2/28 50年余通って下さっているお客様の奥様が亡くなられたので通夜に参列しました。山や自然が大好きだという事は、前々から伺っていたのですが、その奥様は70代半ばで、ナチュラリスト。そして、お二人、またはご家族で、3000m超のや山々を全部登られたとのお話があった。でも、晩年は、なかなか思うような事は出来なかったともお聞きした。

 喪主のご主人も、近年胃の摘出手術をされており、精彩を欠いておられる。身近でこのような姿を拝見すると、私もいつかはこのようになるのかと寂しくなって来る。鍛錬も良いが、まず食の節制をしなければいけないようだ。しかし、意志が弱いというのであろうか、ついつい手が伸びてしまう。



2/27 三連休(日・月・火)を目論んでいたが、今のところ、その3日間の予報だけが悪い。予報だけに、当然の如く、”ズレ” も生じようが、その前後の予報が良いだけに、あまり面白くない。そして、通常(定休日)の二連休になりそうだ。



2/26 私の2月の山行は終わった。1月・2月は、特別なところへ出掛けたわけではないが、振り返ってみると、さほど雨には遭っていない。その時は、八乙女山や小佐波御前山に出掛けているが、そう強い雨にも遭っていない。雪も高落場山で見舞われたが、どうしようもない事もなかった。山は少雪で困っているが、「ある所にはある。」 という感じである。

 この2ヶ月間で、山こそ出掛けなかったが、定休日以外に一日だけ特別に休んだ。3~4月には行きたい山がたくさんある。そんな事もあって、お天気の良い日曜日は休みたい気持ちになっている。全部とはいかないが、来年から日曜日を全休にするつもりだから、徐々にという気持ちである。

 大地・初雪山はもちろんであるが、大倉山や白木峰・小白木峰にも行きたい。久し振りに、鳥ヶ尾山・鉢伏山も候補にあげている。でも、焦る事などない。元気であれば、来年も再来年もある。まだまだ爺さんの初心者である。その筋の熟達者になるには相当の時間が掛かる。しばらくは、そんなものを吹き飛ばすような気分でいたい。



2/25 「明日、何処へ行くの?」 とマキちゃん。遅々更新した当欄の記載(金剛堂山)に、「私も行きます。」 と言ってくれた周さん。仲良くしてもらえる山仲間に感謝である。そのお二人とは、お昼過ぎに山頂でお会いする事が出来た。「本当に来るのかな?」 「もしかしたら、一緒かも」 などと思いながら、今日も大きなシュークリームを4個用意した。

 今は、朝の制限が殆ど無くたった事から、「夜明けと同時に歩き始めたい。」 と言っていたが、なかなか思うようにはならない。「山ノ神」の脚力の事もあるが、お天気の良い時は、ゆっくり歩きたいという思いがあるからである。ちょっと遅くなったとは言え、カチカチの急斜面を登るのであるから、緊張感と、スノーシューの刃が雪面に刺さる小気味良さが同居する。

 沈まないから、その分早く登る事が出来る。でも、事はそう上手く運ばない。心臓がバクバク。そして、汗びっしょりである。「山ノ神」に、「早く早く」 とは言えない事情から、コーヒタイムを設けるしか無い。私は、コンロやガス、コッフェルなどを、ザックから出す事を、そんなに面倒とは思わない。出来れば、ゆっくりと、山と対峙しながら親しみたい方である。でも、単独行になると、面倒になるのか、ザックから物を取り出したり、腰を降ろさなくなる。

 時間制限下で、山頂にタッチして戻らなければならないのは、好天の時ほど、もったいない事はない。(もちろん、そうしてでも、行きたい時もあるが・・・) 帰宅しなければならない時間があるのなら、もっと早く、暗い内から歩いても良いと思っている程だから、寝坊助の「山ノ神」とは意見が合わない。

 早く山頂に着きたいとの思いがあるものの、先に二人に、片折岳までには追い付かれたくない。いや、4キロ地点まではとなっていったが、展望が広がる様には、カメラのシャッターを押し続けてしまう。それほど素晴らしいお天気であった。少雪であっても、奥深い山中に入れば、それなりの雪量はあり、まだまだ雪上歩きが楽しめる。

