1/31 毎週のように山に登っていても、「今年は大丈夫だろうか?」 「今度は大丈夫だろうか?」 となって来ている。ちょっと高いところへ、また、もうちょっと長く歩かなくてはいけないところへは、その不安が脳裏を掠めるようになっている。 当たり前と言えば当たり前なのであるが、山に入ってしまうと、そのような不安が薄らぐのも事実。

 これが、雪中キャンプとなれば尚更の如く、「担げるのだろうか?」 になって行く。私の場合は、「山ノ神」と一緒する事が多いので、その不安は倍になる。「そんなにたくさん担げない。」 「あそこは怖いなどもある。」 そして、「寒いのはイヤ。」 「アルコールが無くてなんの山か?」 とまでなる。こんな不満をぶちまけると、「そんなら行かなければ・・」 の声が聞こえて来る。

 でも、行きたいものは行きたい。本来なら、その目的のために、我慢をすれば良いだけの事。ちょっと寒いのを我慢する。一日ぐらい寝られなくても死なない。アルコールも少なくすればいいだけの事。なのであるが、まだ余力があるからかもしれないが、暖かく、そして愉快になどを捨てられない。さて、「今年はどうなるのであろう?」 今年がなければ来年はない。



1/30 今年のGWは、10連休なるところもあるようだ。混んでる時に、何処へも出掛けたくないが、今の環境では、そのような時しか出掛けられない。「思い切って九州に出掛けてみようか?  など思ったりするが、現実的には、なかなか難しい。

 5日間休みを取ったにしても、往復に2日間掛かるのでは、いろいろなところへは行けない。何処かの名所・旧跡とか、名山歩きに徹するとでもしなければ、虻蜂取らずになってしまいそう感じがする。「まだ行ったことのない九州の地を踏むだけでもいい。」 という「山ノ神」に、また惑わされそうだ。



1/29 昨日の今年10回目の山行は、歩き足らないとしても、雨予想の中で、満足出来るものであった。車に乗ってから降り出した雨に、心なしか、スーッとした感じがした。雨でも出掛けるにしても、そうそう傘を差したいものではない。

 町内会の新年会は、波乱もなく過ぎたが、役員選出の方は一週間先延ばしになっただけかもしれない。こうなっては、引き受けるにしても、やりやすいように、そして、なるべく短い期間が私の思うところである。

 一番いい時期が過ぎてしまったにしても、この先の事より、今が一番良い時である。この時に大事な時間を費やすのはもったいない。でも、何らかの奉仕をしなければならない事も分かっている。それをどのように、こなすかなのであろう。

 「冬キャンプ」という記事が見に止まった。「静かでいい。」 「星がキレイ。」 「虫がいない。」 などに、あれあれと、覗いてみたが、オートキャンプの延長らしい。冬だから、雪上のキャンプもあるのだろうが、石油ストーブとか、電気カーペットなどが登場してくるのだから、私の思っていたものと、大分乖離があるようであった。

 それにしても、自然の中で遊べるなんて最高である。それは、「快適な家で過ごす。」 「美味しいものを食べる。」 などを、大きく上回る。そのためには元気でいなければならない。そして、それを認めてくれる仲間が必要。モチベーションは、いつも同じに保てないから・・・



1/28 結局、「ハゲ山・城ヶ平山」 になった。八乙女山ばかりも面白くないからもあった。しかし、如何に上市の奥だとしても、標高が低いとの懸念は残った。でも、上市の街中に入って積雪を見たので、ちょっと安堵という感じ。

 ボーッとしていたからか、大岩から登るつもりであったが、西種に行ってしまった。(広域農道を跨いでから、ありゃ、となった。) 大岩からと思っていた理由は、駐車の事と、歩く距離が長い方がいいからであったが、まあ~、どちらでも良かった。

 「ハゲ山と城ヶ平山のピークに立つ。」 「雨に遭わないために、お昼前までに車へ戻る。」 が、今日の目標であった。それどころか、城ヶ平山に辿り着いた頃まで、剱岳と対峙する事が出来、とてもラッキーであった。

