8/31 昨日の続編?です。「あの人は違いますが・・」 のタイトルで、「すぐ分かりましたよ。」 と、金沢のF氏からメールが届いた。(お許しを頂いていないからF氏とします。) 最近は、facebookやブログなどの面倒な作業が伴わないものがあるのにと、ちょっと感激! 過去に2度ばかりメールを頂いているともあった。そして、これからも楽しみにしているとあった。

 世辞であっても、そう述べてもらえれば、「もうちょっと、頑張ってみるか?」 となる。それにしても、18年半も同じ事をしている。いや、もう情報という面では機能を発揮していない。”生き残り” を掛けてなどと、大袈裟な事は考えないにしても、何かホッとするものがあったら良いのにと思うのであるが、私は、そのような能力を持ち合わせていない。でも・・・・。


8/30 スマートウオッチが鳴った。シュンちゃんからである。スマホとスマートウオッチが、Biuetoothによって繋がっており、SNSの情報を知らせてくれるのであるが、小さな画面なだけに、氏名の他の文章が限られており、また読みにくい。そして、その文面は、「あの人は違いますが・・」 であった。

 シュンちゃんは、持ち上げてくれたり、励ましてくれたりするが、時折、間違いを指摘してくれたりする。脳がなく単純な私は、舞い上がったり、クシュンとしたりするが、彼は山の友としてなくてはならぬ人である。今回も、何を間違ったのだろうと、本体(スマホ・PCどちらでも)を開いた。

 それは、Messengerからのメッセージであり、私のHPのメーンページに載せたコメントに対しての評であった。 「マキちゃんにもらったノンアルコールビールで乾杯! 意外といけるもんですね。 (あの人は、違いますが・・) が、その文章。 シュンちゃんは、「受けました。」 と評してくれたのですが、他の人達は、「山ノ神」の事と分かってくれたでしょうかね?


  8/29 今朝(8:00~9:00)高岡で降った時間雨量は43mm だったという。長時間でなかったが、凄い雨だった。この頃の雨の降り方は、同地域であっても、所々で違うような感じである。局所的というのであろうか、細かい観測が尚のように必要なのかもしれない。

 1時間に80~100mmの雨とは、どのような降り方なのだろうか? それが、何時間も降れば、何処かに歪みが出来るのは当たり前かもしれない。「備えあれば憂い無し」 と言われるが、大方は、神頼みになってしまいそうだ!


  8/28 昨日の山行(高落場山・高清水山)の際、林道でハギの花が咲いていた。「秋の七草とは?」 になったが、私は、ようやく高山植物の名を覚えたかどうかの状況で、野山の花には、てんで及ばない。ハギ・キキョウ・クズ・フジバカマ・オミナエシ・オバナ・ナデシコが秋の七草で、漢字にすると、萩・桔梗・葛・藤袴・女郎花・尾花・撫子のようである。

 この秋の七草をどうやって覚えるかであるが、「おすきなふくは・・」 と記憶すれば何とかなるらしい。「お」は、オミナエシ。「す」だけは、オバナ(尾花)の別名がススキ。「き」は、キキョウ。「な」は、ナデシコ。「ふ」は、フジバカマ。「く」は、クズ。「は」は、ハギ。 「ウンウン、そうだね!」 これなら覚えられると思うのだが、その 「おすきなふくは・・」 を忘れる公算が高い。(苦笑)

 因みに、春の七草は、せり・なずな・ごきょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ。  なんだそうだが、春の七草の方が覚えやすいとか・・。「何で?」 と思うが、七草粥とか、薬草とかが、関係しているのだろうか? 私には分からない。でも、この際、秋の七草だけは覚えようと思う。腐りかけた頭に入るか、ちょっと不安だが!


  8/27 気付くのが遅れたのですが、「今日は何処へ行くの? それとも、もう出掛けてしまったの?」 とマキちゃんから連絡があった。「今日は、午前8時スタート。午後5時には戻らなくてはいけない。でも、未だ行き先が決まっていない。」 と返事をしたのですが、私達に同行したいとの意向も述べてあった。

 お天気はどうなるか分からない怪しげな状況だったのですが、最短ルートでの高落場山を一緒すと事となった。304号線からの林道は、いつ通行止め解除になったのか知らなかったのですが、通行しながら良かったと思ったのでした。縄ヶ池まで8キロ、その先3~4キロの地点に車を止めての歩きですから、元気者のマキちゃんには物足りなかったかもしれない。