 それでも、4時間程で山頂に着く事が出来た。たっぷり時間がある。風除けの穴を掘るのであるが、祠周辺では、風の通り道のせいなのであろうが、雪面は硬い。それでも、この作業は嫌いではないだけに、きれいなものになるよう心がけなければならない。そして、私は、軽く食事をして、後はコーヒーを飲む事くらいしかないのである。

 ならば、30分もあれば、中金剛(最高点)まで行って来られる。それこそ、ルンルン気分である。その頂に着いた頃に、山頂(前金剛)に人影が現れた。「お~い」 と声を掛け合い手を振った。私達は、2時間半程の山頂滞在であるが、お二人には、ゆっくりされた感はなかったかもしれない。(申し訳なかった。) でも、下山時は、展望を楽しみながら、いろいろと会話をしながら、予定の時間内に車に戻る事が出来た。



2/24 結果論であるが、「今日のような好条件の時に、大地初雪山に行って来れば良かった。」 優柔不断でもあるが仕方がない事である。明日は、今日のような好条件とはいかないが、金剛堂山に行って来ようと思っている。「また、大地け!」 と、「山ノ神」に言われたが、3月まで我慢します。



2/23 「初雪山に行ってもいいよ!」 と言われたが、まだ休日としていないだけに、踏ん切りがつかなかった。2月の初雪山に執心もあったが、今回は諦める事にした。ちょっと、雪が少なくなるが3月もある。そして、来年も再来年もある。ずっと、登るのなら目先のことに拘る事もなかろうという結論に達した。



2/22 一週間も経たないのに、また大地・初雪山に行きたくなっている。もっとも、東京の「まどかさん」が、スノーシューを体験しに、この週末に来高する予定をしていた事もあり、日月を当てなければならないと思っていた。それが無くなったのだから、大地山へ、初雪山にの思いが噴出した感じである。

 それが、初雪山に行くにしても、キャンプをするにしても、午後5時まで帰らなければならないハードルがあるので、どの方法を選択するかになる。日帰りなら、「山ノ神」に断念してもらなければならない。だから、余計に強く言えない。日・月 晴れなのになあ~。



2/21 今回の大地山行で、テントポールとシート、そして、シュラフカバーの収納袋を紛失した。飛ばされたとか、置き忘れの認識がないから、何処かに紛れ込んでいるとは思っていたが、なかなか見当たらず、お互いに責任のかつけあいになっていた。

 雨や雪に見舞われた事もなかったが、やはり、それなりの濡れ物や湿った物があり、乾かさなければならない。しかし、あまり天候が良くなく、外に干す事が出来なかった。ちょっとの晴れ間?(晴れていなかった。雨が止んでいた間)に、外張りを出すと、その収納袋から、ポールとシートの収納袋が出て来てホッとした。

 しかし、シュラフカバーの収納袋は未だに出て来ない。そのシュラフカバーを外に出したら、いつの間にか、雨に遭い濡らしてしまった。「泣きっ面に蜂」 とはこの事か! まだ、シュラフやテントを干さなければならない。出て来いよ!



2/20 大地山へは、あと一回で待望の50回になる。平成11年からであるから、20年越しという事になる。その50回目を、どのように登ろうかと楽しく思案している。「初雪山行を兼ねたものにしようか?」 「キャンプを兼ねたものにしようか?」 などと。

 いつでも行けると思われるが、天候の他に、高岡に午後5時まで戻らなければならないという条件がある。3月になると、陽が長くなるから可能性は広まるのであるが、長丁場だけに過信は禁物。日帰りの初雪山が一番可能性が高いのであるが、キャンプの楽しみの他に、朝夕の景色が望めない。また、雪が緩くなる。キャンプは、設営、そして、撤収作業が付いて回るから、時間的にどうかとなる。

 日帰り・キャンプ、どちらにしても、「山ノ神」が不参加なら、時間的に制約がなくなるのであるが、あまり強くいうと叱られる。(でも、そんな気持ちがあるみたい。) 大地山50回を達成すれば通過点にしかならない。次は、無理とは分かっていても100回を目指したい。