 トレースは、踏み固められていたが、私達は、スノーシューを履いた。狭いトレースは、ちょっぴり窮屈であったが、それを外せば、水を得た魚になれた。雨は車に戻ってから降り出した。



1/27 明日は、お昼頃から雨の予報。「何処へ行こうか?」 「山ノ神」の意向を全く無視出来ない家庭環境になってしまった為、いつもの事ながら、最後の最後まで行き先が決まらない。そして、必ずと言っていいくらい 「えぇ~」 となるから、私はあまり面白くない。「行かなくてもいいんだよ!」 と言っているのだが・・・ 

 そして、明日は、町内会の新年会がある。参加を欠かした事はないが、明日は何だか気が重たい。そして、憂鬱。やっぱり、何処かを歩いて来なくては身が持たない。この歳になったら、イヤな事はせず、自分の思うがままがいい。そりゃ、そうなれば最高だが、生きていくためには、そんな事だけで済まない。人様に助けてもらっている事もあろうし、いけない事もたくさんしてきたように思う。自分を殺さなければいけない時もあるのかもしれないね。



1/26 やっぱり降らなかった。一時は白くなったが、それ以上は降らなかった。困ったのではなく安堵と言ったところです。そして、山沿い、また山中は、かなり降ったようです。(積もったようです。)私の一番気になっていたところの雪の状況(宇奈月町や朝日町蛭谷=富山県冬期道路状況)では、かなりの積雪の上積みを見た。

 そうなれば、私の大好きな大地・初雪山への機運が高まる事になる。そして、3月恒例雪中キャンプまで待てない気がする。どちらにしても、お天気が味方してくれなくてはどうしようもない。しかし、衰える体力に鞭打ってまで行きたい山なのだから仕方がない。



1/25 大雪!大雪! と騒ぎ立てるが、その通りになる事は少ない。それは、台風のそれと似ていて、一割か二割程度のものだと私は思っている。しかし、最近は、雨も風も、そして、雪もであるが、局地的に降る吹くような気がしてならない。だから、安心というものではない。

 昨年の1/12は、朝起きてシャッターを開けてびっくりした事もあった。(一晩で60cm・積雪は90cm) 雪が降っても、降らなくても、雪の話題になる雪国。私はなどは、山だけに降って欲しいが、平場では、チラチラ程度でいい。



1/24 私は、幼い時からの友人に、「元ちゃん」と呼ばれ、そして、青年期からは、「元三さん・元三君」 が加わった。HPを初めた頃は、「元ちゃん」 であったが、「元ちゃんの山歩き」 から、「元さんの山歩き」 と改めてから、「元さん」 が定着したように思う。

 最も、この歳になって、呼ぶ方も 「元ちゃん」 と呼び辛いであろう。しかし、ずっとその呼び方をされても、こちらは照れ臭くても決して気分は悪くない。いつかは、「元じい」 に改めなければと思っていたが、しばらくは、「元さん」 でいきたい。

 呼称はどうであれ、私のHPを見ていてくれて、話す機会があると、必ずのように、「奥さん(山ノ神)は、HP(元さんの山歩き)をみているのか?」 と問われる事が多い。やっぱり、夫婦関係に興味があるのか、綴り方に違和感があるのかは分からないが、「山ノ神コーナー」で保っているかのようである。

 ネタはない事もないのだが、あまり奇抜な事も述べられないし、意味が取り違えられても困る。でも、鬱憤晴らしの感は歪めないのは事実である。「山ノ神」は、このHPを見ていないと言っていいだろう。実際PCを殆ど触っていないから、どうすれば良いのかも忘れてしまったようである。もちろん、スマホも持っていない。



1/23 今年に入って、9回の山行機会を得た。特別の山に行っているわけでもないし、自慢出来るものでもない。只、私的には、今月もう一回休日があるので、何もなければ、10回を数える事になる。そして、それは、1月としては、多分最高の回数になる。もしかしたら、月別としても、それを上回るのはないのではと思っている。

 50年前に、北アの中に、7泊8日した事があるし、高校時代の夏山合宿でも、一週間程剱岳周辺を訪れた事もあるが、その時の数字は残っていない。本当は、そんな事はどうでも良いのであるが、「自分のしたい事が出来るか?」 「元気でいれるか?」 である。私は、山が好きである。そして、それは、トレーニングと鍛錬・修行と重なる。