 登山道はには、小枝が散乱していた。長い間林道が閉鎖されて登山者が少なかったからなのか、それとも、過日の台風により、たくさんの木々が折れてしまったのかは分からない。日頃、良い事をしていない私にしてみれば、格好の善意?というのか、その小枝を登山道から払い除けていた次第です。

 今日は、短時間の行程だったので、食材の準備をして来なかったのですが、マキちゃんが手際よく作ってくれた昼食を堪能し、コンビニで買ってきたスイーツを嗜んだのでした。マキちゃんとの山行は、一年前の薬師岳・北ノ俣岳以来らしかった。でも、山以外でお会いした事があった。(忘年会や来訪など)

 何度となく、パラパラと来たのですが、傘を差したり雨具を来たりまでの事はなかった。特別の話などはないのですが、共通する山の話で盛り上がりました。雨になるかもしれないと言いながら、高清水山へも行こうという私の提案を、渋々ながら受けてもらえて良かったです。ちょっと汗を掻きながら、快い日を送れた事に感謝である。


8/26 明日の休日は、「孫達と立山か唐松岳へ行けたらいいな!」 と思っていたのですが、あまり予報が良くないので取り止めにしました。近くの山にと提案もしたのですが良い返事が返って来きません。となると、我々の従来通り山行スタイルになります。まあ、後々の事を考えると、良い条件下で楽しい山行をさせるのが一番いいような気がします。

 午前8時スタート、そして、午後5時帰宅のパターンですが、この暑い時期、そして、予報が芳しくないのですから、行き先を決めかねています。またまた、明日起きてから決めるという事になります。


8/25 髪の毛が少なくなって寂しい。シワやシミが、必要以上に顔の変化をもたらし、イヤになってしまう。もちろん、歳なんだからという事は分かっている。しかし、もっとイヤな事がある。お尻の肉や太腿の肉が落ちる事である。晩年のお相撲さんのスタイル(腹が出て、お尻と太腿が痩せ落ちているスタイル)

 それがイヤで、毎日、腹筋・腕立て伏せのの他、反り返って足を伸ばす運動を取り入れている。功を奏しているかどうか分からないが、衰退と維持の比べっこだと思っている。もっとも、歩く助けになっている事は間違いない。しかし、最近、悪魔の囁きが激しい。「そんな辛い事止めときなさい。」 「今日は、休んでもいいのでは・・」 そうなれば、威厳も何にも無くなってしまう。


8/24 午前2時頃、台風20号の影響で、我が店のシャッターがガタガタ揺れた。その補強のため物置から角材や重しになる物を持ち出し充てがった。富山県は他県に比べて被害が少なく胸を撫で下ろしている。暑かったせいもあるが、我が家の窓が、あちこち開いているのであるから、少々呆れてしまう。

 若い頃、台風の最中、テントを張っていた事があった。今と違って、一体型でな、くシートと別のものが多かった。(屋根型・家型) その上部を飛ばされたのである。20代前半、いや、20歳か21歳の頃の剱沢である。まだ日中であったし、雨が降っていなかった事もあり、何とか事なきを得たのであった。

 一週間も山中におり、源次郎尾根から戻った時だったと思う。そのテントは借り物だったから、失う事がなく本当に良かったと思った。今は、一体型のテントが主流である。雨が入らないなど利点が多い。(私のテントは、ゴアだから尚更。)

 でも、欠点はある。テントのまま持っていかれる事がある。台風の他、土石流・雪崩などである。岩登りと同様、最後の手段として、ナイフを使いやすいように準備しておく事が必要と聞く。テントの中の火災もしかりである。逃げようにも逃げられない。引き裂くしかないのである。だから、私は、テントの中で火は使わないようにしている。


8/23 先日の朝日・雪倉・白馬山行での画像を点検したら、私の撮ったものが385枚+スマホで80枚=465枚。「山ノ神」の撮ったものは235枚であった。もちろん記録的な撮り方をしているから、その数になっているのであろうが、久しぶりに、たくさん撮ったという感じである。

 特別上手く撮れているものがないが、記憶をよみがえらせてくれる材料になる。今春、PCの故障から多くの画像を失ってしまったから、何重にもバックアップをしなければと思っている。私は、意外と過去の画像を見る機会がある。それは、状態やタイムなど、次の山行のためであり、また、尋ねられての返答の材料としている事が多い。

 ステキな画像が撮れておれば尚いい。そして、そんな事があったのだと振り返る。「若いって いいな!」 と、しみじみと思う。でも、明日よりは今日の方が若い。来年よりは今年の方が若いと思い、カメラに収まるようにしている。5年10年経ったら、今の画像をみて、せめてそのくらいに戻りたいと思うに違いないから・・。