2/19 昨日の大地山行は、下山がギリギリでなかった事もあり、孫の育成クラブ(学童保育)の迎えは余裕だった。真っ黒になった顔を見たり、大きなザックを見たりして、「何処の山へ行って来られたのか?」 と、先生方に聞かれたが、述べても分からないと思い「小川温泉の方から登る山。」 と伝えた。

 「行く事が凄い!」 「雪の中でしょう?」 と言われ、「いやいや・・」 と、直ぐ様有頂天になる事を抑えた。おそらく、変人・奇人の類に思われているのだろうが、私は、そう思われても、それは、勲章やお褒めの言葉に置き換えている。しかし、車から降りて挨拶しようと思ったら足が攣ってしまったのは頂けない。

 その晩は、程々のお酒を飲み、快い疲れ共に達成感に浸った。そして、前夜は眠られなかった事もあり、素直に眠りに入る事が出来た。
 

2/18 一晩中、外張りが強風に煽られバタバタしていた事が気になって私は全然眠られなかった。(たくさん飲んだ筈なのに・・) そんな事もあって、早めに「居酒屋おおち」 に入り、お湯を沸かして夜明けを待った。室内?は、真っ白。降らなかったが、風がいたずらしたらしい。敷物もコンロもガスもである。おまけに凍っていた。

 初雪山の夜明け模様を刻々と眺められた。朝からピーカンとはいかなく、どちらかというと雲が多かった。だから、陽が昇り始めても、朝焼けという感じであった。でも、それは大きく広がってはいなかった。コーヒーを飲みながら、タープの間から眺めたり、外に出てだんだんと明るくなっていく様を楽しんだ。

 私は暗闇の中を起き出したが、皆はシュラフの中が温かく気持ちが良いのか、なかなか起きて来なかった。時間制限があり、また、深雪で、初雪山へはかなりのラッセルを強いられる確実で断念。この大地山頂でゆっくり過ごすという申し合わせもあり、何も急ぐ事など無い。午前11時出発だけが約束されていた。

 初雪山が好きな事はその通りであるが、雪庇の発達は小さく感じた。栂海の犬ヶ岳は三角にキラリと光る感じ。朝日岳から白馬岳までは、山容の雄大さに優しくさえ思える。相又谷と白金ノ頭は、何だか称名の形と似通って見える。(そんな事はないか・・) 今日は、剱岳がはっきりと見える。毛勝の山々から、駒ヶ岳や僧ヶ岳も・・・。

 各自、何度も何度もシャッターを切っていた。そして、パホーマンスを考え、スターになったつもりで、シャッターを切ってもらっていた。撤収作業もある事から、あっという間に時間は過ぎていった。でも、お天気は益々良くなっていったから、もう少し留まりたい気持ちが起こるが仕方がない。あちこち向いて記念写真(記録写真)を撮った。

 下山時は、雪が緩んだ事もあり危険は回避出来るが、今度は、思わぬ所で嵌ったりするので注意が必要だった。621mからは、前日と違ったルートで降りたが、昨年不覚を取っただけに、気を引き締めて臨んだ。気温が上がり、高度も下がる事から、暑くて上着を脱いだ。発電所前の林道歩きになってから、どっと疲れが出てしまった。



2/17 昨年3月と同じメンバー(周さん・ガリ君・山ノ神と私)、それに、急遽、日帰りで参加したいと言ってくれたシュンちゃんでの大地山行となった。取付きを朝日小川第2発電所(夢創塾)とする案もあったが、前日の降雪に除雪が行われておらず、もう一案の朝日小川ダムからとなった。

 堰堤を渡る前の駐車場からスノーシューを装着。少雪の今冬であったが、思わぬ積雪にワクワク気味であった。しかし、先陣を切ったシュンちゃんの導きは、急登の連続で、しかも、大きなザックを担ぐ者には、小枝が纏わり付き難義の連続であった。しかも、「山ノ神」が一番嫌がる621mピーク手前の赤松を通らなければいけなかった。

 しかし、ある程度の積雪があり、荷を担いでいても登り切れたのである。そして、杉林の間から対岸の山々と、我々のトレースが相俟って、一気に高度を稼いだ事を感じたのであった。その時点で3時間は経過していた。その先の750m辺りの初雪山が望めて、夢創塾ルートと合流するため左へ曲がる所では、スタートから4時間を超えていた。