 私の年間休日は、現在80日前後である。来年からは、毎週日曜・月曜日を休日にしたいと考えている。出来るかどうかは、分からないが、この歳になったのだから、週休2日も悪くはないのではと思っている。差し当たって、今年は、何回かの日曜日を臨時休業にしたいと目論んでいる。また、許される事なら、連続休暇を取って、遠出もやってみたい。



1/22 私は、軌跡・跡を辿るという意味でトレース(trece)を使っている。同じ意味で、トレイルがあるが、使い慣れないから、トレースの方が良い。登山用語も外国から入ってきたせいなのだろうか、いろいろ呼び方が違う。その代表的なものに、ザイル(独)・ロープ(英)だろう。ピッケルはドイツ語で、ピオレはフランス語、では英語では何というのであろうか? アイスアックスなのであろうか?

 ハーケンは、ドイツ語、ピトンはフランス語なのはよく知っているが、あとの事は混在していてよくわからない。その上、和製英語も加わっているから、尚更ややこしい。でも、ザイル・ピッケル・ハーケンなどは、少年時代から聞き慣れた名称だけに、そのままそっとしておいて欲しい。でも、「♫♫ いつかある日」 の歌詞には、ハーケンではなくピトンが出てくる。このような事は、私が述べる事ではない。間違いが多いから、また、つままれる事になるだろう。



1/21 本当に雪は少ない。今朝の高岡も車のフロントガラスにちょっぴり、建物の屋根が薄っすら白くなっている程度で、かなり降るというお天気情報とは乖離が生じている。しかし、富山県冬期道路状況によると、上平村梨谷で昨日から積雪が20cm以上増えている情報があった。(今朝方の積雪は、約120cm)

 1/3以来今年2回目。そして、通算29回目の高落場山。五箇山トンネル入り口からの取付きであるが、トレースは、完全に新雪に消され、杉林以外は膝ラッセルであった。その煽りを食って、唐木峠まで1時間半も要してしまった。(唐木峠までは、まだ雪量が足りない。それでも、GPSを使ってショートカットしたんですが・・)

 唐木峠からは雪量が豊富? でも、あれだけ時間が掛かったし、ブナ林からのもう一息のところで、「山ノ神」の失速を恐れたが、今日は、かなり頑張ってくれた。それでも、いつもの事であるが、高落場山のブナ林が好きで、カメラを出しては、シャッターを切り続ける事が多い。降雪の後は凄く良いし、吹雪いた後は尚更である。トレースがなく、誰もいない高落場山は私の大好きな山である。1/3もそうであったが、今日も誰もやって来なかった。その分静かな山を堪能出来たのである。

 山頂まで4時間半を要したが、帰りの時間が気になった。でも、降雪があるし、私はタープ張りを選択した。余裕時間が1時間しかないのであるから、そこまでしなくてはと、「山ノ神」が言ったが、どれだけベンチ・テーブルを造っても、震えながらは面白くもない。ましてや、その構築物を造るのにも、かなりのやり甲斐を感じているんですから・・・・

 僅か、うどんやコーヒーを頂くだけなのであったが、それでも、暖かいのは良いものである。その分、予定よりかなり遅れて、山頂発が午後2時になってしまった。高岡に5時には戻らなくてはならないのである。唐木峠まで1時間で戻れば何とかなるのであるが、後は「山ノ神」次第であった。私の後片付けを見越して、「山ノ神」が先に出発したが、随分先まで進んでいた。

 自分達のトレースを外しても、気持ちの良いくらい新雪を踏んだ。そして、40分で唐木峠に着いた。そしてまた。五箇山トンネル入口に3時35分に着いたのであるから、高岡には余裕をもって帰る事が出来たのである。



1/20 いろいろあって、時間の目安も立て易い八乙女山にした。強く降らなかったが、ずっと雨だった。雪量が少ないと思い林道奥まで乗り入れようしたが、倒木があり、あえなくストップ。それではと、斜面を登ったが、雪があまりない上に、谷に降りなければならないのでは、元に戻り林道歩きとなる。