8/22 山の疲れと連日の暑さでくたびれている。「山ノ神」は、完全に山の疲れ。私は、山の行き帰りの運転や、あの寝苦しい部屋での拘りで睡眠不足となっている。「山ノ神」は、白昼堂々と、自分の部屋で寝ているが、私はそんなわけにもいかない。だから、ちょっと座ると、こっくりとなってしまう。確実に衰えている証拠である。

 そんなのに、次行く山を模索している。孫達と一緒に行くか、それとも、自分(達)の好きな所へ。でも、ダメなのである。孫達を一緒に連れて行かないと時間制限に掛かってしまう。夏休み私達と一緒となる最後の休日であるからして、お天気周りが良ければ、その方がいいのではと思っているが分からない。立山か唐松岳。

 好山病山行の事もある。行き先を決めかねている。あと10日しかないが、行く行かないさえ分かっておれば、そう悩む事もないし、「何処でもいいから・・」 「やっぱり行ける事になった。」 などにも期待したい。次から次へとやって来る台風だけが懸念材料。


8/21 私は、昨日、山中で誕生日を迎えた。帰ったら、メール・LINE・メッセンジャー・facebookなどで、お祝いのメッセージが数多く届いていた。嬉しい事である。喜ばなくてはいけない。自分を認めてくれる人が、こんなにもいるという事の証でもある。「どんなに歳をとっても、声を掛けてもらえる。」 自分でありたいが・・・・。

 そのためには、「何か輝いていなくては・・」 と思う。でも、なかなかそうはいかない。輝いていると思っても、他人様からみれば、くすんでいるかもしれないしね。知識も財力もない私からしてみれば、「元気な年寄り」 しかないような気がする。そのような事は、簡単に言えるが、それもなかなか難しい。

 「元気な年寄り」 は、もっと先の話。70代くらいでは、自慢も出来ない。80歳・90歳になってこそ、「変わった爺さん」 「元気なジイさん」 と言われるのではなかろうか? それもこれも、今から鍛えておかなければ難しい話。しかし、日頃はあまり良い生活をしていない。週に一二度くらい歩いている事くらいで、後は、悪い事ばかり。毒を食べたり飲んだり(たくさん食べたりお酒を飲んだり)で身体に良い事などあまりない。鍛錬も良いが、食生活を改善しなくてはと思っている。

 でもね。日常しかめっ面をしているより、いつも笑っていた方がいいみたい。だから、友達が必要。いつでも会える友達がいるといい。運動もいいが、笑いだね! 我が家は、二人でいると、これが本当に夫婦かと思うほどに会話がない。それなのに山へ一緒に行く。(山ノ神は、決して山が好きとは言えないのに・・)


8/20 午前4時朝日小屋を出発した。私は過去に、朝日岳を6回、雪倉岳を2回、白馬岳を18回登っていたが、水平道はもちろん、雪倉岳へのルートも初めてだった。雪倉岳へは2回とも鉱山道の往復だったので、鉢の分岐から三国境へも初めてとなる。水平道は、これで良いのかと思うほど、ドンドンと降りて行く。新しい木道を行くと朝日岳からのルートと合流し、やがて小桜ケ原に出る。

 小桜ケ原はお花畑なのだろうが、少々時期を逸していた感があった。でも雰囲気はいい。ツバメ岩のガラ場を通過すれば、稜線を巻くように進む。その斜面には、これでもかと思うほどのトリカブトが咲いていた。何故かしらねど「山ノ神」は、そのトリカブトが大好きであり、なかなか離れない。そこまでくれば雪倉岳への最終局面なのであるが、「山ノ神」の足は遅い。

 一足先に雪倉岳山頂に着いた。山頂からの展望は素晴らしい。白馬岳やそれに繋がる稜線、何だか旭岳がいつもと違った形で見える。剱岳もちょっと遠いが相変わらず格好がいい。でも、風が強く、食事をするには向かない。避難小屋辺りまで降りる事にした。でも、適当な所がなく、小屋の中でお湯を沸かした。

 鉱山道を行くのか、三国境まで行くのかを決めなければいけないのであるが、意外と鉢の分岐まで時間が掛かった。「山ノ神」の過去の印象から鉱山道をパスして、改めて三国境を目指す事になるが、コースタイム通りにはいかない。三国境手前では、午後0時半を回っていた。午前11時頃までに着いたら、いや、正午までに着いたら、私だけでも白馬岳に向かわせて欲しいとの取り決めをしていたが、それでもと、計画を手直しして、私は白馬岳山頂に向かう事にしてもらった。