 午後1時頃、スタートから6時間。標高920m付近で小休止する事になり。簡単なベンチ・テーブルを造った。しかし、午後1時半には、「これで戻る。」 と言って、シュンちゃんは、何も口にせず戻って行った。我々には、あと標高差250mが残っていた。

 コーヒーと行動食のような物を食べて午後2時再出発である。標高1,000m手前の通称・鍋平に設営する事も考えられたのであるが、どうしても、山頂にテントを張りたいという私の希望を聞き入れてもらって、最後の力を振り絞ってもらった。というものの、終始ガリ君の奮闘があったから、山頂に辿り着けたようなものであった。

 午前7時10分にスタートして、辿り着いたのが午後3時50分を回っていた。「お~っ、初雪山が・・・」 と歓喜の声を上げたものの、すぐに設営開始である。整地して雪壁を造り、そして、「居酒屋おおち」も、日没寸前に造り上げた。日が陰ってしまえば、急激に気温が下がり、手先が悴み細かい作業が出来なくなってしまった。

 テントの中へ入るのに靴を脱ごうとすると、足が攣る始末。スパッツもパリパリになった。「居酒屋おおち」に入っても、私達は、せっかく担ぎ上げたビールを口にする事はなかった。(寒すぎて! でも、元気者は飲んでいた。)その点、燗した清酒は、温かくてすっと入っていった。(ウイスキーや焼酎は、私は飲めないので・・)

 ジンギスカン・ステーキ・パスタ・餃子・刺身等など。午後11時頃まで飲んだ。美味しかったし楽しかった。そして、「今年も、ここまで来れた!」 が、一番の喜びであったのかもしれない。明日は、この先へ進まない。との申し合わせをした。



2/16 明日・明後日は、今年初めてのキャンプ。大好きな大地山でのキャンプである。予報は必ずしも当てにならないが、雪模様の後、晴れマークが続いている。ゆっくり歩いて、山の隅々まで見渡しながら親しんで来たいと思っている。夕日を見ながら美酒を味わいたいし、朝日を浴びながら、時間の許す限り、あちこち歩いてきたいと思っている。

 「初雪山も行きたい。」 「黒菱山への稜線も歩きたい。」 「白金の頭へも繋ぎたい。」 などと、欲にキリがない。この歳まで歩ける事に感謝しながらも、「まだ、これから・・」 と欲深い私であるが、病に倒れる事を思えば、これくらいの道楽は許してもらえる範囲かと。



2/15 「山ノ神」が大地山行をようやく承諾した。最近は、行かない行くの判断が遅くて困る。始めから行かないなら、いろいろと違った計画が出来るのであるが、直前まで保留?なのだから本当に困ったものである。単独で、また、山仲間とだけなら、もっと奥に、そして、もっと高い所へ行けるのに・・・

 でも、特別な所(山)に登るわけでもない私達だが、夫婦で毎週のように出掛ける方々も、そんなに多くはない。私が、80歳になっても雪山でキャンプが出来る事を目標としているが、夫婦でも長く(年取っても)山を歩きたいと思っている。歩くのが遅くなっても、荷をたくさん担ぐ事が出来なくなっても、それなりに山と親しむ事が出来るというもの。

 誰かの山行に混ぜてもらうには、あれやこれやと言えないし、その趣旨に沿って動かなければ行けないが、私(私達)が主宰するにあたっての同行される方々には、私達の弱点を洗いざらい述べ、理解してもらい協力してもらう事にしている。また、仮に私達より、ちょっとばかし劣るように言われる方には、充分に合わせる事が出来る。



2/14 今度の日曜・月曜日は、大地山でキャンプをする予定である。この先も、3月の第1日曜月曜日と・第3日曜月曜日を大地・初雪山方面に出掛けたいと思っている。キャンプ予定であるが、天候が味方してくれなければ日帰りになる事もある。

 私達には、月曜日は午後5時まで高岡に戻らなければならないという条件がある。一年に一度とか、一生の内の何回とかいうのであれば、孫の迎えを考慮してもらう手もあるのだろうが、私達のやっている事は、趣味や体力づくりなどと言っても遊びに過ぎない。