 トレランのルートを歩いてみた。登山道より雪量があった。そして、高度を上げると予想以上に雪があった。もちろん、例年よりは少ないのであるが、スノーシューがあっても良かったくらいである。今日は、見込み違いと言うほどではないが、カンジキを担いでツボ足である。9合目辺りから、完全にスノーシューの方が楽という感じである。

 三角点・最高点を回って、東屋で一服した。簡単な食事を取り、時計を気にしながら足早に歩いた。車に戻るには何処から戻るのが一番早いのかと模索したが、林道の交わる6合目から5合目に向かった切り開かれて、鉄塔が立っている所から降りたら、車から林道で100~200m下であった。



1/19 明日はハレルヤ山行日であるが、不参加を表明していた。約束はなくなったのであるが、日頃やれない事をやろうと思っている。予報は雨。でも、何処へも行かないのもシャクであるからして、二上山をはじめ簡単なところを歩いて来ても良いのかなと思ったりもしている。どちらにしても、お昼前には戻るのでなければ・・・



1/18 一向に雪が降らない。これでは、遠方からやって来るという方にしてみれば、テンションが上がらない。来週に期待?なのだが、今週も期待しながら、そうもいかなかった。このところ、雪中キャンプは、年1回に留まっている。何とか2回以上にならないかと模索しているが、少雪にモチベーションを保つのが難義である。



1/17 ムコ殿のIターンに伴い娘家族はアパートを借りた。子供達(孫達)は、今週に入って、ようやく食事を自宅(アパート)でするようになった。それでも、娘の帰宅が遅いので、ムコ殿は悪戦苦闘のようである。ようやく楽になったような気がするが、二人では、会話が成立しない。

 二人暮らしに戻ったと言っても、孫達は、学校から、あるいは学童から戻って、親が迎えに来るまで、我が家にいる。また、朝は、カバンを取りに寄って行く。(何故か知らないけれど、カバンを置いてくのだ!) 最も、机をはじめ孫達の物は、殆どこちらにあるのだから・・・

 そのアパートも隣の町内で、歩いて5分ほどである。”離れ” のような感じみたいだからか、孫達は、「行ってきます。」 「ただいま!」 の使い方がまるっきり反対である。(我が家に来る時は、只今、家(アパート)に行く時は、行ってきますである。)

 車もあてにされている。高岡に戻って、6年近くになるが、車を買おうともしない。空いてる時で良いから・・であるが、ちょっぴり困ったものである。しかし、「車は山優先」 が行き届いているから、特別の支障はない。明日は、両親とも飲み会で遅くなるという。だから、二人(孫)は我が家でお泊りになるが、これは、喜ぶべきかどうかはまだ分からない。



1/16 強い寒気の襲来としていた予報だったが、どうしたんだろうと思ってしまう程、「降らない!」 「積もらない!」 平地では良いのだが、やっぱり山の雪の状態が気に掛かる。でも、毎日の除雪の事を思うと、それでも良いのかと、心中を宥めている。

 今度の日曜日は、ハレルヤ山行日である。友人との約束の返事が来ないのと、予報の雨と少雪に、テンションが上がらず不参加とさせてもらった。「本当に山に行かないの?」 との声が何処からともなく聞こえて来そうであるが、今は分からない。



1/15 土倉山の下山時、「元さん、これ・・」 と、岩城君がコケを見せた。「ムキタケ(だと思うけど)」 と3ケ(3枚) 私に持っていけというのである。私は辞退したが、強く押し付けるようであったから、ザックの横ポケットに入れてもらった。

 「俺、あまり好きでないんだ! また先に食べさせられる。(毒味させられる。)」 との会話を、後ろで北ちゃんがニコニコ聞いている。「元ちゃん、それ間違いないよ!」 と意味深めに言うから、またまた私の胃袋が試験台となる様相。

 帰宅して風呂に入っている最中に、そのキノコの事を思い出し、「おーい、俺のザックの横ポケットに、キノコ(ムキタケらしい)が、入っているから、出しておいてくれ! 忘れるところだった。」 と「山ノ神」に伝えた。