 当初から、朝日岳だけなら80%、朝日岳・雪倉岳の2座(鉱山道経由)なら100%、、それに白馬岳を加えられるなら120%と言っていただけに、「山ノ神」と別れて、チャレンジ体制に入った。元々、白馬岳日帰りを10数回もやっているだけに不安はなく、「山ノ神」を先に小蓮華山・船越ノ頭方面へ向かわせたのである。

 白馬岳への拘りが無いといえば嘘で、今回登れば19回になり、何となく20回に手が届きやすくなるという事である。また行けるという観念が、だんだんと薄らいで行くのは仕方がなく、ちょっと無理してでもに落とし穴があるのは間違いない。でも、まだその気力があるのだけは自分を褒めてみたい。

 三国境から山頂を往復する間に、当然「山ノ神」は、小蓮華山辺りまで、いや通過しているのが本当。私は、それから追い掛けるわけであるから、なかなかであった。結果的には、船越ノ頭への最後の登り始めで追い付いた。お腹も空き疲れたが、白馬大池まで我慢である。白馬大池発が、また午後4時になってしまった。そして、蓮華温泉到着が日没寸前となった。やっぱり疲れた。


8/19 午前5時前に蓮華温泉に着いたのですが、やはり日曜日という事なのだろうか駐車場は満杯。仕方なく歩く時間にして15分程戻り、通行に支障がない所に車を止めました。その蓮華温泉から朝日小屋までは、老々二人の歩きでしたから、8年前、好山病仲間とテントを担いで行った時と同じようなタイムとなってしまいました。

 今回は、しばらく行っていない朝日岳の他、「ゆかりさんの顔を見たい。」 のが目的。 それと、いつまた行けるかわからない朝日岳だけに、ゆっくりとその良さを味わいたいとの思いもありました。私は、7回目でしたが、「山ノ神」は、シュンちゃんに誘ってもらった栂海新道と、8年前の好山病テント泊以来で張り切っていました。

 しかし、鉄製の橋から白高地沢までは近いと思っていたのに意外と距離があり、花園三角点と水場は離れていたし、自分の記憶とは、こんなに曖昧なものなのかと今更ながらにがっかりでした。2時間ほど下がって登り返すようなルートですが、高度を上げてしまえば、そこには別天地が待っているというもの。

 今年の異常気象なのか、「お花は早い。」 との情報もありましたが、八兵衛平に入る前から、私達の好きなお花が続々登場です。マツムシソウとハクサンコザクラが見られればそれで良いほどですが、チングルマの綿毛も、またまたいいものです。キンポウゲ・イワイチョウ・ハクサンフウロ・ハクサンイチゲなどなど。

 吹上のコルでは、蓮華温泉から日帰りで、白馬大池・白馬岳・雪倉岳・朝日岳、そして、蓮華温泉に戻るという女性に出会った。軽装だが凄い! 朝日小屋への往復はないが、我々が二日のところを、日帰りだからおったまげてしまった。それも、そんなに若い人ではなかった。世には、いろいろと超人がいるものだと思いました。

 今回は、荷をなるべく軽くしようと言っていたのに、ビールが2本あると「山ノ神」が言う。それも、もうぬるくなっているようである。ならば、雪渓が頼り。雪を袋に詰め、その中にビールを入れ山頂まで持って上がった。周りは雲海。剱岳も、その雲海の上に鎮座していた。気分は良いのですが、「小屋に3時まで来てください。」 と言われたゆかりさんの言葉が気に掛かってしょうがなかった。「山ノ神」は、ビールが好きなのですが、飲むのが遅い。早くと言うと、また喧嘩になってしまう。

 雲海を目掛けて木道を行く感じになる。山頂発が午後3時であるから、小屋に着いたのは述べなくても分かるというもの。「最後のお客さんが着かれました。」である。私は、8歳も歳をとったのであるが、ゆかりさんは、殆ど変わっていないように感じた。小屋は、外から見た感じは変わらなかったが、内は随分ときれいになっていた。それよりも、温水洗浄付きの洋式トイレには驚いた。(しかし、夜間は、電源のためか動かなかったが・・) 食事内容もそうであるが、朝日小屋の人気は、こんな気遣いから生まれているのかと思った。


8/18 明日からの連休は、久しぶりに朝日岳に行こうと思っている。8年ぶり7回目になる。1回目は、S.58.08.21-22 中山君と蓮華温泉から入り、小川温泉へ降りたのであるが、管理人が、入善の娘さんの所まで届けてくれるのなら、北又にある車を使っても良いと言われ、それに甘えた事があった。その日は雨で、北又小屋で弁当を食べさせてもらったのであるが、それ故に問題が起こった。