 今回は、大地山に荷を担いで行けるかどうか心配している「山ノ神」に、昨年同様、「今年行けないようなら、来年は、なお行けないよ!」と諭していたところに、一緒してくれる仲間から、「初雪山まで行きたい。」 の希望を受けた。私は、「時間的に行けない。」 と言ったが、私が、2月の初雪山に興味を持っている事を、「山ノ神」が知っているから、参加辞退を告げている。

 私としては、当初の予定通り、大地山に留める予定である。この先、夫婦で雪山キャンプが出来る事など、そんなに多くない。また、今回、初雪山に向かうとなると、夜が明けるかどうか分からない内からスタートしなければならないし、気象によっては、雪が固く、余計な装備が必要になってくる。やっぱり安全第一であるし、余裕をもって望みたい。



2/13 今冬も相変わらず火の気のない部屋で寝ている。10畳のエアコンもファンヒーターもない部屋で、しかも、隣の8畳の仕切りの戸が半分無い。一冬の何日かは、寒くてなかなか寝付かれない日があったが、今冬はまだその日がない。今年は、もう一枚毛布を着込んでいるからかもしれない。

 「元さん、もうそんなに我慢しなくてもいいのでは・・」 とか、「訓練・鍛錬をする歳でないのでは・・」 の声もあるが、まだまだである。しかし、夏は、何度か寝苦しい日がある。どちらかというと、夏が好きで、寒いのが苦手な筈なんだが、雪遊び?を覚えてから、変わってしまったのかもしれない。



2/12 自分で「ボケてしまって・・」 と言っても、人様から「あんた、ボケたがやそうな!」 と言われると、否定したくなるし、時には腹が立つ事もある。山歩きでも、「今日は、あんまり調子が良くないので・・」 とか、「どこそこが痛くて・・」 と、謙遜も含めて言ったとしても、相手様から、まともに受け取られては面白くない時もある。

 この歳になって、「好きな事をして、言いたい事も遠慮しないで・・」 等と、思っていても、それが必ずしも自分の思い通りにいく事などない。根回しも含めてであるが、相手様の思いを汲んでこそ、調和が生まれるような気がする。気を遣ってもらったり、気を遣ってあげてこそ、気分が良くなるんだと思う。

 煩わしさから逃れたい気持ちは大いにあるが、一人では生きていけないのも正直なところ。「あの人はどうしているのかな?」 「元気なのかな?」 などと、余裕の心を持ちたい。波風を立てずに、皆と仲良く出来れば、こんな素晴らしい事はないが、なかなか仏様には近付かない。



2/11 大地山は来週に回したので、今日は牛岳。そして、牛岳が初めてだというガリ君が参戦。最近は牛岳行きが、めっきり減っているが、私のホームグランドみたいなところだから、初めてのガリ君には、いい状態で臨んで欲しかった。でも、イザ登ってみると、雪量はまずまず、そして、雪質も割りかし良しで胸を撫で下ろした。

 前日のものと思われるトレースに合流したのは、5合目と6合目の間。そのトレースは、そこで終わっていて、楽しくなって行くし、何故か嬉しかった。ガリ君に、バージンロード?を歩いてもらいたかったからである。

 稜線に出て、まともに強風を受けると、いっぺんに寒さを感じたが、左に砺波の散居村を眺めたり、右に五箇山の山々に見いれば、ワクワク心の方が勝り、飛び跳ねるように歩き続ける事が出来るのである。少雪は何処の山でも感じるのであるが、牛岳の稜線歩きでは、あまりそれを感じられなかった。

 三角点から牛岳権現様のある頂上までは、一段の積雪と樹氷の名残で、我々を迎えてくれたかのようであった。雪原のようで小枝も煩くなかった。祠へは相変わらずの細尾根状態で連なっており、ちょっぴりスリリング。一礼と記念写真を撮って三角点に戻った。

 三角点では、雪庇モドキの反対側を掘って、いつもと違うベンチ・テーブルを造った。(雪洞方式では時間が足らない。)砺波平野を見渡しながらの雰囲気は、天空レストラン?だとハシャイだが、展望レストランの名の方が良かったかもしれない。