 しばらくして、「何処を探しても無いわ! 後から、もう一度確かめておいて・・」 と「山ノ神」脱衣場から私に伝えてくれた。「何処かで落としたのかもしれない。これで、あの怪しいキノコを食べなくてもよい。」 と安堵して、ゆっくり湯船に浸かる事が出来た。

 今朝になって、もう一度確認しておいての言葉を思い出して、ザックのポケットを探したが、やっぱり無かった。「良かった!良かった!」 と楽な気持ちになったものの、もしやと、乾かしてあるザックカバーを触ってみたら、キノコが出てきた。

 せっかくもらったもの!落としたのなら、仕方がないと方弁もあるが、出て来たからには、蔑ろに出来ない。ここが私の性格が出てしまところである。そっとシンクに置いた。そして、やっぱりお昼の味噌汁の具中の一つとして出て来た。我が家の昼食は、交代で食するのであるが、私が必ずという程先になる。「岩城・死んだら化けて出ると喉を通した。」 だが、今も変わらず生きている。



1/14 私としては、2回目の 「1月の土倉山」 に行って来ました。(通算6回目) 11名の参加者となったが、急に参加出来なくなったマキちゃんが、集合場所に温かいコーヒーやお茶を持ってきてくれて見送ってくれました。

 それに勇気をもらったのであろうか、中高年諸氏達は、元気いっぱいに歩き続けた。少雪、そして、少々のヤブなど、全くのお構いなし。剱岳も、いい顔を出し続けてくれていたのであるが、山頂に到達した頃は、ガスに覆われてしまった。「クシュン!」 とするところであるが、大テーブルを造り、1時間半ほど、冬山・雪山の中で、ステキな時間を過ごした。

 今回は、見渡したところ、アルコールを飲まれた方も少なく、コンディションを整えての気構えであったかのように捉えたが、土井夫妻特性の鍋料理に、お馴染みのDOIコーヒーは、皆の心まで温かくしてくれたような気がした。「山ノ神」は、やっぱり、下りで化けの皮が剥がされた感があったが、岩城君や北ちゃんの気遣いで、何とか辻褄をあわせたようであった。

 私としては、初めて単独で玉ちゃんを誘った。(私の勝手な思い) 体調の悪いのに参加してくれた周さん、いつも謙遜しながら、我々を持ち上げてくれる池田氏・スマホの事で教授を頂いた河原氏・初参加して頂いた長瀬さん、大倉山から突如現れた坂東氏など、皆様に感謝です。有難う。



1/13 明日の土倉山は11名が集う事になった。お天気はまずまず。しかし、良いと思っていたら悪くなるし、悪い予報でも降らない時もある。 行ってみなければ分からないというのが正直なところ。1月の上市の奥山に、中高年が、これだけ多くの人数で行く話もあまり聞かない。

 行くからには、安全第一に考えながら、「行って良かった。」 思えるくらいに楽しくなければなるまい。お天気が味方して、剱岳の雄姿を伺う事が出来るか、少雪故に、ヤブに悩まされるかは、これも行ってみなければ分からない。

 調べてみたら、H.20.01.21に吉尾氏・ねぎちゃん・eiko女史・「山ノ神」と私の5人で土倉山に登っていた。「拘りの1月」 と題していた。やっぱり雪が少なかったように記憶しているが・・・



1/12 HPの移行が終わり、ログインもスムーズに行われるようになった。怠けによる更新の遅れは別にして、web利用の書き換えが必要な所が各ファイルにある。(至るところに✘印が表示されている。) しかし、40,000近いファイルの手直しは気が遠くなる。当面、新規のファイルや直面したファイルの手直しに留めたい。



1/11 今度の休日(成人の日)に赤谷ノ頭を目論んでいたのですが、ちょっと、雪量の足らないような感じでいたところ、土倉山の話が舞い込んで来た。(お正月に、岩城君が単独で6時間掛かった。) 1月の陽の短い時期だけに山頂に達するかどうか分からないが、行こうという有志と情熱を傾けたいと思う。