 泊から電車(汽車)に乗ったのであるが、中山君が、北又で靴を忘れて来たと言い出した。仕方がなかったが、家で濡れた靴を乾かすにあたって、何だか靴が小さいのである。私が、中山君の靴を持って来たのであって、私の靴がないとなった想い出がある。

2回目は、H.15.09.21-22 花じいと山口県の涼子さん、そして、樹木の学者・将之とで、蓮華温泉から入ったが、台風のため小川温泉に降りた。涼子さんと将之が親子であったのには驚いた。3回目は、H.17.08/15-17 シュンちゃんと森山夫妻とで栂海新道を歩いた。

 4回目は、H.18.08.20-21 道用さんと水島さんに連れて行ってもらった。5回目は、H.19.06.17-18 小屋開け前に好山病メンバーで訪れた。6回目は、H.22.08.02-03 好山病メンバー4人で3張のテントを担いで臨んだ。

 何もかも、どれもこれも想い出である。まだまだ、これからもたくさんの想い出をつくりたい。もしかしたら、管理人のゆかりさんにお目に掛かるのも8年ぶりになるのかもしれない。


8/17 一年に一度は、好山病キャンプ山行の企画にあたり、なかなか思うようにならない。休日や思考の違い、そして、家庭環境の違いが大きいのであるが、成熟?して、どうしてもというのが無くなってきたのだと思う。しかし、あくまで趣味であって、無理する事などない。

 「でも、やっぱり寂しい。」 などと、思うのが可笑しいのかもしれない。でも、まだまだと思わなければやっておれない。周りには、「終活」 などの語句が話題になっているが、そんなもんは吹っ飛ばしてやりたい。私の知っている人、皆がずっと元気でいて欲しい。


8/16 雨でドロドロになったと思っていたテントであったが、テント下に敷くシート以外はそれ程でもなかった。しかし、乾かす作業と兼ねて点検もしなければならないのに、いつ降るか分からないのでは、外に出すわけにはいかない。雨降りの後のテントの片付けは厄介であり、車庫や倉庫のある家が羨ましい。

 先日から甲子園で大健闘している母校(高岡商業)は、ベスト8を掛けて、再優勝候補の大阪桐蔭との戦いがあった。一回戦・二回戦とも、休日で山の中。不謹慎かもしれなかったが、随時状況を送ってもらっていた。今日こそは、テレビの前にと思っていたが、帰省する孫達の駅への迎えと重なった。でも、今は、車にもテレビがあるから、それなりの事が分かる便利な世。

 健闘むなしく破れたが、何だかこの先の事を思うとあっかりした! そして、孫達が帰って来て、また賑やかになった。しょわしきないのがいいのか、二人だけで、むっつりしているのがいいのか分からないが、何事も逆らわず、おとなしくしていよう。


8/15 昨夜の雨は、いつしか晴れて満天の星空となった。その余勢をかって、暗い内からのスタートとした。今日こそは剱岳を仰げる。そして、日の出も期待出来るというものであった。だが、先月もそうであったように、上昇気流の関係なのか、お昼近くになると、ガスに覆われてしまい剱岳の雄姿を見る事が出来ない事のほうが多い。

 室堂乗越辺りに来ると、まだ完全に夜は明けていなかったが、堂々とした剱岳が姿を見せた。このお天気に誘われたかのように、どんどん登山者が登ってきた。その中で、大きなリックを担いだ新潟から来たという谷口氏と、奥大日岳まで一緒に歩いた。彼は、称名から八郎坂、そして、旧登山道を伝って歩いてきたという。そして、大日連山を縦走して称名に戻る途中に我々と出会ったようである。ゆっくりとコースタイムで歩くよう心掛けていると言っていた。

 その彼と一時間ばかり奥大日岳で過ごした。そして、称名方面に向かう彼を見送った。その後も、剱岳をイヤというほど眺めていた。剱岳だけではなかった。毛勝の山々や富山湾、薬師岳の左に、笠ヶ岳、や黒部五郎岳、その奥に槍ヶ岳が、何だか、はっきり大きく見えたのはなんでだろう。

 帰りは、チングルマの綿毛と戯れた。少なかったけれど、ハクサンフウロ・ハクサンイチゲ・ヨツバシオガマ・シナノキンバイなどが、目を楽しませてくれた。新室堂乗越で休んでいると、「元さん」 と声を掛けてくださった方があった。「どうして?」 と尋ねると、「帽子に書いてあるじゃない。」 「あっそうか・・」 などとの会話が続いた。柴○さん (とお聞きしたが、柴ちやん・柴やん・柴ちんだったか、失礼をお許しください。) は、日帰りで称名に降られる方だから健脚に違いない。