 いつもの悪い癖が出て、ちょっと食べ過ぎてしまった感があったが、気分は最高。壁(雪庇のようなもの)のお蔭で、1時間余り暖かく過ごしていたが、風が舞って来たので、退散することにした。登りで4時間近く費やしたが、下りは早いもの。1時間半程で車に戻った。途中、6合目上の大斜面を降るのは、この日一番のスリリングなところであった。



2/10 お天気が良くないと思っていたのに、時折、陽が差したりして来るではないか? 非常に気分が悪い。そして、精神衛生上とても良くない。そんなところに、娘がやってきて、利賀そばまつりに行きたいが、運転に自信がないという。それならと、早々に店を終い娘家族を含め6人で出掛ける事になった。

 ところがである。利賀街道(471号線)は大渋滞であった。特に、利賀中央(役場前)から百瀬の駐車場までが、一寸摺りであった。そして、多くのお店が出ていたけれど、どのお店も長蛇の列で、これには参ってしまった。それでも、肝心のそばを口にする事は出来なかったが、イワナの唐揚げや塩焼きを美味しく味わう事が出来た。

 そんな折、たくさんの連絡を受けたが、なかなか返事が出来ず申し訳なかった。大地山は来週、明日は牛岳にしました。あれだけ出掛けていた牛岳であるが、この頃は、年に2~3回くらいしか機会がなくなってしまった。明日は、必ずしも良くない予報であるが、ゆっくりと、静かな山を堪能してきたいと思っている。



2/9 明日は、そんなに降らないと思うが、絶景が望める可能性も少ないから、店を休んでまでのリスクを負わない事にした。そして、明後日の行動に制限がないのであるが、深追いをせず、ゆっくりと静かな山に行く予定である。月曜日だから、何処へ出掛けても静かな事請け合い。



2/8 このところの予報に翻弄されている。「雪が降る。」 「強く降る。」 に惑わされた事になるが、自分の意志が弱いからに他ならない。行けばそんな事もない事の方が多いのにと思っていても、テンションが上がらなければ止めた方が良いと思っている。

 もしかしたら、お店を休んでまで行く事はないという事なのだろう。だから、来週は、必ず行きたい。しかし、高岡に午後5時まで到着しなければならない事が条件。まぁ~、初雪山まで行けなければそれでも良い。大地山から初雪山を眺めるだけでも、ハッピーなのだから・・・・



2/7 先日の大地山に登って、お天気さえ味方してくれたら、50回は通過点で100回も目指せるのではと思った。大好きな山だけに、チャレンジの方向でいきたいと思っている。お天気の良い時に出掛けるは一番なのであるが、なかなかそうはいかない。来年からは、毎週日曜・月曜を定休日としたいが、今年は、まだその意気に達していない。

 そうなれば、キャンプ機会も、初雪山行きも、自ずから増えると思っている。雪の大倉山や大辻山・金剛堂山も良いが、私は、大地・初雪山が大好きなのである。時間的制約がなければ、まだまだ行けると思っているが、果たして、思い通りにいくのだろうか?



2/6 今日は、我HP 「元さんの山歩き」 の誕生日。「元ちゃんの山歩き」から、「元さんの山歩き」 満19年です。PCの事がよく分からないのに始めたHP、それこそ、コピーや貼付けという事が分からないのにであった。「タグ」辞典を片手にやり始めたのでした。

 その当時は、どうしたら、検索に引っ掛かるのかと真剣に考えたという時代でした。今から考えたら、「ウソ」 と思える環境化で始めたのでした。そして、「10人の人が見てくれた!」 100人の人が見てくれた!」 と飛び上がっていた程でした。

 HP支援ソフトを使わないでの作業だけに、いろいろなトラブルがありました。(現在もあるのですが・・苦笑) また、PCそのものが固まって、ニッチモサッチモいかない事も日常茶飯事でした。そして、この頃は、ブログやfacebookなどの普及で、私のような掲示板的なものを設けていないのでは陰りがあるのは重々承知しています。

 そして、同じPCから何度アクセスしても、カウントを加えない方式にしていますので、家族の方が見られても、或いは、WiFiを通じてスマホで見てもカウントは進まない事になっています。一日に僅か100前後しか進まないカウントですが、私にしてみれば、毎日見てもらっているとは限らないので、その2倍3倍の方々に見てもらっているものと思っています。