 幸い、今のところ予報は良いようである。私は、土倉山にあまり縁がなく5回しか出掛けた事がない。ましてや、1月なんて考えて事もなかった。でも、ステップが一つ上がるようでもあるし楽しみである。



1/10 直った! 「元さんの山歩き」が直った。geocitiesから、lolipopに移行が完了し、ログインが出来るようになった。S先生の並々ならぬご尽力のお陰で助かった。本当に只々感謝である。移行に関して、少々の不具合が生まれたが、私の出来る範囲で修正を試みたいと思っている。



1/9 連日S先生に、ご足労をお掛けしている。「lolipopにファイルを移行したのであるが、ログイン出来ない。」 のでいろいろと方策を練ってもらっている。私は、普通の事なら少しは分かるのであるが、場面が真っ黒になって英語の羅列になると、チンプンカンプン分からない。その煽りを食ってか、昨日まで可動していたgeocitiesまで、ログイン出来なくなってしまった。

 S先生には本当に申し訳ない。何時間も私のために時間を費やしてもらっているのである。しばらく、HPの更新が出来なくてもいい。今はそんな気持ちである。でも、S先生は、これでもかと、家に帰られても、私のHPの事を考えてくれているのに違いない。こうなると、やっぱりやめられない。



1/8 予報は完全な雨。行き先を牛岳から小佐波御前山に変更しての山行。途中で引き返す事も想定してみた。猿倉までの走行中、少しワイパーを回したが、それほどでもなかった。そして、レストラン前まで車を入れた。当然、雨覚悟で雨具を着込んだのスタート。

 御前山まで1時間程費やした。「山ノ神」のペースが上がらないが、只々我慢である。余計な事を言えば、一日中面白くなるからである。でも、雨が降らなかった。どうかしたら、陽が差す場面があるくらいである。このところ、大きく外れる予報に戸惑いを感じる。しかし、「行けば降るが、行かないと晴れる!」 の別バージョンと思えばそうでもない。

 小佐波御前小屋まで降らなかった。1時間ばかり休憩したが、凄い音がし、やはり嵐がやって来たのかと思ったが、屋根の雪が落ちた音のようだった。午後1時頃、下山に掛かる頃、小雪が舞い始めた。ようやく予報が当たったのかと思ったが、それほどの降雪でもなかった。御前山に降りて来たら雪が雨になった。



1/7 孫達の学校は明日から、従って、学童保育の送迎があり、始めから近間の低山と決めていた。そして、あまり良くない予報であった事も要因の一つ。しかし、出掛けてみれば、だんだんと良くなっていく空模様。牛岳も雲間から現れた。大寺山までと思ってみたが、ギリギリの工程もイヤで、三角点・山頂を周遊して、八乙女峠で腰を下ろした。



1/6 geocitiesが3月末で廃止になる事から、HPを存続するなら、何処かのサーバーに移行せねばならなくなっていました。その作業を、S先生にやってもらっているのですが、大変な時間と労力が伴っています。私の能力が、イマイチになって来ている事もあり、全くのお任せ状態です。そのS先生は、私より10歳年上なのですから、びっくりでしょう。

 40,000近くのファイルの移行ですから10時間ほど掛かってしまいました。こうなると、なかなかHPを止める事が出来なくなります。もうちょっと、頑張ってみるか?になっています。「80歳になって、雪山でキャンプが出来たら自慢してやろう!」 なのだから・・・・



1/5 今日明日は仕事。でも、月・火(7日・8日)は、定休日で、またまた休みである。好きだからというものの、1日から4日までの山行は、ちょっぴり疲れた感は歪めない。仕事をしながらの山行は、ちょうど良いのかもしれない。 毎日休日でも、毎日山には出掛けられない。少しずつ休日を増やしていくのが一番良いように思う。

 最近GPSの調子が思わしくない。軌跡が残らないし、ルートを作成しても入らない。弱っている。スマホのstavaもこなしていない。これでは、ちょっと冒険しようと思っても、後退りしなくてはいけなくなる。この手のものは、苦手なのであるが、いろいろ触ってみなければいけないのだろう。

