経過しているが、まだ時折痛みが残ると言っていた。私が、「三日目だ!日帰りだった!」 というものだから、その仲間は驚いていた。そのような事も含めてであるが、まだ、何日も経っていないのだから、痛いのは当たり前である。

 それでも今は、次行く山の事で頭がいっぱい。仕事も病気を治すのも、全部山へ行くためのもの。ちょっと、大袈裟かもしれないが、そのようなものである。最近、朝の拘束を解除されているが、孫達の夏休みが頭に浮かんで弱ったと思った。育成クラブ(学童保育)に行く行かないもあるが、行ってくれたとしても、午前8時からである。これでは、思うように出掛けられない。孫達を山に誘うとしても、1回か2回が限度であろう。 弱った! 困った!



7/5 だいぶん楽になった。と言っても痛いものは痛い。そんな中、昼食中の口中がおかしくなった。そして、出血である。何事が起きたのかと、かなり動揺した。ノドチンコが大きく腫れ上がり破れたようであった。木曜日の午後は、何となく医院は休診のところが多い。救急に行く事もないし、明日、耳鼻咽喉科に診てもらうつもりである。

 15年前は、4日目くらいに退院している筈であるから、痛いのは当たり前だし、仕事をしていたかも怪しい。それにしても、角度が悪いと悲鳴をあげたい程であるから、まだまだ先が長いという事になる。不燃焼物を持って、集積場所までの200~250mの距離を2往復したが、やっぱりどことなく姿勢がおかしかった。



7/4 シャワーを浴びました。ちょっぴり我慢して、仕事もしました。時間の経過で、確実に快復しているのを実感しています。靴下を履くのが辛いとか、座ったり立ったりするのが難儀など、もうそんな事は言ってられない。日帰り手術を選んだのだから・・・

 問題は、今度の休日(7/9)です。午前中に、低山を歩いて来たいと思っています。「そんなバカな!」 と思われる方もあるやもしれませんが、その後、術後一週間の診察を受ければ、どうなっているか分かるというもの。(兎に角、降らないで欲しい。) それを越えられれば、翌週から、歩き始められると思います。でも、普通に歩けるかもしれませんが、重荷は、まだかもしれません。



7/3 PCの前に来ました。PC前の椅子は高いので、下腹に圧力が掛からない。(ちょっと安心)寝返りは出来るようになったのですが、下を向いたり、起き上がる時が痛くて大変。咳も辛いです。でも、もう、一日二日したら、何とかなるのではないかと勝手に思っています。私には、山へ行きたいという希望がありますから・・・。でも、無理したらダメですね。



7/2 手術は午前中に終わった。この状態なら何でも出来るのではないかと思っていたのですが、麻酔が切れて来たからでしょうか、寝返りも辛いし、歩くのも痛くてしょうがない。第一、起き上がるのも痛いし、下を向くのも辛いのですから・・・・。 食後の痛み止を飲む事に期待したい。



7/1 息子もムコ殿も帰った。明日は、私の鼠径ヘルニアの手術日。手術の内に入らない程の簡単な手術と言われるけれど、全身麻酔だし気持ちの良いものではない。そして、また叱られるかもしれないが、山に行けないのが辛い。それでも、明日・明後日は諦めるが、一週間後には、何処か簡単な所に行けないかと狙っている。不謹慎そのものであるが、そんな希望を持っているのが、今まで元気でおれた証のような気がする。