 本当は、そんな事はどうでもよく、HPを通じていろいろな方々とお近付きになれたし、山仲間 「ハレルヤ」 や 「好山病友の会」など、中身の濃いお付き合いに至った事がたくさんあります。そして、私の人生に関しても、大きな影響があった事は間違いありません。

 いろいろな方々に感謝しつつ、いつも 「もう止めようか?」 「いつ止めようか?」 と述べていますが、ここまで来たら、ちょっとでも長く続けたい気持ちになって来ています。それが、「元じいの山歩き」 にならなくてでもです。どうか今後とも宜しくお願いいたします。



2/5 満を持して大地山に出掛けた。少雪とは言え、夢創塾までは車が入れず発電所前に車を止めてのスタートとなる。案の定、夢創塾からの急登箇所には雪が着いていなかった。でも、私が想像していた以上にはあり、発電所からずっと、スノーシューを履き続けた。

 昨日の小佐波御前山の帰り道に、ようやく今日の大地山に行くと言った「山ノ神」であるが、赤松(標高500m付近)まで四苦八苦していた。638m地点で午前9時半、鍋倉三角点で10時20分過ぎになっていたのですから、高岡に午後5時までに帰るには、山頂に届かないのでは、届いたにしても、休んでいる間がないと思い始めた。

 「山ノ神」の同行がなければ、もしかしたら、2月の初雪山。または、次回のキャンプに備えての食料のデボを考えていただけに、「山ノ神」へのもどかしさもあった。そんな事を感じてかどうか分からないが、2つの急登箇所を乗り越えた標高910m辺りで、「私はもうダメ!」 「山頂へ行きたいんでしょ?」と、「山ノ神」が言い出したので、それではとなった。

 時は、午前11時10分頃。放ってはいけないので、少々の壁と、ベンチ・テーブルを造った。これから標高差約250m、それを、1時間で戻って来いと言うのだから、とても受け入れられなかった。その理由として、写真を撮りたい。三脚を立てなければならない。ので、あと15~20分は欲しいと頼んだ。タープ類や炊事用具、そして、しゃベルも置いていくつもりであった。

 ところがである。僅かだけど、次回のキャンプのためにビール2本、水1Lを山頂付近でデボするつもりでいたが、諦めて、「山ノ神」待機中に飲めば良いと思ったが、デボ(埋めて)来いというのである。そうなれば、それなりの時間も要するし、しゃベルも持って行かなければならないが、意を決して臨む事にした。時間まで戻らなければ、先に発つ事を条件にして・・・(午前11時30分頃)

 638m辺りまでどちらかというとモナカ雪で悩まされたが、この辺に来ると、締まった雪に新雪が薄っすらの状態であり割と歩きやすかった。しかし、樹氷が見え始めた1000m超辺りで、深みに嵌ってスノーシューが抜けなくなってしまった。そして、脱出した時に足を攣らしてしまった。

 後は、執念である。トレースが無く、いつも雪庇が出来るナイフエッジ的な所を通過するのに気を張ったが、足を引き摺りながら登った。山頂の積雪は例年より1mくらい少ないように感じた。木々が煩いくらいに目立つのだから。三脚を立てて初雪山をバックに記念写真(記録写真)を撮った。急いで、穴を掘って僅かな飲み物を埋めて来た。(午後0時30分を過ぎていた。)

 走らなければ、時間に戻れない。いや、もう約束の時間には戻れなかった。一ヶ所だけど慎重に渡った。写真も撮りたいし。また足が攣った。でも、我慢しなから駆けた。待機所には、当然の事ながら「山ノ神」は、いなかった。(午後1時) 驚いたのは、私の置いていった荷が全部そのままであった。それどころか、山ノ神の物まで・・ 凍った斜面を降りるのを怖がっていたし、帰宅時間を考えると当然の話かもしれない。

 むやんかすに、荷をザックに入れて先を急いだが、なかなか「山ノ神」には追いつかなかった。夢創塾コースと朝日小川ダムコースの分岐(合流)点で、「山ノ神」が鍋倉三角点にいるのがわかった。そこから降りて、また登って、そして、また降りたブナ林の所で合流となった。638mの標高点は。午後1時50分、500m付近の赤松で2時10分過ぎとなった。