 デジカメも可笑しい。いつもズボンのポケットに入れ、雨の日も雪の日も使うのであるから、可笑しくなるのは当然かも知れない。記録だと言って、その条件下で、セルフタイマーも使うのであるか長持ちはしない。レンズ前の蛇腹の開きが悪いのである。そこへもって来て、コードの紛失である。次行く山の記録のためにも考えなくてはいけない。



1/4 両親(孫達の親)が仕事なので、今日まで休日の私達が孫守となった。Iターンの父親(ムコ殿)が、本当の仕事始めだった事もあり、尚更協力するつもりでもあった。もしかしたら、山は、お休みかもしれないとまで思っていた事もあり、「雪遊び」程度のつもりで山に誘った。

 雪遊びをするには大量の雪が欲しかったし、2日前に大辻林道の積雪を確認している事もあり、来拝山に登れなくても、林道で、ベンチ・テーブルや滑り台、出来れば我々がよく造るシェルターをもの気持ちもあった。出来れば、来拝山の大日の森辺りまで行ければベーターなのにとの考えもあった。

 いきなり車中で眠ってしまった二人であったが、大量の雪を見たら元気が出てきた。でも、歩き初めてすぐに、下の孫エリーは、足が冷たいと言い出し、先行きが不安であった。私達は、登山靴を履いているからいいものの、えりーの長靴は短くて薄いのである。坂を登るのも滑って大変。事前に縄を持参していたが、思うようにならなかった。 私は私で、シャベルやら、ソリやら大型用具を担いでいるせいで、度々木々に引っ掛かり、その度に、バックしたり、リックを下ろしたりしなければならなかった。

 そんな折、「もとさんでしょう」 という二人連れの方に、記念にとシャッターを押してもらった。親子なのか、姉弟なのか分からないが、女性の方は、お歳を召されていたように感じたが、「あんなのになりたいな!」 と思った。男性は、キャンプが出来そうな大きな荷を担いでおられた。

 大日の森に大雪原を期待していたが、やっぱり雪量が少ない。あるにはあるのだが、いざ、ベンチ・テーブルや雪壁を造ろうとしても、すぐに小枝やササが出て来てしまうのである。それでも、青空のもと、雪中での食事は、何ででも美味しくなる。後に斜面を利用してミニゲレンデを造った。

 なかなか、思うようにならなかったが、何度も滑る内に、雪が固まっていきスピードが出て来る。だんだんと面白くなって来る。しかし、こちらは、あまり滑りすぎて、大きな樹木に、ぶつからないかなどと心配になる。その内コブが出来て、小さいながらもジャンプするようになる。それがたまらなく面白いようであった。

 私も童心に戻って、何回ともなく滑った。補修もした。大満足の内に、下山する事になる。ミーが、ソリにエリーを乗せて引っ張る。また、あの急な下りが大丈夫なのだろうかと思ったが、子供達は、すぐに順応するのだろうか、駆けるように降りて行った。今日は大成功だったのかもしれないが、これからの事はわからない。



1/3 今日は、高落場山。今日も「山ノ神」は不参加。五箇山は雪。駐車場には、大きな除雪車だけで、車はナシ。こりゃ!またまた激ラッセルが待っているのかと思ったが、前日に多くの方々が登られたようで、しっかりとトレースが残っていた。その上に15cm程の新雪があった。

 唐木峠まで小一時間掛かってしまった。先のトレースを辿ったのであるが、いろいろ苦労された結果が伺えるものであった。それを嫌うと、深みにハマるので従うのが得策というもの。唐木峠の先は、杉林がなくなるまで、登りやすかったが、ブナ林に入ると雪量が増え、膝ラッセルになってしまった。

 山頂到達時は、吹雪いていた。すぐに引き返すのも手なのである「それでは何しに来たかわからない。」 という私なりの論理があるのです。単独だと写真もなく、悪天では尚更である。昨年もそうであったように、迷わずシェルター造りに精出した。緊急避難というより、そのような事が好きなのである。