 あんなにお天気が良かったのに、テン場に戻った頃は、何だか怪しい模様になってきた。時々、ポツリと来たが、撤収作業・食事、そして、室堂に着くまで、雨具を着たり、傘を出したりしなくてすんだ。室堂では、人・人・人でびっくりした。そして、外国人の団体さんもあったようである。立山駅から駐車場に戻る寸前、いや、車に乗り込んでから、大粒の雨になった。それが、41号線を跨いでから、前も見えない雨となった。



8/14 晴れは期待出来なかったが、「曇」ならと、久しぶりに立山三山縦走に挑む事にした。ヘッデンを点けて、ゆっくりと歩いた。午前5時50分別山乗越(剱御前小屋)に着いた頃には、陽は別山の上の方に上がっていた。でも、剱岳は全く姿を見せていなかった。

 別山で何とかの思いも、それこそ、周囲全てがガスの中であった。別山から望む剱岳は、女性的で美しく私は好きである。でも、全く見えないのでは、北峰まで行く気にはならなかった。真砂岳でもダメ。富士の折立くらいに来ると、雷鳥沢方面が時々見えたりしていた。大汝山の山頂からは、ちらっと、黒部湖が望めた。

 雄山にやって来ると、都会並みの人出で、腰を下ろす場所見付けるのが大変である。そして、下からドンドン上がって来る大盛況?後立山から剱岳方面はガスに覆われたままであったが、浄土山から大日岳に掛けては、まずまずの視界が広がっていた。時間がたっぷりある? ので、浄土山を往復する事にした。

 竜王岳には、かなりの人達が登っておられたようで、眺めているにインスタ用のポーズが下から伺えた。ポツポツ降ってきたので、コーヒーを頂いただけで先を急いだ。一ノ越からちょっと下がった所から、直接雷鳥沢へ行くルートを選んだが、このルートは、人が少なく私の好きなところである。

 雷鳥とも遭遇したし、復元作業の賜物なのか、ネットの中にチングルマが、かなり蘇っていた。テント場が見えるのであるが、なかなか着かないが、もどかしさはない。テン場に着いたら、また雨となった。聞く所によると、私達が稜線歩きに興じている頃に、相当強い雨が降ったようである。

 午後3時半頃から、テーブルに座ったが、ビールを買いに行かされた。雷鳥沢ヒュッテの自動販売機で500ml2本で1,000円。(安かった) 雄山神社で我慢出来ず買ってしまった「山ノ神」であったが、後悔の念は微塵もない。(多分、倍くらいの値段だったのでは・・)

 宴に入って、単独行の下津佐氏に声を掛けた。今度は、「お酒飲む?」 とドイツ人の若い夫妻に声を掛けた。お酒は飲まないと言いながら飲んでいった。言葉は通じなかったが、随分楽しかった。それには、語学が堪能な下津佐氏(千葉県在住 80カ国の旅行歴有り)の助けがあったからに他ならない。 そして、剱御前小舎志鷹正博に声を掛けてもらった。「山ノ神」は、覚えてもらっていたと感激していた。何度も雨に見舞われながらの宴。また楽しからずであった。そうして、夜は更けていった。

 

8/13 今回は午前6時50分のケーブルに乗れてラッキー。(従って、室堂は8時である。) 欲張りである私達の荷は、(山ノ神15キロ、私は19.5キロ、そして、手荷物?3Lの清酒と、その他の物がプラス) でも、雷鳥沢まで1時間くらいだから、何ら苦にならない。

 テントを張り出したら雨になった。その後、「降る。」 「止む。」 を何回となく繰り返した。 戦意?は、またたく間に落ち停滞を決め込む。その内「山ノ神」は寝てしまった。昼から飲むわけにいかないが、やる事がないのも困ったもの。テントを出たり入ったりを繰り返す。その内、否応なしに飲む事になる。

 ビールは、現地調達と決め込んでいたのに、冷たいものが3本出て来た。重たいハズだ。刺し身にカツまで出て来た。でも、通行人に一番目立ったのは3Lの清酒(天)であった。安い酒でも、山に持ち込めだ価値は上がる。そして、狙われる・・・(笑) 「降って来た。」 と言っては、テントの中へ退避。それを何度も繰り返した。