 夢創塾には、午後3時まで戻らなくては、林道歩きがあるので、高岡5時には戻れない。しかし、焦ってみても始まらない。朝の雪質と違ってシャワシャワで崩れ易くなっていた。スノーシューを外して、初めての試みとして、チェーンアイゼンを「山ノ神」の靴に装着してみた。そのスノーシューを誰が担ぐのか分かった事。

 雪量が少ない所や無い所、滑りやすい所は、アイゼン効果があったようだったが、雪量の多い所では、片方だけだったが、かっぱ(だんご)となって、歩きにくかったみたいだった。 (4本とか6本爪くらいの軽アイゼンが効果的かもしれない。)

 それでも、「山ノ神」は遅い。そう言ったものの、怒らせては元も子もない。まあ~、よく頑張っていると思うしかない。そして、お互いの事であるが。ケガしない事が一番大事なのだから・・・ 夢創塾に着いてからの林道歩きも辛かった歩きのように感じられた。そうして、午後3時半過ぎに発電所前を出た。何とか、飛ばした事もあって間に合った。

   

2/4 予想は雨模様。ならばと小佐波御前山になる。歩き出したら、青空が見えた。でも、すぐに雨が降り出した。そんなのが繰り返しで、何度も雨具を着ては脱ぎ、脱いでは着込んでとなった。前日のものなのか、幅広くきれいなトレースが着いていた。でも、高温・雨で、結構沈んだ。スノーシューにして良かった。

 「小佐波御前山に今から登る。」 とLINEした事もあってか、忙しいのにマキちゃんが迎えに来てくれた。(猿倉山と御前山の中間)まさかと思ったサプライズ。時間があまり無かったから、多くは話せなかったが、嬉しかった! 明日は、大地。



2/3 今日の日曜日、あちこちの山へ行かれた情報が入る。中には、雨に遭われた方もあったようだ。でも、行かれた方々が羨ましい。明日は、またまた雨の予報。どうしたもんだとなる。簡単な所となるのであろうが、起きてから決める事になる。でも、明後日の予報は良いようだから、ちょっぴり期待となる。

 一週間先の予報は、少し良くなって来た。でも、分からない。翌々週(第3日曜日)があるから、あまり欲張ってもいけないような気もする。3月から町内会長を受ける事になった。任期は2年なのであるが、曲げて1年としてもらった。(二人で2年にしてもらった。) 山行、そして、日常生活になるべく支障がないようにしたいと願うのですが、これも、なってみなければわからない。



2/2 ちょうど一年前にPCのトラブルが起きた。ダックアップを怠っていたために、2,013年2月~2,018年1月の物全てを失ってしまった。特に画像に悔いが残る。それは、その時にしか撮れなかったものだからである。

 その中に、特別お気に入りの物があっただけに、残念でならない。時折、その一部でもいいからと思い、あちこちを探すのであるが、未だに成果はない。消えたものは戻るハズはないのであるが、何処かにコピーされていないかと淡い思いがそうさせてしまうのです。



2/1 まずまずのお天気なら、今度の日曜日に、お店を休んでキャンプと思っていたのが、予報はあまり良くない。またそして、町内会の役員選考会議なるものが予定されたので尚更出掛けられなくなった。おとなしく、店を開ける事になる。その翌週にも期待を込めているが、あまりパッとしない予報である。

 一週間以上先の話だから、どうなるかわからないが、本当は、孫達から解放されて(親達が休日だから)一番出やすい時である。お店を休むのは、かなり勇気がいるのであるが、50年以上続けて来たのだから、ご褒美として、年に何回かは休んでもいいのではと思うようになって来た。収入は無くなるので有給休暇とはいかないが、それでも、それくらいの事はやってもいいと、自分を納得させている。

 何せ、大地山に行きたくてしょうがない。降らなければ行きたい。泊まりでも日帰りでもである。月曜日は、午後5時まで戻らなければいけないという制約があっても行きたい。最近は、朝の制約がない事が多いので、早く出ればいいだけの事。だから、早く夜が明けて欲しい。