 サラサラの固まらない雪だけに、壁を作るのは難しい。それではと、掘って掘って、私の背丈程掘った。雪が降り続いているのだから、タープを架けなければいけない。一人だと、なかなか上手くいかず時間が掛かる。でも、出来てしまえば温かい。私のガスコンロでも、すぐ湯が沸くというもの。たぬきうどんを食べた。コーヒーも飲んだ。  三脚を持参したが、室内?では狭すぎ、そして湯が沸くとモヤる。外に出てでも、カメラが濡れる。なかなか上手くいかないが、記念だから何でも良い。

 そのような事の他に、簡単なFB投稿したりして、2時間があっという間に過ぎた。帰り道がちょっと心配であったが、写真を撮りながら、そして、駆け降りれば、唐木峠まで40分。唐木峠から車デボ地点まで30分程で着く事が出来た。昨日も今日も、特別の所へ出掛けているわけでもないが、「お馬鹿さん」 になるのかもしれない。



1/2 牛岳より大辻山を選んだ。例年、「山ノ神」は、箱根駅伝をテレビ観戦したいと、1/2の山行はお休み。雨やミゾレはイヤだなと思いちょっぴり高い大辻山としたのである。立山町に入ると雪の多さにびっくりであった。それでも国少の家までは、キレイに除雪が行われていた。でも、大きな駐車場とそれまでの道は、除雪が行われていなかったので片隅に止めた。  林道に入りストックをさしてみると、グリップの所だけが残った。1mを超えている。こりゃ大変だと思った。大辻山頂まで届かないのではと思った。新雪もあり、先行していると思われるスキートレースが1本。それを頼りに只管歩いた。トレースの幅が狭く、スノーシューの私としては窮屈である。

 しかし、それると、もっと沈むから、頼らざるを得ない。目標を城前峠・ライオンズの森の標識・長尾峠としたが、なかなか辿り着かない。長尾峠まで2時間半、積雪は120cm超であった。スキートレースは、長尾山に向かっていなかった。少しでも楽になろうと、⑨に向かった。時間も時間だし、高峰山へと心も動いたが、そう簡単には行かないと思い直し大辻山に舵を切った。

 奥長尾山少し手前(もしかしたら、10分程手前だったかも)で、スキーヤーに追い付いた。木々の間の深みにハマったり、小枝やササに絡まれたりしながらの登高だっただけに、何かのきっかけを求めたがるものである。お互い「何処まで行かれるのか?」 の問いになる。奥長尾山に到達は、正午ちょっと前。私はかなり疲れていた。

 午後1時まで行動の予定であったが、ここで止めることにした。当然、山頂に届かないのであるから、ここで止めれば、帰阪する息子を見送れるかもしれないとの算段が働いたのかもしれない。スキーヤーの方も、私と同じ場所で止められる事になり、小雪が舞う中、食事をする事になった。単独のスキーヤーは、立山町の黒田氏と名乗られ、とても温厚な方で、私の話も聞いてくださった。

 私より小一時間早くスタートされたようであったが、如何にスキーと言えども、なかなか大変だたと思える。きっと、凄く体力のある方なのだろう。私も、ヘトヘトだと言いながら、奥長尾山から、国少の家まで、2時間で降りて来られたのは、もう執念としか言いようがない。



1/1 今年初めての山は、昨年に続き千石城山。周さんと約束していた上市町役場に向けて車を走らせていた頃は、素晴らしいお天気で、こりゃお正月から縁起がよいと、山頂で剱岳が拝めるものだと思っていた。しかし、だんだんと西・南辺りに雲が蔓延ってきた。

 トレースは夏道に沿って着いていた。ラクラクであるし、ゆっくりと歩いても、1時間半程で山頂に届いてしまう。そんな山頂に腰を下ろすと、池田氏がやって来られた。棚田夫妻も。そして、昨年末、小佐波御前山獅子ヶ鼻のてっぺんでお会いした坂東氏。また、ひょんとお会いしたマキ?さんも。(シャッターを切ってもらった。)

 下山時には、土井さんご家族とも。その余勢をを買ってではなかろうが、この山の隅々までご承知の池田氏に珍ルートを案内してもらった。雪が少ないから、少々の藪こぎがあったが、ちょっぴり雪山の醍醐味を味わった。また、予定より早く下山する事が出来、52年間続いている元日新年会に余裕をもって参加する事が出来た。