 剱帰りのサブちゃん(岡田三郎氏)に会った。相変わらず元気で楽しいお方である。連れの方があったので、流石に飲もうとは言われなかった。雷が伴った。テントの中での雨音は凄い。何倍にも聞こえる。若い女の子なら、「怖い!」 と言って、ドラマも生まれるのだろうが、何の変化も生まれない。それどころか、今日は運動不足で、酒が上手くないとか美味しくないとか・・・・)



8/12 ここに来て「山ノ神」が異論を唱えてきた。「イヤなら・・」 と言ってしまえばおしまい。でも、ガンと譲らない。もしかしたら、今後このような事が多くなるかもしれない。剱沢はちょっと遠いが、雷鳥沢は別荘と考えても良いと思っている。荷は担がなければならないが、僅か1時間である。

 何処かを目指して一生懸命歩くのも良いが、景色を眺めながら、じっとしているのもいい。ワイワイやるのもいいし、物思いにふけるのもいい。満天の星を眺められる幸運に恵まれなくとも、黄金の御殿は最高。でも、やっぱり降って欲しくはないのが本音。



8/11 「13日から山に出掛ける。もしかしたら、12日の夜から・・」 こんな事を事前に知らせてあったからかもしれないが、今夕、大阪に住む長男がやって来た。その長男であるが、縁あって、1週間ほど前、伊吹山に登ったようである。その帰り道に、清酒「石田三成」を買ったらしい。それを飲まないで、大の石田三成ファンの私の所へ持参してくれた。

 石田三成の居城(佐和山城)である事から、長女の名は佐和子、そして、長男の名は、三成との盟友・上杉の家臣・直江兼続から、兼継なのである。久々に気持ちが高揚しまたまた大酒を飲んでしまった。と言っても、その清酒は、もったいなくて飲まず、第3のビールである。

 今は、全く山に登る気配のない子供達であるが、その長男は、先月金剛山に登ったようである。職場からなのか、有志でなのか分からないが、日頃の運動不足が祟ってか、とても辛かったと言っていた。山に限らず、何か趣味を持っておれば、何かの時に励みになるというもの。

 お天気模様もイマイチな事もあるが、今一つテンションが上がらず、東北の山へは今回見送る事にした。その分、ゆっくり雷鳥沢テン泊で過ごそうと思っている。あちこち歩くかどうかは、その時の雰囲気に合わせてと考えているが流動的。のんびりとなると、食材が増える。ザックに入らない分、空いている両手を使う事になりそう。13ー15日



8/10 お天気もそうだが、なんだか私の身体の調子もおかしい。そんな事もあって思考力低下なのか良い考えが浮かばない。最も、頭の回転も悪くなっているから、そんな事を望む事の方がおかしいのかもしれない。しかし、いろいろな誘いを断った手前もあるが、山に行くのは間違いない。例え悪天でも・・・



8/9 昨日から、娘と孫達は、亭主・父親の住む東京へ出掛けた。台風の心配もあったが、特別連絡して来ないところをみると、何事もなかったようである。こちらは、いっぺんに静かになった。食事をするに付けても、特段の話もなく、テレビをみるかそこらになってしまう。昨日は、1本余計に飲んだため、9時台に寝てしまった。

 盆休の事は何も決めていない。東北はお天気が悪そうだ。テントを担いで北アの奥に入る体力がない。どの辺で妥協するかになるが、会話が少ないだけに話が進展しない。「私は、後から文句を言う。」 というのが「山ノ神」の手。とても厄介である。



8/8 「お元気ですね!」 と言っていた自分が、いつの間にか、「お元気ですね! と言われる年齢になってしまった。歩いていて、私より年上だろうと思って声掛けをすると、同年齢や年下の方という事が多くなってきた。私も、他人様からみたら、年老いて見られているのは間違いないようだ。

 白山観光新道で、元気なお年寄り(男性)を見た。小さなリックに2本のストック。決して速くはないが、しっかりした足取りであった。単独行で、行ける所までだと思って歩いておられると伺った。85歳である。結果的には、私達と、そんなに遜色もない時間で室堂までやって来られた。「いいな!」 私もこんなのになりたい。



8/7 東京行きを一日のばし、子供達の面倒を見るという娘の厚意を受け、降るか降らないか分からないが白山行とした。平瀬道は、まだダメなので、別当出合が登山口。白峰までは、霧雨があり、ゆっくり目のワイパーを動かしていたが、登山口に着いた頃には、雨の心配は薄らいだ。

 観光新道希望の「山ノ神」に従った。始めの2時間程の「山ノ神」の足取りは、結構な頑張りが見られ順調に推移するかと思えたが、お花が出て来た頃からは、だるさを紛らわす為の写真撮りなのか、だんだんと遅くなっていった。室堂に着くまでは、何とこれまでの最高ではないかと思う5時間半を要したのである。

 ゆっくり行くのは、一向に構わない。でも、後々にしわ寄せが出て来るのは思わしくない。結果的には、今回も山頂へは、私一人になってしまった。その間、持参した2本のビールの他に、室堂センターで、もう1本買って来て飲んだようであった。いやはや、何と申しましょうかである。

 「飲んだから、元気が出た。(出る)」 という「山ノ神」の言葉を信じて、またまた観光新道となった。室堂発が午後2時半であるから、決して早いスタートではなかった。一応装備は揃っているから、それ以上の心配はなかったが、歩く速さが問題であった。それと、疲れが溜まってのつまずきに伴う転倒が怖かった。

 でも、3時間半程で駐車場まで降りて来れたのであるから、我々としては健闘したという事になる。別当出合には自動販売機があった。それを見付けた「山ノ神」は、またまた、泡のものを買っていた。私は、お腹が空いた上、高岡まで運転をしなくてはならない。もうこんなのもやめよう。



8/6 お天気と娘の休暇、そして、彼女らの東京行き(父親は東京在住)がなかなか決まらず、近間の低山という事で高峰山を選んだ。ちょっと暑いが、早めに降りて、お風呂(結果的には吉峰)や、孫達が喜びそうな外食サービスのコースとなる。鳥越峠では、オロロの急襲にたじろいたが、登山道に入ればルンルンであった。

 上の孫・ミーが走り出すので、それを止めるのに、大声ばかり出さなくてはいけなかった。下りで転ぶ心配であるが、子供というのは、一年経つと、あんなにも違うものかと子の成長を感じた。でも、自分の子でないだけに最後まで心配である。



8/3 この暑さに居たたまれなくなり、二階から下に降りてきた。確かに室温は2~3℃低いが、落ち着かぬ事もあり、熟睡が出来ないでいる。眠れない夜なんか、一夏に 2~3回、多くても一週間ほどだったのに、今年は、やっぱりおかしいのかもしれない。何もかも異常気象と片付けていいのだろうか?

 あの暑い部屋で耐え忍んできたのに、とうとう我慢が出来なくなったのだから、体力も気力も落ちてきたのであろう。 正しく ”落城” の気分であり芳しくない。そして、寒い冬はどうなるのだろう? 城を明け渡す気分にならなければ良いが・・・



8/2 今年の盆休は、13(月)~16日(木)とする事にした。昨年は行けなかった東北の山も良いが、北アでゆっくりもいい。でも、我が家では、年々思う通りにはいかなくなってきている。誰だって、「つらいのはイヤ。」 なのであるが、それを乗り越えて行ってこそ意義があると言うものであるが・・・

 東北の山は、どうしても行きたい山はあるが、もし今回行くとなれば、簡単な山巡りとなり、半分は旅行みたいなものになる。だんだんと、そうなるのが必然的なのかもしれないが、未だ少し抵抗感がある。北アに関しては、奥深く入るのも良いが、ゆっくりと、あるいは同じ所に腰を据えるのもまたいい。まだ、10日もあるから、お天気と相談しながらになる。



8/1 孫達の夏休み中に、一回は何処かへ連れて行ってやろうと思うのですが、なかなか日程が合いません。ようやく私達の休日(8/6~8/7)にと思いきや、ずっと晴れマークなのに、その両日だけは曇りである。降水確率は、40%から30%になったものの些か不安である。

 昨年は、同じ時期に、立山家族旅行村のケビンに泊まったのですが、折からの台風に遭遇(結果的には、そんなに酷くなかったが・・) 尖山とパークゴルフ、そして、卓球となった。孫達にしてみれば、何もかもが新鮮なものであり、雨が降ったら降ったで、それなりの想い出となっているようである。

 今回も、そのケビンの他、雷鳥沢キャンプ、あるいは日帰り山行などと企てているが、やっぱりお天気が一番である。高所(雷鳥沢)でキャンプをさせるには、お天気の他に、荷物が大変である。どうみても、私達二人のザックには収まらないのである。時間(距離)が短いから、両手に余分な荷をと考えてもみたが、ちょっと危なっかしい。

 翌日から、東京に住む父親の所へ行くのだから、ジジババは、そんなに頑張らなくてもいいのかもしれないね。実の子(二男)から、お盆の予定を尋ねてきたが、「盆休は山に決まっている。」 と、一喝してしまったのであるが、親としては、ちょっとダメな発言だったかもしれない。